もみじ市 in mado cafe,出店者紹介,ジャンル:BREAD

七穀ベーカリー

【七穀ベーカリープロフィール】
大阪府寝屋川市・香里園にパン&カフェを構えつつ、日本全国、北から南までさまざまなイベントを飛び回る、別名「飛び出すパン屋」。店主の山本洋代さんが作り出す、自家製酵母のパンと豆乳ドーナツ、「パンとおいしいもの」と題したパンを楽しむためのグロッサリーは、素材を生かした味わいと愛らしい見た目が人気です。2013年に初めて出店し、今年で通算7回目になる常連出店者の1人。レトロ印刷でお菓子のパッケージを自らデザインし製作するなど、クリエイティブな一面もあり、ピュアな人柄と冷めやまらぬパッションで、多くの人の心を掴んで離しません。
http://759bakery.jp

【七穀ベーカリー・山本洋代の年表・YEARS】

【七穀ベーカリー・山本洋代さんインタビュー】
自他共に認める、もみじ市ファンの山本洋代さん。「ミセス・全力投球」山本さんが、どのようにパン作りと出会い、自らのパンを作り出したのか。もみじ市への思いと共に、担当・丸本がその歴史を伺いました。

“10周年”
ーーー“七穀ベーカリー”の屋号を掲げて今年で10年目を迎えられましたね。おめでとうございます!
山本:ありがとうございます! 年表を作成しながら、この10年を振り返ることができました。色んなことがありましたね。

ーーー七穀ベーカリーといえば、自家製酵母のパンと豆乳ドーナツ。そして、山本さんとお母さんの息のあった運営も、ひとつの名物だと思っています。私、いつもお2人を微笑ましく拝見していました。
山本:そうですね。主人とお母さんと出会って、2人が応援してくれたから、ここまでやってこれました。特にお母さんは大事なシーンで背中を押してくれた人なので、お母さんがいなかったら今の七穀ベーカリーの形にはなっていなかったかもしれないです。

ーーーえ、待ってください。お母さまって、ご主人のお母さん……?
山本:そうですよ、義母です! 義母!

ーーーお2人の働きっぷりを拝見していると、誰しもが実母だと疑いませんよ(笑)! お姑さんと、こんな素敵な関係を築いているなんて驚きです! 皆さんの馴れ初めをお聞きたいです。年表に移りましょう!

パンの発送準備中の母(照れ屋なのでこっそり撮影)

パンの世界へ飛び出す山本洋代、同年には結婚も

ーーー2002年。人生のビッグイベントがふんだんに盛り込まれた、変化の1年でしたね! パン屋に転職したきっかけは何だったのでしょうか?
山本:パン教室で作った“不味い”パンです(笑)。食べることが好きな私は、その不味いパンに衝撃を受けましてね、「美味しいパンを作れるようになりたい!」と、パン作りを追求したくなってしまったんです!

思い立ったように事務の仕事を辞めて、パン屋にアルバイトで勤め始めました。パンの仕込みや生地作りを教わるようになってからは、取り憑かれたようにのめり込みましたね。以前から交際していた旦那さんともこの年に結婚したでしょう? それまでの人生がガラッと変化する年って突然訪れるんですよ、丸本さん!

ーーーまさに“転機”! 当時から、山本さんには好きへの直感と追求する行動力が備わっていたのですね。
山本:新婚だというのに、パン作りの腕を磨きたくてパン屋とカレー屋とイタリアンレストランの掛け持ちをして、家にはほとんどいなかった時期もありました(笑)。夢中になってしまうと周りが見えなくなる性格で、主人には当時から心配をかけてきました。

もみじ市の存在を知った山本洋代、2大目標を掲げる

ーーー2007年。もみじ市を知るきっかけは何でしたか?
山本:インターネットと雑誌です。学生の頃、文化祭が大好きだった私は「こんな楽しい場所があるんや! 私もこの一員になりたい!」って知れば知るほど気持ちが盛り上がっていきました。

同時に、自問自答していましたね「私らしいパンってなんだろう?」って。それまで、京都の手作り市などで、白神こだま酵母という天然酵母を使ったパンを自分で販売していましたが、もみじ市に出店していた個性いっぱいの美味しいパン屋さんのことを知って、ふつふつと「自分らしさ」を探求するようになっていましたね。

雑誌『自休自足』の「小さなパン屋の作り方」という記事は、教科書のように何度も読み返しました。いろんなものから酵母が育つことを知ったのは、この雑誌のおかげです。そして、そこで特集を組まれていた、ヘブンズテーブルのトミヤマトモミ先生は、今、私が心から尊敬する人の1人です。この雑誌を読んで、パン屋を目指した人はたくさんいると思いますし、私もそのひとり。「自分のパン屋を作ること」と「『もみじ市』に出店すること」を目標に掲げました。

飛び出すパン屋・七穀ベーカリー、いよいよ始動

ーーー2010年。夢だった自分の店『七穀ベーカリー』の屋号を掲げます。
山本:現在、自家製酵母の「レーズン酵母」を使ってパンを作っているのですが、この頃からですね、“天然”酵母ではなく“自家製”酵母を謳うようになったのは。夢だった店を構えても、手紙社の門を叩くことはもちろん、手紙社に行く勇気さえありませんでした。

ーーー2012年。手紙社のことを意識していて、それなのに近づけなかった山本さんが、ついに手紙舎つつじヶ丘本店を訪れる時が来たのですね。
山本:この時、「気になるなら行ってきなさい!」って背中を押してくれたのが義母さんでした。nuri candleさんの個展に、わたなべようこさん(手紙社創業者の1人)がいらして、勇気を振り絞って、話しかけました。「もみじ市に出ることが私の夢です!」って。

ーーー告白のワンシーンのようですね。
山本:はい(笑)。わたなべさんとお会いできた時は、相当緊張していました。そして、いつかもみじ市へお誘いいただけないかと希望を抱いて、後日、自家製酵母パンを手紙舎に送りましたが……連絡はありませんでした(笑)。

送ったパンのことを忘れかけた頃、調布パルコのパンフェスへお声かけをもらいましてね、「手紙社さんのイベントに出れる!」ってとても喜んでいたのを覚えています。それを機に、京王閣で開催されたパンフェスや、GOOD FOOD MARKETにも出店させてもらいました。

2014夏、喫茶にて父と

飛び出すパン屋・七穀ベーカリー、もみじ市へ初出店

ーーー2013年。ついに、第7回もみじ市「カラフル」へのお声かけがあったのですね!
山本:夢だったもみじ市ですから、それはもう……嬉しかったですよ! ただ、ひとつ問題が。

ーーーえ……。
山本:私、大阪〜東京間の長距離を運転した経験がなかったんです! とても不安でした。しばらく頭を抱えていたら、また義母さんが「一緒に行ってあげるから!」と、背中を押してくれたわけです。それまでの心配が嘘のように、当日は問題なく完走できて「飛び出すパン屋」として、ひとつ自信になりました。「私、東京まで運転できる!」って。

ーーー豆乳ドーナツが生まれた年でもありますよね。どんな思いで作ったのですか?
山本:与えてもらった2日間の時間と場所で、「七穀ベーカリーのパン」をどうしたらお伝えできるかなと考えて生まれました。まずは、「皮がかりっ」「中がもっちり」とした食感。そして、自家製酵母らしい旨味と酸味を表現すべく、お店と同じように現地で鍋で揚げることにしました。パン屋のドーナツを味わってほしいです。

「安心と美味しさ」「『飛び出すパン屋』が旅で出会った食材をつかった一期一会のパン作り」は、今も変わらず大切にしています。

2013年 もみじ市初出店
揚げたての豆乳ドーナツ

これからの七穀ベーカリー

ーーー今年、何か特別な活動はされていますか?
山本:これまでお世話になった方や、尊敬する方たちに会いに行って、お話を伺いながら勉強する1年にしています。「パンと美味しいもの 七穀ベーカリー」としてやってきた10年間、人に恵まれて、ずっと並走してくれる人がいてくれました。ヘブンズテーブルのトモミ先生をはじめ、美味しいお料理を作る、尊敬する方がもみじ市にはたくさんいらっしゃいます。今年、コラボを組ませてもらうcafeゴリョウ澤井雅樹さん・加菜子さんもそれぞれ尊敬する人のひとり。美味しいものができそうなので、すでにワクワクしています!

ーーー脱サラしてパンの世界に飛び込んだ頃と変わらぬ情熱でひた走る山本さん。これからのご活躍が楽しみでなりません。ありがとうございました!

出店者目印は、お守りとして大事にしています
ご主人と参戦しました

《インタビューを終えて》
「パン」と「もみじ市」の話をする時の山本さんの楽しそうな表情と、高まる声、そして息づかい。「この方、本当に好きなんだな。私もこんなに夢中になれる何かが欲しい」と思わずにはいられません。愛に溢れた店主と、美味しいパンと美味しいものを求めて、七穀ベーカリーへぜひ足をお運びください!

山本さん。印ピクのパイナップルケーキが本当に可愛くって、疲れが癒えるほど美味しかったです。会ったこともない私に、「せっかくだからJAMさんでパッケージ作りましたよ!」って、メールくれましたよね。仲間みたいに一生懸命で、嬉しかったのをよく覚えています。もみじ市も一緒に楽しみましょう!

(手紙社 丸本菜穂)

【もみじ市当日の、七穀ベーカリーさんのブースイメージはこちら!】