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キノ・イグルー

【キノ・イグループロフィール】
屋上、書店、博物館、さまざまな空間を映画館に変えていく、「キノ・イグルー」。その時その場所でしか体験できない一度きりの上映会「移動映画館」や、一人ひとりと話をして、その人にあった映画を5本セレクトする「あなたのために映画をえらびます」など、自由な発想での活動を通して、多くの人に映画の楽しみ方や映画を観るきっかけを発信し続けています。その活動に触れる時、いつも心に抱く感覚があります。私たちの人生にある「映画」という贈り物を、自由に存分に楽しもう! 臆せず、映画という海に飛び込もう! そんな風に背中を押してもらっているような、魔法をかけてもらったような感覚。誰かと時間を共有する楽しみを知ること。映画を観ることで自分の中に生まれる新たな感情を知ること。映画を通して人生が豊かになること。キノ・イグルーの魔法にかかって、映画との出会いを体験してみませんか? さあ、肩の力を抜いて。映画はいつだって、あなたのものなのだから。
http://kinoiglu.com


【キノ・イグルーの年表・YEARS】

【キノ・イグルー・有坂 塁さんインタビュー】
河川敷に現れる「テントえいがかん」。もみじ市になくてはならない存在、キノ・イグルーの有坂塁さんと渡辺順也さんが、どうやって出会い、キノ・イグルーが生まれたのか。そして、キノ・イグルーが考える「映画の可能性」について、有坂さんにじっくりとお話を伺いました。

映画嫌いな少年の映画との出会い

ーーー早速、年表を拝見しながら、お話をうかがわせていただければと思います。渡辺順也さんとは、中学生の頃からのお付き合いなのですね。当時から、仲が良かったのですか?
有坂:部活は違ったけど、気がつくと一緒にいて、すごく仲が良かったというわけではないと思うんだけど、修学旅行の写真なんか見返すと並んでピースしてたりしてますよ。その当時、僕は生粋の映画嫌い、順也は当時から映画好きというふたりでした。

ーーー映画嫌いだったんですね。
有坂:うん。19歳になるまで、2本しか観なくて。積極的に観なかったんです。僕が育ってきた時代は、『日曜洋画劇場』とか、テレビで毎週のように映画が流れていたけど、映画が始まったらチャンネル変える、みたいな人間でした。

ーーー全く映画を観ずに避け続ける、というのも至難の業だったと思うのですが、ちなみに、そこまで映画が嫌いになったきっかけはなんだったんですか?
有坂:7歳の時に『グーニーズ』っていう映画を映画館で観たんです。それがすっごく面白くて。

ーーー面白かったんですね?
有坂:そう、面白すぎて、もう一回観たいって親にねだったんです。そしたら、次に連れて行ってもらったのが、『E.T.』だったんですね。グーニーズが観たかったのに、『E.T.』。E.Tの顔もちょっと怖いし、話も少し難しかったんです。何より『グーニーズ』が観たかったし。それで、途中で「もう無理」ってなっちゃって、映画館で兄と一緒に走り回って「もう二度と映画なんか見ない!」って言った記憶があります……。だから、僕の映画嫌いはスピルバーグのせいですね(笑)。

ーーーなるほど、スピルバーグのせい、と。これは書いておきますね。
有坂:スピルバーグに怒られちゃう(笑)。でも本当に、結局19歳までの12年で1本も観なかったですね。『バック・トゥー・ザ・フューチャー』も「宮崎駿」もなにも観てない。

雷に打たれたような衝撃『クールランニング』、映画嫌いから映画好きへ

ーーー転機に挙げていただいていますが、その映画嫌いな有坂さんが19歳の時にある映画と出会って考えが変わったのですね?
有坂:『クールランニグ』というボブスレーチームを描いた映画を観て変わりました。これが、映画を2本しか知らない自分でも楽しめる作りだったんです。自分がサッカーを真剣にやっていた、というのもあって、同じ集団競技で感情移入しやすくて、のめり込めたんですね。当時は、『フォレストガンプ』とか『パルプフィクション』なんかも上映されていたけど、もし違う映画を観ていたら映画をこんなに好きになっていなかったかもな、と思います。きっかけになる映画って大切だなと身を以て体験しましたね。映画って食べ物と似ていて、その時の自分の状況にもすごく左右されるものだと思うんです。心の状況とかによっても変わってくる。だから、その時に観た映画が『クールランニング』で本当によかったなって、今でも思います。

ーーー観たときはどんな感覚でしたか?
有坂:雷が落ちたみたいな衝撃でした。笑って、最後には号泣して。それで、観終わった後に600円くらいの薄いパンフレットを買って、その日、家に帰ってからも何度も何度も読んで、映画のことで頭いっぱいになってしまって。次の日からひとりで映画を観に行くようになりました。

ーーー翌日から!? すごい行動力ですね。「成人式を境に2人で鑑賞を始め」る、と書かれていますが。
有坂:そう。順也とは違う高校に通っていて、3年間会ったりもしてなかったんだけど、ちょうどその『クールランニング』を観たのが成人式の少し前だったんです。映画に目覚めて、「映画超面白い!」って思った時に、「そうだ、順也が映画詳しかったし、成人式で会うから話してみよう!」と思って。「俺、映画が好きになったんだよ」って言ったら、「うそ!? 嫌いだったじゃん?」って盛り上がって、それを境に一緒に映画を観に行くようになって、また友達付き合いが始まりました。

 

もみじ市でのおふたり 左が渡辺さん、右が有坂さん

ーーー2人で観ると、ひとりで観るのとは違いましたか?
有坂:当時は深くは考えてはいなかったけど、終わった後に共有できる人がいるのは嬉しかったですね。当時は順也の方が知識があったし、彼の特性だけど、彼はとても共感力が高くて、何かの話題に対して「自分もそれに本当に興味がある」っていうような受け止め方をしてくれるんです。映画好きになった時にも、そうやって受け止めてくれたので、一緒に映画を見るのが楽しかったですね。

ーーーどのくらいの頻度で観に行ってたんですか?
有坂:うーん、どのくらいだったかな、週に1回とか2回とかだったと思います。1日に連続で何本か見ることもあったかな。そうそう! 今でも覚えてることがあって、今は無くなっちゃったんだけど、新宿の西口に「チケットぴあ」があってね、その前で待ち合わせして。その当時はスマホなんて無いし、お互い電話をかけるなんてこともしてなかったから、待ち合わせて会った時に、それぞれのカバンから持ってきた雑誌の『ぴあ』を出して、2人してその場で『ぴあ』をめくりながら何を観ようか考えるっていうことをやってましたね。

ーーー事前に何を観るかを決めることはしないで、映画を観に行っていたのですね。
有坂:そう。今だったら、ラインとかメールとかで事前に「これ観よう」とかしてしまうと思うけど、そんな感じで事前に決めずに観てましたね。

キノ・イグルーの基礎ができた、レンタルビデオ店でのアルバイト時代

ーーーその後、レンタルビデオショップで働かれるのですね。
有坂:実は、真面目にサッカーをやっていたので、サッカーのプロテストを受けました。だけど、落ちちゃって、どうしよう……って。周りでは指導者になる、とか、サッカーのショップで働くっていう人もたくさんいたんだけど、どうしてもそういう気持ちになれなくて。ワクワクしなくて、どうしようかって考えた時に「映画だったらどうなのかな、自分の人生」って考えたら、ワクワクしたんです。映画に引っ張られてる感じがして。じゃあ、まずは映画を知ることができる環境に身を置こう、と、レンタルビデオ店でアルバイトをはじめました。

ーーーここでレンタル回転率の歴代記録を更新するヒットコーナーを連発するんですね!
有坂:そうそう! それ年表に書きましたね(笑)。今に繋がってるな、と思うのは、ビデオ屋さんって映画に囲まれて仕事ができるんですよね。物理的に映画がいっぱいある。まずは、そこへの幸せを感じていました。その中で、「ヒューマンドラマ」や「ラブストーリー」っていうジャンル分けだったり、「役者」とか「監督」といった人物で分けるコーナーっていうのが売り場の基本構成でした。小さな棚を使ってコーナー組みを期間限定でやったりもするけど、基本は本部から「これを作ってください」って言われたものを作っていたんですね。だけど、僕がいたお店は、品揃えが豊富どころか無い物は無い、というレベルのお店で、廃盤になったビデオとかもたくさんあって、働いている人もみんな個性があって面白い。だから、「スタッフ発信のコーナーがあったほうが良い」っていう提案をして、棚を作らせてもらいました。

ーーー具体的にはどんな棚を作られたのですか?
有坂:ジャンルで分かれてる映画を、違った軸を作ることで再編集して棚を作りました。例えば、フランスのトリュフォーの映画とかと、アメリカのキッズムービーを同じ棚に並べてみたり。そうすることで作品の見え方が変わるんです。それがすごく好きで、最初は自分の中にある知識を使って作ってました。だけどそのうち、自分だけがやるより、スタッフのみんなも面白い人が多いから「担当制にしてみたら」と提案してみました。学園コメディに強いスタッフが、愛情たっぷりに学園コメディの棚を作ったり、役者をやってる女の子に任せてみたら、ヨーロピアンエロスコーナーを作ったり、みんな好きを形にしてるから、すごい熱量があるものが出来上がって、結果にも繋がったのかなと思います。

次のステップとして「別の棚を使わせてください」って言ってやったのが「映画監督が選ぶ20本」。当時公開された映画の「公開記念」として、監督に商品の中から20本の映画を選んでもらう。今はそういう特集とか色々あるけど、当時はあんまり無くて。でもどうせやるんだったら「監督からのコメントは直筆がいい」と思ってコメントを書いてもらって、店舗で展開させてもらったりして、公開してる映画と売り場を繋げることをしてみました。直筆にしたことで、ちゃんとその監督の体温がわかるようになって、お店に足を運んでもらえるんじゃないかと。そのコーナーが、回転率ダントツNO.1のヒットコーナーになりましたね。今あるお宝をどう再構成して、どういう風に発信したら面白いかな、みんなが喜んでくれるかな、っていうのをアルバイトをしながら学んでいったんです。それが今に繋がってることは間違いないですね。

ーーー今でこそ、いろいろなところでそのお店や店員さんならではの特集コーナーが組まれたりしていますが、そのパイオニアが有坂さんだったのですね! きっと、すごくたくさんの人がそのコーナーで影響を受けたのではないでしょうか。
有坂:お客さんもいっぱい来くれていたし、その時に同じタイミングで、今もやっている映画のカウンセリングのようなものを始めました。当時はカウンセリングっていう形じゃなかったけれど、お客さんから質問されたものに応えるっていう試みです。

ーーーそれは店頭でやられてたんですか?
有坂:うん。特にこういうサービス始めましたとか言ってないんだけど、女子高生とかに「何か泣ける映画教えてください」って言われて。「俺、クールランニングで泣いたけど、この子泣かなそうだな」って思って、ヒアリングするとやっぱり映画の好みが『ベティブルー』とか、『トリコロール』とかで。そこから考えて紹介して、返却の時にまた来てくれて「泣けました、また別のも教えてください」って言ってくれて、顧客になってくれて、それがすっごい嬉しくて。ただ好きで観てきたものが、誰かと繋がれるきっかけになる。それで続けていたら、どんどん顧客が増えていって、おじいちゃんとか、小学生男子とか、みんな映画の好みが違うから、それぞれの中にあるものを引き出して選ぶっていうことをバイトしながらやってました。一対一で映画を勧められるって、究極で、いつかイベント化したいって思って、それを、キノ・イグルーとしても始めたんだけど、その原点がこのバイト時代にありますね。

ーーー人に伝えることが「幸せ」と思えるのがすごいですね。映画が好きでも、自分が観て満足してそこで完結してしまいそうですけど。
有坂:そう! 実は最初はね、僕、すごくのめり込むタイプだから、それこそ観たい映画がありすぎて、とにかく人とも会わずに映画を観てるっていう時期があったんですよ。手帳に上映スケジュールとか落とし込んでいくと“その日に観ないと観れない”みたいな映画もあって。そして、「今観ることが、絶対後々に繋がる」っていう根拠のない自信もあって。さっきも話したけど、映画は食べ物と一緒だと思うから、映画に限らず音楽とかなんでもそうだけど、心が動いた時に観る、行動を起こすって本当に大事なことで、映画って複製物だから「今じゃなくたって観れる」ってなるけど「そうじゃない!」と思う。心が動いた時に観るから、心の深いところまで届く。その先の広がりが全然違ってくるって思うから。その時自分の欲望を満たして、そこからワッと広がったものがどんどん繋がっていった先が“今”なんだ、っていうのも間違いなくあると思っていて、その時の心に従うっていうのは大事なことだなって思う。

そうそう、それで「人に伝えるということが幸せだ」と感じることについてだけど、この時期は自分で映画を観ることにしか興味がなくて、家族の行事ごととか、友達の飲み会も全部断ってました。なぜならば、映画が観たいから。でも、それもいくところまでいくと、誰かと繋がりたくなって。それはサッカーをやってた頃もそうだったので、「行くところまで行かなきゃその視野になれない」っていうのは自分の体質なんだと思います。でも、最終的には自分だけで完結するんじゃなくて、「自分の好きなものを通して誰かと繋がりたい」と思うようになりました。自分が1本の映画で人生が変わったから、そこまでじゃないにしても、映画を観ることで人は何かポジティブに変わるんじゃないかって本気で信じられる……というかそうとしか思えない。それを押し付けじゃない形で、ジワーーっと伝えていけたら幸せだな、という思いを持っています。

キノ・イグルー結成と映画オタクへの怒り

どれも素敵なキノ・イグルーのフライヤー

ーーーそして2003年にキノ・イグルーを結成されるんですね。
有坂:この時は自分たちで「始めます」って突然言ったわけではなくて、友達が映画館を作ったんです。21席しかない小さな映画館をDIYで。それで、その友達が僕がシネクラブ、いわゆる自主上映会に憧れがあるっていうのを知ってて、「場所を持ったから、うちでやってみたら?」と声をかけてくれて。こんなありがたいと話はないな、と思ってやることに決めました。どうせやるなら続けたいし、続けていければ、良くなるイメージしかなかったから、「じゃあ、どういう名前にしようか」とか、当時はwebじゃなくてアナログな宣伝の仕方だったので「チラシのビジュアルをどうしていこうか」とか「どうやってイメージを作っていこうか」とか、1回目からちゃんと考えて始めました。いずれ仕事になったら、こんな幸せなことはないな、とは思っていたけど、その時は、これがどうやって仕事になるのかなんて全くわからないから、一個一個120パーセントでやっていこう、と。そんな感じでやっていました。

ーーーこの時はちなみに何を上映されたんですか?
有坂:いちばん最初は『モンソーのパン屋の女の子』というエリック・ロメールの60年代の短編です。この時は35mmのフィルムで上映してました。で、このシネクラブにはコンセプトがあって、ビデオ化とかされてない、トップレアな映画を上映するシネクラブ。でも、それを自分みたいな映画オタクには向けてやりたくなくて。最初から、今のキノ・イグルーのお客さんをイメージしてました。いろんなものにアンテナを張って、いろんなものに愛情のあるような人に届けたかったんですよね。だから、チラシをどこに撒くかっていうのはすごく考えてたし、なんかね、映画オタクへの怒りが強かったの。当時は。

ーーー怒りですか!?
有坂:そう、怒り(笑)。映画ってある程度好きになっていくと、なんていうか、めんどうくさくなる人が多くて。要は、知識がある人間がえらいってなってしまう傾向があって。例えば、そのレンタルビデオショップに若い女の子がアルバイトでやってきて、その子に先輩たちがどんな映画が好きなのかを聞くんだけど、知識もまだ浅い子に向かって、その子が選んだ映画を「そんなの映画じゃ無い、それをいいと思ってるなんて映画好きとは言えない」みたいなことを平気で言っちゃう。せっかく映画が好きで、何か希望を持って入ってきたのに、結局辞めてしまう、みたいなことが多くて「それは絶対違う!」と。そんな関係性はおかしいし、自分の好きな映画の話が当たり前のようにできるようになるだけで、映画の世界はもっと良くなっていくはずって心から思って。だから、自分みたいな映画オタクに向けては絶対やらないって決めて、その作ったチラシは映画館には1枚も置かなかったんです。意地でも置かないって決めて。雑貨屋さんとか、インテリアショップとかに置かせてもらいました。だから、イメージしてたお客さんは最初から来てくれていましたね。まあ、あの当時はとにかく映画オタクへの怒りが強かったですね(笑)。

ーーーああ、わかる気がします……。私も映画好きの友人の前では素直に自分の好きな映画を言いづらい、ということがあります。
有坂:ね、なんなんだろうね。多分、80年代のアカデミズムの影響とかがあるんだろうけど、そこから自分なりになんでだろうって考えていくと、例えば映画をピカソの絵みたいに観たら、優劣っていうのは出ると思う。いわゆる芸術として映画を観た時に、これは名作で、これは駄作でって。だけど、映画には物語があるから、観る人の心とも関係してくる。人生に絶望してる人が例えば『ニューシネマパラダイス』を観て救われたとして、それは誰も否定できるものじゃない。その人の中でのものだから。つまり、映画を“芸術としての良さ”だけで語ってしまうから、優劣をつけるような人が出てきてしまうんじゃないかな。そこから映画を解放して、「映画ってそもそも、もっとおっきいものだよね」っていうところを伝えていきたい。そういった思いが、キノ・イグルーにはあります。自分の中でだって同じ映画観ても作品の評価って変わるじゃない? タイミングによってね。それだけ映画って大きいものなんだけど、そのポテンシャルを生かしきれてない。そう思えば、なんでもできそうじゃないですか?

たくさんの人が映画を楽しむ野外上映の様子

移動する映画館、誕生

ーーーその後は、上映される場所にも変化が出てくるのですね。野外シネマもこの頃に始められていますが、外で上映するというのは大変ではないですか? すんなり外でやってみよう、となったのでしょうか?
有坂:野外での上映の経験はなかったし、映画の中でしか観たことなかったけど、映るし、まあ、できるだろう、と。映画の中で野外上映のシーンを観てたから「できるものなのだろう」とは思っていて。CLASKAさんとお話しした時、いろいろな場所を見させてもらって「屋上が一番気持ちがいいね、ここでやってみたいね」となって。やっぱり、空間として良いと思うところで上映したい、という気持ちがあって開催しました。

ーーー実際、初めて野外で上映をされてみてどうでしたか?
有坂:それがね、思っていたものの100倍くらい楽しかったんですよ。今と比べるといろいろ技術的には拙いところはあったかと思うけど、すごく良かった。

ーーー外で映画を観る、というのは忘れられない経験になるのでしょうね。
有坂:コントロールできないことばかりだからね。例えば、横須賀での上映では透けてるスクリーンを使ったんだけど、そこは風の通り道だったから、スクリーンが倒れないようにとの配慮で。後ろに海が透けて見えて、上映中、船の明かりがスクリーンの中を横切るの。

ーーー素敵!!
有坂:そうなるでしょ? 普通に考えたら「ちゃんと見えない」ってなる。だけど、“ここならではの良さ”で考えたら「このスクリーンで観れて良かった」ってなると思う。「この場所での映画体験って何かな」と考えると、こういうスクリーンが素敵ってなるんだよね。

あえて「寒い時に野外上映やろう!」という話になって、クリスマスの上映会をやったりもしました。「ここに来れて良かった」って思ってほしいから、どんなスクリーンにしたら楽しいだろう? と考えたり、「マイナス13度の中で映画観る」というのもやりました。こうやって場所の良さを引き出すと、極端であればあるほど、「ここで観られて良かった」ってなる。こうやって体験をしてもらって、押し付けでなく、まず「映画を観ることってこんなに楽しいんだ!」って思ってもらって、心を開いてもらう。それが一番大事なことだと思っています。

氷の中での上映会も

ーーーそれで、今でも野外での上映を続けていらっしゃるのですね。その年に、もみじ市にも参加してくださっていると思うのですが、もみじ市の出店はいかがでしたか?
有坂:もみじ市は初め(手紙社代表の)北島さんから声かけてもらって、すごく嬉しくて。屋外で上映をやりたいと思ったけど、昼だから映らないじゃない。それでどうしようかと考えて、テントがあればいけるかなって思って今の形になったんだけど、初年度は北島さんのテントを借りて出店したんですよ。

ーーーえっ!? そうだったんですか?
有坂:そうそう、北島さんの普通のキャンプ用のテントを立てて、それをちょっと可愛くして。イベントが終わった時「次はちゃんとしたテント作ろう、でも声かけてもらえないかもな……」って思ったのは覚えてるんだけど、翌年以降も呼んでもらえて良かった(笑)。

ーーー実際にもみじ市はどうでしたか?
有坂:なにせ、テントで映画を観るって、お客さんも、こっちも初めての体験だから、どうなるかな、って思っていたけど、やってみてすごく良かったんですよ。まず、あの風景の中に映画館があるって「こんなに素敵かっ! それだけで楽しい!」って思いました。今のキノ・イグルーでは当たり前になってきましたが、“映画自体がいろんな場所に行くことで、映画のイメージが変わっていく”っていうのはその当時はまだ感覚が無くて。野外上映を始めてまず実感して、もみじ市の「テントえいがかん」でまた実感してっていう時期でしたね。本当にキノ・イグルーの今につながる可能性を引き出してもらった年だなって思います。

もみじ市での「テントえいがかん」の様子

ここでしかできない映画体験

ーーーそして東京国立博物館での上映や恵比寿ガーデンプレイスでの上映と、規模も大きくなっていっていますね。
有坂:そうですね。東京国立博物館での上映で、規模感がすごく大きくなりました。それまでは600人から800人という規模感で、初年度「1,000人超えたらどうしようね」って話してたけど、その年4,500人のお客さんが来てくれました。でも、トラブルもなく、基本スタイルは変えずにやっていて、その中で、この規模で映画を体験できる場所が作れたっていうのは自分たちの中でも大きいし「映画ってこんなに人が集まるんだ」「映画ってそこまでいけるんだな」っていうメッセージにもなって、また、次のステップになったかな、と思いますね。

東京国立博物館での上映会

有坂:恵比寿ガーデンプレイスでは客席に芝を敷き詰める「ピクニックシネマ」というのを提案しました。僕の中では、人間は基本超いい人だという思いがあって、生まれてきた時は天真爛漫で、それは大人になってもみんなの中にあって、それがベースだと思ってます。だけど、そこからいろんなことを経験して、傷つきたくないから考え方が保守的になったり、誰かを疑ったりってできてくる。そう考えているので「根っこの部分は一緒、そこを引き出せばいい」という考えです。だから、席は椅子じゃなくて、芝生が良い。エリアが決まってないことで、自分の場所じゃないから守ろうとしない。こうやって、会場のしつらえひとつで、その人の中の天使と悪魔をどっちを出せるか、コントロールできると思っています。譲られると嬉しい、譲った方も気持ちいい、周りで見てた人も気持ちいい。ここでは、なるべく場内アナウンスも入れないようにしています。施設側からアナウンスについても言われてしまいそうだけど、管理、監視しないからこその伸びやかな空間があると思っています。こうやって伸びやかな空間を作るためには、施設側との信頼関係を作ることも大切で、だから、コミュニケーションはすごく大事にしていますね。

ーーー信頼関係を作るためのコミュニケーションで大切にしていることはどんなことですか?
有坂:仕事じゃない話をいっぱいする。結局、みんな肩書きの中で生きてるから、肩書きをどうなくすかってすごく大切。みんな何かしら演じて生きているから、その向こう側で話せるかが大切かなと思います。例えば、大きい会社に呼ばれて行った会議室が超巨大でテーブルめっちゃ離れてる! とかある(笑)。「楽しいこと考えてください」って言われても、「全然思い浮かばない」。そういう時は「中庭でやりませんか?」と言って場所を変えたり、あとは好きな映画を聞く! 打ち合わせする前に好きな映画を書いてもらうと一気に空気が変わるんです。声のトーンまで変わって、カチッとしてたおじさんの肩書きも無意識に取れてる。その状態で会話ができれば大丈夫。話をするときに心をオープンにした所をベースにしたくて、好きな映画を書いてもらうだけで変わるから「やっぱり映画ってすごい! 魔法だな」って思う。誰に書いてもらっても、みんな心を開くんだよね。なんでかわからないんですが。だから、もみじ市でも好きな映画を書いてもらうボードをやるようになりました。

もみじ市に登場する「みんなの好きな映画」ボード

これからのキノ・イグルー

ーーーこれからの活動で具体的に考えていることはありますか?
有坂:縁があった人との繋がりは大切にしながら、上映会に関しては、受け身の姿勢っていうのは変わらないと思います。実は、自分の想像力をあんまり信じていないので、ここでやってほしい、というリクエストに応えることで想像以上の所に連れていってもらえると思ってます。あとは、映画を上映しない形で、コミュニケーションをベースにしたイベントとかはやっていきたいな、と思っていますね。

ーーー何度かお話しをうかがう機会をいただいてますが、いつもお話しをすると、「映画が観たいな」と思います。
有坂:それがいちばん嬉しい。映画って日常から切り離されていて、ながら見がなかなかできないし、やっぱり“わざわざ”っていうのは、この時代になっても変わらない。僕たちは、スイッチっていうけど、映画のスイッチがみんなの中にあると思っていて、それをオンにすると、みんな映画の楽しい記憶って必ずあるから、映画を観たくなるんだよね。だから、そのスイッチをどういう風に、どれだけのアイディアで入れていけるか、ということを考えていけばいいだけだって思ってる。だって、今の時代は見に行けないような国の映画まで買い付けてくれたり、アップリンクが吉祥寺にできたり、環境はあるから。映画好きを増やすっていうより、みんな元々映画好きだから、スイッチをどう入れるかっていうだけ。そう考えると、これからも、やれることいっぱいありそうでしょ?

《インタビューを終えて》
映画は「コミュニケーションツールでもある」という有坂さん。「映画を通して私たちはもっと繋がれる」キノ・イグルーはそう伝えてくれています。映画嫌いだった有坂さんと映画好きだった渡辺さん、3年間疎遠になっていた2人を繋いだのも映画の力。それは、映画を一緒に観て同じ時間を過ごし、同じ映画体験する、という物理的な事にとどまらず、人と人との心の距離までも縮める魔法。人はみんな“いいひと”で、元々みんな映画好き。あなたの心のバリアを解く“映画スイッチ”はどこにありますか? さあ、もみじ市で、キノ・イグルーに、その魔法のスイッチを押してもらいましょう! あなたの人生に何か素敵な出会いが訪れるはずですよ。

(手紙社 鳥田千春)