【竹中悠記プロフィール】
ガラス作家。パート・ド・ヴェールという技法使い、時間と手間をかけて、優しく包み込むようなガラス作品を制作しています。それは、まるで万華鏡の中で咲き乱れるきらびやかな華のよう。一つひとつ描かれた線や模様は、時が止まったかのごとく、永遠の美しさを保ち続けます。長い年月を経てもなお、美しい器たち。ずらりと並べば、七色の光が差し込む湖の水面のようにも見えます。もみじ市当日に現われる、この美しいガラス作品を、ぜひ、眺めにいらしてください。
https://ukiroosh-glass.wixsite.com/ukiroosh/blog
【竹中悠記の年表・YEARS】
【竹中悠記さんインタビュー】
竹中悠記さんが生み出すガラスに映し出されるのは、溢れる色彩、そしてテンポ良い音楽のような水紋。手紙社・並木が、その色や模様の生まれる理由を伺ってきました。
ガラス作家・竹中悠記を導いたもの
ーーーまずは東京ガラス工芸研究所へ入所ですね。兵庫から東京の学校に行かれたのですか。
竹中:はい。その当時は東京しか学校がなくて、そちらに入所したんです。今では学校も増えているし、恵まれていますよね。
ーーーそうだったのですね。その後なぜか臨時養護教諭として中学校と小学校に勤務とあるのですが、一旦ガラスから離れたのでしょうか。
竹中:そうなんです。ガラス工芸研究所を出てからは実家にいたのですけど、まずは働かなくちゃ、と短大で取った教職の免許を生かして学校勤務しました。
ーーーなんと。ガラスの学校の前に短大に通っていたのですね。でも竹中さんの優しい笑顔や対応を見ていると養護の先生もわかるような気がします。その後、能登島ガラス工房に勤務なさるのですね。
竹中:そうです。ちょうどパード・ド・ヴェールの募集があって、応募→採用→勤務とトントン拍子で事が運んだのですけど、その後なぜか人員不足で営業に配属になりまして、さすがに違うなと思って退職することになったんです。
ーーー確かに、ガラス制作志望で入ったのに、営業職への変更は困難ですね……。その後ご結婚、鳥取にて独立なさるのですね。
竹中:そうですね。年表にも書いていますが、独立といってもこの頃は特に活動はしていなかったんです。
ーーー活動しないことに不安などなかったのですか?
竹中:それが全然なかったんですよね。不思議ですよね。
松本クラフトフェア初参加への道のり
ーーーそしてその後、お子さんを出産して今の場所に転居してからあることに気づいてしまった。
竹中: そうなんです。子供って保育園に預けられるって知らなくて、預けたら時間ができて、なんとなく制作しようかな、と。
ーーーそうだったんですね。そして「クラフトフェアまつもと」への応募を勧められたのですね。“まつもと”にしたのはなぜでしょうか。
竹中:私は特に意識していなかったんですけど、制作を始めた頃、自分の作品の販売方法がわからなくて、友人に相談したら「クラフトフェアまつもと」を勧められたんですよね。なのにすっかり応募を忘れてしまったんですよ私。
ーーーわあ。焦りますね。
竹中:そうなんです。大切な友人との約束なので焦りました。そこで見つけたのが「第8回工房からの風」だったんですよ。おかげさまで出展することができてひと安心でした。
ーーー工房からの風は余裕を持って応募できたんですね。
竹中:いえいえ。それがそうでもなかったんですよ。締め切り当日に写真現像のためにお店に駆け込んだり、書類作成も間に合わなくて近くのミスドで作業したんですよ。
ーーーギリギリでしたね。でも間に合ってよかったです。そして同じ年の5月に神楽坂のラ・ロンダジルさんに作品を見ていただいたのですね。
竹中:そうなんです。これもまた「クラフトフェアまつもと」を勧めてくれた友人の紹介なんです。ラ・ロンダジルさんには気に入っていただいて個展のお誘いを受けました。
ーーー実際に作品を見てお声がけいただくのは嬉しいですね。そしてご友人の方、竹中さんのガラス作家人生の中でかなりのキーパーソンですね。さて10月「工房からの風」初出展、こちらはいかがでしたか。
竹中:この時は始めての出展でしたが、嬉しかったし自信が持てたイベントでしたね。
ーーーわあ。良かったです。どんなことがあったのですか?
竹中:その時、お客様にお願いしたアンケートで気になる作家さん上位だったんですよ。
ーーーそれは嬉しい! 私もそうですが、竹中さんの作品をはじめて見た時、本当に宝石みたいに綺麗で目が釘付けだったことを思い出します。お客様もきっとそうだったのですね。この時の出店が後々のスパイラルマーケットの個展のきっかけにもなるんですね。気づけばどんどん繋がっていく。
竹中:そうですね。声がかかってくるのはありがたかったです。
ーーーそして翌年2011年2月に初個展ですね。在廊などなさったんですよね。
竹中:はい。会場2Fで展示をしたのですが、我が家感いっぱいの雰囲気で心地よかったです。
ーーー反応はいかがでしたか。
竹中:自分が作りたいものを80点ほど製作したのですが、皆さん喜ばれる方が多くて安心しました。
ーーーわあ。80点も! 竹中さんの作品はいくつもの工程を重ねてやっと出来上がる作品ですよね。
竹中:そうですね。大変でしたけど頑張りました。
ーーーこうして見ると、作品を披露するたびに気になるお客様が増えて、竹中さんの作品がたくさんの方に注目されるようになっていきますね。そして2011年5月に念願の「クラフトフェアまつもと」に初参加ですね。反応はもちろんよかったですよね。
竹中:初参加だったので、手探りで臨みました。たくさんのお客様に来ていただけたことも嬉しかったのですが、それ以上に驚いたのが、バイヤーさんの挨拶待ちの列でした。いただいた名刺を後で見たら、厚さ10cmになるほどで、本当にびっくりしました。
ーーーええー。それは凄すぎます。お客様だけではなくバイヤーさんも長蛇の列とは! 取扱店も増えましたよね。
竹中:そうですね。ラ・ロンダジルさんも雑誌の取材で私の名前を出してくださったようで、おかげさまでたくさんのお店でも扱ってもらえたのですが、結果制作に行き詰ってしまって、この頃から展示会のみという形でお願いするようになったんです。
作品へ込めること
ーーーなんとなく制作を始めたという2009年からの2年間で、随分環境が変わってしまいましたね。さて、ここからは作品のことをお聞きできればと思います。竹中さんの器に織り込まれた美しい線や水面に咲く花たちのような模様はどこから発想が浮かぶのでしょうか。自然の景色などでしょうか。
竹中:基本、身近なもので目に入ったものから発想を膨らませるんです。例えば家の中の障子の格子枠や食事からでしょうか。自然から得ることはあまりないですね。
ーーーてっきり自然風景から想像するのかと思っていました。なので、お食事の風景からとは驚きです。
竹中:やはりお食事に使っていただけるのが一番嬉しくて、その風景を思い浮かべて模様や色合いなど考えたりするんです。なので、お店に食事に行った時など私だったらこの食材を載せる器はこうしようとか、ついついそういった目線で見てしまうのですよ。
ーーーそこまで考えて制作。お客様にとっては嬉しいことだと思います。
竹中:はい。そのため、なるべく価格なども考慮したりしますね。
ーーーお客様のことを考えてのお気づかい、本当にありがたいです。では最後に竹中さんにとってもみじ市とは何でしょうか。
竹中:3年前に参加させていただいた時は本当に嬉しくて、その時に感じたのが他のクラフトフェアとは空気が違うこと。“ここにくれば何かある”って予感が会場にあふれているので期待感が半端なかったですね。懐かしい感じ、まさに学生の時に参加した文化祭といった感じでしょうか。
ーーーわあ、そんな風に捉えていただけるなんて。竹中さんを知っている方にも、知らない方にも、作品深く満ち溢れている美しさにぜひ触れていただきたいです。ありがとうございました!
《インタビューを終えて》
竹中悠記さんのガラス作家としての姿は、工房を包み込む深い自然の姿のよう。スパッと諦めて未来に動きだす行動の速さ、その時の状況に焦らず、自分に降り注ぐ運命を素直に受け入れる柔軟性、家庭の食卓に彩りを加えようとする、まっすぐな思いなど、どれも良い意味で私の想像していた竹中悠記さん像を塗り替えました。あの宝石のような器がたくさんの人の心を躍らせるのは、竹中さんの人柄が作品をより美しく魅せるからではないでしょうか。
(手紙社 並木裕子)
【制作工程ご紹介】
<石膏型作り>
(1)模様を施したシリコンゴム型に塩ビシートで枠を付けます
(2)耐火石膏を流し入れます
(3)固まるまで待ちます
(4)耐火石膏型からシリコンゴム型を外します
(5)耐火石膏型の修整をし石膏型の完成
<絵付け>
(1)完成した型に、糊で溶いた色ガラスの粉末で絵付けします
(2)わかりやすいように石膏型の裏には絵付けをする色名を記入しています
(3)絵付け完了