キノ・イグルー「テントえいがかん」

スクリーンの前で、人は自由だ。 

あなたは普段、誰かのお母さんで、誰かの子どもで、誰かの上司で、誰かの部下で、誰かの先輩で、誰かの後輩で、もしかしたら村長かもしれないし、どこかの国の王様で、お姫様かもしれないけど。映画の上映中だけは、肩書きを忘れ、私たちは何者でもなく、ひとりの人間になる。

“彼ら”はいつだって、映画を通してそんなことを教えてくれる。

8月18日。日曜日。快晴。日差しが痛いほどジリジリとして、とっても暑い夏の正午。井の頭公園にあるカフェで待ち合わせをした。空は青く、高く、公園の緑は生命力に溢れ、蝉の声は、さらに勢いを増しているようだった。

大粒の汗を流しながら、待ち合わせのカフェに向かう途中、いつものように青いギンガムチェックのシャツを着た渡辺順也さんに出会った。眩しそうな表情で、こちらのほうへ歩いてくる。

「どこ行くんですかー?」

不思議に思って声をかけると、公園の売店を指さして、

「だって、暑くない?」

そう言いながら、ソーダ味のソフトクリームを買って、食べ始めた。自由だ。待ち合わせの時間まであと数分だけど、食べ終わるのだろうか…。そんな心配をよそに素早くソフトクリームを食べた渡辺さんとカフェに入ってからしばらくすると、いつものように青いボーダーのTシャツを着た有坂塁さんがふらっと現れ、にこやかに渡辺さんの横に座る。

注文を終えると真っ先に、「あの映画観た?」と、当たり前のように最近観た映画の話を始めた。どうやら、早速“スイッチ”が入ったようで、その映画の話でひとしきり盛り上がった。私は、彼らと映画の話をしている時間がとても好きだ。話しているとき、その表情からは映画に対する愛が滲み出ていて、こちらまでにやにやしてしまう。そうして、話した後は決まって、無性に映画を観たくなるのだ。映画について語り合っている光景はまるで、少年のように純粋で、きらきらした目の輝きが眩しかった。

彼らの名前はキノ・イグルー。“究極の映画ファン”である。

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有坂塁さんは、もともとは映画が嫌いだった。幼い頃から二十歳を越えるまで、サッカー一筋で、本気でプロを目指していた。しかし、ある一本の映画と出会い、衝撃を受けたときから、しだいに映画との距離が縮まっていく。そうしてある時、サッカー人生に終止符を打ち、映画の道に進むことを決意。中学の同級生である渡辺順也さんを誘い、2003年「移動映画館」を始めた。

とは言っても、最初から「移動映画館」として活動していたわけではなかった。彼らの活動の原点は、友人が運営する「まちの小さな映画館」。そこから始まり、今では全国各地のカフェや雑貨屋、書店、パン屋、美術館、ホテルや百貨店の屋上、森の中など、さまざまな空間で、世界各国の映画をジャンルにこだわることなく上映している。その上映スタイルはどこまでも自由で、独創的。想像もしなかったような環境で観る映画は、まるで別の世界を旅しているような気分にさせてくれる。

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「みんなの心のどこかにある“映画スイッチ”をONにしたい」

有坂さんはそう話す。心のどこかに眠っている一人ひとりの“映画スイッチ”にさりげなく触れ、目覚めさせてくれる。それが、キノ・イグルーの活動なのだと思う。

映画上映後、その余韻のなかで、有坂さんはみんなの前に立ち、「お話」をする。「お話」とは、映画の単なる「解説」や、「評論」をすることではない。その映画をもっともっと好きになってほしい、知ってほしいという思いに溢れた、プラスアルファの情報である。有坂さんの穏やかな口ぶりには、一本の映画に対する深い「敬意」を感じる。そこには、あくまで“映画ファン”として映画と関わることを大切にし続ける、結成時から10年間変わることのない、キノ・イグルーの姿がある。

2012年の夏に行われた、キノ・イグルーが主催するルーフトップシネマの風景が、忘れられない。とても暑い夜だったけど、ホテルの屋上には、ほてった体をやさしくいたわるように風が吹いて、気持ちがよかった。有坂さんが選んだ、夏の夜にぴったりなBGMが会場を包み込む。この日は、もみじ市の事務局何人かを誘ってみんなで観に行ったのだ。仕事が終わって、次々と集まってくるメンバーは、ウッドデッキの上で靴を脱ぎ、ねころがってぼんやり星空を眺めたり、お酒を飲みながらゆっくり話をしたり、思いおもいに、映画の前の、ゆるやかに広がる時間と空間を楽しんでいた。

足を伸ばして。風を感じて。映画を待つ。心はしだいに、とき放たれていった。

上映作品は、フランスのミュージカル「フレンチ・カンカン」。リズミカルな展開と、圧倒的なラストシーンに心が踊ったのは、私だけではなかった。野外の空気に開放された、そこにいるお客さん全員が、まるで映画の世界に入ってしまったかのように、もしくは、映画が、こちらの世界に飛び出してきたかのように、映画と一体となり盛り上がって、指笛を吹いたり、拍手をしたり、声を出して笑ったりしていた。そして前方には、主催者としてではなく、いち観客として、私たちと一緒になって映画を楽しむ、キノ・イグルーの姿があった。

私は、あの風景を一生、忘れないとおもう。映画がこんなにもみんなを「ひとつ」にして、心が震えるほど感動したのは、生まれて初めてだった。映画が終わっても、私たちはすぐに帰りたくなくて、しばらくデッキの上でぼんやりと、余韻に身を委ねていた。

普段、映画を観る環境ではない場所で、あえて「みんなで映画を観る」ということ。みんなが足を伸ばして、自分らしくそこにいられて、自分らしく映画を楽しみ、帰り道には、映画の話をして帰る。映画と私の距離が、ぐっと縮まったような、そんな気持ちにさせてくれる。私は当時、そこまで映画を頻繁に観るほうではなかったというのに。どうしてだか、家に着く頃にはもう、次の映画を観たくなっていた。私のなかの“映画スイッチ”がONになった瞬間である。

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もみじ市にはもはや欠かすことのできない存在となったキノ・イグルー。青いテントの映画館で、今年もみんなを待っている。上映作品は、当日までのお楽しみ。今回は、私たちをどんな世界に連れて行ってくれるのか、とても楽しみだ。

もみじ市に来たなら、おいしいものを食べて、飲んで、素晴らしいものづくりの作品に出会い、作家さんとたくさんお話をして、ライブを堪能し、そうして、この小さなテントで映画を観てほしい。一本の映画を観た後、余韻の残る心で、テントの外へ出て、またその目で、もみじ市の世界を、じっくりと見渡してみてほしい。そこにはきっと、さっきまでとは違う、もっともっとカラフルな世界が、あなたを待っているはずだから。

キノ・イグルーのテントえいがかん、まもなく上映時刻です。

【キノ・イグルー 有坂塁さんと渡辺順也さんに聞きました】
Q1 もみじ市に来てくれるお客様に向けて自己紹介をお願いします。
カフェ、雑貨屋、パン屋、ホテルの屋上など、ありとあらゆる場所を、わくわくする映画館へと変えてしまう、移動映画館のキノ・イグルーです。

Q2 今回のテーマは「カラフル」ですが、あなたは何色ですか?
トリコロール!(反則?)

Q3 今回はどんな作品をご用意してくれていますか? また「カラフル」というテーマに合わせた作品、演出などがあれば教えてください。
もみじ市でしか体験することのできない「テントえいがかん」が、今回もオープンします! 目印は、ブルーのかわいいテント。カラフル!

Q4 ご来場くださる皆さんにメッセージをお願いします!

さて、続いてご紹介するのは、益子からやってくるあの陶芸家さん! テーマカラーは料理の美しさを引き立たせる“白”。

文●池永萌