ジャンル:CRAFT

Chappo

【Chappoプロフィール】
浅草橋の帽子職人の家に生まれる。当初、帽子職人を志してはいなかったが、紆余曲折し4代目となりました。初代は帽子洗いの仕事から始まり、2代、3代目も、それぞれのやり方で帽子に関わり、帽子を作り続けてきました。4代目の須田さんもまた、3代目のご両親とは違うやり方で帽子を作っているそう。「“職人”でも“作家”もない、ただ帽子を作る人でありたいと思っています」と静かに語るその姿には、深く帽子に向き合う強い信念が見えました。
https://www.chappo.co/

【月刊 Chappo 7月号】
特集「Chappoが育った風景」

職人の街、職人の家
Chappo・須田さんの実家は、浅草橋で明治時代から続く須田製帽という帽子店。1代目である須田さんの曾祖父が立ち上げ、2代目の祖父の代の頃は、住み込みの職人を複数抱える、自宅兼工場を構えていました。

須田製帽の、そして須田家の歴史について、須田さん曰く
「父(3代目)は5人兄弟の3番目の子供で、2人の姉と職人のおばちゃんに育てられたそうです。祖母はお酒が大好きな祖父の世話で忙しかったようで……。でもその祖父(2代目)も、帽子に向き合う姿はとてもひたむきで、とにかく帽子がすきだったんだなぁと、しみじみ思います。」

当時の貴重な写真を今回お借りしました。工場と生活が密接だった当時の暮らしが窺い知れます。

右から:祖父、父の弟、祖母、曽祖父

昔の実家の前での一枚。

・後列左後ろ:祖父(2代目)、右奥:祖母+父の兄弟 ・前列右から1番目:父の兄弟、2番目:父(3代目)

須田さん一家と住み込みの職人さんとの集合写真。様々な年齢層の職人が、家族同然に過ごしていたそうです。

前列中央:帽子をかぶっているのが祖父(2代目)、その隣が祖母

須田製帽の社員旅行での一枚。明治から大正、昭和初期にかけての日本人男性にとって帽子は正装のアイテムだったそうです。

須田さん自身が幼少の頃も、住み込みの方はいないにせよ、毎日通ってくる職人が作業に打ち込む姿を目にしていました。地元の浅草橋は、様々な工場や工房が集まった、ものづくり文化が根付く職人の下町。同級生の家も、家業で町工場を経営し、父親が職人という環境が馴染み深かったそうです。そのため、大人になって、「父親≒サラリーマン」がとてもポピュラーであり、自分の育った環境はとても珍しいものだったとだということを知って驚いた、と笑います。

屋号である、chappo=「シャッポ」の由来には、心温まるエピソードが隠されていました。
「帽子のことは フランス語でchapeau=『シャポー』と言うらしいのですが、曾祖父が『シャッポ、シャッポ。』と言っていたのを思い出し、名づけました。」と。

今回、須田さんの家族の歴史とも言える写真を見せていただき、須田製帽(初代〜3代目)から、Chappo(4代目)へ、脈々と引き継がれる帽子への情熱と、家族のつながりを感じました。

今月の1枚
颯爽と帽子をかぶって、馬に跨る、若き日の祖父の乗馬姿。

(編集・柴田真帆)

《次号予告》
Chappoの帽子修理
くたびれた帽子も、かたちの崩れた帽子も、Chappoの手にかかれば……?