出店者紹介,ジャンル:CRAFT

wakastudio 石川若彦

【wakastudioプロフィール】
陶芸作家・石川若彦さんがパートナー綾子さんと制作している陶器を送り出しています。1960年、彫刻家の長男として文京区本駒込に生まれた若彦さんは、1990年に益子町に移住したのをきっかけに陶芸を中心とした造形活動を開始。自ら作り上げた住居と工房、ギャラリーを拠点としています。轆轤(ろくろ)を使いはするけれど、手びねりでの造形が、やはり面白いと言います。wakastudioの仕事は“手でつくる”ことへの讃歌です。地元の陶器市では陶器だけでなく鳥も焼いて(一応焼きもの?)提供しているほどの若彦さん。その器は食との相性抜群。シンプルで洗いやすいお皿は私(担当:小池)の家でもヘビーローテションです。
Instagram:@wakastudio

【石川若彦の年表・YEARS】

【wakastudio・石川若彦さんインタビュー】
陶芸を生業にすること30年、人生の半分を益子で過ごしている石川若彦さん。それまでは、デザイナーとして東京都心での生活でした。そんな、今では想像し難くなりつつある若彦さんの過去から、今につながる足跡を辿ってみました。

デザインの世界へ

ーーー以前、若彦さんが最初はデザイナーとしてバリバリ働いていたと聞いて、同世代の陶芸家のイメージとは少し違うお洒落さというか、そういう雰囲気について妙に納得した記憶があります。芸術家の家に生まれたことは、やはり影響としてありますか?
石川:小さい頃はいつでも塑造用の粘土とかがあって捏ね回すことができたから、今の陶芸につながるところはあるけど、デザインについてはそうでもないかな。少年時代、父は西伊豆の方にアトリエを作って、主にそっちにいたというのもあって。ただ、小さい頃から絵を描くのは好きだった。成績も図工・美術と体育だけ5で、という具合。高校はちょっと不良な(笑)普通科男子高校だったけど、その後やっぱり興味があったので、デザインの専門学校に入った。結局そこには求めていたものがなくて、2か月で辞めてしまうんだけど。

若彦さんがかつて描いた絵より

ーーーそれから20歳くらいまではバイトをして過ごしていたんですね。その頃に綾子さんとも出会ったそうで。
石川:飲食店のバイトをしていてね。同棲して結婚して、今まで続いてる。当時も同じ店のバイトだったんだけど、2人でお店を任されるなんて時期もあった。

ーーーということは喫茶メニューも若彦さんが作って出していたんですね? 今日も美味しいペスカトーレ(?)をささっと作っていただきましたけど(まあ、美味しかったこと……)、喫茶店時代の賜物でしたか。
石川:もともと小さい頃から家でも料理作ってたからね。3食だけだとお腹空くから、間食にもう1食がっつりとセルフで(笑)。

ーーーバイト時代はまさに青春時代って感じですね。結果的には、年表に書いてあるアルバイト先が、デザインの世界へ導いてくれたという。
石川:青山にあった喫茶店でね。そこのママはモデル事務所もやっていたりと忙しい方だったんで、お店のことはかなり任せてもらっていたから、それに応えようととにかく一生懸命働いたよ。僕が絵とかイラストとか描いていて、デザインに興味があることを知ったママが、ご主人の経営していたデザイン会社に誘ってくれたんだよ。理解ある人でね。今思えば、そこでバイトをしてなければデザイン会社に入るという機会が訪れなかったかもしれないし、何か運命的な導きがあったのかもしれないね。

ーーーデザイナー生活はどうだったんですか?。
石川:もちろん最初は雑用からだったけど、“ものづくり”が仕事になった最初のステップになるね。今はデザイン業務って、Macを使って画面の中で構成して、デジタルの画像を取り込んで配置してっていうのが当たり前でしょ。当時はそんなもの普及していないから、平台の上でレイアウト切って、プリントされた写真を乗せて、フォントは写植屋さんに指定して用意してもらって、製版まで持っていく。それぞれ素材となるものには専門の制作会社があって、それを六本木の会社からバイクで銀座とか新橋とか、各所に回収しに行ったりしていたな。写真を自分で撮ることも多かった。そういう意味では、画面上で完結するような今のデザイン会社の業務に比べると“ものづくり”に近いものがあって、それなりに楽しんで仕事をしていたかな。

ーーー「手を動かす」感じがあったんですね。デザイナー時代の仕事で残っているものありませんか?
石川:ちょっと待ってね。……あ、これなんか、お洒落で良いでしょ?

ーーーかっこいい線ですね。80年代のイラストとは思えないほど、全然色褪せてませんね!
石川:……あとは、こういうレタリング的なものもよくやっていて。博覧会の大手企業ブースに使われたものとかもあるよ。

ーーーこれもモダンだけど水墨っぽい雰囲気も重なって、不思議な魅力がありますね。
石川:この頃は、あえて小さめに文字を描いて、拡大してたんだ。そうすると、滲みの部分の荒さがよく出てきて、味わい深くなるでしょ。

自分が乗っていた車を主人公にした漫画風イラストも

益子への移住、陶芸家へ

ーーー大手広告代理店に移って順調にキャリアを重ねていくかと思いきや、5年経たずにサラリーマン生活をやめて益子に移住してしまうんですね! まだ世間がバブル期の中、まさに転機。
石川:Macの導入でデザインの仕事から手触りが無くなってしまうと思ったから、すっぱりと業界から離れる気持ちになった。2番目の姉が益子の陶芸家のところに嫁いでいて縁があって、益子という土地も気に入っていたから、とりあえず移住して何か“手仕事”をしたいなと思って。引っ越しも自力で何回かに分けて荷物を運んでね。サラリーマン最後の2か月は、益子から虎ノ門まで通っていたよ。5時に上がって上野で電車待ちながらビール飲んで(笑)。

ーーー人生が動いているっていう感じがしますね。引っ越しすらもイベントのようで。
石川:引っ越しは実は慣れたもので、デザイナー時代は都内で10回は引っ越ししたかな。おかげであまりお金が貯まらなかった(笑)。

ーーー急激な生活の変化にすぐ馴染んだんですか?
石川:移住して半年くらいはデザインの仕事も受けて、半分はデザイン、半分はものづくり、という生活だった。「陶芸をやろう」という思いは無かったんだけど、益子という土地柄と小さい頃粘土に親しんでいたということもあって、作陶を始めたっていう流れかな。

ーーー陶芸は誰かに師事されたんですか?
石川:いや、独学だよ。粘土の扱いは問題なかったので。あと工程でわからないことがあったら、姉のいる窯に行って聞くことができたしね。最初は同世代で同じくものづくりをしている作家のKINTA氏と共同でギャラリーというかアトリエを作ってそこで制作していた。

ーーーKINTAさんとは移住当初からのお付き合いなんですね。「道の駅ましこ」にも大きな作品が飾ってありました。
石川:その「WAKA・KIN・STUDIO」時代、『DIME』にインディーズ益子作家として取り上げられたことがあって……あ、これだ。

ーーー良い笑顔! 新聞広告にも載ったんですね!
石川:なぜか僕の写真がね。この広告はカラーで電車の中吊りにもなったから、電車で見ると妙な気持ちになったよ(笑)。それから、アトリエじゃなくて当時の住居の方も雑誌に載ったことがあったな。本当に驚くべき家賃で、1万円台。確か今も家賃変わっていないはず。自由にリノベーションさせてくれたから、増築して(今も現在の住居で綾子さんが子どもたちに開いている)文庫のスペースを作ったり。

益子での最初の住居が取り上げられた誌面

wakastudioの完成

ーーー益子に根を張ることになって、借家ではなく現在のwakastudioを作ることにしたきっかけはあったんですか?
石川:この場所のすぐ向かいの土地に旧知のアートディレクターの方が住んでいて、訪ねているうちに、この辺がとても良い場所だなと思ってきたんだよね。どうせなら住居にアトリエもギャラリーも併設できたらと考えて、行動に移した。山林だったんだけど、地主さんに話を通して土地を得て。最初は伐採から。開けたら、20tのショベルカーを借りてきて整地。そこに柱を建ててもらった。柱だけは、プロの大工さんでないとなかなか難しい。柱さえ建ってしまえば、あとはセルフで壁とか床とか屋根とか、内装とか進めていけたよ。KINTAをはじめ益子の仲間たちにも随分助けてもらった。

伐採時の様子

ーーー柱以外は自分たちで!
石川:おおまかな設計というか、建物のデザインも僕がやってね。最初に作ったのはアトリエで、伐採と整地含めて2か月くらいでできたかな。その後はギャラリーで2週間くらい。しばらくは前の住居から通って制作していた。最後の母屋は天井まで6mと大きかったんで、さすがにもう少し時間かかったけど。高所でも自分で色を塗ったよ。

wakastudio:手前がギャラリー、奥がアトリエ
母屋

ーーーこれは訪問して取材したくもなりますよ。都会にいる人にとっては夢の住まいだと思います。完成して16年以上経っていると思いますが、益子では知らない人いないんじゃないですか?
石川:どうだろうね。年月が経つのは本当にはやい。比較的淡々とした生業だから、余計にそう感じるのかも。気がつけば、3人姉がいるんだけど、みんな益子とか笠間とかこっちの方に住んでるんだよね。親も最後は益子に引っ越してきたから、益子との縁はもうかなり深くなった。

ーーー還暦は意識しますか?
石川:いや、全然。事件の犯人が60代だったりするのを見ると「こんな年寄りがまったく」なんて言ってしまうし(笑)。自分とそう変わらないってあまり思えないな。これからも変わらず淡々と陶芸家として楽しんでいこうと思うよ。

ーーーやっぱり若彦さんは「陶芸家」なんですね。
石川:それはそうだよ。でもたまに遊びで絵を描いたり、立体作品作ったりして、それはそれで面白いよ。

今年「starnet ZONE」で開催された展覧会に出品した立体作品

《インタビューを終えて》
都会のデザイナーから転身して、郊外の陶芸家に。家もアトリエも自分たちで作ってしまう。それでいてスタイリッシュ。もみじ市ファンにとっては、思い描く理想の作り手の姿なのではないでしょうか。その根幹には、「手仕事をしたい」「ものづくりをしたい」という純粋な情熱がありました。いつでも若々しい石川夫妻は、益子をはじめとした若手作家たちの憧れでもあります。これからももみじ市に年齢を忘れて出店し続けて欲しい、そう思わずにはいられませんでした。

(手紙社 小池伊欧里)