【大護慎太郎 / atelier coin】
鈍く光る真鍮に繊細な針の形。とある時代の異国で使われていたかのような雰囲気を纏った時計を、東京吉祥寺のアトリエで作り続けています。その時計は、小さな鎚とルーターで細部にまでデザインが施されます。彼の作品は、ドアノブを土台とした砂時計や、木の引き出しに組み込んだ箱時計、振り子の原理で音が鳴るオブジェなど、時を感じるもので溢れています。それらは、自分が使いたくなる時計であると同時に、大切な相手を想い使って欲しくなるときめきを秘めた時計でもあります。
【大護慎太郎 / atelier coin・YEARS】
【atelier coin・大護慎太郎さんインタビュー】
真鍮のケースが特徴的な大護慎太郎 / atelier coinさんの時計。自動巻きや手巻きのもの、最近ではナイロンのベルトと組み合わせたカジュアルなラインを発表したり、日々新しい時計を追い求めています。その大護さんが吉祥寺でお店を始めるに至るまでをお聞きしました。
はじめてのお店
ーーー大護さんは学生時代から作品を作られていたんですよね?
大護:大学では金属をメインに作品など作っていて、いつかは身に付けられるもので、実用性のあるものをメインに作品ができたら良いなと考えていたんです。そうしたとき時計が僕の考えにぴったりと嵌って、卒業後はその道に進もうと決めていました。大手の時計メーカーに入ろうと思って入社試験も受けたことがありますよ。
ーーー作家ではなくて、就職の道も考えたのですね。
大護:結果は最終試験で落ちてしまって、なら自分でやるか! という感じで始めてみました。最初は自宅と外の工房とで製作を続けて、合同展示会や知り合いからオーダーしてもらう時期が続きました。今みたいにネットで情報を発信したりもしていなかったので、直接相手から声を掛けてもらわないと、仕事には繋がっていきませんでした。それがいつの頃か、雑誌「装苑」でニューカマー特集で取り上げてくださったことがあって。
ーーーファッション雑誌として勢いのある装苑さんに掲載されたのですね。反応はどんなものだったのですか?
大護:このときから一気に色々な方に知っていただけるようになりました。それからは、お店を開くために不動産巡りをして、はじめてのアトリエショップが吉祥寺にオープンしました。
ーーーここは僕も伺ったことがあります。階段を上って行った先の扉を開けると、屋根裏部屋のような空間が広がっていて、秘密基地を思わせるお店で大好きでした。
大護:たまたま通りかかった物件で、入り口のところに募集中の張り紙があるのを見つけて、すぐに電話して決めました。元々は事務所として使われていた物件だったので、いちから自分らで作り替えて仕上げたんですよ。銅の洗面台を付けたり、床を貼ってみたり、出来ることは何でもやってみました。そうして週末のみオープンする、最初のお店が出来上がりました。
ーーー入ってすぐ右手に腕時計がずらっと並んでいて、奥の方でコツコツ作業する大護さんの姿が印象的でした。週末だけのお店だったのでなかなか予定が合わず、お店にやっと行けた時の「見つけたぞ!」という感じを今でも覚えています。
大護:あの屋根裏感のある場所が何事にもちょうど良い環境でしたね。自分の手がとどく範囲の距離感と言いますか。しばらくは自分ひとりで製作も、お店の営業もこなしていました。2011年にatelier coinとして会社を設立した時も、それまでは個人ブランドとして作品を作ってきたことの延長でした。それから少しずつお手伝いとして入ってくれるスタッフが入ったりして、本格的に会社として動き出そうと思い始めました。
会社として
ーーーここから同じ吉祥寺でも場所を変え、今のatelier coinがある場所へとやってきたのですよね。
大護:中道通り商店街のこの場所は、ずっと気になっていたところで、前はTシャツを売るお店が入っていたのですが、タイミングよく契約することができて、念願叶った場所にお店を移すことができました。
ーーーアトリエ部分がショップスペースと少し隔てて見える、絶妙なレイアウトのお店ですよね。カチコチと鳴る時計の音と、コツコツとリズムよく刻む金槌の音が、さらに居心地の良さを演出していますよね。
大護:前のお店を開けながら今のお店作りをしていたので、1ヶ月ほどはバタバタとしていました。よく見ていただくと、前のお店で使っていた什器などもあるんですよ。たとえば今、天井を這っている配線を隠すためのパイプも、以前使っていたものを加工したりして。知り合いの作家さんに小屋を作ってもらって、納得ができるお店になりました。
ーーー1ヶ月ほどで準備してしまうとは……。恐れ入ります。
大護:今のお店になってから徐々にスタッフが増えいき、ひとりでお店を開けていなくても良くなっていったので、積極的に外に出ていくことができました。外部のイベントなどもその頃から出させてもらうようになりました。自分の作ったものを、しっかり見ていただける場がお店としてあり、イベントではさらに遠くの人にも知ってもらえる機会が増えました。それまで以上に、手にとってもらえるようにもなって、人との繋がりも増えていきました。そもそも会社としてしっかりやっていこうと思ったのも、僕の作った時計が何世代にも継いで使われていったら良いな、という気持ちが元にあるんです。個人のブランドではなく、「atelier coin」の時計として残していきたい、それが会社にしたきっかけです。
ーーー今ではたくさんの仲間に囲まれた賑やかなアトリエになりましたよね。大護さんの時計がこれから先、どこまで広がっていくのか、とても楽しみです。本日はありがとうございました。
《インタビューを終えて》
私がはじめて吉祥寺の1店舗目のお店に伺った時、鉱石のように物静かな佇まいでありながら、鈍く光る腕時計が小さな空間に並んでいたことを、つい先日のことのように覚えています。それから約10年。お店の運営に作家活動、イベントや個展の開催など目まぐるしく変化していった大護慎太郎 / atelier coin。いつまでも変わらないのは、丁寧で柔らな物腰と、時計に向ける情熱。使う人のことを誰よりも想っている大護慎太郎さんの時計は、きっと多くの人の手に渡っていき、これから先、何年も、何十年も、さらにその先も、大事にされて続けていくことでしょう。
(手紙社 上野 樹)
【もみじ市当日の、大護慎太郎 / atelier coinさんのブースイメージはこちら!】