1975年島根県生まれ
2001年陶芸をはじめる(父・安部宏に師事)
2006年自分の名前で個展等、活動をはじめる
2010年独立、現在は島根県松江市にて制作
【特別編】
陶芸家・安部太一さん「絵がもつ静けさと、空気感を目指して」
文●渡辺洋子
これほど絵になる器を、私は知らない。
陶芸家・安部太一さんの器は、それだけをさりげなく置いただけで風景ができる。その花器に植物を挿し、器に果実をのせれば物語が生まれる。そんな佇まいを持っている。ずっと聞いてみたかった。この美しさは、どこからやってくるのかと。
8月のある日、島根県松江市に構える彼の工房を訪ねた。どんな場所で、何を見て、どんなものが美しいと感じながら日々制作しているのか、それを見てみたかった。
宍道湖とともにある松江の暮らし。大きな湖もそこから流れる河川も、水面と人の距離が近く、手を伸ばすといまにも水に触れることができそうだ。彼の工房である小さな小屋は、そんな川のほとりのまだ整備されていない草むらの間にあった。対岸には高い建物が並ぶ町の中心部が見える。静かで自然が残りながらも、人々の暮らしが感じられるのは「使うものを作る」場所にはちょうど良いのかもしれない。
工房の中は、いたってシンプルだった。窓に向かって形づくるスペースがあり、壁際にはさまざまな途中段階の作品が整然と並ぶ。奥には本棚。画集だ。
率直に聞いてみた。「器のイメージはどこからやってくるのですか?」と。すると、壁にピンをさして飾っていた1枚の絵を見せながら教えてくれた。 「静物画家のMORANDIという方をご存知ですか? この人の絵が好きなんです。絵がもつ静けさ、空気感。それを自分がつくる器で表現したい」
「そして、」と続けてくれた話によると、実はこの工房は、画家であった叔父様がアトリエとして使っていた場所なのだという。ここにある画集は、すべてその当時のものなのだそうだ。
なるほど。すべてが納得できた。安部さんが表現したかったもの。安部さんの器が醸し出す空気の源を。そして、それを実際に表現できているという、素晴らしさを。ただもうひとつ、疑問が残った。それならなぜ、美術品ではなく、なぜ日常品としての器を作るのか? 「美しく絵になる」ことと「使いやすい」ことは、共存できるのか?
「自分が作る器は、長く使ってもらえるものでありたい。ならば使いやすいことは不可欠だと思っています。目指す形と使いやすさには、必ず接点があると信じています。そのバランスを探し続け、自分の作品を深めて行きたいと思っています」
作品の途中段階を見せていただきながら思った。深めていくことが、どれだけ作品づくりに時間を費やすことになるのか。細部まで磨き上げ、納得する色がるまで焼き直すこともあるという。だからこそ、使い安さと美しさの共存が存在するのだ。
部屋に絵画を飾るときに静かな喜びを感じるかのように、器が日々の暮らしに喜びを与えてくれる。安部さんの器はそんな存在なのだと思う。もみじ市で安部さんの器を見て、触れることができる日まで、あとわずか。
Q1. 今回のテーマに込めた思いを教えてください。
器としての機能を大切にすること、
情感に響くような空気感を持たせたいということ、
この二つは僕の中で継続しているテーマですが、加えて、
丁寧な仕事をしていたいと思います。
自分の名前で活動をはじめてもうすぐ10年、
当たり前なことに聞こえる「丁寧な仕事」も、
それを変わらず楽しみながら続けるためにはと、掘り下げてみると、
なかなか深いことのように思います。