ジャンル:ILLUST&DESIGN

夜長堂

【PROFILE】
大阪を拠点として活動する井上タツ子さんの屋号。大正・昭和時代に着物や千代紙で親しまれていた図柄を「モダンJAPAN復刻ペーパー」として商品化。包装紙やレターセットといった紙ものから、タオルや手ぬぐいの布ものにまで展開する。懐かしい色合いと日本独特のシュールなデザインは国内外問わず人気を集めている。誰かに贈り物としてあげたら、クスッとした笑いも一緒にプレゼントできるはず。10周年である2016年5月、ギャラリースペースを併設した実店舗をリニューアルオープン! 今宵も、賑やかな声が大阪天満橋から聞こえてきます。
http://www.yonagadou.com/


【商品カタログ予習帳】

お相撲さんマフラータオル


がま口財布(ランデヴー)


ハガキ(お散歩マーチ)


ぽち袋(こけし、お相撲さん、だるま)


レターセット(ロマンバード)


刺繍タオル(こけし)


大判ハンカチ(左:水玉、People)


二重ガーゼハンカチ(左:モザイク、音楽隊)


封筒付きメッセージカード(こけし、お相撲さん、だるま)

【スペシャルインタビュー「映画のような、井上タツ子さんを取り巻くお話」】
夜長堂・井上タツ子さんに、柳川夏子(手紙社)がお話を伺いました。

紙ものとの出会いは一枚の名刺と、橋の上から始まった文通

夜長堂には、井上さんのお気に入りがたくさん詰まっています。

ーーーまず、夜長堂として活動される前のお話をお伺いしたいと思います。学生時代は美術について学ばれていたのでしょうか。
井上 奈良芸術短期大学で、グラフィックデザインについて学んでいました。正直、大学のことはあまり記憶にないのですが…デザインの基本を学びながら、自治会とバクテンクラブに入っていましたね。

ーーー自治会とバクテンクラブ…?どちらも大いに気になるのですが、それぞれどのようなものでしょうか。
井上 バクテンクラブというのは、バック転ができるようになるためにひたすら練習するサークルです。洒落がきいた楽しいサークル名だと思って入ってみたら、日々本気で練習するというのが主な活動でした。

ーーーということは、井上さんはバック転ができるんですね!
井上 できないです(笑)。全然できるようになりませんでした。ひたすらマット運動をしていましたが、時にはキャンプをしたり、何事にも本気で面白かったですよ。もう一つ所属していた自治会というのは、生徒会のようなもので、文化祭の時に催し物を企画していました。

ーーー人が集まって、みんなで楽しむといった場所や時間がお好きなんですか?
井上 そうですね、みんなで何かを作るというのが好きでした。自分の学科以外の人と触れ合って、様々な話がしたいと思ったんです。授業以外で、楽しい時間を過ごしていました。思えば、この頃からイベントの企画とかが好きだったんでしょうね。

昔の銭湯の靴箱をストック入れとして使用しています。扉の形等で、どの地域のものと分かるとか!
モダンJAPAN復刻ペーパーやレターセットなど。並んでいるだけでも賑やか。

ーーー夜長堂さんというと、かつて着物などで親しまれていた図柄を印刷した「モダンJAPAN復刻ペーパー」が代表的ですが、紙ものに興味を持ったきっかけはありますか?
井上 いくつかあるのですが、まず一つ、紙というものに衝撃を受けた出来事として、グラフィックデザイナー・立花文穂さんに出会ったことが大きな出来事ですね。大阪でとあるファッションショーに行った時、会場内にものすごく気になって仕方がない人がいたんです。どうしても話しかけたくて、ショーが終わった後に、走って追いかけました。

ーーー追いかけたいほど魅力的な方だったんですね。
井上 とても雰囲気のあるフォトジェニックな男の人2人組で、その内の1人が立花文穂さんだったんです。彼らは東京から来ていて、お好み焼きのお店を教えてほしいと言われたので、大阪を案内しました。その時にいただいた名刺が全部違うデザインで、一枚として同じものがなくて、感動しました。当時私は大学在学中でしたが、こんなのは見たことがなかったんです。グラフィックって、紙って、かっこいい! って。

あともう一つは、手紙用品を作りたいという想いがずっとありました。それはよく手紙を書いていたからなのですが、ある時、橋の上で出会ったおじいさんとしばらく文通していました。亡くなるまでの間、3年間くらいずっと。70歳過ぎになっても、ケニヤに桜の木を植えに行くような人だったんです。その人は、世界中からカードを送ってくれて、また手紙でいろんなことを教えてくれましたね。

ーーー出会いが橋の上というのも、世界中から送られてくる手紙も、まるで映画のようですね。

個を隠して活動していました

階段を上がると、現れる看板。何屋さんなんだろう…と気になりますね。

井上 橋の上で出会ったおじいさんが亡くなってしまって落ち込んでいた時、とある人形師の方に出会い、そこからまた文通を始めたんですね。その人の手紙の中で、坂口安吾の「夜長姫と耳男」に触れた文章が書いてあって、その“夜長姫”という響きが気になりました。夜長には、覗いてみたくなるような不思議さと怖さが入り混じっていて、いい言葉だなと。

ーーーそこから夜長堂という屋号につながっていくんですね。ちなみに、他にも屋号名の候補があったんですか。
井上 いくつかありましたが、どれもピンときていなくて。横文字のイメージでもなく、パッとすぐ読みやすくて、響きが人の耳に馴染むもの。そして、あまり可愛すぎないというのが自分の中にありました。その中でも「夜長堂」はしっくりきたんです。またその時に、北新地というエリアの小さなスナックで働いていて、そこでは映画みたいな事件が毎日起きていました。様々な恋愛事情や人間模様が溢れていましたね。そういう日々を過ごしながら、目を瞑るまで何が起きるかわからない。毎日あっという間に夜は過ぎていくけど、されど長いな…という想いを持っていました。夜長堂という名前は、それにとても繋がるものもあって気に入っています。

あと、夜長という言葉には秘密めいた雰囲気がありますよね。仕事を始めた当初は個が見えない状態にして活動していました。男か女か、何人でやっているのか分からないように。

ーーーなぜ、個を隠したのでしょうか。
井上 見えない方が追いかけられるからですね。姿は見えないのに、いろんなお店で夜長堂という名前を見かけるようになったら、気になるだろうなと思って。人って、知りたくなったら知ろうと思って、調べたりするでしょう。それがいいなと。

写真を通して好きになった街

夜長堂は大阪の天満橋にあります。初めて、静かな大阪に出会いました。

ーーー活動の拠点とされている大阪は、井上さんにとってはどういった場所ですか。
井上 大阪といってもエリアによって表情が全然違いますからね。道頓堀があるミナミというところは猥雑な雰囲気がして、あまり好きじゃなかったです。人混みも嫌いで。今ではごちゃ混ぜ煮なところが好きですが、いつから好きになったのかな……写真を撮るようになってからかも。

ーーーどんな写真ですか。
井上 チンドン屋さんの追っかけをしていて、彼らの写真を撮っていました。演奏すると聞けば、至るところへついて行きました。それこそさっき言ったミナミだったりとか。演奏している彼らを意識して撮影するんですけど、プリントした写真を見てみると、その背後に写っている人たちもなかなかのインパクトを放っていて。チンドン屋さんってメイクが派手なのに、負けないくらいの。

ーーーそれはとてもおもしろいですね(笑)
井上 無造作に切り取ったはずの一枚が、まるで映画のワンシーンのようで。今まで暑苦しくて嫌いだった場所が、写真を通すと結構味わい深くて、極彩色のような街で好きになってきましたね。

ーーー思っていないものが写ったり、そしてそれを残せたりするのが楽しいですよね。もともと写真を撮るのは好きだったのですか。
井上 実は、写真と絵のどっちで行こうか悩んでいました。でも、カメラの機械的な部分が少し苦手だったから、写真は趣味でやろうと思いました。絵の展示をしていた際に、写真の作品も一緒に置いていて、それを見た人から写真を撮ってほしいというお話は口コミで少しいただいてました。

ーーー写真のお仕事を? どのような撮影だったのでしょうか。
井上 他人には言えない事情があるけれど、その人にとっては大事な1日を記録するというような、個人の思い出を撮ることをしていました。

ーーー大変興味深いですね。先ほど、絵の展示とおっしゃっていましたが、どんな絵を描かれていたんですか。
井上 動物とかかな。子供の頃、1人で留守番していることが多かったので、その時に部屋に飾ってあったら寂しくないような絵。当時の自分をあやすようなものを描いてましたね。動物の絵を描くと、適当に癒し系って言われて、それが嫌な時期があったんです。でも描き続けていくうちに、だんだんネガティブなエネルギーで描いていたのが落ち着いてきて、いつまでこれを続けるのかどうしようと思い始めた時、とある人に「絵を見た時と話した時の印象が違うね。絵以外のことで自分のことを表現して見たらどう」って。それから絵の個展を休むようになりました。

ーーーその一言から、違うことを?
井上 特に、こういう活動をやろう! と決めていたわけではなく、スナックのバイトでも写真を撮りながらでもいいから、自分の生活を全部表現活動としてもう一回やって行こうと思いました。2006年以前、一度、スッキリした時期ですね。

2016年5月にリニューアルオープンしたギャラリースペース。ちょうどお邪魔した時は高円寺ハチマクラさんが展示されていました。

もみじ市は交流の場をもてるところ

ーーー手紙社との出会いはいつでしょうか。
井上 つつじヶ丘本店で行なわれた紙ものまつりですかね。お店にだんだん近づくと緑が増えてきて、とても良いロケーションだなと思いました。でも、駅から遠くて辺鄙な場所ではあるから、本当にお客さんが来るのかなあと疑っていました(笑)。実際始まってみたら、長蛇の列ができて、感動しましたね! 「東京すごいで!」って、すぐ大阪に電話しましたよ(笑)。

ーーーそうだったんですね(笑)。もみじ市に初めて出店された時はいかがでしたか?
井上 風が強いなって(笑)。でもすごい楽しかったですね。自分が好きな作家さんも集まっていますし、とてもワクワクしたのを覚えています。そして、そこに呼んでもらえたことも、嬉しかったです。

ーーー紙ものまつりから始まり、東京蚤の市、もみじ市と様々なイベントに出ていただいてますが、それぞれイベントの印象は違いますか?
井上 売れるものが違うかな…売れやすいものではなくて、ちょっと「一体どうするの?」といったものをいつも並べているのですが、どれも全部私のお気に入りなんです。誰からも好かれるわけじゃないからこそ持ってきていて、これに出会うべき人がいるはずだ! と思ってます。そう思っているからこそ、私いち押しのものが売れた時はとても嬉しいですね。「えー、それ持って行くんですか?」と言ったスタッフたちにドヤ顔するぐらい(笑)。蚤の市ではそういった出会いが多いですかね。

ーーー先日の真夏の東京蚤の市でも、そのような出会いはありましたか?
井上 この間の時はサングラス! 70年代のお花の形をしたものですね。ヴィンテージ感もあって、みんな手にとってはくれるのですが、着用した写真を撮るだけで、なかなか売れなかったんですよ。でも最後の最後に、とってもかっこいいシュッとした男の人が買っていってくれましたよ。

ーーー出会うべく人が現れたんですね。蚤の市に比べて、もみじ市はどういう印象ですか?
井上 平和ですね。ノンストレス。好きな作家さんに出会えるから、お客さんたちも穏やかな人が多いです。蚤の市はバタバタとしてしまいますが、もみじ市はお客さんが私たちに会いに来てくれて、交流の場を持ちやすいですね。

いつもガチャガチャやだるまくじ引きとか、お客さんと遊びながら交流できるものを意識的に用意しています。ただ売るだけじゃなくて、イベントにきて楽しいという高揚感を持って帰ってもらえるように。

今回のもみじ市では新作のガチャガチャが登場します!

ーーー井上さんが大事にしている時間はありますか。
井上 いいビルやいい喫茶店を探すことですかね。あとは盆踊り! 音頭取りの人によって、ガラッと雰囲気が変わりますし、レゲェ・スカバージョンもあるんですよ。(いろんな盆踊りの映像を見せてもらいました)。

ーーー盆踊り、これは熱いですね! 一度参加したらハマってしまいそうですね。
井上 面白いですよ。夜には盆踊りして、ビール飲むぞ! という楽しみを作って、仕事に集中してます(笑)

ーーーそれでは最後に、一言メッセージをいただけますでしょうか。
井上 祭りの屋台みたいに買って楽しく、遊んで楽しいブース作りを目指すので、ぜひ顔見に来てやってください!

新作のはっけよいよい土俵ペーパー。まさにROUNDにぴったり!

~取材を終えて~
自身を取り巻いている(ROUND)もので、愛用している・気に入っているものはありますか? という質問に、井上さんは「周りにあるのは好きなもの、そういうものばっかり」と笑顔で話す姿がとても印象に残っています。好きが溢れているからこそ、こんなにも豊かで深い人になれるのだなと心から感動してしまいました。インタビューの時間はとても面白くて、もっとずっとお話を聞いていたいほどでした。有意義な時間をありがとうございます! (柳川夏子)

【もみじ市当日の、夜長堂さんのブースイメージはこちら!】


賑やかな声を目指せば、すぐそこには夜長堂! “夜長堂”提灯と招き猫が目印ですよ。