もみじ市 in 神代団地,出店者紹介,ジャンル:CRAFT,ジャンル:OYATSU

ひだまり商店とco+fe

【ひだまり商店とco+fe プロフィール】
北浦和の閑静な住宅街に佇む、以前はお米屋さんだったという木造の一軒家でおやつ屋を営む「ひだまり商店」は、平飼い卵や埼玉産無漂白小麦など厳選した材料で、干した布団のように心をポカポカと包むようなお菓子作りを行っています。

そんな「ひだまり商店」の店舗で扱っているのが、木(Co)と鉄(Fe)を組み合わせて作るco+feのインテリア雑貨と、フラワーデザインnote:のブーケたち。昨年11月に出版されたひだまり商店・いてのまみさんの初の著書『ひだまり商店がおやつの時間をお届けします』(学研)では、note:さんがスタイリストとして協力、また撮影用小物をco+feさんが提供するなど同メンバーが集結し、完成した書籍からもお店そのままの笑顏あふれる雰囲気が滲み出ています。

これら3作家が結集したブースでは、それぞれの作品はもちろんのこと、ひだまりのお菓子×co+feのアルミプレート、co+feの照明×note:のシェードなど、組み合わせのディスプレイにも期待。またもみじ市に先がけて、手紙社の運営する書店・本とコーヒーtegamishaでは、今年で4年目となる毎年恒例のフェアを開催(8/28〜9/16)。こちらで予習もお勧めです!

【ひだまり商店】
blog:itemu.exblog.jp
Instagram:@hidamarishouten
【co+fe】
http://co-fe.handmade.jp/
Instagram:@co_fe.m.w
【note:】
Instagram:@no_te1

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もみじ市 in 神代団地,出店者紹介,ジャンル:ILLUST&DESIGN

ニシワキタダシ

【ニシワキタダシプロフィール】
思わずつっこみたくなるようなおかしなシチュエーションと、ユーモアあふれる関西弁のことばたちが魅力のイラストレーター。その独特の世界観や、“なんともいえない”キャラクターたちのとりこになっている方も多いのではないでしょうか。画風を少しずつ進化させながら日々生まれるニシワキワールドからは目を離せません。代表作『かんさい絵ことば辞典』(パイインターナショナル)をはじめ、絵本『ぼくのともだちカニやまさん』(PHP研究所)『えでみる あいうえおさくぶん』(あかね書房)や、漫画『かきくけおかきちゃん』(大福書林)など著書も多数。
http://www.smoca-n.com/
Instagram:@nishiwaki_t

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もみじ市 in 神代団地,出店者紹介,ジャンル:ILLUST&DESIGN

白水麻耶子


【白水麻耶子プロフィール】
画家・美術作家。大阪出身。広島県尾道市在住。生活の中から生まれる想いや信条を、人や動物など具象的なモチーフを用いて表現している。白水作品は青が基調となっており、夜の空気のような、深い海のような、森の奥深くにいるような、そんな美しく幻想的なブルーは、見る者を異世界に誘う。独創的な作品たちは、一目で心が揺さぶられ、その世界に溶け込んでしまう。作品は、絵画ばかりでなくブローチなども。イベントでは、似顔絵仮面(ポートレートマスク)を制作したり、音楽と共にライプペイントも行ったりする。このほど「ちいさいあなた」という、小さな張り子に、お客さまから言葉やイメージをもらって絵を描く新しい試みもスタート。自身のTwitterでは、モノクロのイラストを日記のように公開している。最近、青の世界に広がりや深みがさらに増しており、翼が生えたような印象を受ける。そんな白水さんがもみじ市でどんな世界を繰り広げるのか楽しみでならない。
Instagram:@mayakohakusui
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もみじ市 in 神代団地,出店者紹介,ジャンル:CRAFT

廣田哲哉

【廣田哲哉プロフィール】
陶芸家。笠間を拠点に活動されています。ファニーな表情をたたえた顔のある “イキモノのうつわ”を、生み出しています。のびやかで自由、型にはまらない、器のフィールドをひらりと飛び越えたインパクトある佇まいは、まさに変幻自在。毒とシュールを孕んだ愛くるしさ、道具として誠実に寄り添ってくれる上質な頼もしさ、どのような器使いも大正解! といったおおらかさとユーモア。そんな幅のある魅力がプリズムのようにキラキラとつまっています。器とオブジェの境界のちょうど良いポイントに漂う愉快なイキモノたちは、湧き上がるインスピレーションと共に暮らす喜びを今日も届けてくれます。
Instagram:@tetsuya_hirota_

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もみじ市 in 神代団地,出店者紹介,ジャンル:ILLUST&DESIGN

ペペペ似顔絵店

【渡邉知樹プロフィール】
絵本作家、画家として活動する「ぺぺぺ似顔絵店」こと渡邉知樹さん。絵をメインに、鳥オブジェなどの立体作品も制作している。色使いも秀逸。詩や漫画を描いたり、ピアノを奏でるなど、表現方法もバラエティーに富む。山手線を1周歩いたり、東京マラソンに出場したり、フットサルをしたり、料理したりと、心が動かされることを大切にして、心の赴くままに行動を起こしていく。ヒッチハイクで、似顔絵を描きながら日本を放浪し、描いた似顔絵は3000枚以上にもおよぶ。海外も10ヶ国以上を旅しており、近年では、国内のみならず、海外にも進出。無類の映画好きでもある。渡邉さんが制作する作品は、絵・立体・文字・文章……、どれも愛らしさと力強さ、儚さが共存しており、その研ぎ澄まされたセンスに心が揺さぶられる。その表現力には、驚かされてばかり。彼の持つ、繊細さや感度、そしてゆるやかさと優しさを、似顔絵の世界で感じていただきたい。
http://suetomii.wixsite.com/tomoki

もみじ市 in 神代団地,ジャンル:ILLUST&DESIGN

makomo


【makomoプロフィール】
大阪を拠点に雑誌、書籍、WEB、雑貨など、多岐にわたって活躍しているmakomoさんが描くのは、じわじわと笑いがこみ上げる脱力系イラスト。ゆるくてかわいいイラストのどこか異様なおかしさは、二度見、三度見したくなるほど癖になります。自らを“おもしろメーカー”と称し、肩の力を抜いて笑える作品を数多く手がけているmakomoさんですが、その裏には「おもしろいものをつくってやろう」という強い意志も。おもしろさを追求したmakomoワールドから目が離せません。
http://makomo.jp/
Instagram:@makomotaro

【makomoの年表・YEARS】

【makomoさんインタビュー】
矢印が飛び交うこの年表を見た瞬間、おもしろメーカー・makomoさんの頭の中をちょっと垣間見れたような気がしました。これまで、どのような人と出会い、関わり合って、このmakomoワールドが作りあげられてきたのでしょうか。担当・永井が年表の矢印を1本ずつ辿りながら、お話を伺いました。

makomoのはじまり

ーーーmakomoとして活動を始めたのはいつですか?
makomo:makomoという名前をつけたのは、2006年に友人と京都でフリーペーパーを作り始めたときが最初です。編集とイラストを担当していたんですが、編集とイラストが同じ名前なのはいやらしいなーと思って別の名前をつけてみたんです。

ーーーどんなフリーペーパーだったんですか?
makomo:『temiru』っていうフリーペーパーで、京都に関係する若手アーティストと中高生の橋渡しをするというコンセプトでした。作品紹介とインタビュー、中高生とのワークショップ取材記事などの誌面構成で、京都市立のすべての中学校と京都府内の一部の高校と大学に置いてもらっていました。あとは美術館、博物館、ギャラリーとかにも。美術って出会わない人はずっと出会わないものじゃないですか。少しでも出会う機会が増えることで、ちょっとでも理解してもらえたらなって思って始めたんです。まあ半分、その友達に流されてやったみたいな感じなんですけど。

ーーーおもしろそうなフリーペーパー!
makomo:NPOを立ち上げて一応、志を持ってやっていたんですが、大きな助成を受けるわけでもなく、ほぼ自分たちの持ち出しで作っていたので、半分趣味のようなものですよね。厳密には今も続いていることになっているんですけど、みんな忙しくなってきたから今は休刊中です。最初は2か月に1回の発行、しばらくして3か月に1回くらいのペースで発行して、26号まで出てます。

ーーー休刊中とは残念。見てみたかったです。
makomo:2、3か月に1回ペースで出すのは厳しかったですね。終わったと思ったらすぐやってくるので(笑)。でもこのフリーペーパーがすべてのをきっかけですね。それまでギャラリーに行ったことがなかったんですけど、フリーペーパーを配るためにも、いろんなアーティストを知るためにもギャラリーに行くようになったんです。そうしているうちに、流れで自分も2007年に初の個展を開くことになりました。

ーーー初めての個展はどんな感じでしたか?
makomo:会場が10m×7mの大きなスペースでした。それまでは小さい絵しか描いたことがなかったんですが、小さい絵だと全然空間が埋まらないと思って、苦肉の策で大きい絵を描くことになりました。

ーーーmakomoさん的には小さい絵と大きい絵、どっちを描くのが好きなんですか?
makomo:どっちも好きですが、大きい絵のほうがおもしろいと思います。大きいっていうだけでおもしろいので。大きい絵を描き始めたときは、おもしろい作品だと思いながらも、こんな事は既にもう誰かがやっているだろうっていうコンプレックスがありました。続けているうちに、案外やっている人がいないことがだんだん分かってきて、少し自信を持ちました。それからは周りの目はあまり気にせず、ただ自分がおもしろいと思ったものを作っています。

ーーー大きいものを描くことってそれだけで大変そうですが?
makomo:大変なのは、一度始めたら失敗ができないプレッシャーくらいですね。失敗したら0から描き直さないといけなくなるので。大きい絵は小さく描いたものを拡大コピーして、それをトレースして下絵を描いているから、最後は作業みたいな感じになるんですけど。

ーーートレースして描いているんですね!
makomo:そうです。バランスを見ながらいきなり大きな絵を描くのは身体的に大変なので。あと絵の具も比較的薄く塗っているから下絵の線が最後まで見えてしまうので、下絵からちゃんとした線を引いておかないといけなくて。

ーーーなるほど。たしかにこんなに大きな絵、バランスをとるのが難しそうです。
makomo:そうですね、僕はバランスとか重心とかを見ることに一番時間を使います。下絵の段階でちょっと置いて、寝かせてみての繰り返し。そんな微妙な違いなんて、誰にも気づかれないかもしれないんだけど、結構完璧主義者だからこだわってしまうんですよね。あと、やっぱり一番大変なのは一番最初のおもしろい絵柄を思いつくところですね。

ーーーこんなにイラストは自由でゆるい雰囲気なのに、完璧に計算し尽くされた背景があったとはなんだかギャップを感じますね。そういうところもmakomoさんの手がけるもののおもしろさなのかな……と思いました。

ーーーでは、makomoさんが思うおもしろさとは、どういったことなんでしょうか?
makomo:あるものがあって、それと少し違うということ……かな? うまく言葉にできないんですけど、言葉にできないからこそ、おもしろいのかなとも思っていて……。例えばこの絵を言葉で説明しようとすれば「舟にオムレツが乗ってて」とか、「足が太くて長くてバランスがおもしろい」とかそんな感じで言えるのかなとは思うんですけど、それだけじゃない、言葉にできない部分があるんだと思うんです。おもしろ方程式みたいなのがわかれば、もっといろいろ生まれるんだろうけど、でもそれがないところがおもしろいのかな?

初個展を経て広がっていく人との繋がり

ーーー大阪で雑貨店とギャラリーを営むオソブランコさんは、手紙社のイベントにもよく出店いただいていますが、2007年にそこで個展されたのは、どういう経緯からだったんですか?
makomo:友達が撮った僕の初個展の写真をオソブランコさんが見たようで、そこから個展をやらないかって誘われました。今考えるとオソブランコさんに出会ったことは大きな出来事でしたね。そこからは毎年個展をさせてもらっているし、いろいろな提案をしてもらってグッズも一緒に作っています。あとオソブランコさんでの個展をきっかけに繋がった出会いもありました。

ーーーどんな出会いがあったんでしょうか?
makomo:オソブランコさんでの個展のDMを見て、「GONTITI」のゴンザレス三上さんが本を作ってくれたんです。それまで書いていたブログを抜粋、加筆したもので、『ほんきでてきとうに』っていう本なのですが、今では描けないだろうと思う変な絵と文ばかりです(笑)。これが僕の初グッズでした。それからその本を持っていろいろなところに売り込みにいきました。「置いてくれませんか」って、アポなしで一軒一軒言って回ったんです。

ーーーそこを経て、次は大阪のアートギャラリー・Pantaloonで個展を。
makomo:はい。フリーペーパーの取材で行った場所で、話の流れで個展をさせてもらうことになりました。で、その個展を見たエルマガジン社の方からイラストレーターとしての仕事をいただいたんです。エルマガジン社の年賀状のイラストを描く仕事で、新年号が猫特集だったので、猫が鏡餅みたいに重なっているイラストにしました。「ハッピーニャーイヤー」みたいなテキストを加えてもらって。

ーーー可愛らしいですね(笑)。その翌年がターニングポイントになっているのは、どんな出来事があったのですか?
makomo:『temiru』の編集をやりつつ、イラストレーターをやっていたことに興味をもってもらって、トークイベントに呼ばれたんです。でも僕トークが苦手でぐだぐだになりそうだったので、来てくれた人に、何かお土産を用意してごまかそうと思って絵本をつくりました。それに自分が今どんなことをおもしろいと考えているかも伝えたいなと思ったので、「おもしろ絵本」を作ってお土産にしたんです。家のプリンターでプリントして、自分で綴じて作りました。『ももたろう』『きんたろう』『うらしまたろう』『うさぎとかめ』『ねこふんじゃった』の「おもしろ絵本」はそのときできた作品です。それから絵本作りはライフワークになっていますね。

ーーー2013年のもみじ市が初めての参加だったんですね。
makomo:はい。まず「紙ものまつり in 大阪」に、よく印刷をお願いしていたレトロ印刷JAMさんの推薦枠で参加させてもらって。その時つくった、「ハムとレタスの紙」を北島勲さん(手紙社代表)が気に入ってくれて、そこから手紙社さんに商品を置いてもらうようになりました。その後、今はなき手紙舎調布PARCO店での個展などを経て、2013年にもみじ市初参加です。なんか今、年表を作りながら振り返ってみて、ここらへんの懐かしいアイテム、復刻してみてもいいかもって思いました。

ーーーぜひぜひ! 実際に見てみたいです。ネーミングからしてすごく気になります。
makomo:う~ん、考えてみますね。もみじ市のすごさを知らずに初めて参加した2013年はテントなしで、机2台だけ並べた状態でやりました(笑)。その後毎年参加しているうちに、ちゃんとするようになって、今ではテント立ててやっていますが、今年は原点復帰してもいいかもしれませんね。並べるものとしてはアクリルキーホルダーの新しいものを作って持っていく予定です。HITOHARIさんとのコラボもやるので、楽しみにしてもらえると嬉しいです。

ーーーアクリルキーホルダー、本当に人気ですよね! お客さまも楽しみにしてらっしゃると思います。

横入りコロコロ人生

ーーーそういえば、最近ですよね。肩書きを「イラストレーター」ではなく、「おもしろメーカー」としたのは。
makomo:おもしろメーカーと書いたのは、昨年の新宿クリエイターズ・フェスタのプロフィールが最初です。イラストを描くだけじゃなく、アイデア出しのところからやっていきたくて。もっと前段階から声をかけてくれれば、もっとおもしろいこともできるのにって思って名乗り始めました。

ーーーなるほど。たしかにおもしろさを作り出す根本的なところから関わるんだったら、イラストレーターっていう肩書きだけではおさまらないですね。
makomo:はい。イラストも、ひとつ描けばどんなグッズにも流用することができるんですけど、アイテム1つひとつにはそれぞれに合った絵が必ずあるだろうから、ちゃんと考えたいなって思っているんです。だから肩書きはおもしろメーカーがいいかなって。それに僕自身、イラストレーターになりたいって思っていたわけでもなかったですし……。

ーーーえ!? そうなんですか!
makomo:はい。高校、大学とデザインの学校で絵はずっと描いていたんですけど、イラストレーターという職業は頭になくて。かと言って、その頃何かなりたいものがあったのかって言われると、それもないし、全然記憶がないのですが……。2006年より前は、本当に記憶がなくて、だらだらとしていたんですよね(笑)。

ーーーまさかイラストレーターになりたいと思ったことがなかったとは!
makomo:僕の人生、横入りです。大きい絵の展示からイラストの仕事をもらって、横からイラストレーターという世界に入って、今こうしていろいろやらせていただいて……。自分の人生を今回振り返ってみてタイトルをつけるとすると、“横入りコロコロ人生”かなって思います。

ーーー“コロコロ人生”とは?
makomo:年表の矢印を見てもらえば分かると思うんですけど、本当にいろいろなところへ矢印が伸びていると思います。いろいろな人に出会って、うまいことコロコロ転がってきたんです。最近の話で言うと、2018年、2019年とJR西日本の「さわやかマナーキャンペーン」の絵を担当してるんですが、そのきっかけが『temiru』でした。2006年に『temiru』の誌面づくりに協力してくれた中学生がデザイナーになって、『temiru』に載せていたイラストを思い出してくれたみたいで、依頼がきたんです。本当にいろいろな出会いによって流されるように転がってきて、今があるので、“横入りコロコロ人生”です(笑)。

ーーー年表の2006年から出ている1番長い矢印がその『temiru』を手にした女の子からの依頼のお仕事だったんですね! フリーペーパー『temiru』の活動が10年越しでこうした繋がりを見せるなんて。今後もどんな矢印がこの年表に書き足されていくのか私も楽しみにしています!

《インタビューを終えて》
イラストレーターの世界で活躍しているものの、その枠にとらわれず、ディレクションの段階から作品作りに入っていきたいという思いで、自らを“おもしろメーカー”と称するmakomoさん。ものづくりに妥協を許さず、おもしろさをどこまでも追求していき、時にはすっと離れたところから、自分の頭の中のちょっと外側を見つめてみる。ふふっと笑ってしまうようなゆるさがある作品の裏には、表に見えているものとは正反対のmakomoさんの熱い思いがありました。おもしろメーカーとして活動し、1年。イラストレーターという枠から飛び出したmakomoさんの描く世界に今後も注目していきたいです。

(手紙社 永井里実)

【もみじ市当日の、makomoさんのブースイメージはこちら!】

もみじ市 in 神代団地,出店者紹介,ジャンル:CRAFT

mitome tsukasa

【mitome tsukasaプロフィール】
節々が角ばって華奢とは言えない私の手は昔からコンプレックスのひとつ。指先に全く興味のなかった私に、指を飾る楽しさを教えてくれたのがmitome tsukasaさんでした。草花の形や水の流れ、泡などの自然にあらわらる現象を主なモチーフとして、真鍮、シルバーなどで作られるmitomeさんのアクセサリー。原型をロウ(ワックス)で作ることで、作品の表情がほころぶように感じられます。また、原型から型を取り、金属に置き換えられた後も、有機的な手触りが残るようにと、一つひとつ手作業で仕上げられます。どの作品も身に着けると、まるで体温と一体となっているかのように体に馴染みます。

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もみじ市 in 神代団地,出店者紹介,ジャンル:CRAFT

Mellow Glass

【Mellow Glassプロフィール】
瑞々しくも柔らかな光をまとう、月や家のガラスオブジェたち。Mellow Glass タナカユミさんは、長野県の工房で自然に囲まれながら日々制作されています。粘土を原型に“パート・ド・ヴェール”と呼ばれる伝統的な技法でガラスと向き合っています。一つの型からただ一つだけ産み落とされる作品は、幻想的でありながらそのひとつひとつに愛おしさを感じます。いつか夢の中で出会ったようなガラスの街は、朝も夜も美しく光を通し、私たちの日常を見守るようです。
http://mellowglass.tumblr.com
Instagram:@mellowglas

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もみじ市 in 神代団地,出店者紹介,ジャンル:TEXTILE

YURTAO

【YURTAOプロフィール】
2008年にスタートしたテキスタイルブランド・YURTAO。デザイナーの木下桃子さんは、世界中を旅するなかで出会った景色や文化、人々からインスピレーションを受け、生地を作ります。ぱっと目を引く鮮やかな色遣い、そして生地の用途に合わせて取捨選択された素材には、ぱっと目を引く鮮やかな色遣いと、生地によって変わる素材からは、身につける者を飽きさせない工夫が凝らされています。この夏から秋にかけて、インドを始め各国を旅している木下さんからは新たにどんなアイテムが届くでしょう。あなたの日常にも異国のエッセンスが織り込まれた一品を取り入れていませんか?
http://momokokinoshita.com/wp/

【YURTAOの年表・YEARS】

【YURTAO・木下桃子さんインタビュー】
手紙社のイベントのひとつ、布博でもお馴染みのYURTAO・木下桃子さん。6月の札幌蚤の市&もみじ市に続き、今回、多摩川河川敷でのもみじ市に初出店します。旅からインスピレーションを受け、生地を生むデザイナーの木下さんは8月から9月にかけて、インドを旅していました。インドと聞くと思い浮かぶイメージは、タージ・マハルやガンジス川。ところが、木下さんが足を運んだのは、そのイメージとは遠く離れた地でした。それは、インドの最北部の地、ラダックの奥地、ザンスカール。ヒマラヤ山脈とカラコルム山脈に挟まれた標高3,500mほどの山岳地帯です。旅の間、木下さんが更新するSNSからは、果てしなく険しい山道、臙脂色の袈裟を着た僧侶、山肌にへばりつくように建つ寺院の様子が届きました。一体、どんな旅をし、どんな刺激を受け、そしてこれからの創作活動に活かすのだろう……。帰国した木下さんのもとへ、興味津津の担当・柴田が伺いました。

ザンスカールの山並み
岩肌にへばりつくように建つphuqtal gompa

全ては旅から始まった

ーーーYURTAOさんと「旅」は、とても結びつきが強いイメージです。木下さん自身と旅との関係、YURTAOの活動と旅との関係を聞かせてもらえますか?
木下:中学生の頃から、「将来は旅人になりたい」、「大人になったら遠くに旅をしたい」と漠然と思い浮かべていました。そう思い始めた背景は、学芸員をしていた父親が影響しているのかもしれません。幼い頃から、日本を始め、異国の美術品や工芸品に親しむ場面が多かったんです。高校2年生の頃、美術大学に進学を決めたのですが、1年浪人をしたんです。そのときに、初めて自分自身で旅を計画し、長野に行きました。当時はまだスマートフォンもなく、今のように何でもすぐネットで手配できるわけではありません。手探りで旅をした、その刺激に魅了され、以来、大学進学後も夏はトカラ列島など、国内の隔絶された離島や、冬はアジアを中心とした海外へ足を運ぶようになりました。

ーーー特に記憶に残っている旅はありますか?
木下:大学1年生の時に中国雲南省を南北を旅しました。そのときの出来事は、強烈に覚えています。旅先の雲南省とチベット自治区の境界上で出会ったのは、12年に1度だけ未年に行われる巡礼を行う巡礼者たち。お布団のように分厚い民族衣装に身を包み、岩と石だらけの険しい道を越えて信仰の地に向かっていました。その佇まいと纏っていた民族衣装に、強烈に惹きつけられたんです。「こんなにも鮮やかな民族衣装を日常着にしている民族がいるなんて!」そして「こうした民族が世界にはまだまだ沢山いるのだ」とすごく興奮しました。それ以降、数多くの布を旅の中で目に焼き付けてきました。アンティークでなくとも、文化的に値打ちが高いものではなくとも、1枚の布には、その土地の自然環境、歴史、民族、技法がぎゅっと凝縮された1つの世界が存在していました。翌年の大学2年生のときは、北インドのスイッキムやネパール、3年生のときにはついこの前に旅したのと同じインド北部のラダックへ足を運び、その度に、少数民族の日常に寄り添う布に心震わされました。

今まで出会ったチベット系民族の人達

ーーー旅と布を通じて、その土地や民族を知ったと言っても過言ではないですね! 木下さんの年表を拝見して、意外に思ったのが、卒業されてから、ブランドを立ち上げるまでに3年程の時間があったことです。この間にはどんなことがあったのでしょうか?
木下:そうなんです。大学4年生の途中から、映画の衣装制作に有志で関わるようになり、そこから映像関係の繋がりや、雑誌のスタイリングアシスタントなどを受けるようになりました。企業に就職して働くイメージが自分には持てなかったので、とにかく面白いと思うことにどんどん飛び込み、この先に何をやっていくか探るために本当に色んなことを経験しました。ただ、映像やドラマ、雑誌のスタイリングの仕事はペースがとても早く、自分の日常を放り出してやっていかねばならないと感じたんです。それよりも、もう少し自分のペースで、そして自分が良いと思うものを作りたい、と思い、地元の鎌倉に戻りました。卒業した年の秋から冬に、遅めの卒業旅行と称して、4ヶ月間、大学1年のとき初めて出会ったチベット民族の地へ再び旅をしました。

旅ごとに多くの写真を撮ってきた
民族衣装、祭の装束、家畜を彩る道具、全てが興味をひいた

鎌倉に戻られてから

ーーーその後、鎌倉に戻られてからYURTAOのスタートの基盤となるような期間が始まったんですね
木下:友人づてで、三浦半島に拠点を持つPlantsというアパレルブランドでアルバイトスタッフとして働くことになりました。アルバイトとは言え、スタッフが少ないので制作から販売まで、服が出来上がるほぼ全ての工程に携わることができました。デザイン以外のこと、生地の裁断、シルクスクリーン、染め、縫製などに触れられた経験は、その後、自身のブランドを立ち上げて服を作るときに非常に役立ちました。

ーーーその期間は旅に出られたりしたのでしょうか?
木下:Plantsで働きながらも、1年の内、数ヶ月は旅することを容認してもらえたので、それはすごく有り難かったです。旅は私の人生に欠かせないもので、旅なしの自分は想像できません。ただ、だからといって、昔の夢のように旅に終始した旅人になりたいわけではないんです。旅をしていて色々な人に出会いますが、やはり出会って会話して面白いのは、日常生活できちんと仕事をし、積み重ねている人。だから自分も、旅だけをし続けるのではなくて、仕事としてスキルや経験を積んでいきたいと思っていたんです。

写真を見返すと、1枚1枚ごとにそのときの記憶が溢れ出すそう。

ーーーその後、自身のブランドを立ち上げるのですね?
木下:木下:Plantsで働き始めた翌年に、仕事と平行してYURTAOを立ち上げました。1年目の活動は年に1、2回展示会を行い、友達が見に来てくれる感じでした。それが2年目になると、知らない人がYURTAOの名前をどこかで聞きつけて足を運んでくれるようになったんです。そして4年目、東日本大震災が起きたことから、自分がやりたいことにもっと力を注ぎたい、と思い、Plantsを卒業し、YURTAO一本でやっていく決心をしました。

ーーーYURTAOというブランド名も旅に由来しているのでしょうか
木下:ウズベキスタンやカザフスタンの中央アジアの遊牧民が使う組み立て式のテント「ユルト」に由来します。2008年、中央アジアを旅した時期が、「自分自身の活動をもっとしなくては……」と思っていたタイミングだったこともあって、遊牧民にまつわるものから屋号を取りたいと思いました。「ユルト」は内装に鮮やかな色に染められた羊毛を使った織物が飾られてデコラティブな印象です。昔は美しい毛布やフェルトの敷物で、その家族の裕福さや家柄を表したそうです。たまに友達からからかい半分に「YURTAOのゆる、は“ゆるい”のゆる”でしょ?」なんて言われますが、「ユルト」ですよ!

部屋には本棚いっぱいの書籍が。世界各地の旅にまつわる本も多い。
部屋の中には、世界あちこちから連れて帰ってきた布たちがある。写っているのは、インドのミラーワークやペルーの泥染め

YURTAOと布博と。

ーーーその後、手紙社のイベント・布博に出展されるようになったんですね
木下:確か2012年の東京の布博に初めて出展しました。布博は誘ってもらえたタイミングがすごくよかったんですよね。新しい作品を出す、お客さんの手に取ってもらえる、また新しい作品を作れる、というサイクルが年に2度ある布博のリズムともかみあっていました。イベント自体もエネルギーに満ちていて、個展を行うよりも圧倒的に多くの方に見てもらえる場です。布博を通じて大きな転機が起きたのが2015年。京都で開催された布博で兵庫県西脇市の機織り屋さんに声をかけてもらいました。イベント中に話しをして、翌日にはもう工場に足を運んで打ち合わせさせてもらったんです。それまでYURTAOでは、刺繍の生地や、プリントの生地でアイテムを制作をしていました。織り物の生地は、1人ではとても制作できないし、工場に発注したくてもロットが合わなくて断念していたんです。それが、布博で出会った機織り屋さんは小ロットでも生地を織ってくれるところで。織りだからこその立体感を持ったアイテムを手掛けることができたおかげで、YURTAOの作品の幅がぐっと広がりました。

布博でつながった縁で生まれた織りの生地たち
織り生地で作った洋服たち

これからのYURTAO

ーーー木下さんは今後のYURTAOの活動をどんな風に展開したいと描いていますか?
木下:まずは、鎌倉にもう一度アトリエを設けたいです(※今はご自宅兼アトリエ)。前のアトリエは湿気がひどすぎて、在庫にカビが発生しないように戦うのが大変だったので、そこは注意ですね(笑)。今後の展開は……。うーん、私、大学時代、課題に取り組むときに、コンセプトがあるものを作るのが苦しかったんです。自分のそのときの心に、欲に従って、こんな色にしたい、こんな素材を使いたいって動機を持てることがいいな、と思って、ようやく卒業制作で最初から最後まで好きなものを作れたんです。それが、YURTAOの原点になっています。だからこの先も、その瞬間に良いと思ったものを取り入れたいですし、旅先で出会ったその土地で心惹かれたものを、自身のアイテムに散りばめたいです。今年は「新規の開拓をがんばろう!」とこれまでは見送っていた百貨店の催事などにも積極的に出ています。ただ、これから何年後にこんな風に……、というのはあまり考えずに、「今」の気持ちを大切に、自分自身の心が楽な状態でいたいと思っていて。そうすることが、きっと良いものを作る土台に私の場合はなっていて、そ自分の作る物を通して楽しい、人と社会と繋がっていきたいというモチベーションにもつながっています。

ーーー「YURTAO(ゆるたお)」という響きを初めて耳にしたとき、連想したのは「ゆるやかに、たおやかに」という言葉。実際のところ、YURTAOの由来はそれとは全く異なる言葉からきていましたが、木下さんの活動を支えるポリシーは、ふわりと異国を吹き抜ける風のような、ゆるやかさと、しなやかさ、そして強さを感じさせてくれるものでした。2日間だけ多摩川の河川敷に出現するもみじ市。そこに並ぶYURTAOのブースは、まさに遊牧民の「ユルト」のようですね。今年のもみじ市、河川敷でお会いできるのを楽しみにしています! ありがとうございました。

《インタビューを終えて》
旅を通じ、布を含めた世界中の民芸品を目にした木下さんは、「人の創造というものは、自然から得たものを表現しようとしたところから全て始まった」。そんなことを感じたそうです。と同時に、人間が持つ“創造”に対しての本能と、計り知れない普遍性に強く心打たれたと話します。そして、自身が布の上にデザインを描くとき、その心打たれた本能と普遍性を、「どうにか表したい……」と祈りのような想いと願いを込めているそうです。木下さんのそんな情熱が、もみじ市であなたにも届きますように。

(手紙社 柴田真帆)

もみじ市 in 神代団地,出店者紹介,ジャンル:CRAFT

mego

【megoプロフィール】
megoこと牧野潤さんは、函館を拠点に活動する陶芸家。土色と黒の2色のみで作られる器は、クールな印象も柔らかな印象も孕み、どんな料理も受け止める包容力があります。彼女が陶芸に本格的に取り組み始めたのは、31歳の時。母の目線をもって生まれた形はどれも毎日繰り返し使いたい、しっかりとした安心感があります。昨年までは「rocaとmego」としての参加でしたが、今年は単独でのもみじ市出店です。
http://mego-makino.com

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