もみじ市 in 神代団地,出店者紹介,ジャンル:CRAFT

ivory+安藤由紀

【ivory+安藤由紀プロフィール】
関東から徳島に移住し、ていねいなものづくりをしている木工作家のivory+安藤由紀さん。木を愛し、日々ものづくりについて考える姿勢は作品からも感じられ、紛れもなく同じものは一つとしてありません。安藤さんの小皿を使えば、ちょっとしたおやつタイムが自分だけの特別で大切な時間に変わります。昨年は台湾で行われたイベント「島作」に出展、そこで講演も行い大盛況のうちに幕を閉じました。まだ見ぬ世界を見せてくれる安藤さんの、もみじ市でのパフォーマンスにも注目です。
https://ivory-plus.jimdo.com 

【商品カタログ予習帳】

【ivory+安藤由紀の年表・YEARS】

【ivory+安藤由紀インタビュー】
9月下旬、神奈川県二宮市のパン屋さん「ブーランジェリーヤマシタ」で個展を行なっていたivory +安藤由紀さんの元へ担当・木村が伺いました。扉を開けるとパンの香ばしい香り。窓の外には柿の木が大きな実をつけている。そんな秋の訪れにそっと寄り添うように安藤さんの作品が並べられていました。

高校生の時は毎週家具屋巡り

ーーー高校生の時から家具に興味があったんですね。
安藤:高校3年生の時から家具がすごく好きで、毎週青山の家具屋巡りをしていました。その時代は家具のお店がとても充実していて、家具屋の並ぶ通りが雑誌に載っていたり、興味の惹かれるお店がたくさんありました。休日には地図をプリントアウトして、行きたい家具屋さんがあるところに印をつけて、「明日はこの2軒に行くよ!」と先陣を切って、友だちを連れて行っていました。あの時の思いが、今の根底となっていると思います。本当に貴重な時代で、何の展示を見ても、映画を見ても感動して、全てが体の中に吸収されていく感じがしました。

ーーー家具雑誌が愛読書だったんですね。
安藤:一緒に家具屋巡りをしていた友人のお父さんが、インテリアとデザインの雑誌『ELLE DECOR』を持っていて、お家に遊びに行くたびに虫のように読み漁っていました。

ーーーその思いを抱いて美術大学に?
安藤:そうですね。やはり木の家具を作りたいという思いが強く、木工を専攻できる美術大学に進学しました。

ーーーどんなことを学びましたか?
安藤:木の発注をして、手書きで製図して、木工作品を制作していました。でも実はすごく不器用で、作ることは向いていないんじゃないかって思い始めていて、卒業する時には、まだまだ技術的には足りない部分ばかりだったと思います。そのため、作りたいという思いは持ちつつも作ることは一回諦めて、学生時代から大好きで通っていた家具屋さんに販売スタッフとして就職しました。工房直営のお店なので、工房で作ったものだけを、木の良さを伝えながら販売できるので、とても良い環境でした。

ーーーこの時、ギャラリーで転機となる“ある器”と出会っていますね。
安藤:ある作家さんの、彫りの美しい木の器にとても感銘を受け、こんなの作りたい、こんなの作れる人になりたいと思いました。でも、その時は結局、そのまま仕事を続けることにしました。販売の仕事も奥深く、やりがいのある仕事だったので。

工房体験が大きな転機に

ーーー工房体験が転機となっていますが、それほど大きな出来事があったんですね?
安藤:仕事の一環で、販売員も参加する工房体験をしました。そしたら今まで心の片隅に閉じ込めていた、“作りたい欲”が溢れ出て、止まらなくなってしまいました。次の日からいつも通り仕事をしていても、やはりそれを思い出してしまって、店長からは「顔に作りたいって書いてあるぞ」と言われ、作りたい気持ちがあるなら販売スタッフを辞めて、早く次の道に進んだ方が良いと背中を押してくれました。この時、店長が言ってくれなかったら悶々としたまま、家具の販売スタッフをしていたかもしれません。感謝しかないですね。

ーーー今お話を聞いていても、当時の全身から出てくる気持ちが想像できます。それから販売スタッフを辞めて、木工の専門学校に1年通われていますね。
安藤:どうしたら作ることを仕事にできるだろうと考えて、木工教室には通っていました。ですが、大学のときに習ったことはそれほど細かいところまで習得できていなくて、やはり改めて勉強しなければと思い長野県の上松技術専門校という職業訓練校に通うことに決めました。とても技術力のある先生がいらっしゃったり、名のある木工作家さんは結構この学校に通われていた方が多いです。でも、実はこの学校への試験にも一度落ちたんです。不器用すぎて(笑)。

ーーーえ! そうなんですか。繰り上げ合格ですか?
安藤:算数が苦手なのと、不器用すぎて学校側からこの子は無理だと判断されたんだと思います。でも、試験の面接で、それまでコツコツ作っていた作品集を見せて、こういう作品を作って、こういう生活道具を作る人になりたいんです、という思いだけは伝えていて。その時の自分の訴えを先生が汲み取ってくれて、この子はやる気があると言ってくれたようで、補欠から繰り上げで入学できたというわけです。振り返ると、こういう風に導いてくれる方のおかげで自分のやりたいことに辿りつけたとわかり、奇跡の連続だなと思いますね。先生は今も応援してくれていて、活動していることを喜んでくれています。

徳島への移住

ーーーすぐに独立はされなかったんですね。
安藤:すぐに独立するのは難しそうなので、一回どこかで修行させてもらおうと思い、就職を考えました。

ーーーどうやって修行できる場所を見つけたんですか?
安藤:東京にいる時、ギャラリーで受付の仕事をしたんですが、ちょうど木の家具の展示が行われていたことがあって、そこにとても気になる作品があったんです。たくさんの木の種類を使って家具が作られていて、それにとても感銘を受けたのを思い出して。どこで作られたんだろうと調べたら徳島にある工房でした。それから先方にお手紙を書いて、そちらで働きたい旨を送ったら、来てみませんかとお返事をいただけました。それが徳島とのご縁です。

ーーーお手紙が、また良いですね。それから修行をしたのち、独立されたんですね。
安藤:そうですね。それからある方と出会って、作品を見ていただいたことがきっかけで、倉敷のクラフトフェアに出展させていただけたり、東京での個展も行えるようになりました。徳島が活動拠点だったので、なかなか自分だけの力では活動の場を広げるのは難しいので、ご縁を繋げてくれる方に感謝しかないですね。

徳島の工房での安藤さん

ーーーそれから転機となる“藍染”に出会っていますね。
安藤:徳島に来て藍染の文化があることを知りました。藍染に関わる人達と出会ったことが最初のきっかけです。

ーーー木の器に染めるアイデアはどこから思いつきましたか?
安藤:友人からの紹介で、同じように県外から徳島に渡り藍染をやりたい、と熱意のあるモノ作りの仲間と出会って(現在のBUAISOUさん)、一緒に何かできたら良いなという思いから、木を染めてみる事が始まりました。最初は染まるのかな、と半信半疑でしたが、染めてみたらとても良い藍色になったので、ワクワクしたことを覚えています。その後すぐに器の注文が入り、藍染の作品が生まれました。

藍染の様子
藍染の様子

ーーー手紙社との関わりはいつからですか?
安藤:手紙社の新居さんが推薦してくれて、手紙舎2nd STORYで作品を扱ってくれるようになりました。もみじ市も第1回目から気になっていて、密かに憧れていたので今こうして出展させてもらえることが本当に嬉しいです。

ーーー昨年は台湾でのイベントにも出店されていたり、どんどん活動の幅が広がっていますね。ホームページで拝見したのですが、講演もされていて、すごいですね。
安藤:人前で話をするのは本当に苦手で、なんで私にオファーが来たんだろうと思いながらも、やってみようと思いお返事をしました。実際、現地の通訳さんがうまくお客様に伝えてくれたので、日本で話をする時より盛り上がっていました(笑)。台湾の人もみんな良い人で、今年また11月に台中で個展をさせていただくのですが、とても楽しみです。

ーーー活動を始めて10年目の節目になると思いますが、実感はありますか?
安藤:家から車で15分ほどのところに、とてもお世話になっているろくろ職人の方がいるんです。その方とお話している中で、積み重ねてきたものは10年あるけど、大したことないなと感じます。まだまだ未熟者だから、「これから再スタートだ!」という気持ちで、活動を続けていきたいなと思いました。その方は今の私にとって、とても大切な存在で、いつも背中を押してくれる、頑張る源になっています。もみじ市でも何か新しいことができればと考え中です。

ーーーもみじ市でどんな作品が並ぶのか、とても楽しみです。本日はありがとうございました。

《インタビューを終えて》
長野の専門学校時代の恩師に個展のハガキを送ったところ、お返事に「不器用の一心」と書いてあったそうです。この言葉は、何でもコツコツと根気強く続けられる人こそ、最後には花を開くという意味でした。作品を見ても、安藤さんのひたむきな努力と、誰よりも木を愛する気持ちが伝わってきます。インタビュー中、“ご縁に感謝“という言葉を何度もおっしゃっていましたが、作品に向き合う姿勢と、熱い思いに、誰もが応援したくなるのではないでしょうか。気温が下がり始める10月、ivory+安藤由紀の木の器を使って、温かいスープなどいかがでしょうか。

(手紙社 木村朱里)

【もみじ市当日の、ivory+安藤由紀さんのブースイメージはこちら!】