【左藤吹きガラス工房プロフィール】
光を内包し、手仕事の妙を感じるガラスの作品を作り続けている左藤吹きガラス工房・左藤玲朗。沖縄の奥原硝子製造所などで経験を積んだ後、兵庫で工房を開き、現在は千葉の九十九里浜で日々制作をしています。自分が今使いたいものとは何か、と試行錯誤の末に生み出されるガラス作品の数々は、寸分の厚みまでも想いを投影したものばかり。水のように流れるガラスの一瞬の美しさを感じる作品に引き込まれてしまいます。
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【左藤吹きガラス工房・YEARS】
【左藤吹きガラス工房さんインタビュー】
左藤さんの作るガラスは、華美な装飾が無く、一見素朴とも捉えられる形をしています。しかし光を浴びると何色もの色を内包したブルーの美しさを放ち、かつ用途によって緻密に計算された形で、いちど手にすると、虜になってしまうガラス作品です。そうした作品を生み出すため、1000℃以上にもなる窯と、溶けて熱を放つガラスに、日々向き合っている左藤吹きガラス工房。左藤さんがなぜこの世界へ進み、今もなおガラスで暮らしの道具を作り続けるのか、過ごしてきた時代背景を考察しながらお話をお聞きしました。
バブル期とものづくり
ーーー左藤さんは美大を出ていたり、なにか芸術関係のことをされていたのですか?
左藤:一度、美大には入ったものの、途中で辞めた後にものづくりとは関係のない大学に通っていたんです。ただ沖縄に行った時、陶芸やガラスの工芸品などを見て、何か手に職をつけたいと思っていました。最初は陶芸にしようと思っていたのですが、その頃の琉球ガラスは勢いがあって、この世界で食べていこうと思ったのがガラスを志したきっかけです。まだその時はバブル期で、周りは大手企業に就職したりもしていました。その頃自分はというと、大きなガラス工房は観光客で入り乱れ、見物するような所というイメージが強かったので、敢えて小さい工房で修行し、貪欲に周りのものを吸収したいと考えていたんです。その工房では、コップや花瓶、水指などが多く、今の琉球ガラスに比べて色や形は随分シンプルだった気がします。
ーーー沖縄のガラスというと気泡と鮮やかな色をした琉球ガラス、というイメージが強いですよね。
左藤:沖縄って戦後から米軍相手に商売していたので、実はアメリカ寄りのデザインのものが多かったんですよ。今よりもっとシンプルで、実用的なガラス製品でした。そこから国内旅行で他の地域から日本人が観光で訪れるようになって、今の形が出来上がってきたのではないでしょうか。
ーーー昔はテイストが全く違っていたんですね。
左藤:そうですね。沖縄のガラスもですが、吹きガラスでちょっと歪んだ形の作家ものの作風は90年代後半が全盛期で、鮮やかな発色の作品など好まれていました。それから2000年あたりに北欧デザインの流れを汲んだものが取り上げられるようになっていき、シンプルなラインが流行っていったんです。
ーーー北欧デザインでガラスと言うと「ittala」が有名ですよね。
左藤:まさにあの感じの薄さと鮮やかな色、何より日常使いがしやすいデザインというのが多くの人に受け入れられたポイントではないでしょうか。その頃、自分は兵庫で工房を作り、卸の仕事をメインに活動していました。器店や雑貨店といったお店に対しての営業が主で、先程言った北欧デザインに共通するシンプルなガラスを提案して回っていたんです。使い易いのもあり、オーダーは定期的にあってよかったですよ。ただ自分の作りたいものと出来上がるものに差があって、なかなか自分の技術が追いつかず、非常に苦労しました。
ーーー自分が思うものが作れた、と感じるようになったのはいつ頃なのでしょうか。
左藤:もうずっと悩んでいましたよ。それこそ2、3年前までは思うようにならなかった。今では何でも作れると言うわけではなく、ある程度ガラスを扱えるようになった、という方が正しいかもしれません。それまでは何が原因でうまくいかないのか、自己分析が出来ていませんでした。今の作っている色ガラスの発色なんかは15年ほどかかって今の形に落ち着きました。ちょっとした素材の掛け合わせで、緑が濃くなったり黒っぽくなってしまったり、透過色・反射色と言った透けて見える色と、そうでない色のバランスとか、ようやく最近良い色になりました。
自分の力で伝えていく
ーーー素材を自分の思うようにコントロールするというのは、一生付いて回るのでしょうね。
左藤:苦戦しながらも日々お店からの依頼のものを作っていたんですが、その頃、民藝がもてはやされることがあったんですよね。何度もブームになっていたので、冷静に見ていたのですが、陶芸などはとても注目されてました。ガラスと違って、陶芸は随分前からひとつのジャンルとして確立されていて、有名な窯元が地方にあったりと勢いもありました。それで民藝ブームの時はこの窯元がとても繁盛したんです。だけど、それが過ぎたあたりからピタリと窯元の動きが無くなっていくんです。こういう器を作ってほしいとか、そういう依頼が来なくなって仕事にならなくなる。依頼がないと何を作っていいかわからない、自分からどう動いたらわからない、そんな雰囲気でした。芸術家ではなく、あくまで職人と呼ばれるの人たちの現状を見て、何か対策をしなければと感じたのを覚えています。
ーーー民藝ブーム、たしかにありますよね……。今では窯元でも更にクリエイティブな所も増え、自ら発信していく様子を目にします。
左藤:自分はその頃、民藝風の作品とは一括りにされたくなくて。アンティークやブロカントの様式が好きだったので洋風のものが作りたくなっていました。その後今の工房がある千葉・九十九里に移ったんです。
ーーー千葉に移った理由などあったのでしょうか?
左藤:単純に東京に近い場所に行きたくて、その周辺で工房にしやすい条件の所を探していました。やはり東京だとたくさんの人に見てもらえます。千葉に移る前あたりから徐々に卸の仕事を減らしていき、直接お客さんに買ってもらいたいと思うようになりました。
ーーーそれまで順調だった卸を少なくしたのですか?
左藤:卸って上代から何割か引いて販売しますよね。そうすると普通だったら100個売れて元が取れるものが、150個とか200個とか作って売らないといけなくなる。どんどん効率だけを求めていくようになって、ひとつ当たりに掛けられる時間も無くなるわけです。そうなると必然的にクオリティも落ちてしまうし、利益も少なくなる、そんなことを感じるようになりました。新しい作品も作りたいけど、そこに使える時間も無く悪循環に陥ってしまうので、自分の力で販売できるよう仕組みを作っていこうと思うようになりました。
ーーー思い切った決断だったのですね。それまでは卸先が左藤さんのガラスを販売してくれていたけれど、自身での販売となると苦労もありますよね。
左藤:インターネットで販売するのも良いのですが、やはり実物を見ないで買うということに、その時はまだ抵抗がある時代でした。それでも年数回工房を開けて販売会のような形を取ると、たとえ見に来れなくても作り手が販売してるという、血が通ったイメージが伝わって購入に繋がりました。やはり人が作って人が販売している様子が知れると安心して下さるんですよね。
ガラスをデザインするということ
ーーー左藤さんはInstagramも活用したりと、常にどんなガラスを作っているのか一目でわかる工夫もされてますよね。
左藤:インターネットが普及して、ネットショップやSNSが増えたお陰で、ネットに対する敷居が良い意味で低くなりました。やはりInstagramで情報発信をしていると見てくださる方がたくさんいますね。工房だけでの活動でもネットで自分の作品を見てくれる機会がこれだけ増えたので、うまく活用していこうと色々考えています。ネットに加えて、もみじ市のように、野外フェスでの対面販売も続けていきたいですね。直接顔を合わせることで得られる反応は何物にも変えがたいです。
ーーーイベントで販売していて気が付いたことはありますか?
左藤:お客さんの反応もこれまで知らなかった反応でしたが、同じものづくりの知り合いが増えたのが印象的です。僕は美大を出ていたわけでも大きい工房に勤めていたわでもなかったので、周りのガラス仲間がほとんどいませんでした。それが、もみじ市に参加することで、若手の作家さんと意見交換できるようになり、ガラスを取り巻く環境により敏感になりました。第一線で活躍するガラス以外の素材を扱う作家さんとも話せるので、いい刺激になります。
ーーー他の作家さんとの出会いで、左藤さんの視野が広がっていったのですね。左藤さんの作品にはガラス以外にも金属を使用した蓋物などもありますよね。異素材を組み合わせた作品はどのように生まれたのですか?
左藤:元々金属加工には興味があって、2011年の震災でガラスの窯が動かせない時期に作り始めたのがきっかけです。真鍮や鉄を溶接やロウ付けし、壁がけ時計のカバーを作ったり照明を作ったり。インテリアが好きで、そういう方向のガラス作品がこれから作っていけたらと思っています。
ーーー今度はインテリアに! ガラスを使ってどんなことができるのか楽しみですね。
左藤:今度は照明にもっと力を入れていきたいですね、例えばスタンドライトなど。ガラス以外の部分が既製品だと、どうしても全体のバランスに合わなかったりしまうので、そういったところにまで手を入れていきたいです。あとは、作っているガラスの青い色をもっと突き詰めていきたいです。元は沖縄にいた時に見た古いガラス瓶の色が、綺麗な青色をしていて、あれを再現したいと思って試行錯誤していたんです。あの時見た鮮やかな色のガラスで作品が作れたら、そう思います。
ーーーどんどん進化していく左藤さんのガラスをこれからも楽しみにしています。
《インタビューを終えて》
左藤さんのうつわは、ガラスの用途による厚みの違いから、見え方までトータルで考えられたものです。時代の流れを感じとり、その時折で求められるものとはなにかを追求していった結果、機能性と美しさ、どちらも兼ねそろえた左藤吹きガラス工房の作品が生まれたのです。左藤さん自身は、「あくまで自分は職人というよりもデザインをする側だ」とインタビュー中仰っていました。使ってくれる人に想いを馳せ、使いやすい形とは何か、美しさとは何か、今できるガラスとしての最高の形をこれからも作り続けていくのでしょう。
(手紙社 上野 樹)