ジャンル:CRAFT

結城琴乃

【結城琴乃プロフィール】
1972年生まれ。高知県在住。木を焦がして描く“焦がし絵”という手法や細い針金を駆使して、家や鳥、植物など、独自の世界観でつくりあげるクラフト作家。焦がし絵でつくるモノクロの世界は、ノスタルジックな気持ちを誘う。葉脈や虫の羽といった、針金で作るアクセサリーの持つ繊細さや儚さには、機微を感じずにはいられない。オブジェやブローチなど、ひとつひとつの作品には、それぞれ物語をこめて、制作している。心惹かれてしまうのは、その物語に一歩足を踏み入れてしまったからに他ならない。
http://kotono1218.exblog.jp


【商品カタログ予習帳】

家と庭のガラスドーム
紫陽花ブランコ
客船
屋上テラスのあるビル
窓から登る屋上のある家
銀色の花と虫の耳飾り
銀色林檎

【スペシャルインタビュー「つくることすべてがおもしろい! 自分の世界を邪魔させない真の強さ」】
高知在住のクラフト作家 結城琴乃さんに、樫尾有羽子(手紙社)がお話を伺いました。

独学で突き進んだ作り手への道

ーーーどういうふうにつくりてへの道にたどり着いたのですか?
結城 最初は、雑貨屋さんになりたいと思っていました。それも、お店の中にあるものが、すべて自分がつくった作品で埋め尽くされた雑貨屋さんです。売り物だけじゃなく、什器もすべて、自分でこしらえたものにしようと思って、そのために、たくさん商品をつくっていました。商品も増えてきたし、慣らしとして、イベントに出たりしはじめたころ、気がついてしまったんです。制作と接客の両立の難しさに! 私の中では、お店で作品をつくりながら、「いらっしゃーい」というイメージでした。もちろん、お客さんとやりとりすることは大好きですし、いらしていただくことにも感謝しています。でも、つくることに集中しているときに、そこから離れなければならないのが苦手なんだと(笑)。なので、お店との両立を目指すのか、つくりて1本でいくのかをずいぶん考えましたけど、そのときは断然、つくるだけのほうが楽しかったんです。全工程がどれもおもしろいし、楽しくて。だから、つくりて一本に絞ることにしました。でも、あの頃から随分たったので、今後はお店をもちたいと思ってきています。

ーーーそうなんですね。美術系の学校に行って学んだりされたんですか?
結城 いいえ、学校には行きませんでした。というのも、小学校低学年の頃、授業で起きた事件がきっかけでしょうか。それは、絵を描いていたんですけど、自分の中では、ここにはこの色、こっちにはこの色といった感じで、背景の配色もすべて考えてあって、そのとおりに塗っていたんですね、意気揚々と。それを形にしていくのが、本当に楽しくてしかたがありませんでした。そんなとき、先生が急にやってきて「ここに黄色を入れた方がいいね」と、私の絵に黄色の絵の具を塗り足したんです。それを見て、すごく腹が立って、思わずビリビリに破いて、泣いてしまいました。もちろん、学校で怒ったこともないし、おとなしい子だったんだったんですよ。それから、これは人から教えられるのは向かない、学校は向かないと思って、行きませんでした。

ーーーじゃあ、すべて独学なんですね。
結城 そうです。自分で全部考えて、自分で全部つくるのが好きなんです。

焦がし絵ブローチのための制作道具

物語はつづいていく! 進化する作品たち

ーーー私は最初にブローチから結城さんの存在を知ったのですが、ブローチをつくりはじめたきっかけはなんですか?
結城 二人展を開催したときに、見にきてくれた作家さんがブローチをつくられている方で。それを見たときに、使えるものっていいなと思ったことですね。それまで私の作品は、オブジェがメインでしたから、連れて歩くわけにはいかないものじゃないですか。でもブローチなら、使えるし、身につけられるので、ぴったりだと思い、はじめたのが最初です。

ーーー焦がし絵を使ったオブジェも非常に魅力的ですが、この手法を確立したのは?
結城 焦がし絵は、最初いろいろなものをつくっていたのですが、その中で、家のオブジェをつくりはじめたのがきっかけのような気がします。その頃は、棚なんかも作っていて、木材の切れ端がたくさん出ていたんですね。これで何かつくれないかな、つくりたいなと考えていました。ふと、これは家になるんじゃないかと思いたったのが最初です。実際に買うとなったら、家は一軒しか買えませんけど、自分の中に住みたい家というか、憧れの家が山のようにありましたから。例えば、窓から階段登って屋根に上がれる家とかですね。自分の住みたい家が並ぶ街並みも見てみたくて、つくるようになりました。

ーーー家のオブジェもそうなんですが、結城さんの作品は、初期の頃はひんやりした印象だったと思います。でも、今の作品には、温度を感じるのですが。背景に家族がいるようなイメージといいますか。
結城 そうなんです! 実は、最初、家のオブジェもひとりで暮らしているイメージのものばかりでした。作品は、物語を想像しながらつくっているので。例えば、夜に階段を登って屋根に行き、星空をひとりで見上げているというような感じです。椅子もつけたりしていたけれど、それも一人用でしたし、家族の気配のない、ひとりが基準という世界観でした。それが変化したのは、おそらく自分が子供を産んでからだと思います。家のオブジェの世界にも、子供や家族が登場するようになってきたんですね。椅子はひとつのままですが、その椅子には、自分が座ったとしても、会話する相手がいたり、別の人を座らせてあげたりだとか。気がついたら、この中に、家族もいっしょに住むようになっていたんです。実は、私の作品をずっと買ってくださっているお客さまも、このことに気づいてくださっていて、びっくりしました。

町並みの展示風景

“あるけれどないような”世界への誘い

ーーー針金を使った作品は、どういったことからはじめられたのですか?
結城 家のオブジェを作るにあたって、デットストックの古くて細い針金を、はしごとかの部分に使っていたんですね。ある日、これだけでオブジェがつくれるとひらめいて。

わかりにくいと思いますが、私は、“あるけれどないような”とか、“あるかないかわからないような”とか、そういうものが好きなんですね。“触れるけれど触れられない”とか。儚いものが好きなんだと思います。
それで、この針金でお花とか葉っぱとか虫とか、本物と同じ大きさでつくりたくてはじめました。ゆくゆくは、すべて針金でできた世界の展示がやりたいと思っています。ライトとかテーブルとかも全て、針金で出来ている世界を。

銀色標本

ーーー針金って、つくりかたも非常に細かいですし、処理も大変ですよね。
結城 ひとつの針金がもうひとつの針金をまたぐ時などは、なんどもぐるぐる巻いて留めたりします。危なくないように、目で確かめ、手先で確かめと、何度も確かめつつ、つくってます。たまに翌日、もう一度触って確かめたりしていますよ。また、針金は一回間違えるとあとがついたり、折れてしまったりして、なおしがきかないので、すごく集中してつくってますね。それが楽しいところでもあります。

銀色の木

もみじ市への愛はひた隠しに

ーーーもみじ市には、いつが最初の出店だったんですか?
結城 2015年の紅白の時が最初です。

ーーーもみじ市のことは、ご存知だったんでしょうか?
結城 はい。すごく前から知っていました。出たくて出たくて、憧れでした。でも、手紙社さんにみつけてもらわないと
出店できないと思っていたので、ずっと待っていました。

実は、高知県で行った最初の紙もの祭りを仲良くしている人が関わっていたこともあって、手紙社のスタッフを紹介しようかと声をかけてくれたんです。でも、でも、私は、みつけてもらいたいという思いが強かったので、この気持ちを伝えて、丁重にお断りしました。本当は、すごく行きたかったんですけどね。ですが、紙もの祭りにきていた手紙社のスタッフさんが、なんと、別のお店で私の作品をみつけてくれたことがきっかけとなって、布博にブローチの出品をしたり、店舗で扱ってもらうようになり、2015年にもみじ市へ初めて出店のお声掛けをいただきました。

ーーーじゃあ、念願が叶って、出られることになったんですね。喜びもひとしおだったでしょう?
結城 ものすごく嬉しくて、「ほんまにーー!!」と、思わず声が出るほどでした。でも、あまりにも嬉しすぎて、この高まった気持ちのまま返答を熱く返すと引かれると思って、冷静を装わなくちゃと必死でした。何度も何度も考えて、参加の表明をしたことを覚えています。そこまでして送ったのに、この参加の依頼への返信が1番だったらしく、そのことを知って、顔から火が出る思いでした。

ーーー気持ちが溢れてしまったんですね。そんな気持ちで挑んでくださっていたとは、本当にありがたいです。さて、今回のもみじ市で、3回目となりますが、いかがですか?
結城 気持ちは衰えることなく、わくわくしています。

ーーー今回のもみじ市のテーマである“ROUND”。何かイメージするものはありますか?
結城 私の中では、出店者とお客さん、そして手紙社のスタッフさんやボランティアさんみんなが手を繋いで輪になっているイメージです。それを作品にするということではないですが、そういった気持ちを込めて、作品を作っていこうと思っていますし、その気持ちで参加します。

ーーー結城さん、どうもありがとうございました。河川敷に結城さんのあるようなないような世界が広がるのを楽しみにしています!

【もみじ市当日の、結城琴乃さんのブースイメージはこちら!】
〜取材を終えて〜
高知県出身、そして在住の結城琴乃さん。私と同郷であるため、インタビューはすべて土佐弁で行いました。高知県では、話し方や行動などがはっきりしていて負けん気が強い女性のことを“はちきん“と呼びます。結城さんは、日頃のやりとりや口調は、本当におとなしくて、“はちきん“ではないのですが、作家としての顔が出るときに、この土佐の女を感じることとなりました。そして、この気質があるからこそ、作家として誰にも負けない部分を持っている気がしてなりません。そんな姿を垣間見ることができて、よりいっそう結城さんのことが好きになりました。結城琴乃さん、ありがとうございました。
(樫尾有羽子)

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