もみじ市 in mado cafe,出店者紹介,ジャンル:CRAFT

小菅幸子

【小菅幸子プロフィール】
三重県津市の出身で、現在も津にアトリエを構えて活動している陶芸家。今や一大ジャンルとなっている陶ブローチですが、小菅さんがその起点となっていることは疑いようがありません。毎回もみじ市でも大行列ができてしまうほどの人気ですが、同じく陶芸家のご主人、息子さん、そして愛猫・レモンとともに、田んぼにかこまれた長閑な立地のアトリエで日々制作を続けています。今年はどんなモチーフが飛び出してくるのでしょうか? 男性の私(担当:小池)でもコレクションしたくなるような造形の多彩さも小菅さんの大きな魅力です。
http://kosugesachiko.com/

【商品カタログ予習帳】

【小菅幸子の年表・YEARS】

【小菅幸子さんインタビュー】
イマジネーションの豊かさあふれる小菅幸子さんの陶ブローチ。今では陶ブローチを手がける作家さんは増えていますが、小菅さんの多様さとクオリティに敵う作家はそういません。小菅さんから湧き出すように作られているブローチが、どうやって世に出てくるようになったのか、お話を伺いました。

ぼんやりと過ごした少女時代からレコードショップ時代

ーーー小菅さんとご主人・内山太朗さんの共同アトリエ兼お住まいは、津市郊外の田園の中にあって、とても良い雰囲気ですよね。一瞬「島かな?」と思えたり、日本じゃないような気がしたりしました。ここは小菅さんが生まれ育った場所なんですか?
小菅:とっても良い場所なんです。時々窓から高架を走る電車も見えて。私の実家の隣の敷地に作りました。

ーーーこの場所で過ごした子ども時代は、やっぱりものを作ることに興味はあったんですか?
小菅:ものを作るというよりも、絵を観るのが大好きでした。津には、今でも大好きな三重県立美術館があって、印象派とかエコール・ド・パリの頃の作品とか充実してまして。モネ、シャガール、ルノワールとかを観ては「きれいだなぁ」と思っていました。あとは、母が何かを作るのが好きで、私の原点かもしれない紙粘土のブローチをたくさん作ってくれていたんです。

お母さんの作っていた紙粘土ブローチ

ーーーこのクオリティーは、趣味の域を超えてますね! 年表によると、芸術系の大学に行きたい気持ちはあったんですね。高校では美術部とかに入っていたんですか?
小菅:中学・高校とも美術部でした。でもやる気の無い美術部で、私も真剣に活動はしていませんでした。作家への遠回りは続きます。

ーーー大学卒業後も特に手仕事系の仕事に就いたわけではなく?
小菅:鈴鹿の大手レコードショップで働いていて。喫茶tayu-tauのひーちゃんと出会ったのがこのレコードショップでした。

ーーーもみじ市にも出てくれていた喫茶tayu-tauの奥さん、寿代さんですね。ご主人の慎さんも同じ会社だったと聞きました。
小菅:私はまこっちゃん(慎さん)とはその当時直接会ったことはなかったんですよ。東京から新店舗の準備で来ていたみたいで。それから10年経って2人が同じ津市にカフェを開いてくれて、15年経って今度はさらにうちに近い場所に移転してきてくれて、嬉しい気持ちしかないです。

ーーー近所にtayu-tauさんがあるっていうだけで羨ましいですよ。レコードショップで働くということは、音楽も好きなんですね。
小菅:大好きです。職場では担当ジャンルを選ぶことはできなかったんですが、その分知らない音楽もたくさん吸収できて、世界が広がりました。そんな中でフォークミュージックに惹かれていったんですよ。

フォークから民芸、ものづくりへ

ーーーフォークも国によって様々ですよね。日本のフォークはまた違った味わいかもしれませんが。
小菅:欧米のアコースティックを聴いていました。ボブ・ディランとかも含めて。中でもどっぷり浸かったのがグラスゴーですね。スコットランドの。影響を受けてチェロを習って弾いていた時期もあるんです。そして……スターレッツっていうグラスゴーバンドが来日した時に前座を務めたことも(笑)。

ーーーなんと! それはすごいことですね。かなりの腕前だったのでは?
小菅:それが、本当に下手で。少し習っている程度だったので。今はすっかり置物になっています。おばあちゃんになったらまたやろうかな!

ーーーそして、音楽のフォークから民族民芸のフォークに興味は展開していった。
小菅:そうなんです。どうしてそっちの“フォーク”についてあまり知ることがなかったんだろう、と。それから、民芸に関する展示とか施設とかよく廻るようになりました。一番好きで行ったのは、東京の日本民藝館。あとは、松本とか豊田にもありますし、京都の河井寛次郎記念とか、益子の濱田庄司記念館とかも良いですよね。

ーーー2010年代に入って、ちょっとした民芸ブームといいますか、民芸品の新しい見せ方とか魅力とか、可愛さとかが注目されるようになりましたが、その先端を行っていたんですね!
小菅:しみじみと良いですよね。そこから自分でも日々の器を作りたいと思い始めて、陶芸教室に通うことにしたわけです。

陶芸学校での充実した日々

ーーー最初の陶芸教室はなかなかほのぼのしてそうですね。
小菅:老人ホームの中にあって、私以外は80代の方とかばかりで、要はおしゃべりしに来る場所という感じ。なんと言っても教室なのに先生がいなかったので、複雑なものとかちゃんとした器とか、作りたくても方法がわからなかったんです。それで、ブローチなら形さえ作って焼ければできると考えて、ブローチを作り始めることにしました。

ーーー思っていた以上にあっさりと陶ブローチ作りが始まったんですね。
小菅:そう考えると、やっぱり小さい頃の母親のブローチが体の中に染み付いていたのかもしれないですね。ブローチをとにかくたくさん作って、着けて出かけて、褒められるとその人にそのままプレゼントしてしまう、っていう楽しいことを数年続けていました。そうするうちに評判が広まって、友人が始めたお店とかに置いてもらえるようになっていったんです。

ーーー楽しんで作っているっていうのが伝わるから、余計に愛着が湧くんでしょうね。そして、転機となる出来事が!
小菅:自転車で車に撥ねられました(笑)。本当に、その時は全然怪我もなくて、ケロッとしていたので実感が無かったんですが、周りの反応とか、状況を知るにつれて生死が紙一重だったんだということがわかりました。昔のブログにその時のこと書いてありましたよ→

ーーーすごい出来事ですね……。本当に神がかっています。
小菅:この事故で、「人生一度きり、やりたいことをやろう!」と決心しました。本格的に陶芸を学ぶことにしたんです。津市の家から瀬戸市の窯業学校まで片道3時間、5時の始発で通っていました。そして、学校が終わった後に貸し工房でひたすら作って、24時の終電で帰るという生活。

ーーー片道3時間! 大変ではなかったですか?
小菅:それが、全然。むしろすっごい充実した通学でしたよ。本を読む時間がたくさん取れて。長い通勤時間、おすすめです(笑)。そんな時ですね、mado cafeさんから声をかけていただいて、野菜ブローチを作って販売させてもらったんです。特に人気だったのはレンコンで、初のヒット作になりました!

mado cafeでの催事で販売した野菜ブローチ

ーーーmado cafeさんとの仲はここからなんですね。まだレンコンモチーフの可愛さに気付いている人は少ない時代に、目をつけるとはさすが。madoさんはどこで小菅さんを知ったんでしょう?
小菅:当時ブローチを置いてもらっていた友人の古道具屋にmado cafeの柴田さんも行っていて、気に入ってくれたみたいなんですよ。私もmadoさんは知っていて、いいな、と思っていたカフェだったんで声かけてもらって「やったーっ!」でした!

ーーーやりたいことをとことんやり始めると、良い風が吹いてくるものなんですね。
小菅:窯業学校を卒業して、製陶所で働きながら作りまくりました、ブローチを。友人の店で個展をさせてもらったり、1人でイベントに出店したり。あ、1人で出店したり、個展のときはちゃんとコップとかお皿とかも作って出してるんですよ。しっかり作れるんです。学校に行きましたから!

もみじ市、そしてずっと未来

ーーーもみじ市は2014年が初出店で、産休を挟んで今回が5回目の出店となりますね。
小菅:憧れの場だったので、初めて出られて夢のような2日間でした。驚いたのは人の多さで、私のブースにもたくさんの人が来てくださって、行列もできました。それまではどこで展示をしても、出店をしても、そこまでのことは無かったので、もみじ市に来る方々のアンテナの強さがわかりました。過去一番のブレイクでしたよ。

ーーーそれだけ、他にはないブローチを作っているということなんだと思います。モチーフも「こんな意外なものが!」みたいなものが可愛く表現されていたり、新鮮さを失うことが無い。
小菅:やっぱり作りたいと思ったものを作っているからですかね。心惹かれたモチーフはすぐ形になって、それがブローチになって、誰かに褒めてもらって、嬉しい。その繰り返しに幸せを感じます。

ーーー未来年表、ロマンですねぇ……。私も似たようなことを想像することがあります。ひょんなことで自分の身の回りのものが土中に埋まって、何千年後かに発掘される、みたいな。
小菅:夢ですよね。以前アルルの博物館に行った時に、川底から出てきた昔の陶片が飾ってあったんですよ。それを見て「私も!」と夢想しました。それが400年くらい前のものだった気がするんですよね。でも400年前って中世とか? あれ? まあでも、そんな未来を楽しみにしています(笑)。それから最近、私のブローチを「いずれは娘に受け継がせたい」って言ってくださる方がいて。そういうのも素敵だな、と思いましたよ。最初は「陶器のブローチなんて壊れやすそうだから、どうなんだろう?」って考えたこともありました。それでも長く大切にしてくださる人がたくさん。割れてしまって金継ぎしてくださっている人まで! これからも私のブローチがたくさんの人の手に渡っていって欲しいと願っています。そして、もし捨てるならぜひ川に(笑)。

《インタビューを終えて》
小菅さんと話をしていると、とってもポジティブな気分になります。常に背景に感じるのは家族への愛、仲間たちへの愛、そして自分の仕事ブローチ作りへの愛。最近は陶ブローチも増えてきて、小菅さんの影響力を感じることも多い気がします。それでも作品に込められた“良い気”は、なかなか真似できるものではないなと、改めて思いました。そして、普通ならば生死の分かれ目となるような出来事でも、かすり傷で済んでしまうようなところ、それを大きな転機にしてここまで走ってきたところが、なんとも小菅さんらしいお話でした。今年のもみじ市ではどんなブローチがみなさんの元に届くのか、ブースから旅立ってしまう前にしっかり目に焼き付けておきます。

(手紙社 小池伊欧里)