ジャンル:CRAFT

HITOHARI

【HITOHARIプロフィール】
福田昌彦さんが富良野で創業したハンドメイドのクラフトブランド・HITOHARI。その原点は、理由もなく捨てられてしまうカケラたちを集め、バッグとして新たな命を吹き込むこと。替わりのきかない唯一無二の存在になるようにと、願いを一針一針に託しながら作り上げられた作品は、共に過ごすほど味わい深いものになっていくのです。帆布生地を使用した定番のバッグを始め、そのラインナップは今ではさらに幅広いものに。暮らしを大切に紡ぐ日々、その傍らにHITOHARIのバッグがあれば言うことなしです。
http://hitohari.com/

【商品カタログ予習帳】

MARKET

SHOULDER TOTE

BACK PACK

DAY PACK

PACK

PACK

BOOK COVER

SACOCHE

【スペシャルインタビュー「柔軟に変化していくものづくり」】
札幌に工房兼お店を構えるHITOHARI。創業者の福田昌彦さんに話を伺いに、担当の藤枝梢(手紙社)がお店を訪れました。

自然に身を任せ

ーーーHITOHARIのお店に来るのは2度目なのですが、作品はもちろん、お店の世界観もとても素敵ですよね。福田さんがHITOHARIを始めたきっかけは、なんだったのでしょうか?
福田:ものづくり自体を始めたのは大学生の時なんですが、その頃は仕事にできるなんて思っていなくて。作りたいという欲求は趣味でやっているだけでも解消できるし、それで満足していたんですよね。アウトドアガイドとして富良野に移住してからは、夏の半年間は仕事をして、冬の間に製作したものを東京のイベントで売っていました。そんな生活を3年間繰り返しているうちに、だんだんと仕事の話をもらうようになってきたんです。夏の間は身動きが取れずどうしても製作活動が制限されてしまうため、最初のうちは断っていたんですけど「やってみたい」と思うようになり。知識や経験がまったくなかったからこそ、深く考えずできると思ってしまったんですよね。案の定、そんなに売れるわけもなく(笑)。スタートは、完全に勢いでした。お店も持てるような余裕もなく、通販で販売できるようなものでもなかったから、月1、2回のペースで東京のイベントに出ていました。

ーーー当時はイベント出店がメインだったんですね。そこからお店を構えるようになった経緯を教えていただけますか?
福田:店舗を借りると家賃がかかってしまうので、まず最初は、知り合いの駐車場を借りてお店を開こうとしていました。2カ月ぐらいかけて準備していて、いよいよオープン目前という時に、オーナーさんから「駐車場だから商売はしちゃダメだ」と言われて。それくらい常識がなかったんです(笑)。どうしようかと途方に暮れていた時に、札幌の人からお店をやらないかという声をかけていただきました。商業施設の中の3坪ぐらいのスペースにミシンを置いて、その場で作って売るというような形でしたね。でも商業施設だから定休日がほとんどなく、大晦日の1日だけで。99%は1人でやっていたため、体力的に厳しくなり1年で撤退しました。その後はspace1-15(札幌市にある、様々なお店やアトリエが入居するマンション)に移動し、より充実した環境を求め今の店舗に至ります。

ーーーHITOHARIという屋号には、何か意味があるのでしょうか?
福田:大学を卒業した後なので、23、4歳ぐらいの時に決めました。なので、大して考えられていないんです(笑)。

ーーーそうだったんですか(笑)。でも「〇〇かばん」みたいな名前じゃないので、ある意味限定されず、どんな作品ができても対応しやすいですよね。
福田:そうですね。当初は、「捨てられてしまうもので新たな価値を生み出す」ということをコンセプトに、小さなスソの切れ端を繋ぎあわせたりしていたんですけど、縛りが強くてあまり楽しくなくなってきてしまったんです。それから帆布を始めて、今では革の作品や山登り用のリュックとかも作っているので、将来的には名前を分けていく可能性もあります。帆布はHITOHARIだけど、革は別の屋号とか。

裾上げの時に生まれるスソ。HITOHARIのものづくりは、ここから始まりました

それと、全然かばん屋の領域ではないんですけど、オリジナルのブレンドコーヒーやカップを作ったりもしています。最終的に僕の好きなもの、フィルターを通ったものでお店が埋まっていけば、統一感のある魅力的な空間になるはずなので、自分で作品を作って売る以外の方法でも、利益を出せるようになっていくのもいいかなと。このブランドをスタートして10年経つけど、まだやってみて失敗してもいいと思いますし、このフットワークの軽さこそが個人事業のメリットなので。お店をやめて田舎の方に行って、畑を始めるとか(笑)。今すぐにHITOHARIをやめるということはないけれど、自然体で続けていければと思っています。

きっかけは、自分が欲しいもの

ーーー最初に作った作品は、どんなものだったんですか?
福田:自転車につけるバッグです。知人に借りたミシンと、実家から送ってもらった布でつくりました。

ーーーじゃあ、作りたいといよりも、必要に駆られてという感じで始めたんですね。
福田:そうですね、買うお金がなかったので。家の中で使うティッシュカバーとかカーテンとか、その程度のものからどんどん広がっていきました。

ーーー昔からこういうことが好きだったんですか?
福田:それもありますが、ミシンって複雑な工程とかもないので、意外と直感でできてしまうんですよね。例えば陶芸だと、道具とか知識とかが備わってないと難しいじゃないですか。でも布はユザワヤとかで簡単に買えるし、比較的どんな人でも始めやすかったというのがあります。

ーーー今現在の商品数はどれぐらいですか?
福田:種類でいったら20ぐらい。それぞれの色やサイズ違いも入れると、大体100ぐらいですね。ファッション関連の知識とか、縫製工場での経験があるわけではないから、自分が使いたいものを作るという感じです。その欲求がないことには、新しい作品は生まれてこないですね。これまではジーパンとTシャツで過ごしていたのが、シャツも着るようになり……。そうすると持つバッグも必然と変わります。富良野と札幌、場所が変わることでも違いが生まれる。そういう風に、環境や自分の心情の変化に応じているので、歳をとったら革の作品がもっと増えてくるかもしれないですね。子供が生まれても変わると思いますし。規模が大きかったらこんなこと言ってられないと思うけど、作りたいと思うものを次々に形にしていければなと。

札幌にあるHITOHARIの店舗。様々なアイテムが並びます

ーーー新作が生まれるタイミングは決まっているのでしょうか?
福田:洋服ほど季節感がないので、特にスパンが定まっているわけではありません。締め切りがあるせいで、「60点の出来だけどまあいいか」と妥協するのは嫌なので。かと言って、時間をかければできるというものでもないため、キャンプに行く時間とか、リフレッシュする時間も大切にしています。

最近作ったバックパックは、ベトナム旅行に行く時にちょうどいいサイズのものがなかったので、出発当日に作ったものなんです。やっぱり自分で作ったもので出かける方が楽しいですし。今まではあまり自信がなく手をつけていなかったのですが、バックパックを作ったことからリュックの基本を身につけることができ、応用としてデイパックにも挑戦しました。他にもHITOHARIの名前は出さず下請けの仕事なども行なっているのですが、普段自分では使わない材料を使っていたり、とても勉強になります。それ以外にも、材料を仕入れている会社に質問したり、革の教室に通ったり、色々な情報とか経験が蓄積されて作品の幅も広がっていっていますね。今までは、ある材料の中から作りたいものを作っていたけれど、作りたいものに対して、ない材料を加えていく方法が分かるようになってきました。

手づくりのものを選択肢に

ーーーもみじ市へはもう何度か参加されていますが、福田さんにとってもみじ市はどんなイベントでしょうか?
福田:ここまでエネルギーをかけて作っているイベントは中々ないので、中途半端なことはできないと思っています。「なんで受けたんだろう?」って泣きながら、徹夜で作品を作ることもあるんですけど、いいストレスなんですよね。それと、もみじ市は終わった後のビールのうまさが違う。

ーーーお願いすることも多く申し訳ない気持ちもあるのですが……。
福田:色々なイベントに出ていますが、「昔は魅力的だったのに」と感じるイベントが結構あるんです。やっぱりイベントも生ものなのでどんどん消費されていってしまうし、続けていくことは大変なんだなと常々感じています。そして続けること自体ももちろん、常に手を抜かない姿勢はすごいと思いますね。

ーーーそうおっしゃっていただけると、ありがたいです。福田さんは10年前から活動されているわけですが、作家として大切なことはなんだと思いますか?
福田:1番はやめないこと。やめる勇気がなかったというのも理由の1つなんですが、他のバイトをしてでも友達にお金を借りてでも、続けていく覚悟が必要なんじゃないかな。実は、テレビや雑誌で注目されたこともあって、最初からある程度は商品が売れてしまったんですよね。それが、4、5年目ぐらいからびっくりするほど売れなくなってしまって。売れている最中に次のものを作らなきゃいけなかったのに、それを怠っていたのが原因なんですが……。初めの方は勢いでどうにかなる部分もあるけど、その後をどう凌ぐかが大事だと思います。ダーウィンの言葉で、「最も強い者が生き残るのではなく、最も賢い者が生き延びるでもない。唯一生き残るのは、変化できる者である」という名言があるんですが、本当にその通りで、人の意見を聞いたり柔軟に動くよう心がけています。信念がまったくないのも困りますけどね。

ーーー変化を恐れず、継続していく気持ちが大事なんですね。作家になってよかったと思うことを教えていただけますか?
福田:僕が作ったものを、お客さん自身が選んで買って、さらに喜んで使ってくれて。それが「なんて幸せなことなんだ!」と感じています。ヴィトンとか、明らかに価値がわかっているものならまだしも、はっきりとした基準がないものに対してお金を払っていただけるというのは、本当にすごいことなので。だからこそ、選んでくれる人を裏切れないですね。現代は雑誌に載っているものとか、流行のものが売れていく時代だけど、その選択肢の中に手づくりのものも入ってきたらいいなと思います。

ーーー福田さん、ありがとうございました! 今のHITOHARIの作品ももちろん、これから5年後、10年後とどのように変化していくのか、楽しみにしています。

〜取材を終えて〜
HITOHARIの作品は手紙社内でも愛用しているスタッフが多く、いつも素敵だなと思いながら横目で眺めていたのですが、福田さんのお話を伺ってから、さらにその誘惑が増してきて困っています(笑)。お店で見るときとは、ひと味もふた味も違うもみじ市でのHITOHARIのブースに、乞うご期待!(手紙社 藤枝梢)

【もみじ市当日の、HITOHARIさんのブースイメージはこちら!】

太陽の下で、たくさんのバッグたちがキラキラと輝きます! ぜひお気に入りを見つけにいらしてくださいね。