もみじ市 in 神代団地,出店者紹介,ジャンル:CRAFT

Chappo

【Chappoプロフィール】
なぜ人は帽子を被るのだろう? 服は着るのが当たり前だし、裸足で出歩くわけにはいかない。でも、帽子がなくたって別に困らないような気もする。20個以上の帽子を持ち、ほぼ毎日何かしら被っている私にとっても、帽子はつかみどころがなく不思議な存在だった。

そんなときに出会ったのが、一般的なものよりも高さのあるChappoの麦わら帽子。珍しい形のその帽子を被りこなすことができるのか、ドキドキしながら試着したのをよく覚えている。ところが、被った瞬間にそんな不安も吹き飛び、いつもとはちょっと違う自分になれたような、胸の高鳴りを感じたのだ。帽子の形に色、使われている素材やちょっとした飾りなど、細部まで考えて作られているChappoの帽子は、シンプルで無駄がない。だからこそ、人が被ることによって初めてその真価を発揮する。被る人の魅力を引き出しつつ、帽子自身も被られることでより一層の輝きを放つように思える。

いまだに帽子を被る理由はよく分からないのだけれど、被るたびにあのとき味わった気持ちが蘇ってきて、鏡を見るのが楽しみになってくる。あなたもChappoの帽子を被って、そんな心ときめく瞬間を積み重ねてみませんか?
https://www.chappo.co/
Instagram:@chappo_suda/@chappo_boushi


【Chappoの年表・YEARS】

【Chappoインタビュー】
須田英治さんと舩越由紀子さんのお2人が手がける帽子ブランド・Chappo。製作場所でもあるご自宅にお邪魔して、担当の藤枝がお話を伺ってきました。

沖縄での日々

ーーー帽子職人の家庭に生まれた須田さん。帽子を作り始める前は何をやっていたんですか?
須田:大学を中退した後は、吉祥寺に住んでいて音楽スタジオで働いていました。下手くそだったけど、バンドもやっていました(笑)。バンドのスタッフをやったり、ツアーについていったり。その後、26歳の時に生まれ育った東京を離れ、沖縄にある映画館で働き始め、その中に古本屋を作ってやっていました。沖縄の映画を撮っている映画監督を中心に、有志の人たちと廃業した映画館を引き継いで復活させた場所なんですけど、昔からその映画監督のファンで。映画館として初めての試みも多く手探りの運営だったので、毎日夜中の2時〜3時まで働いたり本当に大変でした。でも、上司がマニアックだったり、面白い人がいっぱいいて居心地はとても良かったです。その当時は、もみじ市に出ている水縞さんやIRIIRIさん、デハラユキノリさんの作品を仕入れて販売したりしていました。だんだん沖縄の作家さんの作品も取り扱うようになり、そういった作り手の方と繋がりができて、毎週のように遊んだりしているうちに「自分でもものを作りたい」と思うようになりました。元々作るのが好きで、料理や音楽をやったり、絵を描いたりしてたんですけど、全然続かなかったんですよね……。実家が帽子職人だったこともあり、帽子を作ってみようと決意し、2009年の9月に東京に戻ってきました。

Chappoとしての活動開始

ーーー最初からご両親と同じ道に進もうと思っていたわけではないんですね! Chappoの活動を始めてからは、どういったところで展示などをしていたんですか?
須田:最初は実家の仕事をさせてもらっていたのですが、早く別の方法を探さないと生活が……となりました。東京で沖縄の友人の展示を見に行ったお店が「6次元」さんで、6次元さんのご厚意で展示をやらせてもらうことになりました。まだ活動を始めて半年ぐらいで、親にも手伝ってもらいながらでしたが……。
舩越:ちょうどその時に御茶ノ水にある「トライギャラリー」の方達が打ち合わせをしていて、展示を見てしばらくして連絡をくれたんです。それから毎年、トライギャラリーさんでは展示をさせてもらっています。
須田:有名無名を問わず、ギャラリーのお2人が面白いと思ったらきちんと通って作品を見て展示を決められていて、展示の幅も広いので、いろんなジャンルの作家さんのお話も聞けたり、直接お会い出来たり。ギャラリーのお2人には、会うたびに尊敬の気持ちが強くなっています。格好良くてめちゃくちゃ憧れています。右も左も分からなかった頃からずっとお世話になっていて、帽子を続けてこれたのもトライギャラリーさんのおかげだと思います。

ーーー色々な人との出会いを通して、活動の幅も広がっていったのですね。もみじ市には2010年に初参加ですが、それはどういったきっかけで?
須田:友達が編集の仕事をしていて、雑誌『自休自足』の記事を書いていたから北島さん(手紙社代表)と繋がっていたんです。ちょうど帽子を作っている人を探していたらしく、その友達が手紙社のツイッターにコメントをしてくれたことから、手紙社の方が見に来てくれて、もみじ市に参加することになりました。沖縄時代に商品を取り扱っていた水縞さんもちょうど初参加の年で、水縞さんのように前から知っていた人はもちろん、それまでは関わりのなかったジャンルの作家さんとも繋がりができました。活動を始めた最初の頃に、こういう人たちと出会えたのは大きいですね。

作り方を変えた一本の電話

須田:人との出会いという意味では、以前お客さんからかかってきた電話もターニングポイントのひとつになっています。

ーーーお客さんから? 一体どんな内容だったんですか?
須田:その時は松屋銀座で販売をしていたんですけど、ハンチングを見たお客さんが「せっかくいい帽子を作っているのに、縫い代が見えるのが勿体無い」とおっしゃってくれたんです。わざわざそのためだけに電話をかけてくれて。自分でもそう思っていたんですけど、帽子の構造上仕方ないなって。内側のスベリの中の部分なので直接は見えないんですけど、めくれば見えるという場所で。
舩越:それまでは、私が言っても「帽子はこういうものだからしょうがない」としか返してくれなかったんです。
須田:でも、手でまつり縫いをすればいいなって。ハンチングは形によって付け方は変わりますが、その後は他の布の帽子は全部、裏地とスベリを縫いつける方法で作っています。
舩越:自分で言っておいて、そうすることでぐっと工程が増えたり仕上げ方が難しくなったり、形によって縫い方を変えていかないといけないので、私はいつも「俺が仕上げようか?」っていうのを心待ちにしていて(笑)。仕上げは苦手です。

ちっちゃな世界でのものづくり

ーーーお2人の間でも、時に意見をぶつけながら製作されているんですね。帽子を作る時は、それぞれ担当している作業が違うんですか?
須田:何となくは分かれていますが、別にどちらがやってもいいというスタンスで、得意な方や手が空いた方がやっています。作りたい帽子がある時は、個々でやっています。

ーーー新しい帽子を考える時は、お互いにアイディアを出し合ったりするんですか?
須田:まず僕はダサいんですよ。センスがない(笑)。普通はみんな「帽子が作りたいから」という理由で始めたりするけど、作るのが好きというところからスタートしたから、そもそも帽子にそこまで思い入れがないというか、生まれた時からずっと目の前にあったものなので。だから次に作りたいものとかも特に思い浮かばず、そのあたりは任せています。
舩越:私は作るものは別に帽子じゃなくても良かったと思っています。帽子以外にも洋服やバッグ、財布など、身の回りのものを色々作っているのが何でも面白いです。帽子に対しては、知れば知るほど尊敬のような気持ちになって、だんだん作り方も変わってきていて、今は帽子で良かったなと思っています。
須田:自分たちで作ったものはお直しもできるし、目の届く範囲で全部一貫して行える今の形態はいいなと思っています。自分たちは“職人”でもないけど、“作家”でもない。もうちょっとお客さんと近い、ちっちゃな世界で続けていきたいなと思っています。

《インタビューを終えて》
少し遠回りしながらも家業を継ぐことになった須田さんと、全く未知の帽子作りの世界に飛び込むことになった舩越さん。何よりも転機になったのは、たくさんの人と触れ合いながら影響を受けた沖縄での日々だそう。人との出会いからものづくりの道に進み、そこでの繋がりがさらに派生して、今のChappoの活動へと発展してきたのです。今回、様々な巡り合わせを大切にしてきたお二人のお話を伺って、持っている帽子をより愛おしく感じるようになりました。

(手紙社 藤枝 梢)