【TAKAHASHI AYACOプロフィール】
写真学科卒業という、少し変わった経歴を持つ絵描きのTAKAHASHI AYACOさん。TAKAHASHIさんの絵を見ていると、映画を見ているような不思議な感覚を覚えます。季節、気温、湿度、音の感じやその時の光、時には匂いのようなものまで、五感で感じるものが直接脳で再現されるような、今いる場所ではないどこかに連れて行ってもらえる感覚。耳に入ってきた会話や街中にある看板、流れている音楽の歌詞など、“ことば”からインスピレーションを得て作品を作ることが多いというTAKAHASHIさん。それは平面に止まらず、バッグやブローチなど、身につけられるものにも及びます。TAKAHASHIさんが作り出す世界を身につけて過ごす、現実の世界。作品に込められた世界と地続きになっている毎日に、私は喜びが隠せません。
https://takahashiayaco.tumblr.com/
【商品カタログ予習帳】
【TAKAHASHI AYACOさんインタビュー】
シンプルな線で描かれたTAKAHASHI AYACOさんの作品。目にした時、作品から溢れ出る五感に直接情報が届くような感覚。私はずっと「何でだろう? どんな風に作品を作っているのだろう?」と不思議でなりませんでした。今回のインタビューを通して、その謎が少しだけ解けた気がします。ぜひ、この素晴らしい年表と共に、インタビューをご覧ください。
ーーーまずは、とても素晴らしい年表をありがとうございます! 拝見した瞬間、思わず声をあげてしまいました。
TAKAHASHI:作っていたら楽しくなって、たくさん描き込んでしまいました。
ーーーこんな風に手を動かせることに衝撃です! 小さな頃から描くことが好きだったのですね。
TAKAHASHI:ちっちゃい時から描くのは好きでしたね。幼稚園とかでもよく描いていたし、家でも描いていました。物心ついた頃には落書きをしていたと思います。でも、この年表は画像とか見ながら描いたりしてますよ。R2-D2なんてイメージだけじゃ描けないので(笑)。
ーーー見ながらでも、こんな風には描けないです……。
TAKAHASHI:夕食の後にテレビを見ながら、チラシの裏とか、去年のカレンダーの裏とかに、テレビに出てくる人の似顔絵を描いてみたり、情報で気になったこととかを書き留めたりする子どもでした。とにかく見ながら描くのが好きだったので、多分意図せず訓練になっていたんだと思います。
ーーー年表にも描いていただいてますが、お母様とも絵を描く遊びをされていたんですね。
TAKAHASHI:そうなんです。チラシの裏とかに、母が鉛筆で“うねうね”とか“四角”とか“丸”とかを描いてくれるんです。それを私が見て、これは何に見える、ここを顔にして手足を付けて、と、描き足していって絵を描くっていう遊びがすごく好きでよくやってました。
ーーーこういう遊びを初めて聞きました。
TAKAHASHI:「シェイプゲーム」っていうのがあって、それがこの遊びに近いものみたいです。大人になってからそのゲームのことを聞いて知った時に「小さい時やってたな」って思ったんですけど、遊んでいた当時は知らずにやってたんです。
ーーー小学生の頃は鳥山明さんへの憧れもあったんですね。
TAKAHASHI:大好きでした! 小学校、中学校くらいの時は本当に大好きで、『ドラゴンボール』とか『アラレちゃん』も全部集めていたし、1巻だけで終わるような漫画も全部集めました。とにかくすごい憧れがあって、画集みたいなのもあれば買って、見て、真似して、メカみたいなものとかも真似して、描いていました。鳥山明さんの何かの本には、どういう風に色つけしているかとか技法も書いてあって、それを真似したりもしました。水性ペンのインクをパレットに出して、それを水で溶いて使うんですけど、「へっ!」と思って、実は今もその色つけのやり方をたまにします。
ーーー子どもの時にこれほど描き込まれている作品を真似しようなんて、普通はなかなかチャレンジできないと思います。『コジコジ』のさくらももこさんもそうですけど、ぎゅっと描き込みがされている作家さんが好きなんですね。
TAKAHASHI:確かに! 描き込むの好きなのかもですね。あんまり気づいてなかったけど、なんでも情報量があるものが好きですね! 歌でも、小説とかでも、好きなものは実際の固有名詞が出てきたりしますね。今、初めて気づきました!! 面白いですね(笑)。
ーーー描くことが好きなまま、中学では美術部に。
TAKAHASHI:最初バスケットボール部に入ったんですけど、あまりの厳しさにみんなが辞めたタイミングがあって、私もそのタイミングで辞めて。そのあと、やっぱり美術部かな、と思って。
ーーー美術部ではどんなことをされていたのですか?
TAKAHASHI:ちょうど、私が美術部に入った時に、タイミングよく新しい美術の先生がやって来て顧問になってくれました。その先生がとても熱心な方で、「油絵やってみよう」とか「七宝焼きやってみよう」とか、他にも外で石膏を使った制作だったり、珍しいことや、あんまりやらないようなことをさせてくれて、とても記憶に残ってます。油絵で牛骨を描いたりもしていました。
ーーー高校では写真部に入られたのはなぜですか?
TAKAHASHI:高校ではやったこと無いことやってみようと思って。暗室もあったから、ちょっとやってみよう、という感覚で。ちゃんと写真を知ってそうな人を顧問に迎えて。
ーーー顧問の先生を探したんですか?
TAKAHASHI:そうなんです(笑)。詳しそうな先生に「やってください」って頼んだら「じゃあやろう」って言ってくれて、手探りで現像をやってみたり、引き伸ばしをやってみたりしていました。
ーーー自由に写真を撮られていたんですね。
TAKAHASHI:そうですね。自分たちで撮りたいものを撮っていました。途中で一眼レフを買ってもらって、休みの日も部員の子たちと出かけて写真を撮ってました。あ、私、副部長だったんです。部長とふたりでよく写真を撮りに出かけてました。学校の屋上で撮ってみたり、年末の上野に行って撮ってみたりしてましたね。
ーーー高校でも写真をやりながら、絵も描かれていたんですね。
TAKAHASHI:描くのも好きだったので、写真部に入りながらも、クラスでなにか必要になったら絵を描いてたりしていました。美大に行こうと思っていたりもしたので、石膏デッサンを習ったり、美大受験のための予備校の夏期講習にも行ったんです。やったんですよ、デッサン。だけど、その時も描き込みがすぎたんだと思うんです。モチーフにスイカが置いてありまして、木の板に布が敷いてあって、私、その木の板の木目を一生懸命描いちゃったんです。「これでできた!」と思ったら、講評の時に、「板を描き込みすぎ」って言われて「なんだよ、いいじゃん、好きに描かせてよ!」っていう気持ちが生まれて。でも、ほんとはそれは基礎的なことだから、そこで反抗心持つべきじゃなかったんですけど「何で? 絵だから自由に描けばいいのに」って思っちゃたんです。生意気にも。「あれ? 美大行っても好きに描けないんじゃないの?」と思ってしまって。それで大学は写真学科に路線変更しました。これが「写真を勉強しよう、絵は好きに描こう!」と思ったきっかけかもしれないですね。
キーワードのひとつ「映像」
ーーー『ケイゾク』のことも年表に描かれていますね。
TAKAHASHI:ご存知ですか?
ーーー大好きでした!
TAKAHASHI:私も大好きで、多分最初に見たのは高校生の時で、すごいハマってしまって。「これはやけに映像が面白いぞ」と思って、演出は堤幸彦さんって人なんだと知って、堤さんの映画とかも見てみようとなりました。演出をするというのを初めて意識したのが『ケイゾク』ですね。私、ハマるとすごいハマっちゃうので、『ケイゾク』も録画して何回も何回も観て。その当時はセリフも言えるくらい観て、本も読んだり、すごく好きだった気がします。今も大好きです。
ーーーオープニングも写真が何枚も使われていて、印象的な映像でしたね。
TAKAHASHI:そういうのも、当時新しい感じがしましたね。ちっちゃい時からそうだけど、映像的なものが多分好きなんだと思います。映像がすごく記憶に残るというか。本を読んでいても「このページの右の下」とか、そういう映像の記憶で残ることが多いです。だから、“映像”って自分の中でキーワードなのかなと思ったりします。
ーーーTAKAHASHIさんは、本や音楽、言葉すらも作品に落とし込んでいるとうかがいました。言葉も一度頭の中で映像になるのですか?
TAKAHASHI:言葉、好きなんです。言葉は、うーん、映像じゃ無いですね。その“セリフ”として好きで。とにかくその言葉を何かに残したくなる衝動にかられます。
ーーー収集する感じですか?
TAKAHASHI:そうかもしれないですね。「今の言葉いい!」とか「その組み合わせすごくいい!」とか、私の中で何かラインみたいなものがあるっていうか……。「今の残したい」というのがあると、メモ帳に絵や出来事とか、書き残したくなります。例えば「ペパーミント」みたいな言葉があるとして、そこから絵が浮かぶ時があったり、そこから発想したくなる時もあったりします。でも浮かばない言葉もあるから、きっと自分の中で何かあるんでしょうね。そういう「良い!」と思った言葉を、貯めておきたいというか、書き留めておいて、後で絵にしたいなとか、何かの材料にしたいなといつも思っています。今でもメモ帳に描いたり、携帯のメモに書いたりします。
ーーーずっと続けているの、すごいですね……!
TAKAHASHI:でも、大それたことじゃないんです。ただ、メモがしたいだけなんです。メモ取るのが好きなのかな、と思います。
ーーー写真の勉強は具体的にはどんなことをされたんですか?
TAKAHASHI:写真の歴史に始まって、アナログの現像の仕方、デジタルの処理の仕方、スタジオ写真などと、本当にいちから学びました。私は、35mmのモノクロフィルムで写真を撮る作家さんが好きで、綺麗に撮るよりも、“アレ”、“ブレ”、“ボケ”とかを表現としてやっている人が「かっこいい」と思っていました。当時は課題もあったので、いつもカメラを携えて、撮るものを探してキョロキョロしていましたね。「何かメモ取りたい」っていう習性もあって“撮るものを探す”のは今でも癖になっているかもしれません。絵の題材っていうか「何か面白いものないかなー?」っていつも観察している気がします。
ーーー写真を学んだことも、今の作品作りに繋がっているのですね。
TAKAHASHI:卒業制作では、その人独自のファッションをしている方とか、自分が「気になるな」と思った方とか、ユニークな感性を持ったご婦人方を見つけて声をかけて、バストアップくらいの写真を撮らせてもらいました。その時に直接交わした言葉とかをキャプションで添えて、作品にしました。その頃から、何かちょっと違和感があるものに心惹かれるというか。そこは今の作品作りにも通じるものがありますね。
ーーー大学で写真を学びながらも、ここで絵への熱が高まったんですね。
TAKAHASHI:そうそう、そうなんです。大学3、4年生の時は音楽とか本とか、とにかく色々な興味が爆発していていました。特に60年代、70年代のちょっと昔の時代のものが好きでした。そのくらいの時代のものって、出版物も面白いものが多かったり、ひとつの興味から他のものにも派生しやすいんです。寺山修二が面白い、と思ったら挿絵の宇野亜喜良がかっこいいな、と思ったり。特に、ポスターとか絵に行き着くことが多くて、ひとつのことを知るごとに、絵も気になり始めました。そうすると、絵への熱もわーっと出てきました。
ーーーこの頃に始められた美術館でのアルバイトも、絵への情熱を後押ししたのですね?
TAKAHASHI:はい。4年生のときに美術館でアルバイトを始めました。美術館で作家さんの素描やデッサン、絵を見る機会も増えました。そうしたら、自ずと自分も描きたくなったんです。それで、写真を撮りながら絵も描き始めました。
その時期、いろんなことが絵に向かうようになってたんだと思います。写真で表現するのが多分ちょっと煩わしくなってきた感じもあったのかもしれないですね。撮って、現像して、プリントして、という工程が、写真の面白みでもあるけど、ちょっと時間がかかるっていうか。絵だったら だあっと頭の中に出てきたものを手を動かして描けば、自分が思ってるそのままを出せてる感じがあるんですけど、写真だと偶然に頼ることも多いので、自分の頭の中にある“興味”を出したいという思いと、表現する手法とが合わない感じがあったのかもしれないですね。でも多分、もともと絵が好きだって思い出したんだとも思います。いろんなタイミングが重なったんですね、きっと。
ーーーこの時期に初めての個展を開催されているのですね。
TAKAHASHI:これも、ご縁があって美術館で知り合った方のお店でやらせていただいて。そしたら、絵を買ってもらったりとかもして、すごく嬉しかったです。
ーーーこの時は個展に向けて新作を描いたのですか?
TAKAHASHI:個展に向けて描きました。でも、今考えると最初の頃の方が凝り固まっていたと思います。美術館で働いていることもあって、「展示と言えばこう」と自分の中でとらわれるところがありました。作品も、「バラエティに富んだ色の感じにしよう」とか、「この作品とこの作品は色味が似てるから、色を変えてみよう」とか、色々考えてしまっていました。今の方が自由に描けてる感じがします。
ーーー年表の中で、とても気になった部分があったんですが、「さほど親しくなかった男の子がすすめてくれた」というカート・ヴォネガットJr.の部分です。
TAKAHASHI:びっくりしますよね。このヴォネガットは今でも大好きな作家で、これを教えてもらったことを本当に感謝してるんですけど、勧めてくれたのが、さほど親しくはなかった、というか、ゼミが一緒で挨拶する程度の子だったんです。その子となんのきっかけか、学食で話した日があったんです、その時に私に「ヴォネガットを教えたい!」って思ったんでしょうね。急にそのまま古本屋さんに連れて行かれて『猫のゆりかご』っていう本を買ってくれたんです!
ーーーえ! 買ってくれたんですか?
TAKAHASHI:そうなんです。それで、「これを! 読んで!」って言われて。「ええっ!」って言って。でも、読んだら本当に面白くて。それ以降、ヴォネガットの他の作品もお気に入りになって、繰り返し読んでいます。何かを作り上げる点でヴォネガットは今でも私の中で大きい存在です。「デタラメなことでも、真面目に詳細に作り込んで積み上げると、本当みたいに面白い。デタラメこそ、真面目にやろう!」と思うのはヴォネガットから学びました。
ーーー不思議な出来事ですね! その子とはその後仲良くなったんですか?
TAKAHASHI:それが、多分、読んだよーみたいな会話はしたと思うんですけど……、その後も、その子と仲良くなることはなかったですね(笑)。
細野晴臣さんと作品
ーーー個展を続けられる中で、DMを細野晴臣さんに観てもらう、という出来事があったのですね。
TAKAHASHI:そうなんです!! 今でも嬉しい出来事のひとつです。細野さんは、本当に小さい時から身近だったんですけど、大学入ったくらいからより好きになって、今でも一番好きな人です。人間の中でいちばん好きなのが細野晴臣さんです!! 細野さんのルーツになってる音楽を自分なりに、聞き広げています。
ーーーそんな細野さんに実際にお会いになられたのはライブでのことだったんですね?
TAKAHASHI:2009年に下北沢のライブハウスで、たまたまその日サプライズで登場して歌ってくれて。ライブが終わった後に、細野さんを呼んできてもらって「大好きなんです」って伝えました。ちょうど下北での個展のDMを持っていて、見ていただいたら「いい絵だなあ」っとぽろっと言ってもらって、「はあああああっ!」と。その時に「これからもずっと描こう」って思った気がします。今も、その時のことを思うと「この先も描こう」という気持ちになります。
ーーーそのタイミングでお会いできる、というのもすごいですね……!
TAKAHASHI:すごく嬉しかったですね。その個展の作品も、細野さんのトロピカル三部作となるあたりの曲を聴いて制作していたので、それもあって、見てもらったことがより嬉しかったです。今も、私の絵と細野さんは切っても切り離せないです。細野さんを知ったのと、絵を描きたいと思ったのが同じような時期で、同じようにわっと興味が広がったこともあって、細野さんの作るものが、私の作品にはかなり影響している気がします。
ーーー年表にはボイラー技師だったお祖父様の図面との出会いも描かれていますね。
TAKAHASHI:そうなんです。ボイラー技師をしていてた母方の祖父がこの頃に亡くなって、遺品の中に図面のファイルが残っていたんです。その時初めて目にしたんですが、その図面に私はとても心惹かれて、「こういうの好きだな」と思いました。定規を使って絵を描いたり、文字を入れ込むのも、もともと好きだったんですけど、この図面を目にして、より好きになりました。仕事だけど、すごく楽しそうに描いてて、綺麗な描線なんです。そのファイルの表紙も几帳面に描いていて、文字も定規を使って几帳面に描かれていました。アルバムの写真の横にも綺麗な字で俳句が添えてあったり、作ることが好きだった人なんだな、とても楽しく描いたんだろうな、っていうのが伝わってきたて、自分と通じる部分があるのかな、血を引いてる部分があるのかな、と思いました。そうそう、祖父も植物が好きな人だったんですよ。家に行くと、いつも植木の所にいて。
ーーーTAKAHASHIさんも、小さなころから図鑑が好き、と年表に描かれていましたね。
TAKAHASHI:そうなんです。小さな頃から植物が大好きで。小さな頃には自由研究で図鑑を作るというのもやっていました。だから、より祖父との血の繋がりを感じますね。
ーーー様々な出会いがあって、今のTAKAHASHIさんから作品が生まれているのですね。これまでを振り返って、ここぞ、ターニングポイント、というのはありましたか?
TAKAHASHI:年表のお話をいただく少し前に、ちょうど自分の人生にターニングポイントはないっていう話しをしていたんですよ。それで、自分を表すには、好きなものを表すのがいいのかな、と思ってこの年表を描きました。ポイントじゃないんです。ちょっとずつ、積み上がっていくっていうのが、私らしいのかなって思います。何層にもなってる感じの人生。そういうのが続いています。
ーーーお話しを聞ききれなかった部分もありますが、こうやって、たくさんのものを吸収し続けているからそこ生まれる作品を、私たちは目にしているのですね。インタビューありがとうございました! もみじ市でお会いできること、楽しみにしています!
《インタビューを終えて》
「とにかく描くことが好き」というTAKAHASHIさん。スルリと流れ、失われてしまいそうな言葉を書きとめ、大切にし、それを描くということで形にする。そんな、わたしのTAKAHASHI作品に対する見立てを超えて今回わかったのは、彼女は“言葉”だけでなく、音楽、風景、映像、写真、絵など、良いと感じた全てのものたちを、とても大切にしているということ。作品を見た時の五感を刺激されるあの感覚は、何層にも積み重ねられてきた、大切にしてきたものたちが、TAKAHASHIさんを通して結晶となっているからこそ感じられるものなのでしょう。そして、TAKAHASHIさんの作品もまた、わたしたちの内面や人生を緩やかに変えていくのかもしれません。
(手紙社 鳥田千春)
【もみじ市当日の、TAKAHASHI AYACOさんのブースイメージはこちら!】