【安達知江プロフィール】
ガラス作家。岡山県の山の中、自然に囲まれた小さな工房でガラスのオブジェや器を制作。主にキルンワークという技法を使い、身の回りのささやかな出来事や慣れ親しんだ動物たちを作品にしています。豊かな想像力を武器に、それを作品に投影する技術力は圧巻。安達さんのまっすぐな黒い瞳を通し自然の豊かさや美しさを表現している作品たちに誰もが心惹かれるはず。昨年のもみじ市で披露された絵本のスイミーの世界では、小さくてカラス貝のように黒いスイミーや海の仲間たちを力強く、イキイキと表現してくださり、非売品ながら、そのキラキラと太陽の光を身体中いっぱいに吸い込んだ姿が多くの人の心を響かせてくれました。今年もたくさんの作品がみなさんの心を掴むに違いありません。中でも私は安達さんの制作する少女の表情が大好きです。一見、何か奥に秘めたもの、それは少女が大人になる過程で感じる悲しさだったり、悔しさだったりと、ぶつける先がわからない感情を閉じ込めていますが、瞳の奥は力強くまっすぐ、一歩先を見つめているのです。安達さんの表現力にいつもいつも驚いてばかり、今度はどんな驚きがあるのか楽しみでなりません。
【安達知江さんインタビュー】
瞬きさえも忘れてしまうほど、心の奥へ訴えかけるような作品を生み出す安達知江さん。その豊かな発想の生まれた場所をいくつもの糸をたどりながら担当・並木がお話を伺いました。
ガラス作家への道のり
ーーー今回の年表、“ガラス作家への道遍”と“人生の彩り遍”の2種類あるのですね! なんとも面白い!
安達:そうなんです。現在の私に至る道のりを語る上で、“人生の彩り遍”も必要不可欠だと思ったので入れてみました。楽しみあっての日々、日々あっての制作ですから!
ーーーではまず、ガラス作家としての安達知江さんの道のりを伺いたいと思います。ガラスと出会うのは大学に入学してからとありますが、その前から興味を持っていらしたのですか?
安達:実は母親が備前焼の職人でして。その影響か、小さいころから物を作ることは大好きだったんです。ただ、ガラスを選んだのは、あまのじゃくからで、やるなら慣れ親しんだ陶芸ではないものがいいなあ、と思ったからなんです。
ーーー小さいころから、ものづくりの環境の中で育っていたのですね。親が会社員という一般家庭の中で育った私からしたら、なんとも羨ましいです。そして、その後大学を卒業し、アメリカに滞在。きっかけは何だったのでしょうか。
安達:大学院でアメリカ人の作家さんのアシスタントをしていたことがきっかけで、卒業後もし予定が無いのなら少しの間遊びに来ない? と誘っていただいて。二つ返事で「はい!」と(笑)。渡米後は少し作品づくりのお手伝いもさせて頂きました。
ーーーわあ。いきなりアメリカですか。すごいですね! ここではどんな作品のお手伝いをなさったのですか?
安達:日本ではあまり見ないスケールの大きな作品制作をお手伝いしました。簡単に説明すれば、Glass Step Projectという、ガラスで階段を作るプロジェクトでした。その一段一段に意味のある絵を溶かし込んで。言葉でなかなか表現しづらいですね(笑)。こんなに大きなものは制作したことが無かったですし、国によって空間に対する考えって違うなぁと。渡米中に出会った作家さん達のやりたい! と思ったことに対する熱意やそれにアプローチし始める勢い、その純粋さは今でもお手本になっています。とても良い経験をさせていただきました。
ーーーその国に行ってみないと経験できないことってありますね。帰国後はフリーで活動されたのですか?
安達:いえいえ。とんでもない! その後、地元の吹きガラス工房に入ってアシスタントをさせていただきました。大学の恩師からご縁繋いで頂いて。私も地元なのでありがたいな。と思って決めたのですが、その方は実は岡山では有名なガラス作家さんだったんです。工房に入ってから知って、内心びっくりしました。
ーーーこちらもすごい出会いですね。ここでのアシスタント生活はいかがでしたか? やはり厳しかったのでしょうか。
安達:すごくやりやすかったです。先生が本当に穏やかで素敵なお人柄で。作品にクスッと微笑んでしまうような遊び心があり、その柔軟さにいつも驚いていました。有名になるとそういう部分って出し難くなるんじゃ無いのかな? と思っていた自分の固定概念を恥じましたね。そういう姿勢や抜け感・・とでも言うんでしょうか、実は私自身にも通じるものがあったんですよね。制作に関することはもちろん、さまざなな事項に関しての対応など、ここではたくさんたくさん学ばせていただきました。
転機が不慮の事故!?
ーーーさて、ここで驚いたのが転機の2013年に骨折。何がどうなって、こんなことになったのでしょうか!
安達:実は工房で転んで足首の骨を折ってしまったんです。手術してボルトを入れたりと、完治まで結構な時間がかかってしまいました。
ーーーかなり大きな怪我だったのですね。もちろんガラス工房はお休みなさったのですよね。
安達:そうですね。吹きガラス工房では基本立ち仕事なので、申し訳なかったのですが、お休みさせていただきました。
ーーーなるほど。そして、作品と向き合う時間ができたと。
安達:そうなんです。幸か不幸かたっぷりの時間が急にできたので。キルンワークは基本座り仕事ですから制作も可能だったんですよね。おかげで自分の作品作りに集中することができまして、前から作りたくても時間がなくてできなかったもの、試したかったもの、凄い勢いで、足を引きずりながら制作しました(笑)
ーーーそして翌年の“クラフトフェアまつもと”に初出展。ここでのお客様の反応はいかがでしたか?
安達:一言で言うと反応は良かったです。ほっとしました。2013年の骨折時に今までやりたかったことを一気に実行できたせいか、作品にもまとまった世界観が自然と備わったように感じていたんですよね。それがお客様に上手く伝わったのではないかと思っています。
ーーーここでも出会いはありましたか?
安達:たくさんありましたねぇ。ここで出会ったお客様やバイヤーさんとは今でも繋がっている方がほとんどです。私のことを知ってもらうという意味では、本当に有意義なクラフトフェアでした。
作品に影響を与えるものたち
ーーー2014年に7年勤めた工房から独立されましたね。7年と聞くと長いですが、そこから今までの流れがすごく短く感じますね。
安達:そうですね。工房にいる期間は長かったです。でもここでは本当に多くのことを学ぶことができました。実は今でも制作のために週に何回か通っています。
ーーー独立してから今も繋がっているって素敵ですね。まだまだ学ぶことにあふれているのですね。そして、2017年の台湾の展示。“異なる感覚”とはどんなものだったのでしょうか。
安達:例えばですが、日本では一輪挿しにお花を活けますよね? 日常的な風景だと思うんです。その感覚で台湾へ一輪挿しを持って行きました。そしてお客様からこう質問をされたんです。「これは何に使うんですか?」と。衝撃でした。台湾の皆さん全員がそうとは限らないでしょうが、台湾ではもっと大きな花器にお花を活けるそうなんです。だから小さな花瓶に? が浮かんだそうで。花を活けると言う習慣一つとっても国が違えば生活習慣は異なるわけで、そこに対する文化の差異は当然ありますよね。あぁっ! それだ! 納得! ポンっ! と手を叩きました(笑)文字では理解しているつもりでしたが、実際に肌でその感覚を感じられたことはとても有意義でしたし、ストンと腑に落ちましたね。
ーーー国によって作品の捉え方は様々ですね。安達さんにはぜひ海外でも活躍してほしいです。さて年表に戻りますね。2007年“見えないものと見えるもの展”(「河口龍夫 – 見えないものと見えるもの-」)2016年“ジョルジョ・モランディ展”(「ジョルジョ・モランディ -終わりなき変奏-」)この2つの展示。ご自身の作品に与えるものは大きかったですか?
安達:少なからず与えられたものはありました。「見えないものと見えるもの」は現代アートの展示です。
ーーー具体的にどのような作品だったのですか?
安達:色々とあったのですが、特に印象に残ったのは 「Dark Box」という作品でした。ボルトで封印された鉄の箱の中には新月の夜に閉じ込めた闇が入っている、という趣旨。他にも鉛で種を覆い(種子の形が鉛に浮き出ている)、放射能から命のもとである種子を守る作品や、紙の間に銅線を挟み、紙に水を染み込ませて、出てくる青サビを観察する作品など。コンセプトを表現するために闇雲の素材を使うわけでなく、素材の持つ力や美しさを上手く表現に取り入れてらっしゃって、ユーモアと、どこか工芸的な印象すら受ける不思議な感覚を持った展覧会でした。
ーーー闇の作品などは想像するだけでもドキドキしますね。作品からどんなことを学んだのですか?
安達:見えるものに意識を取られがちですが、見えないものの中には普段、強く意識しないけれど確かにある存在(時間や電気の流れ、命の小さなうごめきなど)があり、それに形を持たせることって面白いかもしれない。と大きなヒントになりました。同時に、見てくださる方の想像力を、豊かに膨らませることができるような見せ方をすることも、今後自分がやりたいことの中では当然ながら大切な要素だな。と改めて考えさせられる展示でした。
ーーーそしてもう一つの「ジョルジョ・モランディ展」こちらの展示はどうでしたか?
安達:こちらは画家の展覧会だったんですが、彼はモチーフを組み合わせ、静物画を繰り返し描いていく作風の持ち主でして。全く同じモチーフを複数枚繰り返して描いているのにもかかわらず、天気や描く時間帯による光の量、その差し込み具合、きっと作者のその時の気持ちの違いなども影響していると思うのですが、それぞれが描かれた状況によってモチーフの見え方が実に多様なんです。小さな変化を丁寧に描くことはこんなにも表現の幅が広がる行為なんだなぁ、とその可能性を教えてくれた展示でした。私自身、日常の風景を繰り返し制作していますが、その方向性に対してそこはかとなく勇気が湧きました。
ーーー2つの展示、共に伺っているだけでも面白いですね。そして安達さんの豊かな表現の幅の中には、外部の展示から取り入れたことも、どんどん吸収していることが興味深かったです。さて最近、安達さんが制作したいものはありますか?
安達:特に作りたいもの。というよりは工房の中で頭の中に浮かんだものや日頃目にして心動かされたたものを忘れないように形にしたい、と思っています。それらを組み合わせてコラージュみたいな感覚で楽しんだり、いろいろやりたいんです。それこそアメリカで学んだ、やりたいことに対して貪欲であること、実践したいなと。
ーーーさて次は安達さんの“人生の彩り遍”です。安達さんといえば、韓流アーティスト・SHINeeですね! 出会いはどんな形で?
安達:出会いは工房で流していたラジオからでした。偶然流れてきたReplayという曲。それがデビュー曲だったんですよね。すごくいい曲だな! この曲はなんだろうと検索したらSHINee。しかもどうやらアイドルらしい! えー! すごい! っと。アイドルという概念が変わった瞬間でもありました。それまで敬遠していたジャンルだったので。
ーーーなんとデビュー曲! 出会いとしては最高ですね。作品にも影響があったりしますか?
安達:いえいえ。こればかりは(笑)。SHINeeと作品制作はまた別物ですね。強いて言えば私のメンタルバランスを整えて頂いている、という点でしょうか(笑)。
ーーーそうなのですね。ではどんなところがお好きなのですか?
安達:1番は曲とパフォーマンスです。作品ごとにその時々のトレンドをうまく取り入れ、昇華させ、結果、その流行りとは一線を画す自分達らしさにしていくパワーが本当に凄いんです。それを10年続けるって簡単なことじゃ無いですよね。勿論メンバーそれぞれの人柄も素敵ですし、アートワークも日本のものとは感覚が違うので、とても面白いです。ポスターを最近まで工房に貼ってました(笑)あと先ほども言いましたが、単純に元気やパワーをもらえるので。なくてはならない存在です。
ーーーなるほど。必要不可欠な存在ですね! そしてこちらはイギリスのRediohead、懐かしいですね。
安達:大好きなバンドです。高校生のときKID Aというアルバムに出会い、それまで聞いていたJpopやJrockの中で固まった固定概念が崩れ去りました。それ以来のファンです。詳しく書けば小論文書けそうですが、簡単に言えば、そのサウンドによってそれまで見えていた景色が変化して見えた。自分の感覚をアップデートしてくれた出会いでした。私にとって音楽は人生にとって欠かせないスパイスで、インスパイアされた感覚、受けた影響は数え切れない程です。そう思えば作品に影響している、と言えますよね(笑)
ーーー人生の潤いとして、感性への刺激として、音楽の果たしている役割も大きいんですね! では最後にもみじ市は安達さんにとってどのような場所でしょうか。
安達:ここにくればきっと楽しいことがある! という場所ですかね。私がよく参加しているクラフトフェアだとジャンルが定まっているじゃないですか。それがもみじ市はクラフト、布、イラストなどたくさんの作家さんが参加されている。そして程よく傾向もまとまっているので、見やすいけれど多彩なものが見られる、そんなイベントだと思いますね。
ーーー作家さんからそう言っていただけることが本当に嬉しいです。今年もぜひワクワクするようなイベントを作っていきたいと思います。ありがとうございました!
《インタビューを終えて》
安達知江さんのユニークな作品が生まれる背景には“良き出会い”が鮮やかな彩りとして添えられています。それは安達さん自身の真っ直ぐな人柄や作品制作に対するぶれない考え、あふれんばかりの豊かな発想がそうさせるのではないでしょうか。そして、これから安達さんの進む道を追わずにいられない私がいるのです。
(手紙社 並木裕子)