もみじ市 in 神代団地,出店者紹介,ジャンル:CRAFT

柴田菜月

【柴田菜月プロフィール】
やきもの作家。「生活に少しのいろどりを。少しの楽しさを。」をモットーに、マラカスや時計、オブジェなどを制作。彩りは美しく、手触りは心地よく、奏でる音も気持ちよい、思わず笑顔がこぼれるものばかり。なんとも言えない、とぼけた表情に心くすぐられる方が続出! 疲れた心や苛立った気持ちをほぐしてくれるようです。中でも、鳥や猫、うさぎをモチーフにしたシャラシャラと音がなるマラカスがオブジェとしても人気。たまに「巨大なものをつくりたい欲求」が抑えきれなくなり、大きな作品を作り上げたりもするそう。柴田さんは、予想外のトラブルが起きても、ワクワクを味方にして、さらに楽しい作品へと昇華させてしまうパワーの持ち主。同じものはつくれないというだけに、一つひとつの形も違えば、表情も異なるため、お気に召したときは、ぜひ手に取ってみることをおすすめします。ほんわかゆったりとした気分を届けてくれます。

Instagram:@natsuki.shibata

【柴田菜月の年表・YEARS】

【柴田菜月さんインタビュー】
とぼけた表情の動物が魅力的な柴田菜月さんの作品たち。作家としての年表というよりは、その根幹となっているプライベートな部分でのお話を伺いました。柴田菜月さんのユーモアの源があふれています。

猫への愛に溺れ、夢中になる

愛溢れるデッサン。動物への偏愛のかたちともいえる

ーーー柴田さんの作品に動物は欠かせない存在だと思いますが、いつ頃から動物といっしょの生活をされていたんですか?
柴田:実家にいるときは、だいたいずっといましたね。鳥やウサギ、犬がいたときもあったんですけど、特に小学校のころから大学まで、1匹の猫とずっといっしょにいたので、猫への愛情が激しいんだと思います。人とのコミュニケーションより動物とのコミュニケーションのほうが得意みたいになっちゃって……。これなしでは生きていけないという存在だったんです。ずっと抱っこしているとかではないんですけど、ただ、心の支えとしての猫が凄すぎたっていう。でも猫自身は、やはり世話をしてくれる母が一番好きなようでしたけど(笑)。

猫を凝視して書いていた頃のデッサン

ーーー相当な溺愛ぶりだったんですね。具体的にはどんな感じだったんですか?
柴田:例えばですけど、落ちたひげ1本でさえも、愛おしいんです。だから、ヒゲ入れとかをつくって、とっておいたりして。ヒゲをつんつんするだけで、もううれしくて。タッチするとつくタイプのライトがあったんですけど、勉強しているときに、猫が尻尾でつけたり消したりするのを見ながら、ついてるー、消えてるーって、幸せを噛み締めていましたね。相当重い愛ですよ。みんなそうなのかなと思ってましたけど。あとは、ひたすら観察して描いたりしていたのも、溺愛の一種だと思うんです。穴が開くほどみてましたから。まずるのところが可愛くてたまらないとか、その時によおく見すぎたせいだと思います。それが、今の作品に生きているかもしれないですね。もう溺愛というより、偏愛の方が正しいかもしれません。なんでこんなに偏ったちゃったんだろう。“ひとりっこ”っていうのが大きかったかも。兄弟代わりのような気持ちだったのかもしれません。

ーーーー今はなにも飼っていないんですか?
柴田:動物のことを考えすぎて飼えなくなるという、こじらせぶりを発揮しています。留守にもするし、我が家にいるより、もっとかわいがってくれる家があるんじゃないかとか思ってしまって。でも、猫をみると、ついキャーキャーゆっちゃいますね。

爆走! 車への愛

ーーー現在の愛車がパンダだということで、車もお好きなんですよね。そもそも興味を持ったきっかけはなんだったですか?
柴田:小学校の時に「ナイトライダー(注1)」っていう番組が大好きすぎて、再放送なので変な時間帯にやってたんですけど、めちゃくちゃ頑張って、みてましたね。

ーーー車が人間の言葉を喋べるやつですね?
柴田:そうです(笑)。一人っ子で男兄弟もいないのに、本当に夢中で。それがきっかけかもしれないと思って。もうそれくらいしか思いつかないですね(笑)

注1:『ナイトライダー』は、アメリカのカーアクションTVドラマ。私立探偵機関の調査員、マイケル・ナイトと特殊装備を搭載したドリーム・カー『ナイト2000』とともにさまざまな事件を解決する。

ーーーそこから、カーデザイナーのことを知るようになったのは?
柴田:中学の時からの仲良しだった子のお家が、ベスパとミニカーの輸入代理店だったんです。しかも、ベスパを初めて輸入した大元の家の子で。その縁もあって、モーターショーのお手伝いしにいったりしてたら、車にぐぅーんって引っ張られるように、もうどっぷりその世界に浸ってしまいました。一人でモーターショーとか見にいってましたから。だいぶおかしくないですか? 女子高生ですよ(笑) しかも、その頃、よく読んでいたのが、「カー・センサー」とか車の雑誌! 真剣に値段の相場とかを見てました。ずっと値段を追っていて、売っているところが九州だったら、買うはずもないのに「くぅーっっ!!」っていいながら、悔しがっていたくらいです。

ーーー90年代の『olive』でもベスパとか載ってましたよね?
柴田:でも、それとは全く違う流れですよ。なにせ、こっちはモーターショーですから!(笑) 免許が取れる年になったら、もう制服のまま取りに行ってました。

ーーーカーデザイナーを諦めた理由は?
柴田:中学高校は、女子美だったんですけど、自分の学校にはカーデザインを学べるところがなくて……。でも、一時、受験しようと考えたんですけど、そのためだけに時間を割くのが馬鹿らしくなってきちゃって、この学校の中で入れるところにしました。染色とかが色が綺麗だったので、工芸科にしたんです。でも、粘土をペチペチやりはじめたら、カーデザインやるのは、この後でもいいかなと思いはじめて、どんどん陶芸に夢中になってしまい、気づけばカーデザイナーへの道は消滅……。でも、車への愛は、所持欲としては残っていますよ。

ーーー今もずっと古いパンダを乗っていらっしゃいますよね。
柴田:実は、この時に好きになった車を手に入れて、乗ってるんですよ(笑)。

フィンランドに取り憑かれる!

ーーーフィンランドのことは、なにきっかけで夢中に?
柴田:実は、旅を強行プランで組んだことがありまして。それは、タイを旅して帰ってきて、成田に一泊して、次の日からフィンランドというやつです。うっかりそんなスケジュールになっちゃったんですね。その時にフィルムのカメラをずっと持ち歩いてて、タイで撮った写真がカメラの中に入っている状態で、フィンランドでも写真を撮ったんですよ。現像してみて、驚いたのが、その色の違い! タイとフィンランドで、全然色が違ったんですよ。同じ空でも、なんか違う。フィルターがかかったように、それぞれの国の色があるんだなと気づきました。その時に感じたフィンランドの色がたまらなく好きで、そこにあるガラスのものとか陶芸っぽいものとかオブジェが、そこの空気といっしょに見るとすごくいいなと思いました。

それでフィンランドに留学したくて、政府観光局に行ったりしてました。とりつかれたような状態です。その頃は、フィンランドがこんなにも有名じゃなかったから、フィンランド語も習ってはいましたけど、習えるところも2箇所くらいで、ひとつは出版社がやってるような状態でした。そんな中で、フィスカルスというアーティスト村のことを知ったんです。クラフト村みたいな、アーティストの方がたくさん住んでいる場所のことです。今は、もう有名になっているんですけど、英語の資料もあんまりない時にみつけちゃって、行ってきました。そこで泊まったホテルが、涙が出るほど素敵ところで、個人でやってる小さいホテルなんですけど、それぞれにアーティストのものがあるような部屋になっていたんです。環境も、湖があって、羊を飼ってる家があって、散策ができるところがたくさんあって、いろんな工房が点在してて、「もうなんだここ、楽しすぎる!」って感極まりました。ちなみに、その頃、たまたまその街に住んでいる日本人の作家さんにバッタリ会ったんですけど、「こんなところに日本人がいるなんて!」とすごく驚かれました。それほど、マイナーな場所だったんです。

ーーーそれ以降もフィンランドには行かれているんですか?
柴田:行ってますね。フィスカルスにも再訪しましたよ。ホテルはなくなってましたけど、羊はいました。しつこいですね、私(笑)。フィンランドは、地図上で一番上まで行ったこともあります。冬に深夜特急に乗って、扉が凍ってて開かなくなったことや、ニューイヤーを過ごしたりしました。農村にステイしたことがあって、スノーモービルを運転させてもらったこともありますね。今でもまた行きたい国です。

これからの野望
ーーー同じものは作れないとおっしゃっていましたが、昔と今の作品の違いはありますか?
柴田:昔は、もうちょっと動物たち暗い感じだったんですよ、寂しげな感じというか、うつむきがちな感じ。どんどんあっけらかんとしてきちゃって(笑)。フィンランドが好きだったのも、暗い部分がよかったんですよね。大学の時に日光アレルギーがひどくなって、そこから日陰日陰へと。日光に当たっちゃうと肌がただれてひどく荒れるので、本当の日陰の生活でした。余計フィンランドとかの日差しの少ない状態の国に憧れたのかもです。暗い感じに。

初期の作品
この頃の作品はまだ鳴りません(左:初期の作品/右:今の作品)

ーーー今後は、どんなことをやりたいと考えているんですか?
柴田:いろんな国でつくってみたりするのも楽しいなと思っています。本来、旅好きというのも関係してると思うんですけど。デザインだとネット環境があればできると思いますが、陶芸だとそこの場所に行かないとできないので。粘土は、その土地のものを掘るわけだから、めちゃくちゃ土着なんですよ。粘土が取れない土地もあるけど、近くの土を使っているので、大きくいえば、その土地の土ですよね。場所によって、触り心地も全然違うし、水も全然違う。降ってる雨も違うから、粘土になる工程も違う。土が違うと、どういう色の出方をするかがわからないから、おもしろいと思います。ただ、窯って、その場に設置しないとダメなんですよ。でも、陶芸のレジデンスみたいなものが世界に何箇所かあります。土は容易に持って帰っちゃダメそうですしね。出来上がったものにならないと持って帰れなさそうだから、そういうことをやってみたいですね。

ーーーすごくおもしろい試みだと思います! 実現できることを楽しみにしています。楽しいお話をありがとうございました!

《インタビューを終えて》
インタビュー中に、ご自身のことを「なんてしつこい!」と笑いながら話していた柴田さん。私には、好きなものをずっと好きでいられるのは、探究心や好奇心が旺盛だからこそだと映っていました。これまでに何度かお話を聞かせていただいているのですが、その度に新しい発見があり、飽きることがないのは、そのバイタリティーあふれるエネルギーを柴田さんが発しているからだと思っています。いろんなことを笑って受け入れるおおらかさ、そのパワーとセンスが、作品に生かされているのだと思います。これからどんな作品を展開していくのか、本当に楽しみです。

(手紙社 樫尾有羽子)

【もみじ市当日の、柴田菜月さんのブースイメージはこちら!】