出店者紹介,ジャンル:CRAFT

中村かりん

【中村かりんプロフィール】
栃木県の益子で作陶する中村かりんさん。立体的な動物たちの愛らしい表情に、特徴的なパステルカラー、繊細で可憐な絵付け……。どこをとっても素晴らしいその作品を眺めていると、まるで恋に落ちたかのようにうっとりとした気分になってくるほど。その作風とはうってかわり(!?)、中村さんご自身はとても自然体で、話しているときの屈託のない笑顔が眩しく感じます。彼女の手から自由自在に生み出されていく器は、食卓に彩りと明るさを、そして幸せな空気までも運んできてくれるのです。
Instagram:@kkarinnnnn

【中村かりんの年表・YEARS】

【中村かりんさんインタビュー】
昨年初めて出店したもみじ市では、瞬く間に作品が売り切れてしまった中村かりんさん。絶大な人気を誇る作品が生まれる工房にお邪魔し、担当の藤枝梢がお話を伺ってきました。

始まりは陶芸体験から

ーーー中村さん、陶芸を始める前は全く別のお仕事をされていたんですよね?
中村:式場のヘアメイクのアシスタントや美容部員の仕事をしていました。その頃に友人に誘われて陶芸の体験教室に行ったんです。観光客向けのところだったので作業はほとんど先生がやってくれて、自分が手を動かすのはほんのちょっとだけでした。何回か通っているうちに、出来上がった作品を見て「え! こんなつもりじゃなかったのに……」と感じることがあり、それからもっと陶芸をやりたいと思うようになりました。

ーーー自らが思うように作りたいという考えから、陶芸の道にのめり込んでいったんですね!
中村:仕事を続けていたので週末の空いた時間を使って、陶芸教室に通い始めました。当時から陶芸家になることを目指していて、ふたつの教室を掛け持ちしていたんですが、月に3〜4回だと全然うまくならないんです。このままでは陶芸家になれないと思って、仕事を辞めることを決意しました。

ーーーかなり大きな決断ですよね……。不安はなかったんですか?
中村:不安よりもやりたい気持ちが大きかったんです。10年本気で頑張ってみて何も先が見えなかったらそこから辞めるか、また就職するかと思っていました。陶芸だけではご飯を食べていけないようだったら、そこからまた考えて働けばいいかなって(笑)。

ーーー仕事を退職されてからはどのような道に進まれたんですか?
中村:未経験者が益子で陶芸を始めるとしたら、製陶所に就職するか指導所に入るか、弟子入りの3パターンだと思うのですが自分の性格的に、製陶所で働くとなるとその作業自体を終わらせることに一生懸命になってしまい、技術の吸収が疎かになってしまう気がして。それまで仕事をしていたこともあって、2年間収入がほとんどなくても大丈夫なぐらいの貯金はあったので、しっかりと勉強ができる指導所に進みました。周囲の人の意見でも、「まず指導所に入ったらいいんじゃないか」という声が多かったのも理由の一つですね。

指導所とアルバイトでの実りある2年間

ーーー通っていた指導所はどのような場所だったんですか?
中村:1年目は轆轤(ろくろ)だけを学び、2年目に轆轤科、釉薬科、石膏科に分かれそれぞれの分野を専門的に勉強していくことになります。1年目で轆轤は教わったので、私は釉薬科に進みました。当時から最終的には独立したいという気持ちがあったので、一人で全部完結させないといけないと思っていて。この時に自分の色を作ることができたのが大きいですね。

釉薬のテストピース

ーーー中村さんの華やかな色の世界の原点になっているんですね!
中村:それと、指導所での勉強と並行しながら、夜や土日だけ3人の作家さんのところにアルバイトに行っていました。ひとりはお茶を習っていた時に一緒になった作家さん、もうひとりはそのお茶が一緒だった作家さんの紹介、最後のひとりは指導所に求人がきていた作家さんでした。積極的に探していたわけではないんですけど、ご縁があってお手伝いに行くことができて。みなさん個人で活動されている作家さんでしたけど、それぞれやり方とかも全然違っていて、「プロの作り手はこうやって仕事をしているんだ!」というのを知ることができました。技術的なところはもちろん、精神的なところでも本当にためになりました。

ーーー指導所で勉強していた内容とは違いましたか?
中村:そうですね。指導所では専門的なことばかりで内容が偏っているので、指導所と同時進行で良かったと思うところが多かったです。バイト中に作家さんが作った釉薬を「この色綺麗ですね」と言うと、調合を直接教えてくれるわけではないけれど、「銅の色だよ」とか簡単なヒントをくれるんです。そのヒントを指導所に持って帰って、先生と相談してテストしてできた色もあったりします。ひとりの作家さんに弟子入りするのも勉強にはなると思うけど、指導所に通っている状態だったので疑問に思ったことを先生に相談できるし、原料も学校に置いてあったからすぐに試すことができました。

卒業、そして独立

ーーー指導所を卒業された後は……?
中村:卒業後の進路は人によってバラバラなんですが、私はすぐに独立しました。2年目の夏ぐらいから「卒業したらどうしよう?」というのがずっと頭の中にあって、弟子入りか独立のどちらかだと思っていました。ちょうどその頃、益子以外の作家さんで弟子入りしたいと思う作家さんがいたんですけど、募集をかけていないということで断られてしまったんです。その報せを聞いたときに、がっかりというよりも安心してしまって(笑)。「私は益子にいたいし、独立したかったんだ!」って自分の気持ちを再確認したんです。

ーーー他の道が閉ざされたことで、本当の気持ちに気がついたんですね。
中村:最初の工房は、もみじ市の出店者でもある石川若彦さんの工房の近くでした。でも、半年ぐらいで今の工房に移ってきて、もうかれこれ10年近くこの工房にいますね。

ーーーこちらの工房はどういうきっかけで知ったんですか?
中村:同業者の人から紹介の電話がかかってきて、その電話をもらった次の日には下見に来ておさえました。ただ、箱だけで窯がない状態だったので、「窯をどうしようかな?」と悩んでいたら、都内で窯を処分したいという方がいて、その方から譲り受けることになったんです。それも連絡をいただいてからすぐに見に行ったんですけど、まるでこの工房に入るための窯というぐらいサイズがぴったりで! タッチの差で色々と手に入れたんですけど、今考えたらすごいラッキーでしたね(笑)。

ふたものの誕生とこれから

ーーーこの当時から作風は今と同じような感じでした?
中村:あまり大きくは変わっていないですね。今回のもみじ市でも昨年と同様にふたものだけを並べる予定なのですが、ふたものは指導所の卒業制作ですでに作っていたので。

ーーー卒業制作はテーマなどが決まっていたんでしょうか?
中村:何も決まっていなくて本当に自由でした。小物だけをいくつも作っている人もいたし、大きいものひとつで勝負している人もいたし。私は、釉薬の色を見てもらうときに、蓋を開けたら色が違うというのを表現できるのが面白いと思い、ふたものを選びました。イッチンも今のように細かい感じではなかったですけど、卒業制作の時からやっていましたね。

ーーー作品を作るときは、どんなものからインスピレーションを受けていますか?
中村:目に入るもの全てから着想を得ています。テレビとか本、雑誌とか、あとは図書館に行ったら図鑑を借りてきて眺めたりしています。動物も植物も形が可愛いなと思うとまず立体で作ってみて、それが気に入ったら平面でも描くようになりますね。今はステゴサウルスにはまっていて、昨日から初めて平面のステゴサウルスを描いているんです(笑)。

ステゴサウルスのふたもの

ひとりで仕事をしていても、ひとりじゃないって感覚がたまにあるんです。お世話になった作家さんが掛けてくれた言葉を思い出したり、特定のお客さんの顔を思い浮かべながら「あの人こういう作品好きそうだな」って考えたり。作っているのは自分なんですけど、今まで言われた言葉とかからも影響を受けているから、周りからの力というのも大きいですね。

《インタビューを終えて》
全く別の世界から陶芸の道へと飛び込んだ中村さん。ここに至るまでのお話を伺える貴重な機会となりました。そんな中村さんが、今年も人気のふたものを携えてもみじ市にやってきます。河川敷の緑をバックに、色とりどりの作品が咲き誇る様子を今からとても楽しみにしています!

(手紙社 藤枝 梢)

【もみじ市当日の、中村かりんさんのブースイメージはこちら!】