もみじ市 in 神代団地,出店者紹介,ジャンル:TEXTILE

YURTAO

【YURTAOプロフィール】
2008年にスタートしたテキスタイルブランド・YURTAO。デザイナーの木下桃子さんは、世界中を旅するなかで出会った景色や文化、人々からインスピレーションを受け、生地を作ります。ぱっと目を引く鮮やかな色遣い、そして生地の用途に合わせて取捨選択された素材には、ぱっと目を引く鮮やかな色遣いと、生地によって変わる素材からは、身につける者を飽きさせない工夫が凝らされています。この夏から秋にかけて、インドを始め各国を旅している木下さんからは新たにどんなアイテムが届くでしょう。あなたの日常にも異国のエッセンスが織り込まれた一品を取り入れていませんか?
http://momokokinoshita.com/wp/

【YURTAOの年表・YEARS】

【YURTAO・木下桃子さんインタビュー】
手紙社のイベントのひとつ、布博でもお馴染みのYURTAO・木下桃子さん。6月の札幌蚤の市&もみじ市に続き、今回、多摩川河川敷でのもみじ市に初出店します。旅からインスピレーションを受け、生地を生むデザイナーの木下さんは8月から9月にかけて、インドを旅していました。インドと聞くと思い浮かぶイメージは、タージ・マハルやガンジス川。ところが、木下さんが足を運んだのは、そのイメージとは遠く離れた地でした。それは、インドの最北部の地、ラダックの奥地、ザンスカール。ヒマラヤ山脈とカラコルム山脈に挟まれた標高3,500mほどの山岳地帯です。旅の間、木下さんが更新するSNSからは、果てしなく険しい山道、臙脂色の袈裟を着た僧侶、山肌にへばりつくように建つ寺院の様子が届きました。一体、どんな旅をし、どんな刺激を受け、そしてこれからの創作活動に活かすのだろう……。帰国した木下さんのもとへ、興味津津の担当・柴田が伺いました。

ザンスカールの山並み
岩肌にへばりつくように建つphuqtal gompa

全ては旅から始まった

ーーーYURTAOさんと「旅」は、とても結びつきが強いイメージです。木下さん自身と旅との関係、YURTAOの活動と旅との関係を聞かせてもらえますか?
木下:中学生の頃から、「将来は旅人になりたい」、「大人になったら遠くに旅をしたい」と漠然と思い浮かべていました。そう思い始めた背景は、学芸員をしていた父親が影響しているのかもしれません。幼い頃から、日本を始め、異国の美術品や工芸品に親しむ場面が多かったんです。高校2年生の頃、美術大学に進学を決めたのですが、1年浪人をしたんです。そのときに、初めて自分自身で旅を計画し、長野に行きました。当時はまだスマートフォンもなく、今のように何でもすぐネットで手配できるわけではありません。手探りで旅をした、その刺激に魅了され、以来、大学進学後も夏はトカラ列島など、国内の隔絶された離島や、冬はアジアを中心とした海外へ足を運ぶようになりました。

ーーー特に記憶に残っている旅はありますか?
木下:大学1年生の時に中国雲南省を南北を旅しました。そのときの出来事は、強烈に覚えています。旅先の雲南省とチベット自治区の境界上で出会ったのは、12年に1度だけ未年に行われる巡礼を行う巡礼者たち。お布団のように分厚い民族衣装に身を包み、岩と石だらけの険しい道を越えて信仰の地に向かっていました。その佇まいと纏っていた民族衣装に、強烈に惹きつけられたんです。「こんなにも鮮やかな民族衣装を日常着にしている民族がいるなんて!」そして「こうした民族が世界にはまだまだ沢山いるのだ」とすごく興奮しました。それ以降、数多くの布を旅の中で目に焼き付けてきました。アンティークでなくとも、文化的に値打ちが高いものではなくとも、1枚の布には、その土地の自然環境、歴史、民族、技法がぎゅっと凝縮された1つの世界が存在していました。翌年の大学2年生のときは、北インドのスイッキムやネパール、3年生のときにはついこの前に旅したのと同じインド北部のラダックへ足を運び、その度に、少数民族の日常に寄り添う布に心震わされました。

今まで出会ったチベット系民族の人達

ーーー旅と布を通じて、その土地や民族を知ったと言っても過言ではないですね! 木下さんの年表を拝見して、意外に思ったのが、卒業されてから、ブランドを立ち上げるまでに3年程の時間があったことです。この間にはどんなことがあったのでしょうか?
木下:そうなんです。大学4年生の途中から、映画の衣装制作に有志で関わるようになり、そこから映像関係の繋がりや、雑誌のスタイリングアシスタントなどを受けるようになりました。企業に就職して働くイメージが自分には持てなかったので、とにかく面白いと思うことにどんどん飛び込み、この先に何をやっていくか探るために本当に色んなことを経験しました。ただ、映像やドラマ、雑誌のスタイリングの仕事はペースがとても早く、自分の日常を放り出してやっていかねばならないと感じたんです。それよりも、もう少し自分のペースで、そして自分が良いと思うものを作りたい、と思い、地元の鎌倉に戻りました。卒業した年の秋から冬に、遅めの卒業旅行と称して、4ヶ月間、大学1年のとき初めて出会ったチベット民族の地へ再び旅をしました。

旅ごとに多くの写真を撮ってきた
民族衣装、祭の装束、家畜を彩る道具、全てが興味をひいた

鎌倉に戻られてから

ーーーその後、鎌倉に戻られてからYURTAOのスタートの基盤となるような期間が始まったんですね
木下:友人づてで、三浦半島に拠点を持つPlantsというアパレルブランドでアルバイトスタッフとして働くことになりました。アルバイトとは言え、スタッフが少ないので制作から販売まで、服が出来上がるほぼ全ての工程に携わることができました。デザイン以外のこと、生地の裁断、シルクスクリーン、染め、縫製などに触れられた経験は、その後、自身のブランドを立ち上げて服を作るときに非常に役立ちました。

ーーーその期間は旅に出られたりしたのでしょうか?
木下:Plantsで働きながらも、1年の内、数ヶ月は旅することを容認してもらえたので、それはすごく有り難かったです。旅は私の人生に欠かせないもので、旅なしの自分は想像できません。ただ、だからといって、昔の夢のように旅に終始した旅人になりたいわけではないんです。旅をしていて色々な人に出会いますが、やはり出会って会話して面白いのは、日常生活できちんと仕事をし、積み重ねている人。だから自分も、旅だけをし続けるのではなくて、仕事としてスキルや経験を積んでいきたいと思っていたんです。

写真を見返すと、1枚1枚ごとにそのときの記憶が溢れ出すそう。

ーーーその後、自身のブランドを立ち上げるのですね?
木下:木下:Plantsで働き始めた翌年に、仕事と平行してYURTAOを立ち上げました。1年目の活動は年に1、2回展示会を行い、友達が見に来てくれる感じでした。それが2年目になると、知らない人がYURTAOの名前をどこかで聞きつけて足を運んでくれるようになったんです。そして4年目、東日本大震災が起きたことから、自分がやりたいことにもっと力を注ぎたい、と思い、Plantsを卒業し、YURTAO一本でやっていく決心をしました。

ーーーYURTAOというブランド名も旅に由来しているのでしょうか
木下:ウズベキスタンやカザフスタンの中央アジアの遊牧民が使う組み立て式のテント「ユルト」に由来します。2008年、中央アジアを旅した時期が、「自分自身の活動をもっとしなくては……」と思っていたタイミングだったこともあって、遊牧民にまつわるものから屋号を取りたいと思いました。「ユルト」は内装に鮮やかな色に染められた羊毛を使った織物が飾られてデコラティブな印象です。昔は美しい毛布やフェルトの敷物で、その家族の裕福さや家柄を表したそうです。たまに友達からからかい半分に「YURTAOのゆる、は“ゆるい”のゆる”でしょ?」なんて言われますが、「ユルト」ですよ!

部屋には本棚いっぱいの書籍が。世界各地の旅にまつわる本も多い。
部屋の中には、世界あちこちから連れて帰ってきた布たちがある。写っているのは、インドのミラーワークやペルーの泥染め

YURTAOと布博と。

ーーーその後、手紙社のイベント・布博に出展されるようになったんですね
木下:確か2012年の東京の布博に初めて出展しました。布博は誘ってもらえたタイミングがすごくよかったんですよね。新しい作品を出す、お客さんの手に取ってもらえる、また新しい作品を作れる、というサイクルが年に2度ある布博のリズムともかみあっていました。イベント自体もエネルギーに満ちていて、個展を行うよりも圧倒的に多くの方に見てもらえる場です。布博を通じて大きな転機が起きたのが2015年。京都で開催された布博で兵庫県西脇市の機織り屋さんに声をかけてもらいました。イベント中に話しをして、翌日にはもう工場に足を運んで打ち合わせさせてもらったんです。それまでYURTAOでは、刺繍の生地や、プリントの生地でアイテムを制作をしていました。織り物の生地は、1人ではとても制作できないし、工場に発注したくてもロットが合わなくて断念していたんです。それが、布博で出会った機織り屋さんは小ロットでも生地を織ってくれるところで。織りだからこその立体感を持ったアイテムを手掛けることができたおかげで、YURTAOの作品の幅がぐっと広がりました。

布博でつながった縁で生まれた織りの生地たち
織り生地で作った洋服たち

これからのYURTAO

ーーー木下さんは今後のYURTAOの活動をどんな風に展開したいと描いていますか?
木下:まずは、鎌倉にもう一度アトリエを設けたいです(※今はご自宅兼アトリエ)。前のアトリエは湿気がひどすぎて、在庫にカビが発生しないように戦うのが大変だったので、そこは注意ですね(笑)。今後の展開は……。うーん、私、大学時代、課題に取り組むときに、コンセプトがあるものを作るのが苦しかったんです。自分のそのときの心に、欲に従って、こんな色にしたい、こんな素材を使いたいって動機を持てることがいいな、と思って、ようやく卒業制作で最初から最後まで好きなものを作れたんです。それが、YURTAOの原点になっています。だからこの先も、その瞬間に良いと思ったものを取り入れたいですし、旅先で出会ったその土地で心惹かれたものを、自身のアイテムに散りばめたいです。今年は「新規の開拓をがんばろう!」とこれまでは見送っていた百貨店の催事などにも積極的に出ています。ただ、これから何年後にこんな風に……、というのはあまり考えずに、「今」の気持ちを大切に、自分自身の心が楽な状態でいたいと思っていて。そうすることが、きっと良いものを作る土台に私の場合はなっていて、そ自分の作る物を通して楽しい、人と社会と繋がっていきたいというモチベーションにもつながっています。

ーーー「YURTAO(ゆるたお)」という響きを初めて耳にしたとき、連想したのは「ゆるやかに、たおやかに」という言葉。実際のところ、YURTAOの由来はそれとは全く異なる言葉からきていましたが、木下さんの活動を支えるポリシーは、ふわりと異国を吹き抜ける風のような、ゆるやかさと、しなやかさ、そして強さを感じさせてくれるものでした。2日間だけ多摩川の河川敷に出現するもみじ市。そこに並ぶYURTAOのブースは、まさに遊牧民の「ユルト」のようですね。今年のもみじ市、河川敷でお会いできるのを楽しみにしています! ありがとうございました。

《インタビューを終えて》
旅を通じ、布を含めた世界中の民芸品を目にした木下さんは、「人の創造というものは、自然から得たものを表現しようとしたところから全て始まった」。そんなことを感じたそうです。と同時に、人間が持つ“創造”に対しての本能と、計り知れない普遍性に強く心打たれたと話します。そして、自身が布の上にデザインを描くとき、その心打たれた本能と普遍性を、「どうにか表したい……」と祈りのような想いと願いを込めているそうです。木下さんのそんな情熱が、もみじ市であなたにも届きますように。

(手紙社 柴田真帆)