もみじ市 in 神代団地,出店者紹介,ジャンル:CRAFT

竹村聡子(出品のみ)

【竹村聡子プロフィール】
陶芸家・竹村聡子さんに出会ったのは2年前。まるで命を吹き込まれたかのような存在感を放つ銀彩の動物たちに、一瞬にして心を奪われたことを鮮明に覚えています。常に新しい表現を模索し続ける竹村さんの作品は、出会うたびに違った表情で私たちを楽しませてくれます。美しい乳白の器は、手にした瞬間にすっと馴染む柔らかな質感。ツヤのある器は、豊かな釉薬の色彩が魅力的です。手仕事でなければ実現できない繊細な表現を、どうぞじっくりとお手にとってご覧ください。
https://www.satokopo.com
Instagram:@satoko.takemura

【竹村聡子の年表・YEARS】

【竹村聡子さんインタビュー】
今年で3回目のもみじ市出店となる陶芸家・竹村聡子さん。どこか神秘的で、いつまでも見つめていたくなるような魅力を持つ作品が生まれるまでには、一体どんなストーリーがあったのでしょうか。担当の富永琴美がお話を伺いました。

仏画との出会い

ーーー今回のもみじ市のテーマが「YEARS」だと聞いたとき、どう思いましたか?
竹村:「気がついたら、ここまで来ていたな」っていう気がしました。あっという間だなあと。過去のことを振り返るのも、先のことを想像するのも不安だったので、とにかくその日その時に集中していたら、今に辿り着いたような感じです。

ーーー年表を作ってみて、何か気づくことはありましたか?
竹村:ハッとしたことがあったのですが、私の中で“仏像”の存在がとても特別だったなということを思い出しました。今でも仏像好きなんです。

ーーー年表には、小学校のときに仏画を描いたとありましたね。
竹村:小学6年生の時、担任の先生が美術好きな方で、ある時「仏像を描いてみたら?」と勧められました。初めは仏像が怖かったのですが、実際にやってみたら描きながら気付くことがたくさんあって、「これは美しい!」と感動しました。その時から、なんとなく美術に興味を持ち始めました。仏画を勧めて下さった先生の存在はとても大きかったなと思いますね。

ーーー小学6年生にして、仏像の美しさに魅了されたのですね!
竹村:言葉でどう表現したら良いか難しいのですが、「内にも外にも目には見えないただならぬ何かがある」と思ったんです。人の手から作り出されたものが経年変化で不思議な生命力を帯びつつ、静かに朽ちていく姿を美しいと思える部分も魅力的でした。

中学校の頃に描いた仏画

ーーー中学校・高校時代でも、何か制作活動はされていたのでしょうか。
竹村:中学の時は美術部に入り油絵を描いたりしていました。高校では、何故か運動部に入ってしまったんですが(笑)、それでも美大に進みたいとはぼんやり思っていて。しかし当時はインターネットもまだ一般的ではなく、美大に入るための情報や選択肢を調べる方法もわからなくて、そうこうしている間に、美術とは全く関係ない大学に入っていました。大学に入ってからはなんとなく生きているだけで日々が過ぎていくことが怖くなって、「私は昨日生きていました」という証拠を目に見える形に残せる何かをしたいという思いから、陶芸のサークルに入ったんです。陶芸=美術という認識で始めたわけではありませんでした。

ーーー竹村さんが陶芸をはじめたきっかけは「生きた証拠を残したい」という思いからだったのですね。
竹村:陶芸は形にも残るし更には使えるという部分で、より安心感がある気がしたんです。作っている時はとても心が落ち着きました。と言いつつ実際は、幽霊部員だったんですけどね(笑)。

ーーー大学を卒業されてからは、“せともの”で有名な瀬戸で過ごされていたんですよね。
竹村:本当になんとなく瀬戸へ行ったので、瀬戸にいる頃も実は陶芸をほとんどしてなかったんです…。周りの人達には「いつ陶芸辞めるんだろう」って思われていたし、「お前は陶芸家になれない」って直接言われたこともあります。その時は言われるままで否定もできませんでした。今では毎日欠かせない轆轤(ろくろ)も大嫌いでしたし。

ーーー私だったら「陶芸家になれない」なんて言われたら、そこで心が折れてしまう気がします。
竹村:やめる勇気がなかっただけかもしれませんが、今でも続けられていることが自分でも不思議すぎて、人生ってよくわからないなって思います。当時は自分が陶芸で何を表現したいかがわからなかったので、アルバイトを掛け持ちしながらあちこち美術館を巡ったり、その他にも思いつくことをいろいろしていました。その中で自分が「いいな」って思うものを集約して、目指したい感覚が見えてきてから陶芸で形にしたいと思っていて。今になってやっとその時の遠回りや道草は無駄ではなかったかなと思えるようになりました。

目指したのは、藤田嗣治の乳白色

ーーー画家・藤田嗣治の作品に出会ったのはその頃でしょうか。
竹村:美術館巡りをしているうちに、藤田嗣治の世界に出会いました。彼の描く乳白色の雰囲気に近づけたいと思ううちに、使いたい土や釉薬の表現の方向性が決まったんです。

ーーー竹村さんの器は、手触りも女性の肌のように滑らかで、どれも本当に美しいですよね。そして、どこか神秘的な印象があります。
竹村:日常的な器を作るのが元々苦手というか、日常と非日常のギリギリの部分を描いていきたいなと思っているんです。私の作品を手にして下さった方の中には、蓋物の器にヘソの緒や遺骨を入れたり、酒杯を仏前に供えて使っている方もいらっしゃるらしくて、生物の生と死に関わる場面で使われることも比較的多いみたいなんです。そういう部分は仏像の存在意義に少し近づけていたらいいなって思います。

藤田嗣治の画集『素晴らしき乳白色』

ーーー地元の長野に戻られてからは、しばらく飯田市川本喜八郎人形美術館に勤められているんですよね。
竹村:陶芸だけで生きていく自信と収入が無かったのと、生涯通じてなにかしら美術に関わる仕事をしたいとは思っていたので、ちょうど美術館に求人が出ていて応募をしたら運良く採用してもらえました。人形美術館に勤めている間は、川本作品に関わる事柄(日本の伝統芸能、様式美、仏教、人形アニメーション等)を勉強できて非常に得るものが多く、有意義な時間だったなと思います。

ーーー美術館での経験が、今の作品にも生かされているのでしょうか。
竹村:美術館内にあるスタジオで東京のアニメーション会社のコマ撮り映画の公開撮影が一ヶ月間行われたことがあって、プロのストップモーションアニメーターの仕事を間近で見られる機会があったのですが、これがとても印象的でした。当時はたった一つの器を作るのに時間がかかり過ぎるということに悩んで行き詰まり、半ば陶芸の道を諦めかけていた時だったのですが、プロのアニメーターの方が丸一日撮影をしても3秒間程の映像しかとれないということをその時知りました。そこで、コマ撮りアニメーションの世界は陶芸よりも果てしなく細やかで、手間暇をかけないと良いものは作れないということに気づかされました。それで、自分の制作に対して前向きに思えたんです。ものづくりは時間をかけあたりまえなんだなって。プロの方の仕事への姿勢や、会話の端々から感じた言葉に奮い立たせられて、背中を押してもらって、意識が大きく変わりました。

ーーーひとつの器に時間をかけて全力で向き合われているからこそ、竹村さんの作品には、どれも命が吹き込まれるように感じられるのですね。
竹村:時にはどこかで手を抜けないかとうっかり考えてしまうこともあるんですけど、そうやって作ったものは結局ボツになります。これからも出来る限り丁寧に手間暇かけて作りたいと思います。

銀彩の器のはじまり

ーーー「工房からの風」に出店して作風が変わったとありますが、どのようなきっかけだったんでしょうか。
竹村:工房からの風には力試しのつもりで過去何回か応募していて、はっきり覚えていませんが多分4回くらい選考落ちしていたんです。当時は呉須(藍色の顔料)を使った作品をずっと作っていたのですが、今の作品のように銀を使って鶏の絵を描いたマグカップの写真を送ってみたら、ようやく選考通過しました。そのとき、工房からの風のディレクターの方が「この銀彩の方向性がいいですよ」と言って下さったことをきっかけに、現在のスタイルが確立していきました。

ーーー銀彩の器のはじまりは、そこからだったのですね!
竹村:瀬戸にいる頃から銀は使ったことがあったのですが、その時から魅力的な素材だなと思っていました。初めて銀で描いた鶏は、家で飼っていた鶏がモデルでした。とても可愛がっていましたが鶏は短命でなんだか悲しかったので、器に描いて焼き付ければ、ずっと生きていてくれるかなと思いました。銀は静かに酸化をして少しずつ表情が変わってくるのですが、そこに生命に似た何かがある、という気付きがありました。

呉須を使った器
銀彩の器のスタートとなった作品

 

ーーーインスタグラムや展示などで作品を拝見していますが、いつも作品から「何か新しいチャレンジをしよう!」という竹村さんの気持ちを感じられて、本当に素晴らしいなと思っています。
竹村:自分では全然成長していないなって日々不安に思っていたんですけど、そう言っていただけて嬉しいです。周りの方達のお陰でなんとか歩みを止めずにいられるのかなって思います。背中を押してもらえるキーパーソンのような存在が随所で運良く現れてくれるような気がします。

ーーー最近は発色が鮮やかでツヤツヤしている作品が増えてきたように感じていますが、なにか意識していることはありますか?
竹村:実はガラスの世界にも憧れがあって、それを意識しているかもしれません。釉薬のガラス質の特性も表現で生かせたらと。陶磁器じゃなくてガラスかな? と一瞬でも疑問に思って器と接して楽しんでもらえたら、と思ったりもしています。

ーーー今回のもみじ市公式サイトのアイコン画像や出展者紹介のトップ画像もガラスのような美しさをもった作品ですよね。
竹村:今回紹介ページで使っているランプシェードと酒杯の作品は、去年展示を兼ねて旅行をしたデンマークでの出会いから生まれたものなんです。滞在中はとにかく毎日美しい気持ちでいられたんですよね。そんな空間の中で、皆が集う場に必ずあって自分でも作れるものは何かと周りを見渡した時に、ランプシェードと酒杯が目に付きました。北欧は白夜があることから明かりの使い方も印象的で、その時の気持ちを思い出してランプを作りました。

ーーーこれからチャレンジしてみたいことがあれば教えてください。
竹村:夢のような話になってしまいますが、北欧に短期留学をしてみたいなと思っています。デンマークの滞在経験がとても清々しかったのと、20代の頃の経験を通して培った“感覚的な貯金”がそろそろ無くなる気がして。海外に行くと自然と発見や感動を多く得られるので、異文化の考え方・生き方に身を置いて色々と学んでまた新たな感覚を掴んで制作に落とし込んでみたいです。

ーーーもみじ市に出店することで、変わったことはありますか?
竹村:数を作れるようになりました。手紙社さんの「東京豆皿市」などにも声を掛けて頂けるようになり、制作に迷う時間よりも「頑張らなきゃ!」と手を動かすことができるようになった気がします。自分にできるのかと弱腰になって逃げることはなくなりましたね。たくさんの方に見て頂ける機会を与えてもらって、本当にありがたいです。「頂いた仕事は出来る限りの全力を出してやってみよう」って自然に思えるようになりました。自分がどこまで作っていけるかなという不安はありますが、とにかく夢中でやっています。

ーーー3回目のもみじ市、どのような2日間にしたいですか?
竹村:今までよりも、充実した内容の展開にしていきたいですね。あとは、事故なく頑張りたいと思います! 2日間どうかお天気に恵まれて、出店される方々やお客様、手紙社とボランティアスタッフの皆さんと楽しく過ごせますようにと願っています。

《インタビューを終えて》
多くの時間をかけ、全神経を注いで作られる作品の数々は、まるで“命”が吹き込まれているかのように神秘的で美しい輝きを放ちます。竹村さんの「生きた証拠」とも言える器は、手にした人の人生に寄り添い、特別な日々を紡いでゆくのです。今年のもみじ市では、一体どんな作品との出会いが待っているのでしょうか。今からその瞬間が楽しみでなりません。まっすぐで誠実な竹村さんの思いが溢れる空間を、どうぞ覗いてみてください。

(手紙社 富永琴美)

もみじ市 in 神代団地,出店者紹介,ジャンル:CRAFT

谷内亮太

【谷内亮太プロフィール】
京都で生まれ育ち、現在北白川でギャラリー雑貨店「ちせ」の店主を務める彫金作家・谷内亮太。真鍮やシルバーを削り出し、万物のつながりをテーマに動物や植物、星をモチーフにした指輪やアクセサリーを生み出しています。月の満ち欠けのリングや太古の生物のブローチなど、どこか神秘性を感じさせる作品に目が離せません。物語から飛び出してきたかのようなアクセサリーに、思い思いのストーリーを紡いでみてください。
https://ryota-t.chise.in

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もみじ市 in 神代団地,出店者紹介,ジャンル:ILLUST&DESIGN

すげさわ かよ

【すげさわ かよプロフィール】
「旅で見つけた素敵なものを、みんなに伝えたい!」と、行った先々で出会ったものを描く、イラストレーター・すげさわかよさん。フランス・パリへの留学のほか、今までに25か国以上の国々へ足を運んでいます。『北欧トラベルダイアリー』(河出書房新社刊)、『ブルガリアブック』(ダイヤモンド社刊)などのイラストエッセイも多数出版。民族衣装や民芸品、その土地に咲く野花など、その国のイメージがぎゅっと詰まったイラストは、色鉛筆による手触りのあるタッチで、あなたのもとへときめきを届けます。
https://i.fileweb.jp/sugesawakayo/
Instagram:@sugesawa.kayo
twitter:@sugesawakayo

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もみじ市 in 神代団地,出店者紹介,ジャンル:CRAFT

charan 山田亜衣(出品のみ)

【charan 山田亜衣プロフィール】
東京生まれ。2000年より、charan(ちゃらん)という屋号で銅・真鍮雑貨と真鍮アクセサリーの製作を開始。「charan」とは、山田さんご自身が作った「茶欒」という造語からきており、自分が作った作品を部屋に飾ることで、“ひとりでお茶を飲む時間や、お茶の間で団欒するようなあたたかい空間を作りたい”という想いが込められているのだそう。その由来の通り、山田さんの生み出す作品は金属でありながら、その表情のゆらめきから体温のようなあたたかさを感じます。絵本のワンシーンを切り取ったかのような、乙女心をくすぐる世界観も魅力のひとつ。ぜひ、作品を通して山田さんの紡ぐ物語にふれてください。
http://charan-ai.cocolog-nifty.com

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もみじ市 in 神代団地,出店者紹介,ジャンル:ILLUST&DESIGN

TAKAHASHI AYACO

【TAKAHASHI AYACOプロフィール】
写真学科卒業という、少し変わった経歴を持つ絵描きのTAKAHASHI AYACOさん。TAKAHASHIさんの絵を見ていると、映画を見ているような不思議な感覚を覚えます。季節、気温、湿度、音の感じやその時の光、時には匂いのようなものまで、五感で感じるものが直接脳で再現されるような、今いる場所ではないどこかに連れて行ってもらえる感覚。耳に入ってきた会話や街中にある看板、流れている音楽の歌詞など、“ことば”からインスピレーションを得て作品を作ることが多いというTAKAHASHIさん。それは平面に止まらず、バッグやブローチなど、身につけられるものにも及びます。TAKAHASHIさんが作り出す世界を身につけて過ごす、現実の世界。作品に込められた世界と地続きになっている毎日に、私は喜びが隠せません。
https://takahashiayaco.tumblr.com/

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出店者紹介,ジャンル:CRAFT

手作り石鹸 Savon de Siesta

【手作り石鹸 Savon de Siestaプロフィール】
北海道・札幌で、道産の素材を使い“ココロがホッとする”スキンケアを作る。一つひとつ手作りされる石鹸は、「今日もお疲れさま。」と声をかけてくれるかのように、優しく肌を包み込んでくれます。「コールドプロセス製法」によってゆっくり時間をかけて作られるため、たっぷりと保湿成分を含み、肌がつっぱる感触もありません。元々は、代表である附柴彩子さんが肌荒れに悩んだことから、石鹸作りを始めたのだそう。私(担当:南)も使い始めてから1年、日々を癒してくれる欠かせない一品となっています。
https://at-siesta.com
Instagram:@savondesiesta
Facebook:https://www.facebook.com/savondesiesta

【手作り石鹸 Savon de Siestaの年表・YEARS】

【手作り石鹸 Savon de Siesta・附柴彩子さんインタビュー】

もみじ市では唯一、化粧品を扱うSavon de Siesta。つるんと滑らかで、しっとりとした質感の石鹸は、まるでバターやお菓子のようにも見えますが、代表・附柴彩子さんが石鹸作りを始めたきっかけは、“お菓子作り”にあったそう。多くの人の心に寄り添う石鹸誕生の物語を、一緒に見て行きましょう。

お菓子作りが好きな少女は、父に憧れ化学の道へ

ーーー現在、北海道の札幌を拠点に活動されていますが、北海道に移り住んだきっかけはなんだったのでしょうか?
附柴:父が北大(北海道大学)出身なので、家族旅行で北海道を訪れた際に北大のキャンパスを散歩しました。緑がいっぱいで本当に綺麗で。もう「ここしかない!」と思いました。その頃から、北大に行こうと決めていましたね。それに、研究者になりたいなとも思っていたんです。私にとって研究者だった父は憧れの存在で、父のようになりたいなぁと思っていました。

ーーー元々お菓子作りが趣味とのことですが、お菓子の道は選ばれなかったのですね。
附柴:そうですね。最初は製菓の学校に行くか、化学の勉強をするか悩みました。それと歴史も好きだったので、考古学の道も迷ったんですが、父の影響が自分の中で大きくて化学の道に進みました。でも、お菓子作りは大学生になっても続けていたんですよ。週に一回はゼミに持って行って、みんなと食べたりするのが楽しくて。パウンドケーキとか、混ぜて焼くだけのシンプルなケーキを作るのが好きでした。

ーーーそもそも、お菓子作りを始めたきっかけはなんだったのでしょうか?
附柴:母がお菓子作りをする人で、それを手伝っているうちに好きになったんですよね。道具や材料が家にあったので、気付いたら自分でも作るようになっていました。お誕生日会には母がレモンケーキをたくさん焼いてくれて、来てくれた友達それぞれがデコレーションを楽しんだりして。そんな環境だったので、お菓子作りに関しては良い思い出しかないんです。小さい頃も楽しかったし、学生生活の中でも周りのみんなが喜んでくれたから。ものづくりで誰かを笑顔にすることの原体験になっているかもしれません。

ーーー充実の大学4年間を経て迎えた大学院で、研究者の道へ進まれるか悩まれていますが、なぜ向いていないと思ったのですか?
附柴:化学の研究って、狭い範囲のことを針の穴でつつくように、黙々と取り組んで、新しい何かを見つけるんですよ。それはそれで楽しかったんですけど、重箱の隅をつついているような気持ちになってきてしまって。もっと広い目で見ることができたら良かったんですけど、当時の私にはそこまでの余裕が無くて。研究は人とのコミュニケーションがあまりないなぁと思ったんですよね。一人でX線室に籠って、採取したデータを分析にかけたりするんですけど、それがだんだん辛くなってきてしまったんです。もっと人と話を<したいなぁと思うようになって。学生の時点でそう思っているということは、仕事として向いてないんじゃないかなと思ったんですよね。実験自体は好きだったんですが、自分が良いと思ったものを伝えたりすることも好きだったので、もう少し人と接する機会の多い仕事をしたいと思ってしまいました(笑)。

ーーーそれで進路を悩まれるんですね。
附柴:当時は化学を専攻したことを「ちょっと間違ったかなぁ」と思いました。もしお菓子を作る学校に行ってたら、もっと人と接することができたんじゃないかって。それで、製菓学校の資料を取り寄せたりもしましたが、今までやってきたことも無駄にしたくないなぁという思いもありました。そんなモヤモヤした気持ちで研究を続けても良い結果は出ないなと思い、一度リセットするために大学を休学したんです。

ーーーそれから始められたのが、カフェのアルバイトだったというわけですね。
附柴:そうです。お菓子に関わる仕事もしてみたかったので、カフェを選びました。そこでは接客のみで、お菓子作りはしなかったんですけど、ギャラリーが併設されていたので、運営の手伝いをさせてもらって。大学の中では出会わない人たちや作家さんに出会う機会があって、世の中にはこんな自由な生き方があるんだと思いました。それが、自分でものを作ることを始めるきっかけにもなったんです。ちなみに、石鹸屋として独立した頃、そのカフェの空きスペースをお借りしていたこともあったんです。石鹸を試作する工房がなくて、マスターに相談したら快く貸してくださいました。

お菓子作りとそっくりだった石鹸作り

ーーー休学中に、もう1つの転機である石鹸作りとの出会いが訪れるのですね。
附柴:お菓子作りの本を買うために本屋さんへよく通っていたのですが、たまたま隣に石鹸作りの本があったので、試しに石鹸を作ってみました。そしたら、材料を測って、順番に混ぜて、固めていくという作業が、お菓子作りや化学の実験の工程にすごく似ていて、楽しかったんです。人生に迷っていた私は、「やりたい仕事を見つけた」と思いました。

ーーーそこで石鹸作りに目覚めたのですね! その頃、ご自身も肌荒れに悩んでいたそうですね。
附柴:そうなんです。化粧品にかぶれたんですよ。高価なものをラインで揃えて使ったら、見事にかぶれてしまって。それをきっかけに、成分表示を見るようになったのですが、肌に本当に必要な成分以外にも色々含まれていることを知りました。それで、もっとシンプルなものを使いたいと思うようになって、石鹸を作り始めましたね。

ーーーちなみに、お菓子作りを仕事にしようとは思わなかったのですか?
附柴:悩んだ時期もありましたが、お菓子作りを仕事にするのはすごく難しいと思ったんです。すでに仕事にされている方も大勢いらっしゃるし、体力仕事なので。パン屋も考えたんですけど、粉も重いなぁと(笑)。出産やその後の人生を考えたときに、どうも踏ん切りがつかなくて。石鹸作りなら、今までやってきた化学の知識も活かせるし、作った石鹸で誰かに喜んでもらうこともできるし、これだなと思いました。

製薬会社への就職、そして起業へ

ーーーその後、すぐに石鹸作りの仕事は始めず、一度就職されたのですね。
附柴:石鹸屋さんになることを決めたものの、どうやって始めたら良いか分からなくて。石鹸屋さんで働くのか、自ら起業するのか。そこでひとまず石鹸に関係するような、化粧品や製薬系の業界を受けました。最終的には製薬系に受かったんですけど、京都勤務になってしまったんです。

ーーー大好きな北海道から離れることになってしまったのですね!
附柴:最初は北海道勤務を希望して、内定をいただいたのですが、大学院の卒業が1年早まったんです。復帰して研究を再開したら、データがたくさん取れて、論文も書けて、卒業に必要なものが揃ってしまったんですよ。教授に呼び出されて「1年で卒業できるよ」と言われたときはびっくりしましたが、まぁそれなら早く社会に出ようと思い、会社に相談して1年早く就職できることになりました。でも、勤務地が西日本だけだったんです。他の新入社員と配属先の話をしたときに、「北海道は無いよ」って言われたんですよ。どうやらその会社は、東日本と西日本の勤務地に、1年ごとに交代で採用していたそうです。そこでもまたびっくりして、人事に確認したら伝え忘れてたみたいで。最終的に京都での勤務が決まりましたが、衝撃続きでした(笑)。

ーーー波乱万丈な時期だったのですね(笑)。
附柴:ちょうどその頃、私の主人も波乱万丈な時期でした。同級生だった主人は、修士論文も終わり、卒業間近に念願の成果が出たんです。そしたら、就職せず、研究を続けたくなってしまったようなんです(笑)。そこで内定していた会社に気持ちを伝えたところ、社内の研究員になることができて、大学院に残ることができて。1年後にはその会社の援助を受けて、起業することになりました。

ーーーお互いに、怒涛の1年間でしたね。
附柴:本当に。でも、近くで起業の流れを見ることができてラッキーでした。その後、結婚のタイミングで北海道に戻り、Savon de Siestaを始めたのが2005年のことですね。

ーーー附柴さんご自身は、就職されてみてどうでしたか?
附柴:製薬会社での仕事はすごくハードでしたが、その間もずっと石鹸作りは続けていました。自分で作った石鹸を使うと、すごく気持ちが安らいだんです。なので、ただの石鹸ではなく、頑張る人にホッとする瞬間をくれるような石鹸を作りたいと思うようになりました。

ーーー私も仕事から帰って来て、Savon de Siestaさんの石鹸を使うとすごく癒されます。ご自身もそうだったのですね。
附柴:たぶんシエスタのことは、私が一番好きだと思います。ブランドを始めた当初から、日常の中で元気をくれたり、気分転換になったり、そういう気持ちで使ってくれる方は多いですね。

念願の石鹸屋・Savon de Siestaをスタート

ーーーSavon de Siestaを始めた当初は、WEBショップと、お店の展示会での販売だったとありますが、どのようにして展開されたのですか?
附柴:色んなところへ、行商みたいに足を運んでいました。お店での展示会は、私から売り込みに行ったこともあります。札幌市には、市が運営している「札幌スタイル」という認証制度があって、認証された商品は積極的に紹介してもらえるようになるんです。私もブランドを立ち上げてすぐ応募して、採用してもらえたおかげで百貨店への出店も叶いました。

ーーー2009年、4つ目の転機として実店舗のオープンを挙げられていますが、オープンまでの経緯を聞かせてください。
附柴:旅をするようにあちこちで販売しているうちに、北海道のイベントに参加させていただけるようになりました。そこでお客さまから、「日用品だから、いつでも手に取って買える場所があったらいいのに」と言われるようになったんです。私もお客さまとゆっくり会話できる場所があったらいいなと思っていたので、スペース115の1室を借りました。一人でやっていたので、無理せず週3日のオープンからスタートしました。

ーーー石鹸作りをしながらショップを運営されていたのですか?
附柴:製造は、主人の会社にお願いしていました。事業契約をして、私はレシピを提供して、主人の会社から仕入れるという形にしていたんですが、やっぱり自分で作りたくなってしまって(笑)。小さかったけれど、スペース115のビルの5階に工房を作りました。でも、お店とは別の階に工房があったので、お客さまに、ここで石鹸を作っていることを伝えても、みんな全然ピンとこないみたいで。「石鹸って作れるの?」と聞かれることも増え、これは製造過程を見せられる場所を作ったほうがいいなと思い、現在の店舗を作りました。

ーーーそれで現在のお店の形が出来上がったんですね。やはりお客さまも、製造の様子が見えると、安心して使えるのでしょうか。
附柴:そうですね、安心感に繋がりますし、興味を持ってくれますね。男性の方が工房を食い入るように見ることが多いです。あとは、子どもたちがすごく見てくれるんですよね。「大きくなったら石鹸屋になりたい」って言ってくれる子もいたりして。私自身、仕事に悩んだ経験があるので、子どもたちがもっと自由に仕事を選べるお手伝いができたらいいなぁって思うんです。今度、アートスクールとコラボすることになったんですよ。私の子どもがそこに通っていて、スクールの先生と「一緒に何かできたらいいね」って話をしていて、子どもたちがシエスタラボに見学に来ることになりました。それで、石鹸のパッケージをデザインする授業をするんです。デザインされたパッケージは、シエスタで包んで、販売をするところまでやるんですよ。子どもたちに向けて何かやりたいなと思っていたらそういうお話をいただけたので、すごく楽しみです。

店内に隣接する工房
点と線模様製作所・岡理恵子さんのイラストが壁に描かれています
一つひとつ手作業でカットされる石鹸
大きなバターのようでちょっと美味しそうです

憧れだったもみじ市

ーーーもみじ市に初めて出店されたのは2013年。今年で7度目の出店ですね!
附柴:もう、夢のもみじ市だったんですよ。出店できるまで、お客さんとしても行かないと決めていて、毎年やりたいことリストに「もみじ市に出る」って書いていました(笑)。2007年に札幌で開催した「旅するもみじ市」で初めて手紙社さんのイベントに出店させてもらって、その後、森のカフェフェスでお声がけいただいて、2013年の4月に洋子さん(手紙社・副代表)から電話がかかってきて。「もみじ市に出ませんか?」って聞かれたときのことは、今でも覚えています。キャンドル作家のnuriさんと仲が良いのですが、声をかけていただく前に京都で一緒にご飯を食べたんです。nuriさんがもみじ市に出店し始めた頃で、「夢のもみじ市なんだよね」とお話していました。

ーーーそんなに憧れを持ってくださっているなんて、こちらも背筋が伸びる思いです。もみじ市は屋外での出店ですが、大変なことはありますか?
附柴:私たちはそこまで大変な思いをしたことはなくて、むしろボランティアさんへの感謝しかないです。初めて出店した回が横殴りの大雨で、ボランティアスタッフの皆さんが「大丈夫ですか?」って気にかけてくださって、ありがたかったです。

ーーー事務局も、ボランティアスタッフさんにはすごく助けられています。
附柴:ただ、雨が降った後の河川敷は、リアカーが全く動かなくなってしまうので大変です。あと、ペース配分を間違えて、搬入日に気合いを入れすぎてしまうと、当日の体力が無くなってしまうので気を付けます(笑)。

「手作り石鹸 Savon de Siesta」のこれから

ーーー今後、Savon de Siestaをどんなお店にしていきたいですか?
附柴:やっぱり、基本は石鹸屋なんです。たまに作家さんの個展を開催したりもしますが、やっぱりシエスタは石鹸屋なんだなということを、最近強く思うようになりました。もっと、石鹸作りをストイックにやっていきたいなって。原料の選び方だったり、農家さんとのやり取りだったり。私もスタッフも心から好きだと思えて、お客さまにも喜んでもらえるものを作り続けたいなと思います。今はまず、そのための環境を作ろうとしていますね。スタッフが増えるほど、意識を統一したり、個々にやりがいを感じてもらうことがなかなか難しくなると思うんです。今は忙しくて、大変さばかり感じてしまっていると思うんですけど、そこを変えていきたいですね。

でも先日、Savon de Siestaの14周年を記念して、うちのスタッフがSNSに自分たちの写真をアップしてくれていたんですけど、みんなすっごくいい笑顔だったんです。それにはすごく感動して、みんなが居てくれて良かったなぁと、心から思いました。なので、みんながSavon de Siestaを愛せる場所を作っていきたいなと思っています。

14周年を記念した石鹸オブジェも登場します!
ぜひ一緒に写真を撮ってくださいね

《インタビューを終えて》
Savon de Siestaの石鹸で顔を洗うと、心がほぐれていくのが分かります。そして、明日も頑張る勇気をもらえます。他のスキンケアでは感じられないこの感覚は何なのだろうと、ずっと不思議でした。ですがこの日、キラキラとした表情で話す附柴さんを見て、その理由が分かりました。この石鹸たちは、心を込めて選ばれた素材のエネルギー、そして、附柴さんの思いに満ちているからなのだと。

(手紙社 南 怜花)

もみじ市 in 神代団地,出店者紹介,ジャンル:ILLUST&DESIGN

高旗将雄

【高旗将雄プロフィール】
愛知県生まれ、神奈川県在住のイラストレーター。もみじ市をはじめ、蚤の市や紙博など、手紙社イベントには欠かせない存在の高旗さん。高旗さんの描く暮らしの道具や動物たちは、ゆるりとした空気感と思わずクスッと笑ってしまうようなユーモアを持ち合わせています。また、なんといってもそのフォルムや表情に至るまで、どれもがのびのびと表現され、愛くるしさがたまりません。そんなイラストを描く高旗さん、頭の中のアイディアの泉はいつも溢れんばかりに満ちています。紙ものにとどまらず、布ものやブローチ、食器類など、暮らしに寄り添う作品が盛りだくさん。そんな高旗さんの作品を手にすると、ホッと癒され、気負わず素直な気持ちになれるのです。ぜひ、高旗将雄ワールドをお楽しみに。
http://masaox2006.xxxxxxxx.jp

【高旗将雄の年表・YEARS】

【高旗将雄さんインタビュー】
手紙社イベントには欠かせない存在の高旗将雄さん。イラストを描き始めたのは、なんと大学生になってからなのだとか! 高旗さんの学生時代から手紙社との出会いなど、担当・高橋美穂がお話を伺ってきました。

ヴィレヴァンで育ったようなものなんです

ーーー大学ではグラフィックデザインを学ばれていたんですね。美術の世界に興味を持ったのはなぜですか?
高旗:美術というより、子どもの頃から映画とかCMが好きだったんですよね。「広告批評」という月刊誌があって、休刊になるまでずっと買い続けていました。そこにCMだけじゃなく広告も載っていて、だんだんグラフィックの方に興味が湧いていったというかんじです。ちゃんと進路を考えたのは高校生の時ですけどね。

ーーー「広告批評」はいつ頃から読んでいたのですか?
高旗:中学生くらいですかね。名古屋港にヴィレッジヴァンガードがあって、行くたびにそこで買っていました。東京の本屋だと、こういった本やデザイン系の本とかも普通に置いているけど、僕の地元はそうではなかったので、ヴィレヴァンが文化的なものの全てでしたね。ヴィレヴァンで育ったようなものなんです。昔は今よりもっと本屋寄りでしたし、海外小説とかもヴィレヴァンで覚えました。

生活=スマブラorシルクスクリーンの大学時代

ーーー大学時代は漫画研究部だったのですね。ちなみに、絵は昔から描いていたのですか?
高旗:昔は全然描いていなかったです。絵を描き始めたのは大学に入学してからでした。

ーーーえっ! そうなんですね。とても意外です。
高旗:普通は大学受験の前に美術系の予備校に行ったりするんですが、僕が入学したグラフィックデザイン科は当時、学力テストと小論文で入れたんですよ。なので、予備校にも行かなかったんですよね。

ーーー漫画研究部はどんな経緯で入部したのですか?
高旗:それが、通りすがりでうっかり、なんですよね。もともとは自転車部に入ろうと思っていたんです。自転車部の説明会に向かっていたらその途中で漫研の説明会をやっていて、そのまま入部してしまいました。漫研ではゲームばっかりやっていましたね。

ーーー通りすがり(笑)! 自転車部は入らなかったんですか?
高旗:入りませんでした(笑)。今でも自転車には乗りますし整備もしますけどね。昔は好きで自転車1台作りましたもん。自転車のフレームがあったので、買ってきたパーツを組み合わせる感じです。

ーーー自転車を作る(笑)!?
高旗:正直、性能は完成形で売っているものの方が良いと思いますけど、それだと高いですからね。良い自転車を買おうと思うと高いけど、自分で作れば多少安いというか。初めてのパソコンも自分で作りましたね。こういうのって、プラモデルを作る感覚とあんまり変わらないんですよ。とにかくお金がないので、「自分で作ってしまえ」と色々作っていましたね。

ーーー「自分で作ってしまえ」という発想に至る点が、もう根っからの作家気質ですね。シルクスクリーンを始められたのは、何か理由があるのでしょうか?
高旗:大学では印刷機は使わせてもらえなかったんですが、シルクスクリーンの部屋はタダで使えたんです。それで、写真とかよりはイラストの方がシルクスクリーンとの相性が良いので、イラストを描くようになりました。

ーーー当時はどのような作品を作っていましたか?
高旗:紙ベースのものが多かったです。学祭の時にはバッグを作って売ったりもしていましたね。

ーーー大学院を卒業してからはずっと作家業一本ですか?
高旗:そうですね。特に企業に就職もしていないですし。自分の周りの漫研の人たちが全然就職しなかったので、就職しなくても頑張ればなんとかなるかなと思ったんです。グラフィック科の人は就職していましたし、僕も変わらず広告は好きだし、そちらが嫌になったわけでもないんですけどね。かと言って当時「絶対作家になる!」という強い気持ちがあったわけでもなかったのですが。

ーーーそうだったのですね。一般的には就職した方が楽だと思ったりはしなかったのですか? 作家一本でやっていこうと思えるのは、本当にすごいなぁと思います。
高旗:就職した方が安定しますからね。僕は基本的に“人に流されてやる”ということが多いんですよ。はじめはグラフィック科の中でも広告をちゃんとやっていたので、自分で言うのもなんですが、そこそこ成績はいい方だったと思うんです。漫研がよくなかったですね、みんなハナから働く気がない奴らばかりだったんで(笑)。あとはコミティアなどのイベントにも出て、普段から学校の課題以外にも自分で何かを作るという環境下に置かれていたので、作って売るということがあたり前になっていました。

ーーー学生の頃から作っていて、今も販売している作品はありますか?
高旗:生産が追いつかなくなったので今はもう手紙社さんにお願いしていますけど、「塩」と「しょうゆ」のトートバッグは学生のころ1つ1つ手刷りで作っていたのが始まりなので、販売してから長いこと経っていますね。

「塩」と「しょうゆ」のトートバッグ

ーーーあのトートバッグ、かなりのロングセラー商品なのですね。他にも、ずっと出している商品はありますか?
高旗:そんなにはないですね。いちど作って、売り切ったら終わりということが多いです。いちどに結構な数を作るので、それを売り切ってしまえば欲しい人には行き渡ったかなと思いますし、同じものを作るより、新しいものを作れるなら、そっちの方がいいかなと思っています。

「土星」が引き寄せた出会い

ーーー高旗さんと手紙社の出会いは1冊の本がきっかけだったのですね。「土星」とはどんな本だったのでしょうか?
高旗:僕ともうひとり、漫画を書いていた人とで企画をしました。pixivで描き手を募集して、はじめはグループ展をしていました。「土星」はそうやって集まったメンバーで毎回テーマを決めて、各々がイラストと文章を作る、というリトルプレスです。2010年に初めて作って、年2回のペースで発刊していました。結局2年くらいしかやらなかったんですけど、手紙社の代表の北島さんが本の対談の中で「土星」を紹介してくれたんですよね。

「土星」1号

ーーーその後、当時の手紙舎調布パルコ店で展示をされていますが、どういった経緯で展示をすることになったのでしょうか?
高旗:僕が北島さんに挨拶をしに行ったんです。本の編集をしていた方から「対談の中で『土星』のことを載せていいですか?」という連絡が来たので、それなら挨拶しに行こうかなと。その時に作っていたものを一緒に持って行って見てもらって、展示が決まって、という流れでした。

ーーー手紙舎調布パルコ店での展示はどういったものでしたか?
高旗:学生のころからずっとマッチ箱をシルクスクリーンで作っていたので、それをメインに展示していました。今作っているものとは少し違うんですが、ブローチもこの展示に合わせて初めて作りましたね。この展示の翌年にはもみじ市にも出店するようになって、今に至ります。

シルクスクリーンで作ったマッチ箱

もみじ市はあっという間の2日間

ーーーもみじ市には2013年の「カラフル」から出店いただいておりますね。特に印象的だったもみじ市はありますか?
高旗:もみじ市って実はあんまり覚えてないんですよね。それくらいバタバタしているというか、あっという間というか。開催2日間とも晴れた年が1回だけあったと思うんですけど、あれはいつのもみじ市だったかな、とかちょっと思い出せないんですよね。記憶も色々混じってしまって。

ーーー高旗さんといえば、楽しいワークショップも印象的ですよね。今までのワークショップのお話を聞かせていただけますか?
高旗:確か初めて東京蚤の市に出た年は、手紙社の方から「買ったものを持って帰るためのカバンが欲しいから、トートバッグをシルクスクリーンで刷る、というのはどうでしょう」と提案されてやりました。その後は、もみじ市以外でのワークショップも含めると、シルクスクリーンでTシャツや手ぬぐいを作ったり、似顔絵を書いたり、モビールや驚き盤を作ったこともありました。2017年の「ROUND」のもみじ市では、缶詰を作れる機械を買ったので、好きなものを入れて自分でオリジナルの缶詰を作る、というワークショップもやったんですが、これはちょっと不発でしたね。cafeゴリョウさんとのコラボで作った「momiji缶」は上手くいったので、缶詰は最初から中身が入っていてこそなんだなと思いました。

ーーー本当にたくさんのワークショップをしてくださっていますね! 聞いているだけでもワクワクしてしまいます。イベントで時々どーんと登場するドローイングガチャも、目を引きますよね。
高旗:ドローイングガチャは去年のもみじ市で初めてやりました。もうちょっと、仕組みをどうにかしたいなとは思っているんですけど、難しくて。

ドローイングガチャ

ーーー日々進化しているのですね。今年はどんなワークショップを予定していますか?
高旗:どうしましょうね(笑)。ちょっとまだ未定なんですが、今年もドローイングガチャをやりたいかな、と思っています。

ーーー詳細情報、お待ちしてますね。今年のテーマが「YEARS」ということで、高旗さんの今までのお話を伺ってきましたが、これからやりたいことはありますか?
高旗:やりたいことはあると言えばあるんですが、きっとあまり人に言うもんじゃないですよね。イラストの仕事って、資格をとるものでもないし、年に仕事が1本あるだけでも「イラストレーターです」と名乗れますが、年1本じゃ生活はできない。コンスタントに毎月毎月仕事がないとやっていけないんですけど、何かものすごい大ヒットがあって、急に仕事がガッと増えるというものでもないですから。やっぱり少しずつの積み重ねで仕事をする機会が増えていくものだと思うので、これからも“続けていくこと”が大事だなと思います。

《インタビューを終えて》
高旗さんの生み出す作品を手に取ったり、ワークショップに参加されているお客さんは、皆さん笑顔が輝いているのが印象的です。それはきっと、高旗さんの作品が「素敵!」、「可愛い!」というのはもちろんのこと、高旗さんご自身が“ワクワクする仕組みを生み出す天才”だからなのではないかと、インタビューを通して感じました。インタビュー中、「僕は基本的に流されやすいタイプなので」と度々口にしていた高旗さん。もみじ市当日、「こんなの楽しそう!」「こんなのあったらいいな」など、ぜひ高旗さんとお話ししてみてください。もしかしたら、次に高旗さんの頭の中から飛び出す“ワクワク”の、小さな種となるかもしれません。

(手紙社 高橋美穂)

出店者紹介,ジャンル:BREAD

三角屋根 パンとコーヒー

【三角屋根 パンとコーヒープロフィール】
「毎日食べていただけるようなシンプルなパンとコーヒーを」というコンセプトのもと、中澤一道(かずみち)さん、裕佳(ゆか)さん夫婦が香り高いパンとコーヒーを提供する。神奈川・葉山に立つ一軒家のお店は、その名の通り、まるで絵本の中に登場しそうな三角型の屋根。併設のカフェには日当たりの良い庭があり、パンとコーヒーをのんびりと楽しめて嬉しい。パンと焼き菓子は、選りすぐりの国産の小麦を使用し、裕佳さんが製造。またコーヒーは、ドイツ製の焙煎機で旦那さんの一道さんが丁寧に焙煎。初出店となる今回、どんな幸せを届けてくれるのか、楽しみでならない。

http://sankaku-yane.net
Instagram:@sankaku.yane

【商品カタログ予習帳】

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出店者紹介,ジャンル:CRAFT

TOKIIRO

【TOKIIRO プロフィール】
10年前から千葉・浦安にアトリエを構え、イベント出店やワークショップなどを通じ、多肉植物のある暮らしを提案し続けているTOKIIRO。ぷっくりと膨らんだ葉やうねりのある茎など、神秘的な姿の植物を器の上に絵を描くように植えていきます。現在、NHK「趣味の園芸」の講師を務めたりと多岐に渡り活動中。季(とき)の色を感じる大小様々な多肉植物がひとつの器にアレンジされ、その姿に惚れ惚れとしてしまうことでしょう。
http://www.tokiiro.com

【TOKIIROの年表・YEARS】

【TOKIIROさんインタビュー】
最近では手軽に購入できるようになった多肉植物。ぷっくりと可愛い葉や、個性的な形の植物に癒されている方も多いはず。TOKIIRO・近藤義展さんの作る多肉の寄せ植えは、小さな鉢植えの上に何種類もの品種の植物たちが、絶妙なバランスを取りながら共存しています。実は多肉の道へと至るまで一筋縄ではいかない体験を持つ近藤さんに、浦安のアトリエでお話をお聞きしました。

好きなものに没頭していた学生時代

ーーー近藤さんは昔から植物がお好きだったのですか?
近藤:小さい頃からミュージシャンになるのが夢で、大学に行っても音楽に明け暮れた日々を送っていました。パートはキーボードで曲作りも自分たちでして、プロの道へと突き進んでいきました。

ーーー音楽の道に進んでいたんですね
近藤:プロになってしばらくして気がつきました。どんなに努力しても1%の才能を持つ人たちには敵わないって。あまり他の人たちがどんな音楽を作っているのか、流行りはどういうのかなど、周りのことは気にしない性格だったのですが、ある時から曲を作ることができなくなって、「あぁ、自分には才能がないんだな」って悟って、ほどなくして違うことをしようとなりました。

ーーーなるほど。それで音楽から植物の道へ……。
近藤:いや、今やっている多肉との出会いは結構最近なんです(笑)。音楽を辞めてからは、自分で事業を立ち上げたりして今とは全然関係のない仕事をやっていましたよ。自分の価値は自分でしか測れないと思っていた時期があって、どこかの会社に入ってお給料をもらっても、それは本当に自分のスキルに対して正当なものなのか、と疑問を持っていたので、自分だけでできる仕事をしようと移っていきました。

個人事業とうまくいかない日々

ーーー個人事業をいきなりはじめたのですね。そのときはどんなことをされていたのですか?
近藤:まずは事業を始めるにあたって、帝王学や成功哲学とか、仕事でどうやったらちゃんとお金を稼ぐことができるかを徹底的に学びました。そこで見つけたのが、“まだ世には出ていない未来の製品”を作っているメーカーの代理店の仕事です。今で言うiPhoneのような、その当時はまだ使い方もわからないような物を作っている夢のような会社がありました。そういった物を扱って販売していたのですが、何と言っても誰も使ったことがない、前例のないものを売るわけだから、買ってもらうのは大変でした。

ーーーたしかに、未知の道具に対して最初は怪しんでしまいますよね。
近藤:なので、物を売ると言うよりも、“自分”を売る、という表現のほうが正しいかもしれません。まずは近藤義展というひとりの人間を信用してもらい、この人が勧めるなら間違いないと思ってくれるアプローチをしていきました。こういう時に学んでいた帝王学とかが活きてきましたね。

ーーー夢の道具を売り歩く商社マン、と言ったところでしょうか。かっこいいですね。
近藤:でも、長くは続きませんでした。プライドだけが高くなって、間違った方向に進んでいても自分の考え方を変えられなくなっていったんです。「かっこよくいたい」、そう考えてしまって、今考えれば全然かっこよくないのに、それが正解だって思ってしまっていて。先輩たちからの忠告やアドバイスもたくさんもらっていたのですが、受け入れられずにいました。冷静になって思い返せば、大事なことをたくさん言われていましたよ。それで、事業がうまくいかなくなって、借金だけが増えて生きていくのさえ辛くなっていきました。

ーーーそこから今に至るまでどんな心境の変化があったのでしょうか。
近藤:その頃は家賃を払うのもままならなくて。でも、先の見えない生活でも猫は飼っていたのですが、その子のご飯は「何としても食べさせなければ」と思っていたんですよ、自分が食べるのも精一杯だったのに。だけど本当に仕事も無くなり、何もすることがない日々が続いて、もう無理だと人生の終わりを悟りかけた時、猫の「にゃー」って鳴き声を聞いてハッとしたんです。自分が居なくなったらこの子はどうやって生きていくのだろうと。この時から死に物狂いで何でもやるようになりました。

ーーー飼っていた猫に救われたのですね。
近藤:そうですね。それからは知り合いからの紹介で、地デジアンテナの交換の仕事をはじめました。まだ地デジって何? と思われている時期で、中々理解を得られない方にも根気強く説明したりして、アンテナの取り付けなど行っていました。他人と協力して何かを成し遂げる、ということもこの時が初めてでした。

ーーーずっとひとりだった近藤さんの仕事に、他の方が関わるようになっていったのですね。
近藤:誰かと協力して仕事をしたことがない、と言うよりもひとりのほうが良いと思ってきたので、考え方が180度変わりました。仕事も順調に進むようになり、だんだんとお金も入るようになってきて、安定した生活を送れるようになりました。それからしばらくして、ここから今に繋がる出来事が起こり始めます。

多肉とのはじめての出会い

ーーーここまで目まぐるしい経験をしてきた近藤さんが、ついに多肉の世界へ!
近藤:出会い自体は山梨にある八ヶ岳倶楽部というところでした。でも最初は多肉を見に行くためじゃなくて、親戚から「おいしいフルーツティーがあるから飲んできなよ!」と言われて訪れた先で、たまたま八ヶ岳倶楽部という森の中にある美しいレストランとギャラリーに夫婦で訪れたのがきっかけです。ショップには多肉がすらりと並んでいて、妻がそこにあった多肉のリースが欲しいと言ってきて。最初は多肉のことも植物のことも全然詳しくなく、価値もわからなかった僕は「買わないよ!」と言いました。生きている植物を育てた経験もなかったので、すぐ枯らしてしまいそうで……。

ーーーはじめて出会った多肉は手に入れずに終わったのですね。
近藤:ただ、お会計を済まそうとレジに行った時に柳生真吾さんという方が書いた多肉の本が置いてあるのに気付きまして。真吾さんは八ヶ岳倶楽部を作った柳生博さんの息子さんで、そこの代表をしている方です。今で言う“自宅で気軽に楽しめる多肉や園芸ブーム”を広めた先駆者的存在です。その本の中を見たら、さっきのリースの作り方が書いてあって、じゃあ作品は買えないけれどこの本を買って自分で作ってみようか、そう思ったのがこの道に進んだ第一歩です。

ーーーまさかフルーツティーから多肉の世界へ進むとは! リースは実際作られたのですか?
近藤:次の日には作り始めていました。東京に戻り、まずは近場のホームセンターなどで多肉を掻き集めて……。まだ、その時は手頃に多肉が手に入らなかったので苦労して集めました。試行錯誤しながらも頑張ってなんとか形にして、リースを妻にプレゼントしたのです。そしたらすごく喜んでくれて! 妻は自分の事業が立ち行かなくなって苦しんでいた時も支えてくれていた存在で、その彼女が植物でこんなに笑顔になってくれるのか、と感動しました。その笑顔が嬉しくて、その笑顔のために多肉を作ろう、そう思ったのです。それからは作ってはプレゼントする、というのを何度も繰り返し、いつの間にか家の周りが寄せ植えだらけになっていました。外にも置いていたので、近所の人も気になって声を掛けてくれるようになり、時には「この寄せ植えはどこで買えるの?」と聞いてくれる方もいたので、そういう人にも作ってあげるようになりました。

ーーー奥さんへのプレゼントから、他の方にまで近藤さんの作ったもので喜んでもらえるようになっていったのですね。
近藤:趣味で作っていたものだから、欲しいという人には、ついつい渡すようになっていきました。仕入れもその時は市販の多肉を買ってきて使ったりしていた時に、名前があれば市場で安く仕入れられるとわかり、屋号を「季色」という名前にして、やっと手頃な価格で材料を集められるようになりました(笑)。その年の日比谷ガーデニングショーというコンテストに出してみようかとなり、このときも、あくまで趣味の延長だったのですが、2年連続で入賞し周りの人から認めていただくようになりました。

生き方を変える出会い

ーーーまさか仕入れが安くなるという理由で屋号が決まるとは……。
近藤:コンテストに出るようになっても、この世界だけで生きていこうとはまだ思っていませんでした。それ以外にも野外フェスに参加するようにもなり、だんだんと出店する機会が増えたくさんの人に見てもらえようになりました。いくつかの出店を経て、2012年に参加したイベントで、八ヶ岳倶楽部で購入したあの本の作者、柳生真吾さんがイベントにいらしたのです。それも、自分のブースに立ち寄ってくれて。自分からしてみたら多肉の道へ引き込んでくれた方でもあるし、園芸の世界の神様のような存在でもあるし、まさかその方が自分の所に来てくださるなんて! と驚きました。そしたら、作品を見て褒めてくれたんですよ。帰り道は舞い上がるような気持ちで、これ以上ない幸せな瞬間でした。その後に真吾さんから連絡があり、八ヶ岳倶楽部でTOKIIROの作品を取り扱いたいと言われたんです。そこから真吾さんと直接関わらせていただき、亡くなる2015年までの3年間を密に過ごさせていただきました。

ーーー憧れだった方と出会い、そして一緒にお仕事ができるようになったのですね。とても幸せな時間ですね。
近藤:真吾さんは裏表なく、とても優しく、全てが尊敬できる方でした。2015年に亡くなったという連絡をもらった時は、その事実を受け入れられず整理が追いつきませんでした。ただただ真吾さんへの想いが溢れてしまって、フェイスブックで真吾さんへ宛てた手紙のように、いろいろなことを書いたんです。今までのお礼とか、「何がしたかったですか?」とか「僕が引き継げることはありますか?」とか。それを投稿したら、コメントの中で、あるコラムの写真が送られてきたんです。それは真吾さんが書いた連載のコラムの最後のもので、内容は多肉についてでした。「多肉って紅葉するのだけれど、葉が落ちることはない。なんでだろう?」そんなことが書いてありました。送ってくれた人は、真吾さんは最期にこれが知りたかったのではないでしょうか、と投げかけてきたのです。自分も知らないことだったので調べてみると、すぐ答えにたどり着きました。真吾さんが、多肉が落葉しないことを知らないはずがないんですよ。もしかしたら次のコラムで、実はこういう理由でね、と続いたかもしれません。ただ、このことがあって、多肉についてどんどん知るきっかけになっていたのです。これまでは、ただ楽しいから続けていた多肉だったのですが、葉っぱの中で今何が起きているのか、なんでこの形になったのか、と疑問が沸いて出てきました。扱っているのは植物なのですが「この子をいつまでも元気に育てるにはどうしたら良いだろう」、「そのためには土のことを知ろう」、「いやもっと微生物のことを知ろう」、「いやいや地球そのものを知ろう!」と想いの向く先がどんどん広がっていきました。最近では自分の多肉を選んでくれる方には、その多肉がどういう所で生まれ育ち、どうしていけば共存していけるかをアドバイスしています。

ーーー多肉に対する向き合い方を与えてくれたのですね。そうして今のTOKIIROさんへと繋がっていくのですね。
近藤:真吾さんとの出会いがあり、今では彼がキャスターをしていたNHK「趣味の園芸」の講師をさせていただいたり、海外で多肉を披露する機会を得られたりしています。

ーーー活動の幅がもっと広がっていったのですね。これからどんな活動をされていくのか、楽しみです。本日はありがとうございました。

《インタビューを終えて》
園芸や植物と聞くと、大人しいイメージがついて回りますが、TOKIIRO・近藤さんのお話を聞いていくと、表面上だけではわからない、もっと深くにある生命そのものを知りたい、そんな探求心が成せる世界なのだと感じられました。はじめは自分ひとりきりで生きていた近藤さんが、人生に行き詰まった時に気がついた、人との関わり。誰かのために何かをしたいと思う、それまでの価値観をガラリと変える出会いを経て、今のTOKIIROさんがあるのです。もみじ市では、近藤さんの追い求める“命”とは何か、そんなことをTOKIIRO作品から感じ取っていただきたいです。

(手紙社 上野 樹)

もみじ市 in 神代団地,出店者紹介,ジャンル:CRAFT

ナカキョウ工房

【ナカキョウ工房プロフィール】
毎年毎年、どんな年でも、もみじ市に全力集中。目一杯の愛を持ってもみじ市にとびきりの「ニヤリ」を届けてくれる、ナカキョウ工房・中澤京子さん。柿渋染の生地をメインの素材として、刺繍のブローチやオブジェなどを制作しています。彼女の手から生まれる動物たちは、巷に溢れる動物グッズとは一味違う、無愛想なのに愛おしく、可愛いけれども甘くない「ナカキョウワールド」を展開しています。ブースを訪れるたび、来る人をわっと驚かせるワクワクを用意してくれる中澤さん。もみじ市で彼女の作品と出会うたび、「参りました」と思うのです。
https://www.nakazawakyoko.com

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