もみじ市 in 神代団地,出店者紹介,ジャンル:CRAFT

noriyukiwatanabe

【noriyukiwatanabeプロフィール】
しんっと静まった空間にポツンと浮かぶ船。古材、針金、錆びトタンを使用して作られたその船に目を奪われた。特別豪勢なわけではない。はたまた洗練されたデザインなわけでもない。しかし、無骨ながらも作る人のエネルギーを感じることのできる作品に魅了されたのである。noriyukiwatanabeの作品は、奇を衒うところがなくシンプルだ。それ故に、見る人によって受け取り方が変わる。それは、小さい頃にみた船舶かもしれないし、現在あなたの住む家かもしれない。現実的なのにどこか空想的な作品にきっとあなたも惹かれることだろう。
https://www.noriyukiwatanabe.info/
Instagram:@_noriyukiwatanabe_

【商品カタログ予習帳】

【noriyukiwatanabeの年表・YEARS】

【noriyukiwatanabeさんインタビュー】
古木に針金、錆びトタンなどの古材を新しい造形物として蘇らせるnoriyukiwatanabeさんだが、手を動かすことが特別好きだった訳ではないらしい。そんなwatanabeさんが、作家として活動していこうと決めた転機とは? いろんな生き方があると教えてくれるwatanabeさんの歩みを見ていこう。

札幌から東京・山梨へ

ーーーwatanabeさんは北海道のご出身なんですね。
watanabe:北海道の札幌出身で、就職を機に東京に出てきました。北海道の人ってあまり道外に出たがらないんです。でも、僕はそれに疑問を感じていて。きっと外にはもっと面白いことがたくさんあるんだろうなと思っていました。元々東京に憧れもあったので、全国にチェーン展開しているコーヒーの会社に入社しました。勤務地の希望で「東京」と書いて提出し、念願が叶いました。その時、北海道で採用された僕以外の同期はみんな北海道を希望していたみたいです。

ーーー無事希望が通って上京してきたんですね。
watanabe:そうです。最初はお台場の店舗で働いていました。鈴木さんは知らないかと思いますが、当時のお台場はまだ出来立てスポットという感じで、なにもなかったんです。あるのは、フジテレビとジョイポリスくらい。まだゆりかもめが出来たばかりで、水上バスで通勤している人もいたんですよ(笑)。僕は、フジテレビの人たちと毎日同じ電車で通勤していました。

ーーー今のお台場からは想像つきませんね。その後、山梨へ?
watanabe:次の転勤で山梨の甲府へ。僕は土地勘がなくて山梨がどこかもわからず。アルバイトの子に聞いたら、「中央線で1本で行けて東京と近いですよ。池袋くらい栄えてます。」と言われたんです。それを真に受けて、実際に行ってみたら「え?」と(笑)。着いてから、駅周辺とかまわって池袋を探したんですけど、見つけられず……。結局一番栄えていたのは、駅前だったんですよね。

ーーーそこでもコーヒーショップに?
watanabe:駅前にある百貨店のお店に転勤になりました。東京ではハンバーガーショップのようなところで働いていたのですが、ここでは突然サイフォンでコーヒーを淹れることに(笑)。

運命を変えたダイニングバーとの出会い

ーーー2003年に退職されたんですね。何か別にやってみたいことなどあったんですか?
watanabe:これをやりたい! というものがあった訳ではないんですが……。会社員に疲れたというのはあったかもしれません。僕の性格的に会社員は楽しいものではなかった。自分で何かやった方が向いているんじゃないかと思ったんです。

ーーーでは、そこから作家活動を始めたんですか?
watanabe:いや、まだその時は今のような活動はしていませんでした。元々小さい頃から手を動かすことが特別好きという訳ではなく……。ただ、昔から手先は器用だったと思います。中学だかの技術の授業でオルゴールを作る時間があったんです。当時の僕はアディダスにハマっていて、外箱の全面にアディダスのロゴを彫ったんです(笑)。それを今見るととても細かくて、正規品みたいで。昔からきっちりやることが得意だったのかもしれません。

ーーー作家活動でなく、アジア雑貨のお店を始めたんですよね?
watanabe:はい。山梨に転勤になったとき、妻も付いてきてくれて、妻はアジア家具のお店で働いていたんです。それでお店をやってみたいという話になって。僕は元々アジア雑貨に興味はなかったのですが、面白そうだったんで乗っかったんです。実は、それまで海外にも行ったことがなかったんですよ。お店を出せそうな物件を山梨で探したんですが、なかなか条件に見合う物件が見つからず……。そんなときに、元々好きで通っていたダイニングバーが閉店することになり、その物件を取り壊そうとしているという話を聞きました。そこがとてもいい建物で、ぜひ使わせて欲しい! とお願いして、そのままお店として使用させてもらえることに。その物件との出会いが、転機のひとつですね。

仕入れに行った国での一コマ。今の作品へも潜在的に影響しているのでは?

ーーーいったいどんな物件だったんですか?
watanabe:物件というか小屋なんですけど……。近所の人も隣の材木屋の倉庫かと思っているような、錆びトタンを継ぎ接ぎし出来ている小屋なんです。前の店主が自ら建てたそうで、その空間がなんとも言えず、大好きだったんです。元々、古いものとかにも興味はなかったし、アートなどにも教養がないと思っていたんですが、この店に通うようになって、実は興味があったんだな、と気づいたんです。それから、古材や錆びトタンを見つけたら拾うようになり……。僕に大きな影響を与えてくれた小屋でした。

転機となったダイニングバー。ここを拠点に13年間、アジア雑貨店を営む

作家・noriyukiwatanabeまでの道

ーーー2009年から拾った古材を使って作品を作り出したんですね。何かきっかけがあったんですか?
watanabe:特に大きなきっかけはなかったんですが、趣味の延長として拾った古材や錆びトタンを使って、家を作るようになりました。今の作風よりもっとラフで手をかけていないシンプルなものです。時々作っては、お店で販売して、売れたら「やったー!」という感じで(笑)。あとは、友人のアーティストのライブグッズを作ったりしていました。小さなイベントにテーブルひとつで出店したこともありました。昔は、1つ500円で販売していたんですよ。

ーーー1つ500円!? それは破格では……。
watanabe:今思えばそうですね。当時は趣味の延長だったので、とりあえず買ってもらいやすい価格がいいなと思っていたんです。まだ“作品”という認識もなかったですね。

初期の作品

ーーーでは、本格的に作家として活動を始めたのはいつですか?
watanabe:2009年からオブジェを作り始めたんですが、ずっと作り続けていたわけではなく、作っていたときもあるし、3年くらい制作していない時期もあったんです。2017年には、13年続けてきた甲府のお店を閉めて。僕は1-2年ゆっくりしようかなと思っていたんです。そんななか、友人や知人から「お店に置かせて欲しい」「卸して欲しい」という声をいただくことが増えてきて。最初は冗談かと思い流していたんですが、会うたびに言われるので、「本気なのか?」と思い、ここまで言ってもらえるなら本気で作ってみようと思いました。

ーーーwatanabeさんの作品は、古材などを成形して作っているんですよね?
watanabe:そうですね。今は加工することもあります。昔は素材をそのままに使っていました。色味とかも、2年間雨ざらしにした木を使って作ったり……。雨ざらしにすると灰色になるんですよ。今、思うと贅沢ですよね。

ーーー作品には、なにかモチーフなどはあるんですか?
watanabe:モチーフはなくて、見た人に決めてもらえたらと思っています。僕がモチーフを定めてしまったら、見る人はそれにしか見れなくなってしまうじゃないですか。そうじゃなくて、見る人によって自由な解釈をしてほしいんです。お客さんから「昔働いていた工場にそっくり」とか「昔、父が乗っていた船にそっくり」とか言われることがあって、それで話のネタにもなるじゃないですか。それにモチーフがあると、作るのも楽しくないんです。見たものを形に落とし込むのは勉強にはなりますが、変なところを作れない。それがプレッシャーになって、作品が萎縮しちゃうんですよね。模倣するより伸び伸びと適当に作る方が向いているんです。それに、バランスが悪かったりすると、妻がツッコミを入れてくれて……。階段が大きすぎるとか。なるほど、と思って直すと作品がより良くなったり。そのツッコミはありがたいですね。

ーーーその翌年には、クラフトフェアにも参加し始めるんですね。
watanabe:最初は腕試しに出てみようと思って。参加するにも選考があるということすら知らなかったんですよ。最初から通らないだろうと思って応募してみたんですが、次々に通って。でもそれは1年目だけで、2年目は選外が続き……そんなうまくはいかないですよね(笑)。

ーーーイベントに出店してみてどうでしたか?
watanabe:僕はまだ名が知れていないので、知っていただける機会になりましたね。色々な人からお声をかけていただけるようになりました。卸しなどのお話もいただくように。元々、直売価格で値段を設定していたので、卸すとなると条件に合わず……。作品の値段を見直すきっかけになりました。イベントに出るようになって、周りの作家さんからも「安すぎる…..。」と心配されることも多くて(笑)。それに、イベント出店の際に、作品が安いせいでよく売れて、お客様の顔が見れないほど忙しかったんです。それでは、意味がないと思い、イベントを重ねるごとに徐々に値上げしていって、いい塩梅を探りました。あとは、一番価格が安いアイテムだった、定番の作品をなくすことにしました。僕の作風的に一点ものの方が面白いかなと。自分で自分の首を締める形となったんですが(笑)。

これからの行き先

ーーー作家として本格的に活動を始めたwatanabeさんですが、これからはどんな活動をしていきたいですか?
watanabe:クラフトフェアに出るようになって、様々な作家さんの作品を見るようになりました。それはそれは神々しく見えるんです。僕ももっといいものを作りたいとは思っています。あとは、今まで作ったことのないようなものを作り出す予感がしています。今は小さいものがメインなんで、大きな作品も作ってみたいです。あとは、個展などの発表の場を増やしていきたいですね。個展などを通して、表現の幅を広げたいと思っています。

《インタビューを終えて》
手を動かすことが好きだったわけでもなく、古いものが好きだったわけでもない。そんなwatanabeさんを変えた1つのトタン小屋。古材や錆びトタンに再び生を吹き込み形造った作品は、無骨さのなかにwatanabeさんの熱量を感じることができる。初出店となるもみじ市で、watanabeさんにとっても、お客様にとっても、YEARSに刻まれる瞬間があることを願って。

(手紙社・鈴木麻葉)

【もみじ市当日の、noriyukiwatanabeさんのブースイメージはこちら!】