もみじ市 in 神代団地,出店者紹介,ジャンル:ENTERTAINMENTetc.

hokuri(出品のみ)

【hokuriプロフィール】
西荻窪にサロンを構えるhokuri。建築を学んだというネイリスト・上間美絵さんがお客さんの話しを聞きながら、その人だけのネイルを施してくれるサロンです。初めてhokuriのネイルを見たとき、自分自身を心地よくする為に、自分自身が嬉しいと思う為に爪を美しくしてもいいんだよ、そう言ってもらえたようで、福々とした気持ちになったことを鮮明に覚えています。部屋に花をいけるように、いい匂いの布団で眠るように、美しい爪を携えて暮らす。自分自身が心地よく生きる為に。なんて素敵なんだろう。自分の体で唯一じっくりと観ることができて、自由に触れることができる爪。指先を美しくすることをもっと身近にしてほしい、という想いのもと生まれたというネイルシールも、バリエーション豊かに制作・販売を続けています。hokuriのネイルで「ホクリ」と幸せな気持ちを体験してみてくださいね。
http://hokuri.jp


【商品カタログ予習帳】

【hokuriの年表・YEARS】

【hokuri・上間美絵さんインタビュー】
初めてhokuri・上間美絵さんに会ったのは2014年。もみじ市での取材の時でした。hokuriさんは前年の2013年にもみじ市へ初参加。2回目のもみじ市ではネイルシールという物を作ろうと思っている、と静かに闘志を宿した目でそう話してくれました。あれから5年。あの時話していたネイルシールは年々進化を続け、多くの人の爪を彩っています。ネイルをもっと身近に感じて欲しい、爪を美しくすることはとても気持ちのよいことだ、と知って欲しい、そう話す上間さんは、強い意思で常に最前線を走り続けています。hokuriのネイルに心強さを感じるのは、その凛とした強さが爪に宿るからなのかもしれません。


爪を磨くこととの出会い、ネイルライフのスタート!

ーーー年表を拝見してまず驚いたのですが、すでに小学生で爪磨きを始めていたのですね。
上間:はい。そうなんです。爪の縦筋が気になって、磨いてみたら「つるんとなってすごく心地いい!」と思ったのがきっかけです。その当時、ドラッグストアで爪磨きのセットが売っていたんです。小さなビニールの入れ物に爪磨きの道具が綺麗にセットされていて、その道具自体も素敵だな、と思ったのを覚えています。

ーーー私自身も同じ世代、奇しくも同じ仙台で育ちましがたが爪磨きやその道具に注目したことはなかったです。
上間:もともと小さいものの集合体に惹かれる傾向があったのだと思います。とても気になって使ってみました。爪を磨くふわふわした布にザラザラしたクリームをつけて、それを爪に塗って磨くと、本当に“つーるん!”となるんです。それが「気持ちよい」というか「好ましい!」と、快感になりました。当時は、ランドセルに爪磨きセットを入れて持ち歩いていました。磨きすぎると薄くなっちゃうし、ちょっとずつしか磨けないから、伸びてきた分を少しずつ、楽しみに磨いていました。

ーーーご褒美みたいに磨いていたのですね。その頃、私はどんぐりを拾って土に埋めて遊んでるような子供でした。全然違いますね…。
上間:どんぐり! どんぐりで思い出しましたけど、私はどんぐりも磨いてました。帽子の部分を一旦外して、つやつやに磨いて、帽子をかぶせ直したりしてましたね。でも、爪に色を塗ってもいいんだと気付いたのは、随分と後の方です。

ーーーどんぐりまで! 本当に磨くのが大好きだったのですね。色を塗ることには何がきっかけで気づいのですか?
上間:実は、ドリカムがきっかけです。あの当時、朝の連ドラの主題歌をドリカムが歌っていて、その歌詞に「爪に赤いインクを」っていう一節が出てきたんです。それを聞いて、「爪に色を塗る!?」と気が付いて。それからは、当時ドラッグストアで売っていた小さなマニュキュアをたくさん集めていました。

ギャルブームに自身の価値観を揺さぶられる日々!

ーーー初めて爪に色を塗った時のことは覚えていますか?
上間:実は、はっきりは覚えていないんです。でも、ジェニーちゃんのお化粧セットのアイシャドウを爪に塗ったりしていた記憶はありますね。母はマニュキュアを塗らない人だったので、こっそり隠れて塗ったりしてました。高校生の頃には部活の無い日だけステンシルの柄を塗ったりしていましたね。でもその当時はギャルブームだったんです。“アムラー”が多くて、でも私が素敵だと思うのはそうじゃ無い、とその頃から思っていました。

ーーーその後、浜崎あゆみさんが流行ってきますよね。
上間:そうそう! そうなってくると、爪の流行は伸びてくるんです。このままの爪でも可愛く素敵にできるのに、「その長いのつけないといけないんですか?」と思ったのを覚えています。

ーーーあの時の学生生活では独特のコミュニティがあったように思います。みんなが良いと思うものが正しい、というような空気がありましたよね。なかなか、「自分が本当に良いと思うものを好き!」と言いづらい時代でした。
上間:そうなんですよね。時代ですかね。これまでを振り返ると、ギャルブームの中で、常に自分の良いと思うものの価値観を揺さぶられて、確認している感じだったのかもしれません。みんなはこれが良いっていうけれど、「私はそうじゃ無い」と。それと同時に、自由に自分を表現する彼女たちへの憧れのようなものもあったのかもしれません。私自身は「いい子でいたい」と強く思う子供だったので。

ーーー進学の際は建築に進まれたのですね。
上間:建築と美容とで迷って、建築に進みました。これも「いい子でいたい」という思いもあってなんですが、建築もとても好きだったんです。でも、働いてみると思うようにできないことが多くて、自分は3Dよりも平面のデザインをしている時の方が楽しいな、と気付いたのもこの頃です。でもその時期は、今までで一番働いたと思います。だからやりきった感もあって、辞めることができました。この時の経験は今ネイルをする時にもとても役立っているので、無駄ではなかったと思います。

本格的にネイルの世界へ

ーーーここで一つ目の転機、美容の道へ進むのですね
上間:進学の時美容に進むか迷った時には、美容師を考えていたんです。

ーーーネイルをしようとは思っていなかったのですね? 意外です。
上間:そうなんです。進学の時は美容師さんとかメイク関係のものをできればと考えていました。でもこの時は仕事を辞めた時の心の状況もあって、「好きなことをやろう!」と振り切れたのかもしれません。人と一対一で接する仕事がしたい、とも思ったこともあって。「ネイルだ!」と。爪を磨くこと、色を塗るのが好きなことを再認識して、すんなりネイルを勉強しようと思いました。

ーーーそれでネイルの学校に通いはじめられるのですね。
上間:そうなんです。でもこの時もすんなりは決められなくて。その当時、私はネイリストも美容師さんと同じような世界だと思っていたんです。美容師さんは色々なタイプの方がいるじゃないですか、エレガントスタイルを得意とする方とか、カジュアルなスタイルの方、ネイルの世界もそうだと思っていました。

ーーー実際はどうだったのですか?
上間:学校見学に行ったんですが、どの講師の方も髪を巻かれていて、爪のデザインの種類もピンク、水玉、といった世界で。「そうじゃ無い! 私の可愛いと思うものじゃ無い」と思うばかりで、このままじゃ勉強できない、と思っていたのですが、1校だけこんな私も受け入れてくれそうな少人数制のスクールを見つけて、そこに通うことに決めました。ただ、卒業後どこで働こうか、と思った時に今度は自分が働きたい場所がなかったんです。

ーーー今よりも選択肢が少なかったんですね。
上間:そうなんです。ここでもギャルブームが立ちはだかりますね。今のようにシンプルなデザインのサロンというのが全く見つけられなくて。自分が「可愛い、素敵だ」と思うネイルのサロンが無かったんです。これは困ったぞ、と思っていたところに運良く、通っていた学校の直営のサロンができて、そこから声をかけてもらって働き始めました。その後、さらに、自分の思う“良い”を手離さないためにフリーでの活動を始めました。

ーーー自分の良いと思うものを貫かれて、最前線を走られたのですね。
上間:そんなつもりは無かったんですけどね(笑)。戦後、爪を彩る歴史の中で、その道を行った人がいなかったのはラッキーだったな、と思います。

ーーーギャルブーム全盛の時代、流行に縛られたり、みんな同じようなことをする空気だった時代、自分の好きを持ち続けるというのはとても強い心だな、と思うのですが。
上間:元々頑固なところはあると思います。でもその時は、自分のネイルを好きだと言ってくれる人や、もみじ市もまさにそうですが、イベントにも背中を押してもらったなと思います。

イベント初出店、もみじ市への参加

ーーー2013年に初めてもみじ市にご参加いただいたかと思いますが、出店への戸惑いとか躊躇みたいなものはありませんでしたか?
上間:実は声をかけていただく前にもみじ市に行ったことがあって、その時、来ているお客さんを見て、「ここに来ている人たちの爪を綺麗にしたい!」と思いながら帰ったんです。だから、お話いただいたとき、すごく嬉しくて、「はい! ぜひ!」とお返事しました

ーーー手紙社代表の北島もよく言いますが、同じ惑星に住む人たちだ、と感じていただけたんですね。
上間:そうそう!! そうです。野外に関しては、バーでネイルをやらせてもらっていた時に、商店街のイベントに出たことがあって、イメージはつきやすかったです。


ーーーもみじ市は楽しかったですか?
上間:当日はすごく楽しかったです。でも、その時は自分で施術をしたんですが、自分自身が施術をすると、やはりネイルを体験してもらえる限界があって、「今ここに来てくれた人、ブースに来てくれてネイルに少し興味を持ってもらった人にもにネイルの楽しさを知ってもらうにはどうしたらいいんだろう」と考えるきっかけになりました。それで、翌年からネイルシールを作り、販売をし始めました。

ーーー手紙社の店舗でも扱わせていただいていますが、今でも大人気の商品ですね。
「ネイルをもっと身近に感じて欲しい」、「爪を美しくすることはとても気持ちのよいことだ」と知って欲しいんです。楽しんでもらいたいので、気軽に手にとってもらうにはどうしたらいいんだろう、と考えながら作っています。

ーーー年々バリエーションも増えていますね。
上間:「ネイルシールで簡単に爪を可愛くできますよ」と伝えても、「不器用だから」「センスがないから」そう言われてしまうこともあります。だから、どうしたらもっとハードルが下がるだろうかと考えて、工夫しながら作っています。今はそのまま貼ってももOK、組み合わせてもOK、というようなネイルシールを作りたいと思っています。

ーーー今年も、最前線、新しい道を走られているのですね。
上間:気がつくとそうなっていますね(笑)。そういう性分なんですね、きっと。この新しいネイルシールも、もみじ市までに間に合うように制作中です。今きゅうきゅうしてますが、頑張ります。今年のもみじ市ではネイルシールの販売と合わせてブースでの予約制の施術も行おうと思っています。

ーーー販売だけでなく施術も!
上間:ブースに来ていただいた一人でも多くの方にネイルに触れていただきたいです。

ーーーまた新たチャレンジですね。もみじ市の会場でお会いできること、楽しみにしています! ありがとうございました。

《インタビューを終えて》
「この仕事が喜びで、これがなくなってしまったら自分の人生じゃない、自分じゃない」と話す上間さん。インタビューを通して感じたのは、爪を美しくすることへの愛、自身の仕事への愛、そして、同じ時代を生きる私たちへの愛。自分を慈しむこと、自分を肯定することを爪を通して伝えてくれる、hokuri・上間美絵の“YEARS”。柔らかな笑顔の中に秘めた強さで、今年のもみじ市でも最前線を走る姿を見せてくれるはず。

(手紙社 鳥田千春)

【もみじ市当日の、hokuriさんのブースイメージはこちら!】