【makomoプロフィール】
大阪を拠点に雑誌、書籍、WEB、雑貨など、多岐にわたって活躍しているmakomoさんが描くのは、じわじわと笑いがこみ上げる脱力系イラスト。ゆるくてかわいいイラストのどこか異様なおかしさは、二度見、三度見したくなるほど癖になります。自らを“おもしろメーカー”と称し、肩の力を抜いて笑える作品を数多く手がけているmakomoさんですが、その裏には「おもしろいものをつくってやろう」という強い意志も。おもしろさを追求したmakomoワールドから目が離せません。
http://makomo.jp/
Instagram:@makomotaro
【makomoの年表・YEARS】
【makomoさんインタビュー】
矢印が飛び交うこの年表を見た瞬間、おもしろメーカー・makomoさんの頭の中をちょっと垣間見れたような気がしました。これまで、どのような人と出会い、関わり合って、このmakomoワールドが作りあげられてきたのでしょうか。担当・永井が年表の矢印を1本ずつ辿りながら、お話を伺いました。
makomoのはじまり
ーーーmakomoとして活動を始めたのはいつですか?
makomo:makomoという名前をつけたのは、2006年に友人と京都でフリーペーパーを作り始めたときが最初です。編集とイラストを担当していたんですが、編集とイラストが同じ名前なのはいやらしいなーと思って別の名前をつけてみたんです。
ーーーどんなフリーペーパーだったんですか?
makomo:『temiru』っていうフリーペーパーで、京都に関係する若手アーティストと中高生の橋渡しをするというコンセプトでした。作品紹介とインタビュー、中高生とのワークショップ取材記事などの誌面構成で、京都市立のすべての中学校と京都府内の一部の高校と大学に置いてもらっていました。あとは美術館、博物館、ギャラリーとかにも。美術って出会わない人はずっと出会わないものじゃないですか。少しでも出会う機会が増えることで、ちょっとでも理解してもらえたらなって思って始めたんです。まあ半分、その友達に流されてやったみたいな感じなんですけど。
ーーーおもしろそうなフリーペーパー!
makomo:NPOを立ち上げて一応、志を持ってやっていたんですが、大きな助成を受けるわけでもなく、ほぼ自分たちの持ち出しで作っていたので、半分趣味のようなものですよね。厳密には今も続いていることになっているんですけど、みんな忙しくなってきたから今は休刊中です。最初は2か月に1回の発行、しばらくして3か月に1回くらいのペースで発行して、26号まで出てます。
ーーー休刊中とは残念。見てみたかったです。
makomo:2、3か月に1回ペースで出すのは厳しかったですね。終わったと思ったらすぐやってくるので(笑)。でもこのフリーペーパーがすべてのをきっかけですね。それまでギャラリーに行ったことがなかったんですけど、フリーペーパーを配るためにも、いろんなアーティストを知るためにもギャラリーに行くようになったんです。そうしているうちに、流れで自分も2007年に初の個展を開くことになりました。
ーーー初めての個展はどんな感じでしたか?
makomo:会場が10m×7mの大きなスペースでした。それまでは小さい絵しか描いたことがなかったんですが、小さい絵だと全然空間が埋まらないと思って、苦肉の策で大きい絵を描くことになりました。
ーーーmakomoさん的には小さい絵と大きい絵、どっちを描くのが好きなんですか?
makomo:どっちも好きですが、大きい絵のほうがおもしろいと思います。大きいっていうだけでおもしろいので。大きい絵を描き始めたときは、おもしろい作品だと思いながらも、こんな事は既にもう誰かがやっているだろうっていうコンプレックスがありました。続けているうちに、案外やっている人がいないことがだんだん分かってきて、少し自信を持ちました。それからは周りの目はあまり気にせず、ただ自分がおもしろいと思ったものを作っています。
ーーー大きいものを描くことってそれだけで大変そうですが?
makomo:大変なのは、一度始めたら失敗ができないプレッシャーくらいですね。失敗したら0から描き直さないといけなくなるので。大きい絵は小さく描いたものを拡大コピーして、それをトレースして下絵を描いているから、最後は作業みたいな感じになるんですけど。
ーーートレースして描いているんですね!
makomo:そうです。バランスを見ながらいきなり大きな絵を描くのは身体的に大変なので。あと絵の具も比較的薄く塗っているから下絵の線が最後まで見えてしまうので、下絵からちゃんとした線を引いておかないといけなくて。
ーーーなるほど。たしかにこんなに大きな絵、バランスをとるのが難しそうです。
makomo:そうですね、僕はバランスとか重心とかを見ることに一番時間を使います。下絵の段階でちょっと置いて、寝かせてみての繰り返し。そんな微妙な違いなんて、誰にも気づかれないかもしれないんだけど、結構完璧主義者だからこだわってしまうんですよね。あと、やっぱり一番大変なのは一番最初のおもしろい絵柄を思いつくところですね。
ーーーこんなにイラストは自由でゆるい雰囲気なのに、完璧に計算し尽くされた背景があったとはなんだかギャップを感じますね。そういうところもmakomoさんの手がけるもののおもしろさなのかな……と思いました。
ーーーでは、makomoさんが思うおもしろさとは、どういったことなんでしょうか?
makomo:あるものがあって、それと少し違うということ……かな? うまく言葉にできないんですけど、言葉にできないからこそ、おもしろいのかなとも思っていて……。例えばこの絵を言葉で説明しようとすれば「舟にオムレツが乗ってて」とか、「足が太くて長くてバランスがおもしろい」とかそんな感じで言えるのかなとは思うんですけど、それだけじゃない、言葉にできない部分があるんだと思うんです。おもしろ方程式みたいなのがわかれば、もっといろいろ生まれるんだろうけど、でもそれがないところがおもしろいのかな?
初個展を経て広がっていく人との繋がり
ーーー大阪で雑貨店とギャラリーを営むオソブランコさんは、手紙社のイベントにもよく出店いただいていますが、2007年にそこで個展されたのは、どういう経緯からだったんですか?
makomo:友達が撮った僕の初個展の写真をオソブランコさんが見たようで、そこから個展をやらないかって誘われました。今考えるとオソブランコさんに出会ったことは大きな出来事でしたね。そこからは毎年個展をさせてもらっているし、いろいろな提案をしてもらってグッズも一緒に作っています。あとオソブランコさんでの個展をきっかけに繋がった出会いもありました。
ーーーどんな出会いがあったんでしょうか?
makomo:オソブランコさんでの個展のDMを見て、「GONTITI」のゴンザレス三上さんが本を作ってくれたんです。それまで書いていたブログを抜粋、加筆したもので、『ほんきでてきとうに』っていう本なのですが、今では描けないだろうと思う変な絵と文ばかりです(笑)。これが僕の初グッズでした。それからその本を持っていろいろなところに売り込みにいきました。「置いてくれませんか」って、アポなしで一軒一軒言って回ったんです。
ーーーそこを経て、次は大阪のアートギャラリー・Pantaloonで個展を。
makomo:はい。フリーペーパーの取材で行った場所で、話の流れで個展をさせてもらうことになりました。で、その個展を見たエルマガジン社の方からイラストレーターとしての仕事をいただいたんです。エルマガジン社の年賀状のイラストを描く仕事で、新年号が猫特集だったので、猫が鏡餅みたいに重なっているイラストにしました。「ハッピーニャーイヤー」みたいなテキストを加えてもらって。
ーーー可愛らしいですね(笑)。その翌年がターニングポイントになっているのは、どんな出来事があったのですか?
makomo:『temiru』の編集をやりつつ、イラストレーターをやっていたことに興味をもってもらって、トークイベントに呼ばれたんです。でも僕トークが苦手でぐだぐだになりそうだったので、来てくれた人に、何かお土産を用意してごまかそうと思って絵本をつくりました。それに自分が今どんなことをおもしろいと考えているかも伝えたいなと思ったので、「おもしろ絵本」を作ってお土産にしたんです。家のプリンターでプリントして、自分で綴じて作りました。『ももたろう』『きんたろう』『うらしまたろう』『うさぎとかめ』『ねこふんじゃった』の「おもしろ絵本」はそのときできた作品です。それから絵本作りはライフワークになっていますね。
ーーー2013年のもみじ市が初めての参加だったんですね。
makomo:はい。まず「紙ものまつり in 大阪」に、よく印刷をお願いしていたレトロ印刷JAMさんの推薦枠で参加させてもらって。その時つくった、「ハムとレタスの紙」を北島勲さん(手紙社代表)が気に入ってくれて、そこから手紙社さんに商品を置いてもらうようになりました。その後、今はなき手紙舎調布PARCO店での個展などを経て、2013年にもみじ市初参加です。なんか今、年表を作りながら振り返ってみて、ここらへんの懐かしいアイテム、復刻してみてもいいかもって思いました。
ーーーぜひぜひ! 実際に見てみたいです。ネーミングからしてすごく気になります。
makomo:う~ん、考えてみますね。もみじ市のすごさを知らずに初めて参加した2013年はテントなしで、机2台だけ並べた状態でやりました(笑)。その後毎年参加しているうちに、ちゃんとするようになって、今ではテント立ててやっていますが、今年は原点復帰してもいいかもしれませんね。並べるものとしてはアクリルキーホルダーの新しいものを作って持っていく予定です。HITOHARIさんとのコラボもやるので、楽しみにしてもらえると嬉しいです。
ーーーアクリルキーホルダー、本当に人気ですよね! お客さまも楽しみにしてらっしゃると思います。
横入りコロコロ人生
ーーーそういえば、最近ですよね。肩書きを「イラストレーター」ではなく、「おもしろメーカー」としたのは。
makomo:おもしろメーカーと書いたのは、昨年の新宿クリエイターズ・フェスタのプロフィールが最初です。イラストを描くだけじゃなく、アイデア出しのところからやっていきたくて。もっと前段階から声をかけてくれれば、もっとおもしろいこともできるのにって思って名乗り始めました。
ーーーなるほど。たしかにおもしろさを作り出す根本的なところから関わるんだったら、イラストレーターっていう肩書きだけではおさまらないですね。
makomo:はい。イラストも、ひとつ描けばどんなグッズにも流用することができるんですけど、アイテム1つひとつにはそれぞれに合った絵が必ずあるだろうから、ちゃんと考えたいなって思っているんです。だから肩書きはおもしろメーカーがいいかなって。それに僕自身、イラストレーターになりたいって思っていたわけでもなかったですし……。
ーーーえ!? そうなんですか!
makomo:はい。高校、大学とデザインの学校で絵はずっと描いていたんですけど、イラストレーターという職業は頭になくて。かと言って、その頃何かなりたいものがあったのかって言われると、それもないし、全然記憶がないのですが……。2006年より前は、本当に記憶がなくて、だらだらとしていたんですよね(笑)。
ーーーまさかイラストレーターになりたいと思ったことがなかったとは!
makomo:僕の人生、横入りです。大きい絵の展示からイラストの仕事をもらって、横からイラストレーターという世界に入って、今こうしていろいろやらせていただいて……。自分の人生を今回振り返ってみてタイトルをつけるとすると、“横入りコロコロ人生”かなって思います。
ーーー“コロコロ人生”とは?
makomo:年表の矢印を見てもらえば分かると思うんですけど、本当にいろいろなところへ矢印が伸びていると思います。いろいろな人に出会って、うまいことコロコロ転がってきたんです。最近の話で言うと、2018年、2019年とJR西日本の「さわやかマナーキャンペーン」の絵を担当してるんですが、そのきっかけが『temiru』でした。2006年に『temiru』の誌面づくりに協力してくれた中学生がデザイナーになって、『temiru』に載せていたイラストを思い出してくれたみたいで、依頼がきたんです。本当にいろいろな出会いによって流されるように転がってきて、今があるので、“横入りコロコロ人生”です(笑)。
ーーー年表の2006年から出ている1番長い矢印がその『temiru』を手にした女の子からの依頼のお仕事だったんですね! フリーペーパー『temiru』の活動が10年越しでこうした繋がりを見せるなんて。今後もどんな矢印がこの年表に書き足されていくのか私も楽しみにしています!
《インタビューを終えて》
イラストレーターの世界で活躍しているものの、その枠にとらわれず、ディレクションの段階から作品作りに入っていきたいという思いで、自らを“おもしろメーカー”と称するmakomoさん。ものづくりに妥協を許さず、おもしろさをどこまでも追求していき、時にはすっと離れたところから、自分の頭の中のちょっと外側を見つめてみる。ふふっと笑ってしまうようなゆるさがある作品の裏には、表に見えているものとは正反対のmakomoさんの熱い思いがありました。おもしろメーカーとして活動し、1年。イラストレーターという枠から飛び出したmakomoさんの描く世界に今後も注目していきたいです。
(手紙社 永井里実)
【もみじ市当日の、makomoさんのブースイメージはこちら!】