【本格麻婆豆腐のお店 かかんプロフィール】
オーナー・小嶋章太さんを筆頭にして、鎌倉の拠点から本格麻婆豆腐に特化したメニューを届けています。その麻婆豆腐の味には、本場四川を経験している私(担当:小池)の舌も大喜び。選べる花椒も魅力です。そして、なにより小嶋さんの「表現したい!」を詰め込んだ、洗練されたお店のしつらえが、より満足感を高めてくれるのです。河川敷に麻婆、さていかに? 満を持しての初出店です。
https://kakanmabo.tumblr.com/
【かかん・小嶋章太さんインタビュー】
人生の始まりからドラマチック。洗練された大人たちと培ってきたセンスで、味・空間・おもてなしの三拍子そろった麻婆豆腐専門店に辿り着いた、かかん梶原店の店主・小嶋章太さん。これまで立ち上げに関わってきたお店も、カフェ界をリードするところばかりでした。そんな小嶋さんのこれまでの道のりについて聞いてみました。
刺激的な10代
ーーーまずは、かかんの麻婆豆腐、本当に美味しいですね! 麻婆豆腐は好きで、四川の現地でも食べたことがありますが、唸りました。花椒が2種類用意されているというのも嬉しいです。
小嶋:ありがとうございます。お陰さまで開店から2年経ち、2店舗とも上々です。花椒は香りに特化したもの、辛味や痺れに特化したものと、それぞれ役割が違うのでお好みで変化をつけて食べていただけたらと。
ーーー小嶋さんの年表も拝見するとなかなか痺れます。名古屋に生まれて小学校上がる頃には東京に。なんとも情熱的なお母さんですね!
小嶋:今、自分がこういう世界にいるのも、母親の行動力(?)の賜物という部分はあります。母親とその彼の周りには面白い人たちがたくさんいて刺激を受けましたし。
ーーー今回コラボをする、金工アクセサリー作家のmitome tsukasaさんも小嶋さんのお母さんと親しいのだそうで。
小嶋:それは知りませんでした(笑)。相変わらず交友関係が広いですね。自由な高校に行かせてくれたり、大人たちに混ぜてくれて、社会を経験させてもらったり、ユニークな少年時代を過ごすことができたと思っています。何と言っても一番の経験は、その彼が「Dexee Diner」を立ち上げることになって、高校生でそこに関わらせてもらえたことですね。
ーーー90年代後半というと、山本宇一さんが東京のカフェのカルチャーを一変させた頃ですよね。Dexee Dinerもその新しいカルチャーの波の中で大きな存在だったかと。
小嶋:まさにその彼は山本さんのところにいて、「このままだと山本さんを超えることができない」と独立してDexeeを作ることになったんです。インテリアや音楽をはじめとした空間がとにかく素敵で、カルチャーの発信地という雰囲気がありました。そこで働けたことも私にとってひとつの分岐点ですね。
独立までの10余年
ーーーDexee Dinerを離れてからは、どんな仕事をしていたんですか?
小嶋:映像に興味があったので、そういった関連のアルバイトをしていました。多い時で4つ掛け持ちして、158連勤とか(笑)。ある時、Dexee時代の仲間から「新しい店を作るから、一緒にやらないか」と声が掛かりました。それが「HOTEL CLASKA」ロビーのカフェバーだったんですけど、Dexee立ち上げの仲間たちが再結集することになったんです。
ーーーここでもCLASKAという象徴的なお店が出てきますね。すぐに「一緒にやろう!」と決めたんですか?
小嶋:いえ、すぐにアルバイトを辞められないこともあり、「無理だ」と断り気味だったんです。そしたら、「一度見に来い」と。行ったら、すでにタイムカードが用意されていて(笑)。もう、あとは成り行きでしたね。
ーーーなんと(笑)。
小嶋:ただ、Dexee時代の仲間とまた一緒に仕事をしたことで、やっぱり店作りって面白いな、と実感しました。そのまま今に至るまで飲食業の世界に身を置くことになるわけです。そして何より、後にかかんの前身「CALLEJERO」を一緒に立ち上げることになるシェフの小出と出会えたことは大きかったですね。
ーーーそれから5年後、またまたカフェ業界にとって大きな出来事である「bills」の立ち上げに。七里ヶ浜のbillsは日本1号店でしたね。
小嶋:腕を買っていただけたことは嬉しかったですね。母親がこっちの方に移住していたり、湘南方面に縁ができた頃でもあったので、そういうタイミングだったのかもしれません。ただ、本当に日本初上陸のお店で爆発的な集客があったので、対お客様のオペレーションなど大変でした。何より、初めて会社という組織に社員として所属したので、ちょっと今までとは勝手も違いました。
ーーーそれでもこれだけのビッグネームを起動させたんですから、さすがというか、経験値の大きさを感じます。すぐに辞めてしまったのはお店側としても大きな痛手だったんじゃないでしょうか。
小嶋:組織に向かないな、というのと、もっと自己表現というか、自分のやりたいことをダイレクトに提供できることがしたいと思って。1年で退社してしまいました。その後は移動式映画館「Cinema Caravan」に参加して、逗子海岸映画祭や「AP BANK」のフェスなどで主にレストランブースを担当したりしていました。
独立、そして「かかん」へ
ーーー2013年にいよいよ独立。本当にやりたいことを始めた30代の幕開けですね。
小嶋:やはり、30歳までに独立したいという思いがありました。CLASKAで得た仲間の小出と、とにかくお金を集めて場所を探してお店を出すことができたんです。これが、今はかかん本店になっている「CALLEJERO」でした。
ーーー表現の場を得たわけですね。
小嶋:“自分の時間”という感じがしましたね。基本的に、これまでやってきたのはキッチンではなくホール。お客様に対するサービスとか、空間作りだったので、料理は創造性を遺憾無く発揮してくれる小出に任せ、自分はいかにお店をエンターテイメントとして仕立てられるかというところを楽しんでいました。
ーーーファンも多かったようですね。とても居心地の良い店だったんだろうな、と想像できます。そんな小嶋さんの“城”を、麻婆豆腐のお店に変えようとなったところがまた驚きです。
小嶋:一番はやはり、「店づくりのワクワクをもう一度」という思いですね。中毒性があるんでしょうか。ちょうどディナーで出していた麻婆豆腐が評判良く、「これに特化できたら面白いんじゃ」と思って、やってみました。自己表現のひとつのかたちですね。最初は、CALLEJEROと並行して、新たにお店を作ったわけですが。
ーーー今の「かかん梶原店」ですね。そういえば梶原(かじわら)とCALLEJERO(カジェヘロ)って響きが似てる気が。
小嶋:それは偶然です(笑)。むしろ響きというなら、「かかん」の方が考えてますよ。
ーーーそういえば「かかん」の由来気になっていました。お店の壁には漢字で「香幹」とも。
小嶋:漢字は後付けなんです。この梶原店の向かいに、「POMPON CAKES BLVD.」というパティスリーがあって、あ、レモンチーズパイが絶品なんですけど! その素敵なお店の「ポンポン」っていう響きと、対になるような音がないかな、というところから「かかん」が浮かびました。「ポンポン、かかん」って、なんとなく昭和な雰囲気もあって良くないですか?
ーーー音だったんですね! この辺りは住宅地ですが、“POMPON CAKES”と“かかん”ができたことで、随分雰囲気というか、カルチャーから変わったんじゃないでしょうか。
小嶋:うまく人の流れはできていると思いますよ。このまま新しいコミュニティーが育ったら、それはまた面白いですね。
ーーーそして、2017年にCALLEJEROも「かかん本店」に変えて、現在は小嶋さんが梶原店、本店を小出さんが運営して、それぞれ独立したお店として進み始めたんですね。
小嶋:それぞれの自己表現の場ですね。小出の方は、料理人としての探究心が強いので、麻婆豆腐もどんどん進化していくと思います。こちらは基本変わらない味で、自分がやっていて楽しいこと……空間作りであったり、イベント出店であったり、そういうことを自由にやっていけたらと思っています。
《インタビューを終えて》
にこやかで、サービス精神旺盛な小嶋さん。それでいてこのセンスの良さ。面白い仲間たちが集まってくるのも頷けます。ドラマチックな経歴ですが、「自分の興味のあることをしたい」「表現できる場を持ちたい」「人を楽しませたい」という芯がバシッと通っていました。30歳での独立など、しっかりと押さえるところは押さえてきた印象です。そんな小嶋さんが率いる「かかん」がもみじ市に持ってくる特製麻婆豆腐。食べた人を満足させないはずがありません。たとえお腹がいっぱいでも、この機会に味わってみて欲しい。
(手紙社 小池伊欧里)