もみじ市 in 神代団地,出店者紹介,ジャンル:CRAFT

ユーリ白樺かご

【ユーリ白樺かごプロフィール】
白樺へ深い敬意を抱き、樹皮を自ら採取するところから、かごにするまでのすべてを1人で手がける。そのきっかけは、1995年の夏、北欧の地で出会った白樺の物語。樹齢何百年という木の世界において、白樺の命は70年ほどと短く儚い。それでも厳しい荒地に真っ先に根付き、強く生き抜く姿に深く惚れ込んだ。今日もユーリさんは、白樺の生き方に憧れ、その白樺の魅力を多くの人に伝えたいという一心で、かごを編んでいる。ひとつ手に取ると、心をすっと清めてくれるような心地良さと、力強い生命力が感じられるのは、ユーリさんの白樺に対する純粋な想いが込められているからなのでしょう。
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Instagram:@julikago


【ユーリ白樺かごの年表・YEARS】

【ユーリ白樺かご・ユーリさんインタビュー】
北極圏で恋に落ちてから24年。ひたむきに白樺と向き合い、かごを編み続けてきたユーリさん。なぜそんなにも白樺への愛に溢れ、憧れ続けることができるのでしょうか。その理由と、ユーリさんが白樺とともに歩んできた物語を聞きました。

白樺の物語

ーーーでははじめに、白樺との出会いについて、詳しく聞かせてください。
ユーリ:スウェーデンの会社に就職したのをきっかけに現地で暮らして、そのときに初めて「こんなに白い木があるんだ!」って驚きました。私の出身は瀬戸内海にある小さな島で、スウェーデンに行くまでもずっと神戸で暮らしていたので、寒い地域で育つ白樺は、見たこともなければ、名前さえも知らなかったんです。スウェーデンでは白樺がたくさん自生していて、はるか昔から、その白樺の樹皮でかごを編むことが、生活の中に根付いていました。

ーーーそこで感動されて、ご自身でもかごを編み始めたんですね。
ユーリ:そうですね。白樺という木を初めて知ったのは、1995年の阪神淡路大震災のすぐ後の頃でした。故郷の島と神戸が被災し、大切な人を亡くして。「これから、わたしはどう生きるべきか」と、複雑な思いを抱えていました。でも、北極圏の地で、あの白い白樺の木を見ていたら、自然と癒されていくような感じがして。白樺って、現地では「森の看護師さん」と呼ばれていました。荒れ果てた土地を自ら選んで根を張り、土地を肥やして、豊かな森を育んでいく樹木。見返りを求めず、誰かをいたわるような、慰めるような、そんな存在の木なんですね。木に言葉はなくても、見ていると、自分のなかに伝わってくるものを確かに感じていました。そうしたら、自然と勇気が湧いてきて。今もその感覚は、私のいちばん真ん中にあります。私は物作りが得意とか、かごを編むのが好きというのではなくて、純粋に、白樺という木の役割や使命、その生き方に、すごく感動していて。だから、かごを編み続けています。白樺は、わたしにとって、永遠の憧れの存在です。

白樺と対話するように、樹皮を丁寧に編んでいきます

白樺を求めて北海道へ

ーーー北海道の白樺を使ってかごを編むようになるまでは、どんな経緯が?
ユーリ:スウェーデンから帰国するときに、日本でも北海道なら白樺があると初めて知りました。それくらい、当時は何も知らなかったし、もちろんのこと、北海道には知り合いもいませんでした。でも早く日本の白樺に会いたくて、帰国してすぐに北海道へ。そうしたら、北欧と同じ、白樺がたくさんあって! あの時の高鳴る想いや喜びは、20年経った今でも鮮明に覚えています。というのは、今でも北海道に行く度に、変わらず同じ気持ちで、すごく、すごく、嬉しくなるんです。夏の採取時期には日帰りで何度も北海道へ行くのに、北海道に着いたら、毎回「嬉しい!ありがとう」って。でも、20年前の北海道には、身近にある白樺の樹皮で編んだかごはどこにもなかったんです。ましてや、自ら樹皮を採取して白樺かごを編む方はいませんでしたね。それに、白樺に対する考え方が、スウェーデンとは180度、違っていたんです。スウェーデンでは白樺は“マザーツリー”といわれ、身近にある白樺への現地の人々の敬意のような気持ちを感じましたが、北海道で森林組合や役場など訪ねて行けば行くほど、「白樺はどこにでも生えるけど、水分が多いから役割のない木」という木材としての価値だけで判断されているような印象を受け、永遠に残るべき樹皮が生かされていない状況に、とても驚きました。

ーーー私自身、北海道の出身で、白樺は小さい頃から身近でしたが、土地を豊かにしてくれるなんて知りませんでした。
ユーリ:昔、紙がなかった時代、白樺のそばで生きていた人々は、白樺の樹皮を現代の紙のように用いて、そこに鉄筆で文字を刻んでいました。そして驚くことに、その何百年も前の樹皮が、外国では土の中からきれいな状態でたくさん見つかっているんです。まさに“永遠の樹皮”ですよね。こんなふうに、木も人と同じで、弱い部分と強い部分がある。白樺は樹齢も短く、木部は朽ちて、それは弱さかもしれません。けれど、その短い樹齢を全うするかのように、誰よりも一生懸命に森を開拓して肥やしていく強さがあり、その樹皮というのは、こんなにも柔らかで、しなやかで、丈夫。独特のツヤがあり、輝いています。かごを編んでいると、もう、たくさんの物語、自然と自分のなかに伝わってきて、私こう思うんです。白樺の木が立っている時、樹皮はまるで衣のように木を包んでいますよね。だから、樹皮は白樺の真の姿をずっと見届けてきて、木としては早くに朽ちて倒れても、永遠に樹皮が残ることで、その白樺の物語を伝えてくれているんだって。きっと、樹皮というのは”白樺の手紙”なんです。

ーーー北海道でより多くの人に、白樺の物語が伝わって欲しいです。
ユーリ:ありがとうございます。私の役割、使命は、白樺かごを編んで、白樺の物語を伝え重ねていくこと。その一心です。白樺の手紙で編んだ白樺かごに、使ってくださる方の想い出がたくさんが重なって、それが永遠に受け継がれていく。本当に素敵なことですよね。そんな北海道の白樺かごの物語、伝えたいです。

ーーーこれまでの活動のなかで難しかったことは何ですか?
ユーリ:かごを編みたいと思っても、最初の頃は、材料である樹皮を採取させてもらえなかったことです。北海道では樹皮が生かされず無駄になっているのにもかかわらず、採取しようとすると許可が得られないことに、たくさん悩み続けました。でも、日本には”白樺樹皮のかご”という文化がないのだから、すぐに受け入れてもらえないのも当然ですよね。それで、いつも白樺の木を見上げては思ったのです。だからこそ、白樺の物語を伝えていく必要があることを。荒れ果てた土地を自ら選んで根を張り、土地を肥やして、豊かな森を育んでいく、それが白樺の生き方なのだからって。白樺を見れば、いつも自然と勇気が込みあげてきました。そうして伝え続けていると、白樺以上に、北海道という土地を純粋に愛する気持ちが芽生え、深くなっていきました。すると、人との出逢いがいつも自然とうまれて、いろいろな町の取り組みとして樹皮を採取させていただけたり、応援して一緒に探してくださったり、たくさんの方が声をかけてくれるようになりました。難しいと思うことの過程を経てこそ、本当に大切なことを学べました。わたしにとって大事なのは、樹皮を手に入れてかごを編むことではなく、物語を伝えていくということ。それはその土地を愛し、その気持ちを伝えていく、そういう北海道の白樺の物語なんだということ、身に染みて分かりました。だから、森の手入れをして、いつも自分の足で歩いて、自分の目で、木を見ます。樹皮を自分で採取することも当然ですが、ゼロから自分のすべてを尽くして手をかけて、そのすべての物語をこの白樺かごに込めています。それはぜんぶ、言葉のない白樺が教えてくれたこと。本当に、感謝しかないです。

現在も北海道の白樺を使っています

制作を支える子どもの存在

ーーーご自身の活動の転機として、お子さんの出産を挙げられているんですね。
ユーリ:娘が生まれて自分も母になれたこと、それは本当に大きかったです。子どもの存在が、いつも大きな支えと原動力になっています。白樺は”マザーツリー”ともいわれています。北海道にはたくさんの白樺があり、その一本一本がマザーツリー“母”であるなら、わたしもまた、その一本、一人として、この北海道の白樺の樹皮を編むという物語が、100年先の未来にもあり続けられるよう、いま自分ができること、精一杯しておきたい。それは常に自分のなかにある、揺るぎない想いです。

憧れ続けた白樺カヌー

ーーー2017年に制作された白樺カヌーは、ずっと作りたいと考えられていたんですか?
ユーリ:はい! かごを編み始めた頃から、2017年に作ることを目標に心に決めていました。余談になるのですが、私の名前「ユーリ」はスウェーデン語で「7月」という意味で、私自身も7月生まれ、娘も7月生まれ、白樺に巡り逢えたのも7月で、どれも偶然なのですが「7」という数字が特別なんです。それで2017年に夢をかなえようって、目標に。この身近な木の樹皮で、人が乗る船ができるなんて、すごいことですよね。かごの丈夫さだけでも驚くのに、カヌーまで。白樺の樹皮がどんなにしなやかで丈夫で、水にも強いのか、分かっていただけると思います。白樺カヌーは、白樺と共に生きたネイティブ・アメリカンが作ったのが始まりだそうです。日本でも、いくつかの博物館で白樺カヌーは展示されています。でも、やっぱり、たくさんの方に実際に白樺カヌーに乗っていただきたくて! 白樺樹皮に包まれて、水のうえに浮かぶ心地よさや、すぅーと進む軽やかさと言ったら、もう。

湖に浮かぶ白樺カヌー

ーーーなんだかワクワクしますね! カヌー作りは、ご自身で?
ユーリ:一人では作れないので、各方面で白樺のスペシャリストである仲間4人を強引に誘って、5人で一緒に。この5人というのが、それぞれに国も言葉も年代も違っていて面白かったです。でも、みんな白樺を愛していることだけは同じ。しかも真冬の北極圏にみんなが集まって作ったことや、フィンランドからあの広大なロシアを端から端まで横断して一人で運んできたというのが、いま振り返ってみると、私には大冒険でした。その時は夢中だったから、それが冒険であることが分からなかったのです(笑)。でも、そんなふうにカヌーを作ったことよりも、愛する北海道に白樺カヌーと一緒に帰れて、北海道の湖や川でみんなに乗ってもらえて、その笑顔を見れたとき、いちばん、いちばん、嬉しかったです! 「白樺でみんなを笑顔にしたい」、やっぱり、いつもそれが、わたしの一番の生きがいですね。

乗り心地も良さそうです

愛する白樺と永遠に

ーーー白樺を20年間編み続けているわけですが、嫌いになったことはないのですか?
ユーリ:私、朝、目覚めたとき「今日はどんなことに出会えるんだろう」って、いつもドキドキするんです。それだけ、こうして毎日かごを編んでいても、驚きや発見があるんですよね。毎日、朝から夕方までクタクタになるまで精一杯かごを編み続けています。もう嬉しすぎて、今日という一日を無駄にしたくないから、いつもクタクタになるまで作業してしまう。それで、よい気持ちや心地みたいなもの、それが穏やかに巡りに巡っていること、すごく、すごく、感じるんです。「あぁ、これが、白樺かごを編むということなのだなぁ」って、一日の終わりには、しみじみと感謝の気持ちでいっぱいになります。本当に、北海道の白樺かごを編めることが、もう、嬉しくて、嬉しくて。だから、白樺かごの中には喜びがいっぱい詰まっていますね。それで、そういう気持ちも、白樺かごを使っていただくなかで、自然と確かに伝わっていくと思っているんです。白樺の手紙で編んだ、喜びの白樺かご。目には見えなくても、この気持ちというのは本当に大事で、それこそが、永遠の白樺かごに結ばれていくのだと信じています。

ーーー今後、どんな風に白樺との時間を過ごしていきたいですか?
ユーリ:新しく白樺かごを編むことも大事ですが、いまは直すことを大切に伝えています。機械的に作られたものは、壊れたら捨てられ、新しいものが作られるというサイクルがありますが、私はこれまでの20年の間に作ってきたかごを、繕い、愛しむことを、大事に思っていて。実際に、わたしが17年くらい使っている白樺かごは、色が濃く深くなって、とても表情が豊か。時を経た美しさをまとっています。「直す、繕う」と言っても、難しいことではなく、それを身近に感じていただけるような取り組みをしています。それは白樺かごの未来を考えると、これからすごく大事になってくる部分なんですよね。今回のもみじ市でも、白樺かごのお手入れの材料や道具をご紹介させていただきますが、そうやって手をかけていただくことで、たくさんの愛情が重なっていって、そんな白樺かごが暮らしのなかにある心の豊かさを、伝えていきたい。そしてそれこそが、北海道の白樺かご、日本の白樺かごになっていけたら……そう想い描いています。

北海道の白樺の森にて

《インタビューを終えて》
インタビュー中、白樺が持つ強さや、白樺から感じられる慈悲の心について、何度も繰り返し口にされていたユーリさん。その物語の儚さと、溢れる白樺への愛に心を打たれました。北極圏の地で白樺の物語に魅了されてから24年。かごを作ること、そしていたわることで、白樺の物語がより多くの人に伝わっていくことを願います。

(手紙社 南 怜花)

【もみじ市当日の、ユーリ白樺かごさんのブースイメージはこちら!】