もみじ市 in 神代団地,出店者紹介,ジャンル:CRAFT

妄想工作所

【妄想工作所プロフィール】
主宰の乙幡啓子さんは、妄想工作家として、またライターとして様々な媒体で脱力系工作記事等を連載中。アトリエが手紙舎のご近所というご縁もあって今年8月に実現した展示「ナナメ ウエノ 動物園」には、乙幡さんの新旧快作が結集し斜め上すぎる妄想ワールドが展開されました。その妄想力、もとい発想力によって生み出されるプロダクトには「そうきたか……」と清々しく負けた気分を味わえること必至。もみじ市初参戦です!
https://mousou-kousaku.com/

【妄想工作所の年表・YEARS】

【妄想工作所・乙幡啓子さんインタビュー】
時にムムッと唸らせる、時にヤバッと驚愕させられる、そんな妄想工作を世に放ち続ける乙幡啓子さん。ライターとして歩み始めるまでは、行き止まりと新しい道開拓の連続でした。どんな出来事を乗り越えてきたのか、担当・小池がお話をうかがいました。

アナウンサーでもダンサーでも無かった

ーーー年表、ご生誕の次のトピックが挨拶代わりの挫折ですね。
乙幡:生きていると何かと予想外のことが起こりますよね。

ーーーそもそもアナウンサーになりたいと考えたのはいつ頃からだったんですか?
乙幡:高校2、3年生の頃ですね。当時は女子アナのアイドル化が始まっていたんですけど、そういうのではなくて、硬派なキャスターになりたかったんです。CNNに出るような。だから大学では国際関係を学ぼうと。真面目にひたすら勉強に打ち込む高校生でしたよ。

声質とトークの冴えは流石な乙幡さん(8月、手紙舎 2nd STORYでの個展にて)

ーーーところが、競技ダンスが立ちはだかったんですね。
乙幡:入学すると、新入生をいろんなサークルが勧誘するじゃないですか? その中で競技ダンスのサークルの人から「君スジがいいねぇ!」と褒められまして……。そういう風に言われてしまうと「お、そうなんだ、私には素質があるんだ、この道なんだ」と思ってしまう質で(笑)。見事に競技ダンス漬けの大学生活になりましたね。

ーーー褒められて伸びるタイプなんですね。競技ダンスというと、登美丘高校ダンス部がマドンナの衣装で息の合ったダンスをしている、あのイメージだったんですが、違うんですよね?
乙幡:それじゃないですね。男女がペアで踊る、いわゆる社交ダンスの競技版ですね。とはいえ競技なので、バリッバリの体育会系です。みんなプロを目指して、「勝ちたい!」という思いでやっていました。男女ペアの競技なので、色恋沙汰がからむこともあるんですが、それでも勝つことが第一で、勝てるパートナーと組むための駆け引きのようなところがありましたね。

ーーー小説になりそうな世界ですね。というか、もうなってそうですね。乙幡さんも上を目指していたんですか?
乙幡:プロになるつもりでいましたねぇ。アマチュアですが、全日本選手権でセミファイナルに行ったこともありました。ところがですね、パートナーありきの競技なのでいろいろ難しくて、卒業後先に進めなくなってしまったんですよね。

ーーーそこで、断念、と。
乙幡:はい。もう、すっかり人生計画が崩れました。なにせ、プロになるつもりだったので! 就職氷河期でもあり、もうなりふり構わず入れる会社にとりあえず就職した感じですね。

ナレーターでも無かった

ーーー就職して7年、ついに最初の転機が訪れますね。2000年の「とある出来事」というのは?
乙幡:この時は2つ目の会社で、マーケティングリサーチをやっているところだったんです。それで、会社のお金でPhotoshopなんかを習わせてくれるというので、そういう学校に通わせてもらったんですね。ある時、その学校に「ビデオ教材を作るのでナレーターのボランティア募集」という告知が貼られて、「これは面白そうだ」と応募してやってみたんです。

ーーーアナウンサーを目指していたあの頃が蘇ってきたんですね!
乙幡:はい。それで実際にやってみると、水を得た魚のようでした。我ながら。「これはナレーターになるしかない」と思いましたね。ここで一旦サラリーマン生活から離れた、という意味では大きな転換期でした。

ーーーそして1年が経ち、断念、と。
乙幡:千歳烏山のナレーター養成学校に通い始めたんですが、もう30代に突入していた私はだいぶ遅いスタートだったんですよね。周りは役者出身の人たちばかりで、オーディション受けるのにも気後れする日々でした。そんな状況で、ナレーターの道も断念することになりましたね。

フリーターでも無かった

ーーーナレーターを断念してフリーターになって、それでも悲壮な感じはなかったんですね。
乙幡:そうですね。それなりに楽しく色々と経験できた頃でした。

ーーー職を転々としたおかげで、ライターへの道が拓けたということになりますが、初めての取材はどんな具合だったんでしょう?
乙幡:面白い会社で、社長がバングラディシュ国籍の方で、その部下がフィリピンの方々という環境だったんです。そこで発行していたフリーペーパーの記事を作らせてもらいましてね。ベトナム大使館に行ってインタビューをしたり、普通だったら交わることのない場所を取材できて、まあ楽しかったですよ。

ーーーそんなに楽しい仕事だったんですね。そこでライターに目覚めたんですか?
乙幡:その会社は国際プリペイドカードの事業もやっていて、残念ながらそちらに異動になってしまいまして。そうこうしているうちに会社自体が急に無くなってしまったんですよ。ちょっと怪しかったのかもしれませんね。でも、ライターズハイじゃないですが、書きたい欲が充填されてしまっていたので、ネットで出ていた「ライター募集」に応募していったんです。

ーーーそれで採用されたのが立ち上げられて間もない「デイリーポータルZ」だったんですね!
乙幡:ライター人生が始まりましたね。ちょうど時代もその頃からmixiのコミュニティとか、SNS文化がワッと拡大していったので、ひとつホームというか、旗艦となる発信の場があるだけで色々とお声がかかるようにもなりました。3年経ったころには「これだけでやっていける」とフリーのライターだけで食べていくようになって。

ーーーまさに今の乙幡さんの原点。15年以上連載を続けているわけですもんね。
乙幡:毎度毎度ネタについては苦労することも多いですよ(笑)。

ライターでも無かった?!

ーーー思えば10代の頃に夢見たニュースキャスターという仕事も、取材することとセットですよね。ライターという仕事で夢の一部が叶ったとも?
乙幡:そういう捉え方はできるかもしれませんね。でも、だんだん「おやおや?」と感じることが多くなってしまいました。要は、外のことに興味が続かないというか。それで、自分でネタになるようなものを作って、記事にすることを思いついたわけです。

ーーーおお、革命ですね!
乙幡:なので、最初は工作といっても雑貨的なものではもちろんなくて、“ネタになるもの”を作っていました。

ーーー過去の記事を見ていると、本当に「よくぞここに着目した!」というものがたくさんありました。雑貨を作って売るのが仕事のようになったのは、やはりこの転機となっている「ホッケース」でしょうか?
乙幡:ネタにしていた工作の中でも、ときどき「これ欲しい」って言ってくださることがあって、商品として展開する未来も全く見てなかったわけではないんですが、展示の時にホッケースが完売してしまったことで火が点いた感じですね。それでギフトショー(雑貨の見本市)にはアーティスト・クリエイター部門があって、一般の企業のブースよりお手軽な出展料で参加できるんです。参加してみると大きいお店を含め予想外に扱ってくださるところができまして、全国で20店舗くらいだったでしょうか。それからしばらくは“職業=ホッケース屋”でした(笑)

「ホッケース」からはじまった魚ケースのシリーズ
ジッパーを開くと文字通り“ヒラキ”に

ーーーホッケース屋! 東急ハンズとか、あの辺のお店とのやりとりも乙幡さんが個人でされてたということなんですね。
乙幡:雑貨店を経験したこともなければ、卸をするための商品開発をしたこともなかったので、本当に何もわかってない状況ではありました。それこそ卸の掛け率なんかも。ブログが縁で知り合いになっていたクロスステッチデザイナーの大図まことさんなど、先人に少しアドバイスいただいた程度で。制作、包装、梱包、発送、お店とのやりとり、全部1人でやっていたんで、リアルに叫んでしまうほど大変でした。何をやっているんだ私は、と。その身に染みた経験から、だんだんと企画を持って行ってライセンス料をいただくというやり方にシフトしました。

大図まことさんと知り合うきっかけとなった作品『サーモグラフィーセーター』はもちろん手編み

今とこれから

ーーーホッケース事変を経て、作品もさることながら乙幡さんご自身も「妄想工作家」として色々なメディアに出られるようになりました。
乙幡:最近までは“雑貨屋”と少し距離を置いていたかもしれませんね。例えば5年くらい前に、携帯端末向けテレビ番組からお声がかかって、ラーメンズの片桐仁さんと「また、つまらぬものを作ってしまった」という番組をやらせていただいて。2人でお題に対して工作していく番組だったんです。番組は半年で終了するんですけど、そこに仁さんの後輩だった“たいがー・りー”さんも加わって、今に至るまで定期的にイベントとか展示を開催していますね。そこから広がったつながりも大きいです。2年前には大阪芸短(大阪芸術大学短期大学部)で教授をしているフィギュア界のすごい方、寒河江弘さんから「大阪芸短で『またつま(また、つまらぬものを作ってしまった)』をやって欲しい」とオファーがありまして、その縁からワンフェス(ワンダーフェスティバル=海洋堂主催のフィギュアをはじめとした造形系見本市)に出させてもらったり、『フィギュア王』で連載をもたせてもらったりしました。寒河江さんも調布の人なんですよね。

ーーー乙幡さんも今は調布、といいますか手紙舎から徒歩圏内にアトリエがありますよね。前々からもみじ市や手紙社のことはご存知でしたか?
乙幡:6年前に調布に引っ越してきて、「近所にこんなお店があるんだ!」と。それでもみじ市とか東京蚤の市とかにも遊びに行っていました。先ほど登場した大図まことさんももみじ市に出ていたので、大図さんに手紙社さんと繋いでいただいた感じです。そして今年、手紙舎 2nd STORYでの個展、もみじ市出店と縁が深まりました。個展で来る人来る人に「“意外と”手紙舎の雰囲気に合いますね」なんて言われましたけど(笑)。

ーーーもみじ市のお客さんに乙幡さんの作品がどう捉えられるのか、楽しみで仕方ないです。
乙幡:もみじ市は遊びに来ていて好きなイベントなので、私も楽しみです。こういう流れもあって、今年は「また雑貨作っていきたいな」という気持ちになっていますよ。でもホッケースの苦しみは繰り返しません(笑)。

発表以来海外からも反響の多い『ハトヒール』は会心作のひとつ

《インタビューを終えて》
生み出されてきた乙幡作品から漂うのは“才女”の雰囲気。謀らずも、ダンス、ナレーション、ライターといった経験がバックグラウンドにあるからなのかもしれません。シュールで時に皮肉っぽいユーモアも織り交ぜた作品のイメージもある乙幡さんですが、お話していると不思議な癒しの力を感じます。面白そうなことを引き寄せる力があって、その面白そうなことに純粋に向かって行っている方なんだとわかり「真っ直ぐな変化球」という言葉がなぜか浮かびました。今年は、『ベアリングマ』シリーズ、『神獣べこたち』フィギュアなど、新たな名作が誕生しています。ご自身で3Dプリンタも導入したそうで、もみじ市以降の展開からも目が離せません。

(手紙社 小池伊欧里)

【もみじ市当日の、妄想工作所さんのブースイメージはこちら!】