出店者紹介,ジャンル:CRAFT

HITOHARI(出品)

【HITOHARIプロフィール】
幼い頃からモノ作りが好きな福田昌彦さんが、2006年北海道富良野でスタートさせたハンドメイド・クラフトブランド。普段だと捨てられてしまうパンツの裾を素材として製作した“裾バッグ”から始まりました。今では私たちの生活に欠かせない“日常をともに過ごす道具”としてのアイテムを、そのサイズや色合い、機能性やデザインを大切に、妥協せずひと針ひと針丁寧に製作しています。中でも私の大好きな「PACK」はMサイズLサイズ共に日々の私の相棒です。カバンの中をスッキリとさせるだけでなく、可愛らしいコロンとした馴染むかたち。色は「PACK」の素材にぴったりと合う選び抜かれたものを使っています。そこに洋服などを詰めれば即席の枕にも。帆布生地を使ったアイテムの登場とほぼ同時にもみじ市参加したというHITOHARI・福田さん。同い歳のもみじ市と帆布の作品たち。今年もみなさんの生活にたくさんの笑顔を運んでくれることでしょう。
http://hitohari.com


【HITOHARI 福田昌彦の年表・YEARS】

【HITOHARI・福田昌彦さんインタビュー】
誰にでも馴染みやすく、私も愛してやまない“帆布”という素材を、人々の生活に溶け込ませるような作品に落とし込み続けているHITOHARI・ 福田さん。一度使ったらもう手放せない、そんな気持ちにさせるのはなぜなのでしょう。その秘密を1枚1枚めくるように担当並木が伺ってきました。

HITOHARIの原点

ーーーまず年表の最初から見ていきますね。“北海道へ自転車ツーリングへ行くためのバッグを自作する”とあります。画像を見せていただきましたが、これをご自身で製作されたってすごいですね。
福田:はい。自転車につけるバッグが欲しくて、借りたミシンと実家から送ってもらった布で作ったんです。

当時製作した自転車用バッグ

ーーー型紙もないのにいきなり作れるのはすごいですね! 昔から裁縫はお好きだったのでしょうか。
福田:裁縫自体は好きですが、当時はお金もなかったので、必要なものを自分で作っていったという感じでしょうか。ミシンも意外と直感でできてしまうんですよ。

ーーーなんと! ミシンって初心者にとっては難しいものでして、きっと福田さんには素質が備わっていたのかと! さて、そのミシンでどんなものを作ったのでしょうか。
福田:ティッシュカバーとかカーテンとかでしょうか。

ーーーカーテンも作られましたか! もう布さえあれば暮らしに必要なものは揃ってしまいそうですね。ということは“趣味でバッグを作り続ける”とありますが、こちらも全て自分用だったのでしょうか。
福田:いえいえ。自分用にも製作していましたが、友人にも頼まれて作っていました。

ーーーすごい。自分以外の方から求められるって、よっぽどセンスあふれるバッグだったのですね。そんなに素敵なものを作れるのに、お仕事にしようという意識はなかったのですか?
福田:そうですね。その頃は作りたいからっていう欲求だけで、作ってしまえば満足できていたんですよね。

ーーーそうなのですね。なのにその後、富良野にて開業ですね。趣味からお仕事に至った気持ちの変化を詳しく聞かせてください。まず、富良野という土地になさったのはどういう経緯でしょうか。
福田:アウトドアガイドとして富良野に移住したんですよ。なので夏の間はガイドの仕事、冬の間は製作したバッグを東京のイベントで売って生計を立てていたんです。

キャンプ用に製作した大きめのトートバッグ

ーーーなるほど。アウトドアがきっかけだったのですね。
福田:そうですね。もともとアウトドア、特にキャンプが好きで、それがきっかけでもの作りも始めたくらいです。今の仕事は今年で12年目ですが、その間辛い時はいつもキャンプが助けてくれましたね。本当に大事な存在です。

ーーー大事な存在があるって幸せですよね。そして、本当に好きなものに出会えた福田さんも私は幸運の持ち主なのではと思います。その後、ガイドのお仕事からバッグ製作のお仕事へシフトチェンジしますよね。
福田:そうなんです。もの作りを始めたのは学生の頃なんですが、その頃は仕事にできるなんて思ってもいなかった、それが東京のイベントで販売を続けて3年目にだんだんお仕事の話をもらうようになったんです。

ーーーわあ。やはり良いものは求められるのですね! そこから開業ですか?
福田:いえいえ。最初のうちは断っていたんですよ。夏の間は身動きが取れず製作活動が制限されますしね。ですがだんだん「やってみたい」と思うようになって開業に向けて動き出しました。今思うと、知識や経験が全くなかったからなんですが、あの時は完全に勢いでスタートしてしまいましたね。

ーーーお客様の反応はいかがでしたか?
福田:思ったほど売れるわけでもなかったですね。お店を持てるような余裕もなく、通販で販売できるようなものでもなかったので月1、2回のペースで東京のイベントに出ていました。

ーーーーそうだったのですね。そしてその後、開業へ向けて何かなさったのですか?
福田:店舗を借りると家賃がかかってしまうので、知り合いの駐車場を借りてお店を開こうと2ヶ月くらいかけて準備をしたのですが、オープン目前になってオーナーさんから駐車場での商売はダメと言われまして、あの時は本当に知識がなくて落ち込みました。

ーーーそうですね。散々準備した後にダメと言われることほど辛いことはありませんから、でも店舗はオープンできたのですよね。
福田:実は途方に暮れてるところに札幌の知り合いからお店をやらないかと声をかけていただいたんです。あの時は本当に助かりました。

いよいよ開業へ!

ーーーわあ良かったです。私もホッとしました。さて、そのお店はどんな感じだったのでしょう。
福田:商業施設の中の3坪くらいのスペースにミシンを置いて、その場で作って売るような形でした。

ーーーまさに福田さんの持っている裁縫の能力を活かしたお仕事だったのですね。ですが、その後1年ほどでそこからは移転されてしまいますね。
福田:そうなんです。商業施設内のお店ということで、定休日は大晦日の1日だけ、営業時間も長くて、ほとんど1人で運営していたので体調を崩してしまったんです。

ーーーお休みが大晦日1日だけとは……。確かにきついですね。富良野の工房とはだいぶ環境が変わってしまいましたね。
福田:そうですね。富良野は窓からの景色も良かったのですが、商業施設の方は窓もなくて、改めて制作環境も大事だな、と感じました。

ーーー確かに目に入る景色って大事ですよね。綺麗な景色を見るだけで気持ちの盛り上がり方も全く違います。そうした経緯があって、当時「手紙舎 札幌店」も入っていた複合ビル「SPACE1-15」に移転しますね。ここに移転したことで、製作や考えに変化などありましたか?
福田:そうですね。ここでは基本的に週末にしか営業してはいけないルールだったので、休む時間やインプットに充てる時間もたくさん取れたんです。おかげでミシンの前に長時間いれば良い作品が生まれるわけではないんだ、と気づきましたね。

ーーーほんの少しの時間を得たことで、仕事への向き合い方に変化が生まれ、心にゆとりが生まれたのですね! ということは作品にも変化があったのでしょうか。
福田:はい。この時期に帆布を使った作品を作りを始めました。この生地のおかげで、たくさんの可能性が広がって、今まで以上にもの作りのワクワクを再確認できたんです。

帆布との出会い、もみじ市初参加へ

ーーー今の主力商品たちの原点ですね! そして、もみじ市に初参加されたのもこの時期ですよね。
福田:そうですね。帆布に出会って好きなものを再発見したところにお声がけいただいたので、本当に嬉しかったんです。実はお声がけいただく前は開業から数年経って当初の勢いもなくなって経営的には厳しい状況だったんです。雇用について悩んだ時期でもありますし、OEMを始めたのもこの時期でした。あとから思いますが、もみじ市に参加できたことは本当に大きかったですね。

ーーー移転もそうですが、もみじ市も大きな転機になっていたのですね。さて、原点に戻りますがもみじ市はご存知でしたか?
福田:知っていましたよ。当時、道外のイベントにすごく興味があって、確か他の作家さんから“もみじ市”を教えてもらいました。とにかく素敵なイベントだっていう噂を聞いていたのでお客さんとして見に行ったんです。

ーーーわあ。お越しくださったのですね! 会場はいかがでしたか?
福田:楽しかったですよ! 確かその年はお天気も良くて、John John Festivalの演奏を聴きながら「こんなに天国みたいなイベントがあるのかー!」と興奮したのを覚えています。

ーーーもみじ市が福田さんの心にワクワク楽しくてしょうがないイメージとして残っていることが本当に嬉しいです。今年もよりワクワクのイベントになりますように。

5年先に向けて新たなチャレンジへ

ーーーさて、年表の続きを読み解いていきましょう。“2015年により広いスペースを求め移転”とありますね。ここでも新たにチャレンジできたことはありますか?
福田:作るもの自体はガラッと変わることはなかったかもしれませんが、作品(スソバッグ)→商品(帆布)に変わったことで、販売価格を抑えるために作業環境を整えて効率化をはかったり、僕が作ってもスタッフが作っても変わらないような仕組みを考えたりと、少しですが作家から経営寄りの思考に変化した時期かもしれません。

ーーーそうですね。お話を聞いていると作品から商品へと移り変わっている様子が伺えます。おかげで数量も増やして制作することができ、たくさんの方にHITOHARIさんの商品をお届けすることが可能になっていったんですね。その他、スペースが広くなったことで、やりやすくなったことなどありますか?
福田:うーん。実は暖房費がかかったり、除雪や草むしりの手間が増えたりとデメリットもあるのですが、撮影スペースや什器を作る工作スペースを作れたことは良かったでしょうか。

アトリエには清々しい空気が流れています

ーーーいいことには欠点もつきものなんですね。その後2018年契約満期に伴い移転、そして近々また移転されるのですよね。
福田:そうなんです。前から考えてはいたんですが、自分はもちろん、子どものためにも畑仕事をしながら制作をするのもいいんじゃないかと。また今は常に先を見据えていて5年後にはまた新しいことをしたいと思っています。そう考えるとスタートは今、と思うんですよね。

ーーー素敵ですね。新しいこと、お子さん中心の生活、普通ではなかなかできることではないと思います。何かきっかけなどあったのでしょうか。
福田:きっかけといいますか、様々な要因が導いてくれた感はありますね。まずお店を運営するということに関して言えば、土日に休みづらいというのがあります。そして、近年の札幌のテナント事情があまり良くないことや、自分の体力もそう長くは続かないことも考えます。家族に関しては、子どもが小さいうちに一緒に過ごす時間が欲しかった。とこんな感じでしょうか。

ーーー確かに、札幌という土地は観光する側だけを見ると、一見華やかで豊かに見えますが、現地のタクシー運転手さんとお話しした時に、雇用条件が本当に悪いっておっしゃっていましたね。
福田:そうなんです。そういう条件で無理して働くのもどうなのだろう、と思いました。

ーーーそうですね。自分が楽しくなければ意味がないですから。それにお子さんも小さい時って意外と記憶が残っているもので、その中にお父さんの姿があることは本当に素敵なことだなって思います。
福田:本当ですか。それは良かったです。子どものこともそうなのですが、それに加え安い土地と価値観の合う建築士さんにも出会えたことが、決定打になりましたね。

ーーー流れが来ていますね! 新しい場所では作品たちにどんな変化が生まれるのでしょう。
福田:そうですね。広い庭のスペースが取れそうなのでテントや農作業関連の商品を展開していきたいですね。もしかしたらこの移転も転機になるのかもしれません。

ーーー確かに。好きなキャンプも楽しみつつ、この移転で福田さんの作られる作品たちが変化していくような期待感を思わず持ってしまいました。なんだか楽しみですね。
福田:はい。キャンプも今まで通り続けていけたらと思います。できれば山登りで使うバッグやテントなど作ったりできたら嬉しいですね。

ーーーわあ。楽しみですね! このまま札幌にも住み続けるんですよね。
福田:はい。札幌は街と自然が近いので、都会の便利さと自然の良さ、両方の恩恵を受けられる良い土地です。これからも仕事もプライベートも楽しんでいけたらと思います。

ーーーそうですね。なんだか清々しい気持ちになりました! 私も好きなことを大事にしていこうと思います。ありがとうございました!

《インタビューを終えて》
“自分が好きなものを作りたい”という言葉はここまでの道のりの途中、何度も何度も模索しながら作品を作り続けていく福田さんの背中を押し続けてくれました。大好きなキャンプであったり、ご家族であったり、住みやすい札幌であったり、たくさんの好きな環境によって、福田さんはご自身を支えているのだなと改めて感じました。その思いがミシンの一つひとつの縫い目にも織り込まれているからこそ、HITOHARIの作品にはたくさんの愛用者がいるのかもしれません。まもなく始まる新たしい環境ではどんな変化が生まれるのか、今から楽しみでなりません。

(手紙社 並木裕子)

【もみじ市当日の、HITOHARIさんのブースイメージはこちら!】