【ナカキョウ工房プロフィール】
毎年毎年、どんな年でも、もみじ市に全力集中。目一杯の愛を持ってもみじ市にとびきりの「ニヤリ」を届けてくれる、ナカキョウ工房・中澤京子さん。柿渋染の生地をメインの素材として、刺繍のブローチやオブジェなどを制作しています。彼女の手から生まれる動物たちは、巷に溢れる動物グッズとは一味違う、無愛想なのに愛おしく、可愛いけれども甘くない「ナカキョウワールド」を展開しています。ブースを訪れるたび、来る人をわっと驚かせるワクワクを用意してくれる中澤さん。もみじ市で彼女の作品と出会うたび、「参りました」と思うのです。
https://www.nakazawakyoko.com
【商品カタログ予習帳】
【ナカキョウ工房の年表・YEARS】
【ナカキョウ工房インタビュー】
小さい頃から工作が大好きで、憧れの人は『のっぽさん』。誰かをニヤリとさせる物作りを愛してやまない、ナカキョウ工房・中澤京子さん。もみじ市や布博、手紙舎 2nd STORYなど、手紙社では彼女の作るブローチやオブジェが、すっかりお馴染みになりました。しかし実は、かつてイラストレーターを志し、パレットクラブスクールへ通っていた期間があったのだそう。美術系の学校に通ったことがなかった彼女にとって、初めて“アートの世界”に囲まれた1年。「やっぱりイラストだけではなく、手芸や工作も好きだ」と、イラストの道へは進まなかったそうですが、この頃(いや、もっと昔から?)描いていたイラストのタッチはそのまま、現在作っている動物たちのユニークなフォルムや表情に生きています。そして何よりも大きかったのは、中澤さんの大切な友人であり、もみじ市でもお馴染みの、wato kitchen・watoさんと出会ったこと。「watoさんをはじめ、いろんな人の後押しがあったから作家として続けてこられた」と話す彼女の、これまで歩んできた道のりには、果たしてどんなエピソードがあったのでしょうか。
もみじ市との出会い
ーーー2007年。まだ狛江市の小さなお寺で開催していたもみじ市へ遊びに来てくださったんですよね。「もみじ市が作家活動のきっかけ」と伺いましたが、初めてのもみじ市に行ってみて、どんな印象を受けましたか?
中澤:作家さん自らが作品を販売し、お客さんの笑顔であふれる空間はすごく眩しくて。その眩しさは未だ鮮明に覚えています。それまで漠然と「ものを作る仕事がしたい」と思っていただけだったのですが、もみじ市の帰り道「こういうことがしてみたい!」というはっきりとした想いが生まれました。以来私にとってもみじ市は“憧れ”そのものに。でも反面「自分には絶対無理だろうな」とも思っていました。
ーーーこの頃はまだ作家活動はされていなかったんですよね。
中澤:そうですね。ブローチも作っていましたが、趣味で友達にプレゼントしていたくらいです。誕生日とか記念日とか、何かしらあるといろいろ作って押し付けていました(笑)。そのうち展示や販売を勧められることも増えましたが、自信がなくて踏み出せなくて。その頃全く別の仕事をしていたんですが、休日はほとんど何かしら作っていたんじゃないかな。とにかく純粋に楽しんでいました。“作ること”を。
友人に背中を押されて始まった、作家活動
ーーー2009年に初めてイベントに出店した時のお話を聞かせていただけますか?
中澤:実はそのイベント、watoさんが主催者のひとりでした。ずっとモノを作っている私を見ていたので「そこで販売してみたらいいよ」と誘ってくれて。背中を押されて初めて出たイベントでした。そしたら、その時持っていったブローチが完売したんです。
ーーー完売! 初めてなのに、すごいですね。
中澤:嬉しかったですね。初めて自分の作ったものに対してお金をいただいたのがこの時で、大きな励みになりました。それでも持ち前のネガティブが邪魔をして、私のもじもじは続くわけなんですが……。なんとその翌月に、今度は別の友人が私に内緒で勝手に応募して、クラフトマーケットに出店することになったんです(笑)。
ーーー勝手に(笑)!
中澤:すごい話ですよね。彼女も出店者で「合同で申し込んでおいたからね」って。ありがたいことにこれがきっかけで、ここから毎月クラフトマーケットに出店するようになったんです。だから彼女の存在も本当に大きい。もみじ市で見つけた「自分のやりたいこと」を表に出せることが、嬉しくって仕方なかったんですよね。毎月欠かさず、多いときは月に3回くらい出てたんじゃないかな。普通に仕事をしながらやっていたので、寝ていない日が続くこともありましたが、それでも楽しかったですね。
ーーー今動物の生地に使われている、柿渋染とは、この時期に出店していたクラフトマーケットで出会ったんですよね。
中澤:そうなんです。本当にたまたま、クラフトマーケットで隣に柿渋染の作家さんが出店していて、カットクロスを販売していたんです。その生地に惹かれてブローチを作ってみたら、「これだ!!」と思う、まさに理想のブローチが出来上がって。大興奮でその作家さんに連絡して現物を見せに行って、生地をお願いすることになりました。
『パンフェス』参加!? 手紙社との出会い
柿渋染の生地との運命的な出会いを果たし、現在の作風を確立した中澤さん。イベント出店を重ねる中で、手紙社との出会いは思わぬ形でやってきました。
ーーー手紙社のイベントに初めて出られたの、2012年の『※パンフェス』だったんですか!?
中澤:あくまでもwatoさんの出店のお手伝いだったですが、彼女が北島さん(手紙社代表)に「ブローチもブースで販売していいですか?」と聞いてくれて。イベントに合わせて、フランスパンや食パンなどをモチーフにしたパンのブローチを持って行きました。
※手紙社が2012年に開催した、全国から選りすぐりのパン屋さんが集う、幻の一大イベント
ーーーパンブローチ! 中澤さんのそういったサービス精神と柔軟さ、すごく好きです。それが最初のご縁がだったんですね。
中澤:そうですね。そこでブローチを見てもらったことがきっかけだったのか、翌年『ブローチ博』や、手紙舎 2nd STORYでのお取り扱いのお声かけをいただいきました。
ーーーそしてもみじ市、合同出店へ。
中澤:そうです! もう、すっっっごく緊張しました。初めて訪れたもみじ市から、6年経って夢が叶ったわけですけど、想いと憧れが強すぎて。嬉しさと同時に、「台無しにしたくない!」って思いでいっぱいで。「他の作家さんとちゃんと肩を並べられるように頑張らないと!」と身が引き締まる思いでした。
ーーー実際に出てみて、いかがでしたか?
中澤:もみじ市の空間の眩しさは、お客さんの時に感じたままで変わらなかったけど、「自分がその場にいるのが終始信じられないまま終わった」というのが本音です。出店者になってみて、当日を迎えるまでの日々を通し、スタッフさんと作家さんとみんなでつくりあげていくからこそ、あの眩しさがあったんだなと思いました。
初めての、もみじ市“単独参加”
初のもみじ市合同出店からも、変わらず毎月クラフトマーケットへの出店を重ねながら、日々制作を続けていた中澤さん。この頃から次第に、兼業していた仕事との比率が代わり、専業になっていったといいます。2014年、再びのもみじ市合同参加を経て、2015年。いよいよ単独デビューの年がやってきます。
ーーー2015年の紅白の年が初めての1人出店だったんですね! 私も初めてお客さんで訪れたもみじ市がこの時だったので、なんだか嬉しいです。どんな気持ちでしたか?
中澤:想いがある分、本当に怖くて不安で。「じゃあ、結構です」って言われるくらい大騒ぎし、謎の抵抗をしてしまいました(笑)。
ーーー想像できます(笑)。「出よう!」と決断したきっかけはなんだったんでしょうか?
中澤:手紙社の北島さんが「怖いかもしれないけど、チャレンジしてみたら新しい扉が開くかもしれないよ」って声をかけてくれたんです。それで心が決まりました。「怖いけど、自分のやりたいことをやってみよう」って。
ーーー初めて聞きました! そんな素敵エピソードを隠し持っていたんですね。初出店、どんな作品を持って行ったんですか?
中澤:この時、初めてブローチ以外の“身につけないカザリモノ”を作りました。リースのシロクマや、今や定番化した『玉乗りシリーズ』なんかもこの時生まれました。ドキドキしたけれど、たくさんの嬉しい反応をいただけました。終わってからもなかなか実感が湧かず、現実に戻ってくるのに苦労しました(笑)。
こうして、もみじ市単独デビューを果たしたナカキョウ工房。翌年の『FLOWER』がテーマの年には「10周年ということで余計にドキドキして、泣くかと思うくらい緊張しました」なんてお話も。もみじ市単独デビューの翌年には『布博』にも出展するようになり、作品の幅を広げていく中で、再び転機となる年が現れました。
初個展『- KOBEYA CIRCUS -』開幕!
ーーー2018年の初個展、改めてお疲れ様でした。私もお邪魔しましたが、素敵でしたね!! でも“初”個展って伺った時、すごくびっくりしました。これまで作家さんって、個展を重ねて活動を広げていくイメージがあったので、まさか初だったなんて。
中澤:そうなんです、実は初めてでした。多分、私が“個展”っていうものを重く壮大に捉えすぎてしまっていたのだと思います。でも結局のところ理由は単純、自信も勇気もなかったんだと思います。自分なんかがやるなんて、なんだかものすごく恐れ多い気がしてしまって。普通は逆かもしれないんですけど、私にとっては、もみじ市に出て、作家活動を続けてきて初めてお受けできたことだったんです。
ーーーそうだったんですね。そんな思いが詰まっていたからか、本当に楽しい会場でした。個展会場は、もみじ市にも出店していただいている夜長堂さん。これはどんなご縁があったんでしょうか?
中澤:夜長堂の店主・タツ子さんが、私のものとは知らずにブローチを持っていてくれたそうです。2015年のもみじ市でご一緒した時に「あのブローチの作家さん!」と気が付いてくれて。それからお声掛けをいただいたんですが、最初はやっぱり自信がなくてお断りしてしまいました。でもその後も会うたびに、絶妙な塩梅で声をかけ続けてくれたんです。
ーーーさすがタツ子さんですね。開催の決め手はなんだったんでしょうか?
中澤:もみじ市出店の時みたいな、「この一言!」っていうのはないんですけど……。2017年のもみじ市、すごい雨だったでしょう?
ーーーあれは両日ともになかなかの雨でしたね……。
中澤:あの時の私のテーマが、『サーカス』だったんです。でも、雨風や、その影響ですごくテントを小さくしていたことがあり、100%満足のいく見せ方ができたとは言えず「もっと良く見せられたはず」「もう一度やりたい」という気持ちがありました。そしてもっと作り込んだ『サーカス』の空間を、もう少し長く見てみたいとも思ったんです。イベントだと、2日間だけで終わってしまうから。あとはやっぱり、タツ子さんですね。時間をかけて根気よく声をかけ続けてくれて。初めての個展を絶対良いものにしようとしてくれている気持ちがすごく伝わってきて「タツ子さんがいるから大丈夫」と思い、心が決まりました。
ーーー素敵なお話ですね。しかし9月の個展から10月のもみじ市まで、この時は本当に大忙しのスケジュールでしたよね。
中澤:そうですね。目の前のことが終わらないと次の準備ができない性分なので、この時は「時間がない!」とすごく焦りました(笑)。でも結果的には、個展を良い形で終えられて、その興奮状態のままもみじ市まで駆け抜けられたので、すごく良かったなと思っています。
「楽しい!」は伝わる
ーーー去年のもみじ市は、八重樫茂子さんとのコラボアイテムや、大きな人形が印象的でしたね! 特に大きな人形はInstagramで直前期に急に現れて、「参りました」って思いました(笑)。こんなワクワクを用意されていたなんて。
中澤:ありがとうございます(笑)。「ブローチが少ないとがっかりさせてしまうかも」と思いながら、「でも私は今どうしてもこれが作りたいんです!」という気持ちを優先させて、あの大きな人形を作りました。それを思いがけずみなさん面白がってくれて。びっくりしました。この時に「『今はどうしてもこれがやりたい!』と思うものに集中していい」「『楽しい!』と作ったものは伝わるんだ」と改めて思ったんです。とにかく自分自身が全力で楽しんで作れば、それがお客さまにもちゃんと伝わるんだなって。自分一人では作れなかった、八重樫さんとのコラボ人形もまさにそうでした。
ーーーこの翌月、台湾での布博にも行かれて好評だったと伺いました。台湾の方にも、中澤さんの楽しい気持ちが伝わったのかもしれませんね。
中澤:台湾も大きかったですね。まさか作品を販売するために海外に行く機会が自分に訪れると思わなかったので。言葉ができないもどかしさはありましたが、たくさんの方に見ていただけて嬉しかったです。楽しさが伝わっていたらいいなと思います。
《インタビューを終えて》
友人らに背中を押されるように始まった作家活動。愛してやまないもみじ市、出店を勇気付けた一言。導かれるようにして開催した初個展。たくさんの人に手を引かれるように、活動を重ねてきた中澤さん。独特のフォルムや表情、積み重ねられてきた技術。ナカキョウ工房の魅力はたくさんあります。でもきっと「誰にも頼まれてないけど、気がつかないかもしれないけど、楽しいし、納得いくまで作り込もう!」そんな彼女の熱量が、ひときわ作品を輝かせているのではないでしょうか。もみじ市や個展など、一つひとつを大切に捉え「お客さんに、もっと楽しんでもらいたい。いつもの人に、新しいものをみて欲しい。ニヤリ、と笑って帰って欲しい」そんな溢れるワクワクと、それを支える誠実なものづくりへの姿勢をもって作り上げるからこそ、今日もたくさんの人が、ナカキョウワールドに引き込まれ、巡り巡って彼女の背中を押しているのでしょう。そんな幸せな循環の新たな一巡りが、今年もまた河川敷で築かれることを願って。
(手紙社 本間火詩)
【もみじ市当日の、ナカキョウ工房さんのブースイメージはこちら!】