出店者紹介,ジャンル:TEXTILE

admi

【admiプロフィール】
ふわりと柔らかい肌触りが特徴のインド綿にプリントされるのは、デザイナー・堀千春が描く気取らないありのままの姿の花々。その素朴な魅力に心惹かれる人も多いだろう。admiのテキスタイルはすべて、インドの職人たちの手によって生み出される。手仕事だからこそ生まれる版のずれや滲み、色のグラデーションも愛嬌のひとつ。私たちの手元に届くまでに、国の垣根を越えてさまざまな人の技術と愛情が詰め込まれている。その愛を一身に受け完成した作品だからこそ、太陽のようなあたたかさを持った布が生まれるのだろう。
http://www.admi.jp/


【admiの年表・YEARS】

【admiさんインタビュー】
もみじ市や布博などの手紙社のイベントや、手紙舎の店舗の取り扱いアイテムとしても欠かせない存在となったadmi。主宰の堀千春さんとは、初めてお会いしてから3年半の月日が経った。第一印象は、ほんわかして可愛らしい人。実際に今もそうなのだが、接していく中で、自分の気持ちに素直な人。いい意味で自然体な人。そんな印象を受けた。そして、特に感じているのは、彼女は人と人とのつながりをとても大切にする人ということだ。“admi”はヒンドゥー語で“人”の意を持つ。“人”と“人”のつながりから始まったadmiのサクセスストーリーをご覧ください。

憧れを現実に

ーーー元々は保育士を目指していたとは初耳です。小さい頃から絵を描くのが好きと伺っていたので、保育の専門科がある学校に通っていたとは思いませんでした。
:そうなんです。保育士を目指した理由は、保育士だと絵を描く機会が多いかな……と思って。やっぱり絵を描くのが好きだったので。

ーーー確かに。でもなぜ保育士志望から美大に行こうと思ったんですか?
:たまたま通っていた高校と、武蔵野美術大学の学生と通学路が一緒だったんです。毎日美大生を見ていて、大きなキャンバスや画材を持って通学する姿に憧れていました。でも美大なんて夢のまた夢と思っていて……。絵を描くのは好きでしたが、自分がいけるわけがないと思っていました。

ーーーそうなんですね。では、なにがきっかけで美大を目指そうと思ったんですか?
:毎日美大生と通学しているうちに、「私もあの人たちになれるのでは?」と思ったんです(笑)。なぜそう思ったのかは覚えていませんが、きっと毎日同じ道を歩いていたからっていうことは大きいですね。それに、元々父も美大出身だったので、美大自体が割と身近なものだったのかもしれません。

ーーーそうなんですね。そこから予備校へ?
:美大に入りたいと思った時、どうやって目指せばいいか知らなかったんです。ある時、予備校というものがあることを知りました。だた1人で見学にいくのは怖くて、友達と一緒にいく約束をしたんです。でも友達がドタキャンして結局1人で(笑)。でも自分の目で予備校の様子を見て、「ここで学ぶことが夢に繋がっているんだ!」と思ったんです。その翌年から放課後予備校に通うようになりました。

ーーー堀さんは、多摩美術大学のテキスタイルデザイン専攻ですが、なんでテキスタイルを選んだんですか?
:元々は東京藝術大学のデザイン科を目指していました。私大なら多摩美のテキスタイルかなと。

ーーーデザイン科を目指していたのですね。多摩美にもデザイン専攻はあると思いますが、なぜ多摩美の場合は、テキスタイルデザインだったのですか?
:オープンキャンパスの時に、染めの体験をしたんですよね。それが楽しかったんです。あとは、小さい時から歴史記念館とか民芸館にある織り機に憧れがあったというのもありますね。あ、あとは、テキスタイルデザイン専攻は入試の時のデッサンのお題が“花”だったんです。私は花を描くのが得意だったので……。それは大きかったです。

ーーーそんな経緯があって、夢を叶えたのですね! 大学に入ってからは織りを専攻していたんですよね。やはり小さい時からの織り機への憧れとかも関係しているんですか?
:1、2年の時はシルクスクリーンや型染め、織りなど一通りの表現技法を学ぶんですけど、そのなかでもやはり織りは、素材を使って表現する世界で面白いと思いました。小さい頃から織り機への憧れがあったというのも少しは影響していると思います。

ーーー実際、織りを専攻してみてどうでしたか?
:楽しかったですけど、私には向いていないと思いました。というのも織りは全工程を成功させないと作品が完成しないんです。途中で横糸を間違えたら、そこからやり直し。大雑把な私にとってはなかなか難しいものでした(笑)。同じ理由で、シルクスクリーンも向いていないと思いました。

木版プリントとの出会い

ーーー大学を卒業してからは、こういう職に就きたい! というような夢はあったんですか?
:それがなくて……。父もサラリーマンではなかったので、企業に勤めるイメージが出来なかったんです。

ーーーだとしても大学卒業して自分のブランドを始めようと思えることがすごいです……。
:これも縁ですね。私もブランドを立ち上げるなんて思っていませんでした。たまたま卒業制作の際に訪れたお店でやってた、「木版プリントツアー」に参加して木版プリントと出会い、すっかり魅了されてしまいました。

木版プリント工房の奥様たちと堀さん

ーーー職人が1枚いち枚、手でプリントしているなんて未だに信じられません。本当に美しいですよね。
:私も最初みた時はびっくりしました。何と言っても、私が学生時代に学んできた織りとは真逆で、版のずれや色の滲みが許されるということに衝撃を受けました。人が作るからこその良さってこれなんだ、と肌で感じたのを覚えています。きっちり間違えずにやるなら機械でもいい。人の手で作るということの意味を教えられました。

ーーー堀さん自身も木版でプリントをしていた時期があるんですよね?
:はい、インドに滞在していた時、何度か自分でもやってみたんですけど……。結局、自分よりも技術を持つ職人さんがいるのであれば、任せた方がいいなと(笑)。そこで、版をデザインしてみようと思いました。自分でもプリントしたことがあるからこそ、どれくらいの線の太さが適しているかや、木版に合う柄というのが自然とわかるようになりました。

admiスタート

ーーー堀さんは25歳の時にadmiを立ち上げたんですよね? 私は今近い年齢ですが、自分のブランドを立ち上げようなんて……。度胸がすごいです!
:そんなに深く考えていませんでした。自分のブランドをやりたいというよりは、インドで出会った方々との縁がこのまま途絶えるのは嫌だなと思ったんです。滞在中、言葉もあまり通じない見知らぬ私に対しても、とても親切にしてくれて、この方達に何か恩返しできることはないかと思ったのがきっかけです。

ーーー最初から、今のようにオリジナルデザインのアイテムを作っていたのですか?
:最初は、自分で柄を作りたいというよりは、元々ある木版プリントの生地を使ってなにか作りたいと思い、ストールやバッグなどを制作していました。

ーーーディレクションのようなことをしていたのですね。それはご自身で縫製を?
:いえ、インドの職人さんに縫製をお願いしていました。私は、柄を選んだり、どんなものを制作するかを考えていました。本当にディレクションという感じです。ブランドを立ち上げた年の2008年、初めての個展を開催しました。その時はまだオリジナルのテキスタイルなどはなく、ディレクションしたアイテムや、買い付けてきた布を販売していました。

初個展の様子

ーーーそのままディレクターという形で続けていこうとは思わなかったのですか?
:ストールやバッグなどの“アパレル”アイテムの制作だけで続けていくのは難しいと思ったんです。すでにジャンルが確立されているため、私がやらなくてもいいかなと。そこで自分らしいものを作りたい、と決意しました。プリントは本業の職人さんに任せて、私は柄を考えようと思い立ったんです。どんなアイテムを制作していこうかと考えた時に、洋服などとは違い季節関係なく使える“ハンカチ”がいいなと思い、今の形になりました。プリントから縫製まで、インドの職人さんにお願いしており、それがあの時の恩返しになっていればいいな、と思っています。

三十而立(30にして立つ)
ーーー自身で柄を制作し活動すると決めてからは順風満帆でしたか?
堀:20代の頃はアルバイトをしながらadmiの活動をしていました。とにかく知ってもらうためには、目に触れる機会を作ることが一番だと思い、全国各地のイベントに出店し、たくさんの方にみていただける機会を作るために奔走していました。

ーーーadmiの仕事だけでやっていこうと決めたのはいつですか?
堀:30歳までには独立したいとは考えていました。20代はやりたいことをやりつつも、自活できない自分に焦りを感じていたんですが、ある時、孔子の論語の「三十にして立つ」という言葉を知りました。「30歳で立てばいいんだ」と救われたのを覚えています。

ーーー実際に30歳までにはadmi一本で?
:はい、イベントに積極的に応募したり、置いていただけるお店を探したりして、なんとか30歳でアルバイトを辞め、一人暮らしを始め、admi一本で活動するようになりました。

10年目を迎えて

ーーー昨年、admiが誕生してから10周年でしたよね。次の10年の夢はありますか?
:これまでの10年は、日本でインド綿と木版プリントの良さを知ってもらい広めること、admiをどうにかして続けて行くことに精一杯で気持ちに余裕がない場面が多かったように思います。これからの10年はもう少し気持ちに余裕を持って、その時の自分が楽しいと思える事にどんどん挑戦していきたいです。あとは5年以内に猫と暮らせる環境に引っ越しして、愛猫をモチーフにした柄がつくりたいです!

《インタビューを終えて》
美大生と通学路が一緒になったことで、将来の道を見据えた16歳。さまざまなテキスタイルの表現技法を学び、将来に悩んだ23歳。偶然が重なり訪れたインドで自分の生きる道を見出した24歳。admiとして生きていこうと覚悟を決めた30歳。そして、自分が心から楽しいと思えることに挑戦し続けようと思える今。人とのつながりから生まれたadmiの作品は、これからもたくさんの方の元に届くだろう。インドの職人と日本のデザイナーの国境を越えた絆によって生まれた結晶は、人と人をつなげ続ける。

(手紙社・鈴木麻葉)