もみじ市 in 神代団地,出店者紹介,ジャンル:ILLUST&DESIGN

つぼいたけし

【つぼいたけしプロフィール】
シンプルなシルエットや、幾何学模様をモチーフとした作品を手がけるイラストレーター・アニメーション作家。学生時代に、デジタルで作るグラフィックや映像に魅了され、アニメーションの世界へ進む。現在は、絵が描かれた紙をくるくる回すことで絵が動いて見える、ゾートロープやソーマトロープといった「視覚玩具」を得意とし、ワークショップやショーを開催。めくるめくひらめきの世界に、子どもも大人もみんな夢中!
http://www.hilameki.com
Instagram:@takeshitsuboi


【つぼいたけしの年表・YEARS】

【つぼいたけしさんインタビュー】
普段はイラストレーター・アニメーション作家として活動するつぼいたけしさん。自身のWebサイト「ひらめきのじかん」では、画面をスクロールすることで楽しめるデジタル作品を公開していますが、アナログな視覚玩具の道に進んだきっかけは一体なんだったのでしょうか。アトリエにお邪魔し、お話を伺ってきました。

転機となった、美術部への入部

ーーー工作や絵を描くことは、幼い頃からお好きだったんですね。
つぼい:やっぱり幼少の時から何かしら作っていましたね。小さいとき、遊ぶことが好き過ぎたんだろうなって思います。親がものづくりの仕事に携わっていたわけではないんですけど、そんなに制限かけてこなかったですね。強いて言うなら、父親は絵を描くのが上手だったなと思います。

ーーーそんな幼少期を経て、高校で美術部に入部されるんですね。
つぼい:1つ目の転機はここですね。ちゃんとものづくりの道を意識しました。美術部には途中で入ったんですよ。入学してすぐじゃなくて。うちの学校の美術部は、他に比べると熱心に指導されていたようです。本当に今でも、まず恩師と言われて思い浮かべるのは、美術部の先生だった人ですね。

ーーーそれまでは何か別の部活動を?
つぼい:それまでは野球をやっていました。なんで辞めたかというと、怪我で断念したんです。格好付けて言うとそんな感じですね(笑)。

ーーー運動部だったんですね! その後美術系の大学に進学されますが、何を専攻されていたんですか?
つぼい:デザインだったんですが、少しややこしくて、デザインの中でも情報デザインの専攻でした。紙のデザインというより、パソコンを使った、マルチメディアのデザイン。それがちやほやされている時代だったんですよね。そこですぐにアニメーションを教えてもらったわけではないんですが、とにかくMac使ってなんか作ろうぜ、みたいなコースで。新しいことをやっていたので、よく分かんないけどカッコイイと思って選びました(笑)。

デジタル作品から、アナログな手法での制作へ

ーーーアニメーションはいつ頃から作り始めたんですか?
つぼい:入ってすぐの頃は、CGで静止画作ったりとか、PhotoshopやIllustratorで絵を描いたりとか……。確か大学3年のときかな、「ディレクター」というアプリケーションで、コマアニメーションを作れるんです。それが、なんかすごいって思ってアニメを始めました。それからVJ(ヴィジュアルジョッキー)もやってみたりして。昔の人はVHSをアナログのミキサーに繋いでガチャガチャやってたんですよね。僕も映像作品はVHSに落とし込んでいました。今更ながら、すごい時代の変化ですよね……。メディアの変化が速過ぎて。

ーーーVHSからDVDに移り変わり、今や全てWEB上で完結する時代ですよね。つぼいさんは、まさにそんなメディアの変遷をたどっているように思えます。
つぼい:本当ですね。さっき話した「ディレクター」は、操作できるCD-ROMを作ることが出来たんですよね。見るだけじゃなくて、ゲームのように遊べるものです。インタラクティブなメディアの走りでした。

ーーーそこで、静止画から動画に興味を持ち始めて、アニメーションなどを作り始めたんですね。
つぼい:インタラクティブ、双方向性、触れると何かが起こる、そんなことを頻繁に言われる時代でした。卒業制作では、単純に模様や文字がスクロールする作品を作りました。残像が面白いと思って。そこでそれを見た先輩から、もっとエンタメが欲しいという意見をもらい、人や車が登場する作品を卒業制作の延長戦として作りました。これもスクロールして見ることができます。

インタラクティブアニメーション「”TRANSCOPE” 2002」
(スクロール作品画像)

ーーーここまではデジタルでの作品制作ですが、紙の視覚玩具を始めるまでにはどういう流れがあったんですか?
つぼい:さっきのスクロールして見るアニメーションの仕組みを説明するために、自分で回して再現できる装置を作ったんですよね。2枚絵が重なっているだけなんですよっていうことを説明するために。ある意味これが、完全オリジナルで初めて作った視覚玩具でした。正直それまでは、昔ながらの視覚玩具を全然意識していなかったんです。でもある日、「あなたがやってるのは昔ながらの視覚玩具の流れですね」って年配の方に言われて気付いたんですよね。「なるほど。知っている人が見るとそう見えるのか、俺がやっているのはそういう流れなのか」と。そしたら、自分オリジナルのことをやりたい以上、源流みたいなものを知っておくべきなのかなと思い、視覚玩具や錯視などを一度ちゃんとやろうと思いました。

仕組みを説明するために作られたアナログ版TRANSCOPEは絵巻物のようになっている

本格的に視覚玩具作家の道へ

初めて開催した個展の様子

ーーー2001年の卒業後から視覚玩具作りを始め、2008年に上京されていますが、上京のきっかけは何かあったんですか?
つぼい:正直、これといって特にないんです(笑)。ただ、出身が三重なので大阪に居続ける理由がなくて。今思うと東京に出たいという思いがあったんでしょうね。大学卒業後はずっとフリーランスで、イラストレーターの仕事をしています。大阪にいたので、Spoonさん(大阪のイラストレーション制作会社)からお仕事をいただくこともありましたね。でも、正直ずっとジレンマがあったんです。やりたい仕事と来る仕事が一致しなくて。そんな中Spoonさん繋がりの先輩に、イラストレーターさんの展示を毎月企画しているバーを紹介してもらって、そこに遊びに行くようになって。あるときオーナーさんに「展示やったら?」って言われて、すぐに「やります」って答えました。なんかもう、何かやらなきゃ、ここでやらなきゃダメだ、みたいな。そこでもう一回、必死になって視覚玩具を作りました。

ーーーそこはイラストではなく、アニメーション、視覚玩具だったんですね。
つぼい:やっぱりアニメーションが好きだったんだと思います。だから、視覚玩具をやろうと思えたんですよね。この展示も、今振り返ると大きな転機でした。そこからちょこちょこ声かけてもらえるようになって、東京のアニメーション界隈の人たちと繋がりが出来て。杉並アニメーションミュージアムでちょっとした展示をやらせてもらえたこともありました。

ーーー最初の展示をきっかけに、次々と展示が続いて、2011年にもみじ市への初出店が決まるんですね。
つぼい:それまでは、自分がやっていることを自分自身で面白いと思っていただけだったんですけど、初めてキュレーションしてくれたのはもみじ市でした。初めて面白いですねって言ってくれたのが、加藤(前手紙社スタッフ)さんだったんですよね。もみじ市に誘ってもらえて、自分のやっていることを認めてもらえたという実感がありました。

ーーーそれまでは視覚玩具の作品制作が中心だったわけですが、そこからグッズへと落とし込むようになるんですね。
つぼい:そう、誘っていただいたものの(作品を売ったことが無かったので)、どうしたらいいんでしょうって(笑)。その前の年は“100人の個展”っていうテーマだったから、「展示でも全然いいんですよ」って完全に任されちゃったんです。とは言いつつも、まぁグッズでも作ってみるかなと思いました。それまでは作品として発表するという考えしか無かったけど、グッズ化するのも悪くないなぁと。

ーーーもみじ市への出店を受けて、新しい落とし込む形が見えて来たんですね。
つぼい:やっぱりそれまで「自分の作品を見てくれ」っていう発想しか無かったんですよね。ところが、キット化していくことでワークショップもできるようになって。つまり視覚玩具って、遊べるものなんだな、みんな結局は遊びたいんだなぁと思うようになりました。作家性とかあんまり無くても良いもんなんだな、そんな境地に到達して来ています(笑)。本当に、みんなの玩具であればって思いますね。

ーーー誰かが遊ぶためものを作られているというイメージが強かったのですが、つぼいさんご自身の中では展示や作家活動が柱になっていたんですね。
つぼい:そうなんですよ。そもそも子どもには通用しないしなぁと思っていました。でも初めてもみじ市に出たときに、頑張って作った視覚玩具を開始1分でぶっ壊されて(笑)。それを見て、あぁもう子どもたちにとっては、どんなことを考えて作ったかということよりも、単純に遊ぶことが大事なんだなぁと思いました。今も姪っ子と遊んでいると感じるんですが、子どもたちって作った先のごっこ遊びがメインなんですよね。ワークショップをやっていてもやっぱり感じます。作って遊ぶまでが大切なんだねぇ……と。あと、完成させすぎちゃダメだということは、去年のまるばやしさんとのコラボで学びましたね。子どもたちが遊ぶ余白をちゃんと作ってあげないといけないんです。あぁそれが工作作家なんだなぁと思いました。

初出店のもみじ市で展示された作品

ーーー周りの遊びたいという欲求を叶えるために作品を作ることになるわけですが、それに対する違和感みたいなものは無かったんですか?
つぼい:それはやっぱりありましたよね。なにせ作品が壊されていくわけですから。今となっては全然、壊されることが一番ベストだとは思っていますけど……。作品は繊細すぎるんですよね。遊びたい欲求に合わせると、より純粋な形になっていく。それって結局、作家性を削っていく作業なんですよ。なので、自分の作家性を出したいという欲求とのジレンマは常にあります。「これあなたの作品なの?」って言われると、どうなんだろうって思いますし。今は遊んでもらうこと優先で、全然疑問を持たなくなりましたけどね。ようやくバランスを保てるようになった気がします。まぁ時と場合で、振り幅があってもいいのかなって。

ーーー東京蚤の市の視覚玩具ショーはどっちの感覚に近いんですか?
つぼい:あれこそ本当に、小池(手紙社スタッフ)さんの無茶振りで(笑)。僕のキャリアの中で一番予想だにしなかった出来事です。もみじ市の打ち上げで、蚤の市で何か出来たら面白いですねって小池さんと話をしていたんですが、そのときは展示を想像していたんです。それがまさかショーだなんて。面白いことをいう人もいるんだなぁと思いましたね。

2018年には、東京蚤の市のキッズステージで視覚玩具ショーを披露

ーーー人前で披露するなんて無かったですもんね!
つぼい:ワークショップはやっていましたが、ステージなんて考えたこともなかったです。大道芸やマジック的なことになるんだって、依頼されて気付きました。そもそも視覚玩具は覗き込んで楽しむものなので、現実的には難しい要素もありますが、世界観はマジシャンのようなところもあったんだなぁって。

ーーー振り返ると、周囲から気付かされたことが多いのですね。
つぼい:そう、周りが可能性を広げてくれた感じがします。特に玩具ショー(笑)。最初はショーと言うより、視覚玩具の先生のような感じでした。科学の先生みたいな。その後、まるばやしさんの工作ショーを見て、なるほどこうやって魅せるのかぁと学びになりましたね。ステージに立つ人って、とにかく分かり易さが大切なんだなと。

ーーー今後やって見たいこととかはありますか?
つぼい:えっ、何かまた無茶振りされそうで怖いですね(笑)。まさに年表の「ドキドキの日々」です……。まぁやっぱり、近くの方が楽しめるので、練り歩きのような形が見せやすいのかなぁとは思っていますね。ステージだとどうしても距離が出てしまうので。もみじ市ではキットを伸ばしたいなと思っています。手作り視覚玩具のおもちゃ屋さんみたいな方向にも広げられるなぁなんて。まだ自分自身何も定まっていなくて、スピードは遅いですけど、色々な道を探っていけたらと思います。

《インタビューを終えて》
今となっては“遊んで楽しむもの”というイメージが強い、つぼいさんの視覚玩具。しかし元々はあくまで展示作品。はじめは遊んでもらうことを目的に作られていなかったとは意外でした。「周囲が勝手に可能性を広げてくれた」とつぼいさんは少し困り気味に話しますが、その表情はどこかそれを楽しんでいるように見えました。まだまだ可能性を秘めた視覚玩具。次はどんな形で新しい世界を見せてくれるのか、私も楽しみでなりません。

(手紙社 南 怜花)

【もみじ市当日の、つぼいたけしさんのブースイメージはこちら!】