【petit à petitプロフィール】
ほのかな酸味としっかりとした歯ごたえが、さながら精緻に形作られた芸術品としての風格すら放っている「petit à petit」(プティ・タ・プティ)中西麻由美さんのパン。その繊細かつ力強い舌触りは、ともに味わう料理やワインと互いを引き立て合い、食べる人と静かにマリアージュする。だが彼女のパンの本質は、マリアージュさせることそのものにはない。その存在を忘れるほど食の悦びに没頭させること、そんなアルチザン(フランス語で職人)のごとく透徹した美学にある。そのさまこそ、眩暈を起こすほどにエレガントで官能的で。
https://www.petit-a-petit2003.com/
『月刊 petit à petit』記事一覧
7月号 パンをめぐる冒険の書
8月号 パンをめぐる冒険の書
9月号 パンをめぐる冒険の書
10月号 パンをめぐる冒険の書
特集「パンをめぐる冒険の書」
「よく建築や工芸、小説などにインスピレーションをもらうのですが、どの作品を見てもブレない個性、強い芯を感じるようなものに刺激を受けることが多いですね。『間違ってなかった』と勇気をもらえる、というか」
そう述懐してくれた昨年のインタヴューの見出しに、筆者は「パンをめぐる冒険」というコピーを添えた。ほぼ独学だったという彼女のパン作りにおいて、つまり書と建築はその哲学的ですらあるストイシズムにおける豊穣な源泉でありアイデア・ソースであり、いうなれば“冒険の書”、だったのだ。そこになにが記されているのか知りたくて、そのうちの4章を繙かせてもらうことにした。断言しよう、彼女の創るパンが見せる比類なきエレガンスと官能性のエスキス(画稿)がここにある。
◯堀江敏幸/『仰向けの言葉』
15年ほど前、「たぶん好きだと思うよ」と友人が勧めてくれたのがきっかけで、堀江敏幸さんの本をはじめて手にしたんです。ところが品のある文章はとても気に入ったのですが、とくになにかが起きるわけでもなく淡々と進んでいく内容に、すこし退屈してしまって。
それが3年ほど前だったでしょうか、とある書店の美術評論の棚に並んでいたオフホワイトに金の文字のタイトルが記されたシンプルな背表紙に目が留まり、手を伸ばしてみたのが『仰向けの言葉』でした。目次に自分の好きな画家の名前が何人か取り上げられていたので、読んでみることに。
その絵の好みがとても似ていることから著者に興味を覚え、他の本も読んでみようかと考えていたところ、そういえば以前一冊読んだのを思い出し、本棚から探し出して再読したのです。すると、そこに描かれている日常のありふれた光景のなかにあるほほえましいできごとに、今度はとても気持ちがほっとして。それからというもの、出版された順にすべて読むようになったのです。
本に限ったことではないのでしょうが、若いころはどこか大きなできごとばかり期待していて、ふつうであることの幸せに気づけていなかったんでしょうね。歳を重ねることによる自分の心の変化によって、同じ文章の受け止め方が変わるのも、また読書のよさではないかと。
また堀江さんの本の魅力は、造形の美しさにもあると感じています。間村俊一さんが装幀を手掛けられることが多いのですが、紙質へのこだわりやエンボス加工(浮き彫り)などさりげない工夫が施されているところが、どこかその文章にも通じるような気がします。
(編集・藤井道郎)
特集「パンをめぐる冒険の書」
どこか哲学的ですらあるストイシズムを感じさせる、彼女のパン作りにおける豊穣な源泉でありアイデア・ソースである書と建築。その鉱脈をすこしでも垣間見たく4篇にわたりお届けする特集、「パンをめぐる冒険の書」。詩を詠み空間を構築する立原道造の創り出さんとした理想郷には、やはり彼女のパンからも強く放たれる蒼きイノセンスとタフで崇高なイデオロギーがたしかに宿っていた。
◯立原道造/<ヒアシンスハウス>『雪の祭日』
詩人であり建築家でもあった立原道造が24歳の若さで夭逝する直前の1938年、自身の別荘<ヒアシンスハウス>を構想していたそうです。本人は夢半ばにして亡くなってしまったのですが、没後65年となる2004年、彼の遺したスケッチを元に、有志の方々の手によってそれを再現した建物がさいたま市別所沼の畔に建てられたとのことで、先日ようやく訪れることができました。
緑豊かな借景を活かした風と光が抜ける空間は、わずか5坪足らずという狭さをいっさい感じさせず、ここで詩や建築の創作を行えていたとしたらどんな作品が生まれたのだろう、とあらためてその早すぎた死が悼まれます。
彼の詩はその風貌も相まってか、ロマンティックなイメージを持たれることが多いようですが、じっさいに詩集を読むと、若さゆえの清純さと気骨が揺らぎ合っているような、そんな妖精のごとき儚さ、危うさを感じます。そんな言葉たちに山中現さんの画が配された詩画集『雪の祭日』がとくに素敵で、おすすめです。
(編集・藤井道郎)
特集「パンをめぐる冒険の書」
書と建築を源泉に、哲学的ですらあるストイシズムをもって創り出される彼女のパン。そのエレガントで官能的な味わいの出典、エスキス(画稿)にあたるべく編まれた4片、「パンをめぐる冒険の書」。寡作にして次に読むものがつながらないという、くしくも“寄る辺なき”者たちの物語からの数珠繋ぎが生み出す知のセレンディピティは、過去も未来も誰かが定義した枠組みからの呪縛を暴くことにしか進化にして深化はないことを、彼女にそっと告げている。
◯朝吹真理子/『TIMELESS』
武満徹/『時間の園丁』
好きな作家・朝吹真理子さんが今年(2018年)、7年ぶりに小説を刊行されました。『TIMELESS』というご自身初となる長篇小説で、デビュー作となる『流跡』、芥川賞受賞作となった『きことわ』同様、時制を甘くフラットに行き来する独特の世界観にすぐに惹き込まれました。
堀江敏幸さんのときもそうでしたが、ある作家が気になると、その方の作品を最初から追ってすべて読んでみたくなるのですが、彼女はとても寡作のため、単独で書籍となって編まれているのは、じつはこの三冊しかなくて。そこで朝吹さんが影響を受けたという作家・大江健三郎さんと武満徹を読んでみることにしたんです。
大江さんは以前に何冊か読んだことがあったのですが、現代音楽家でもある武満徹に関しては、専門である音楽について書かれているのだろうと思い、手に取ったことはありませんでした。ところが『時間の園丁』は今から20〜30年前に書かれたものなのですが、現代に通じるところが数多くある内容で。たしかに文明はいくらか進歩したけれども、世の中はあまりよい方向には発展していないな、と深く考えさせられました。
こういう思わぬ読書に新たな発見を感じましたし、お二方ともに他の本ももっと読んでみたくなりました。こんな出逢いもまた、読書の持つ魅力なのかもしれません。
(編集・藤井道郎)
特集「パンをめぐる冒険の書」
彼女とともに4つのパッセージを奏でた、書と建築によるそのパン創りの哲学的なまでのストイシズムの源泉を探る冒険もいよいよ最終章。建築、とりわけ公共建築ではなく私邸に赴きじっさいにその実存に触れることで整理される、思想および様式と自己のもっとも心地よく最適化された距離感は、彼女が現世に一つひとつ切り出してゆくパンたちの美しく気高きシルエットが放つアウラ(ラテン語で事象から発するオリジナルな気配、の意)にとてもよく似ている。
◯三沢浩/『アントニン・レーモンドの建築』
子どものころから、建築を見るのが好きです。なかでも住宅を見るのがとくに好きなのですが、公共建築と違い、そうなかなか見られる機会は多くありません。聞けば建築家のアントニン・レーモンド設計による個人宅が公開されているということで、高崎にある旧井上房一郎邸を訪れてみることに。
ここは東京・麻布にあったレーモンドの自邸を井上がいたく気に入り、彼の承諾を得て模したものだそうです。邸内には妻、ノエミ・レーモンドがデザインを手掛けた家具も置かれていて、じっさいにここでどんな生活をしていたのか想像を巡らせることができました。
日本をはじめ世界の建築様式に多大な影響を与えた近代建築の巨匠の一人、フランク・ロイド・ライトに師事したレーモンドの設計した大学や教会なども東京には数多く残されており、もちろんそれらもとても立派ですばらしいのですが、やはり人がそこで暮らした記憶が刻まれている住宅を見ることで、よりその建築を深く理解することができたし、なにより親しみを覚えることができたのが収穫でした。
今年で12回を数えるもみじ市において、つねにたった一人で「petit à petit」(プティ・タ・プティ)、すこしずつ真摯にパンを創り届け続けてきた彼女。それだけに、開場とほぼ同時に完売してしまうこともすくなくない。だがそれは数量としての稀少性を争う狂騒曲としての事象ではなく、彼女の感性をこそ求める人にだけ正しく最適化された距離感で寸分違わず届いている証、でもあり。ひとたびこの「パンをめぐる冒険の書」を携えいつもの河川敷に降り立てば、今年も変わらず冒険を続けてきた者だけが開くことができる、現代における福音のようなブーランジェリーをあなたもまたそこに発見するはずである。
(編集・藤井道郎)