1976年愛知県一宮市生まれ。愛知県立旭ヶ丘高校美術科卒業。名古屋市にある京屋伊助商店(仏像、仏具)で5年ほど働かせていただく。その後アルバイトを転々とし、自分の仕事を模索する。多治見市のスタジオMAVO、貸し工房を借りる。漠然とartをしたいと思っていたが、MAVOでの友人との出会いや、ギャルリ百草の安藤夫妻と出会い、器に惹かれ、器の制作を始める。現在、サーフィンが趣味で渥美半島に移り住み、工房を構え制作している。
愛知県田原市南神戸町仲89-1
【特別編】
「松本寛司さんのアトリエと海を訪ねた日のこと」
文●柿本康治
愛知県・渥美半島。青く澄みわたった海のすぐ近くに、松本寛司さんが家族といっしょに移住してきたのは3年ほど前のこと。いつかアトリエにおうかがいします、と彼と交わした約束がようやく果たせたこと、そして彼の作品と向き合う瞬間に立ち会えたことに、心がふるえていた。
松本さんが使う刃物は、いままで見てきた木工作家の方が用いるものとは異なっていた。これまでさまざまなナイフを使って作品を彫っていたものの、年数を重ねるごとに作風は研ぎすまされ、その種類はしぼられていった。
「クラフトとプロダクトの外見の違いは、分かりづらくなってきた。手でさわった感触や風合い。人によっては、それはほんの少しの違いかもしれない。でも、その違いがこの手で生み出せたとき、それを“美しい”と思える」
松本さんは強いまなざしと確かな言葉で、そう話してくれた。
「海パンはもってきた? せっかくなら海で話そうか」
そう言って松本さんはアトリエからすぐ近くの海に連れていってくれた。制作に行き詰まったとき、気分を変えたいとき、サーフィンボードを持って海に繰り出すそうだ。海のなかで、波にゆられながら、気づけばおたがい笑顔で話していた。
「山、海、森。人の近くには、ちゃんとすばらしい自然がある。もっとシンプルに、そういったものを大切にする暮らしがある。自分の作品も、そんな良さを伝えられるものであれたら、と思う」
その日、海のなかで交わした言葉は波の音とともに、いまでも心に響きつづけている。
Q3. もみじ市へお越しくださる皆さまへメッセージをお願いします。
もみじ市を楽しみに来てくれる皆様へ。
この素敵で、ワクワクする青空市場へようこそ。僕は、毎日室内でコリコリと木を削る日々を過ごしていますので、多摩川河川敷で使い手と直で出逢える“もみじ市”を毎年とても楽しみにしています。
今年はジャムを作るのに木べらはいかが?とテーマを決めて、いろんな木べらを作ります。細い?長い?どんな木べらがいいかな? 笑顔を誘うものが作れたらいいなと、理想を持っています。また、手紙社の方々、ボランティアスタッフの方々にお世話になりますが、今年もよろしくお願いします。僕は赤組なので、赤組よかったと判定が出ることを期待しております。では皆様、もみじ市で会いましょう~。