もみじ市 in 神代団地,出店者紹介,ジャンル:CRAFT

ivory+安藤由紀

【ivory+安藤由紀プロフィール】
関東から徳島に移住し、ていねいなものづくりをしている木工作家のivory+安藤由紀さん。木を愛し、日々ものづくりについて考える姿勢は作品からも感じられ、紛れもなく同じものは一つとしてありません。安藤さんの小皿を使えば、ちょっとしたおやつタイムが自分だけの特別で大切な時間に変わります。昨年は台湾で行われたイベント「島作」に出展、そこで講演も行い大盛況のうちに幕を閉じました。まだ見ぬ世界を見せてくれる安藤さんの、もみじ市でのパフォーマンスにも注目です。
https://ivory-plus.jimdo.com 

【商品カタログ予習帳】

【ivory+安藤由紀の年表・YEARS】

【ivory+安藤由紀インタビュー】
9月下旬、神奈川県二宮市のパン屋さん「ブーランジェリーヤマシタ」で個展を行なっていたivory +安藤由紀さんの元へ担当・木村が伺いました。扉を開けるとパンの香ばしい香り。窓の外には柿の木が大きな実をつけている。そんな秋の訪れにそっと寄り添うように安藤さんの作品が並べられていました。

高校生の時は毎週家具屋巡り

ーーー高校生の時から家具に興味があったんですね。
安藤:高校3年生の時から家具がすごく好きで、毎週青山の家具屋巡りをしていました。その時代は家具のお店がとても充実していて、家具屋の並ぶ通りが雑誌に載っていたり、興味の惹かれるお店がたくさんありました。休日には地図をプリントアウトして、行きたい家具屋さんがあるところに印をつけて、「明日はこの2軒に行くよ!」と先陣を切って、友だちを連れて行っていました。あの時の思いが、今の根底となっていると思います。本当に貴重な時代で、何の展示を見ても、映画を見ても感動して、全てが体の中に吸収されていく感じがしました。

ーーー家具雑誌が愛読書だったんですね。
安藤:一緒に家具屋巡りをしていた友人のお父さんが、インテリアとデザインの雑誌『ELLE DECOR』を持っていて、お家に遊びに行くたびに虫のように読み漁っていました。

ーーーその思いを抱いて美術大学に?
安藤:そうですね。やはり木の家具を作りたいという思いが強く、木工を専攻できる美術大学に進学しました。

ーーーどんなことを学びましたか?
安藤:木の発注をして、手書きで製図して、木工作品を制作していました。でも実はすごく不器用で、作ることは向いていないんじゃないかって思い始めていて、卒業する時には、まだまだ技術的には足りない部分ばかりだったと思います。そのため、作りたいという思いは持ちつつも作ることは一回諦めて、学生時代から大好きで通っていた家具屋さんに販売スタッフとして就職しました。工房直営のお店なので、工房で作ったものだけを、木の良さを伝えながら販売できるので、とても良い環境でした。

ーーーこの時、ギャラリーで転機となる“ある器”と出会っていますね。
安藤:ある作家さんの、彫りの美しい木の器にとても感銘を受け、こんなの作りたい、こんなの作れる人になりたいと思いました。でも、その時は結局、そのまま仕事を続けることにしました。販売の仕事も奥深く、やりがいのある仕事だったので。

工房体験が大きな転機に

ーーー工房体験が転機となっていますが、それほど大きな出来事があったんですね?
安藤:仕事の一環で、販売員も参加する工房体験をしました。そしたら今まで心の片隅に閉じ込めていた、“作りたい欲”が溢れ出て、止まらなくなってしまいました。次の日からいつも通り仕事をしていても、やはりそれを思い出してしまって、店長からは「顔に作りたいって書いてあるぞ」と言われ、作りたい気持ちがあるなら販売スタッフを辞めて、早く次の道に進んだ方が良いと背中を押してくれました。この時、店長が言ってくれなかったら悶々としたまま、家具の販売スタッフをしていたかもしれません。感謝しかないですね。

ーーー今お話を聞いていても、当時の全身から出てくる気持ちが想像できます。それから販売スタッフを辞めて、木工の専門学校に1年通われていますね。
安藤:どうしたら作ることを仕事にできるだろうと考えて、木工教室には通っていました。ですが、大学のときに習ったことはそれほど細かいところまで習得できていなくて、やはり改めて勉強しなければと思い長野県の上松技術専門校という職業訓練校に通うことに決めました。とても技術力のある先生がいらっしゃったり、名のある木工作家さんは結構この学校に通われていた方が多いです。でも、実はこの学校への試験にも一度落ちたんです。不器用すぎて(笑)。

ーーーえ! そうなんですか。繰り上げ合格ですか?
安藤:算数が苦手なのと、不器用すぎて学校側からこの子は無理だと判断されたんだと思います。でも、試験の面接で、それまでコツコツ作っていた作品集を見せて、こういう作品を作って、こういう生活道具を作る人になりたいんです、という思いだけは伝えていて。その時の自分の訴えを先生が汲み取ってくれて、この子はやる気があると言ってくれたようで、補欠から繰り上げで入学できたというわけです。振り返ると、こういう風に導いてくれる方のおかげで自分のやりたいことに辿りつけたとわかり、奇跡の連続だなと思いますね。先生は今も応援してくれていて、活動していることを喜んでくれています。

徳島への移住

ーーーすぐに独立はされなかったんですね。
安藤:すぐに独立するのは難しそうなので、一回どこかで修行させてもらおうと思い、就職を考えました。

ーーーどうやって修行できる場所を見つけたんですか?
安藤:東京にいる時、ギャラリーで受付の仕事をしたんですが、ちょうど木の家具の展示が行われていたことがあって、そこにとても気になる作品があったんです。たくさんの木の種類を使って家具が作られていて、それにとても感銘を受けたのを思い出して。どこで作られたんだろうと調べたら徳島にある工房でした。それから先方にお手紙を書いて、そちらで働きたい旨を送ったら、来てみませんかとお返事をいただけました。それが徳島とのご縁です。

ーーーお手紙が、また良いですね。それから修行をしたのち、独立されたんですね。
安藤:そうですね。それからある方と出会って、作品を見ていただいたことがきっかけで、倉敷のクラフトフェアに出展させていただけたり、東京での個展も行えるようになりました。徳島が活動拠点だったので、なかなか自分だけの力では活動の場を広げるのは難しいので、ご縁を繋げてくれる方に感謝しかないですね。

徳島の工房での安藤さん

ーーーそれから転機となる“藍染”に出会っていますね。
安藤:徳島に来て藍染の文化があることを知りました。藍染に関わる人達と出会ったことが最初のきっかけです。

ーーー木の器に染めるアイデアはどこから思いつきましたか?
安藤:友人からの紹介で、同じように県外から徳島に渡り藍染をやりたい、と熱意のあるモノ作りの仲間と出会って(現在のBUAISOUさん)、一緒に何かできたら良いなという思いから、木を染めてみる事が始まりました。最初は染まるのかな、と半信半疑でしたが、染めてみたらとても良い藍色になったので、ワクワクしたことを覚えています。その後すぐに器の注文が入り、藍染の作品が生まれました。

藍染の様子
藍染の様子

ーーー手紙社との関わりはいつからですか?
安藤:手紙社の新居さんが推薦してくれて、手紙舎2nd STORYで作品を扱ってくれるようになりました。もみじ市も第1回目から気になっていて、密かに憧れていたので今こうして出展させてもらえることが本当に嬉しいです。

ーーー昨年は台湾でのイベントにも出店されていたり、どんどん活動の幅が広がっていますね。ホームページで拝見したのですが、講演もされていて、すごいですね。
安藤:人前で話をするのは本当に苦手で、なんで私にオファーが来たんだろうと思いながらも、やってみようと思いお返事をしました。実際、現地の通訳さんがうまくお客様に伝えてくれたので、日本で話をする時より盛り上がっていました(笑)。台湾の人もみんな良い人で、今年また11月に台中で個展をさせていただくのですが、とても楽しみです。

ーーー活動を始めて10年目の節目になると思いますが、実感はありますか?
安藤:家から車で15分ほどのところに、とてもお世話になっているろくろ職人の方がいるんです。その方とお話している中で、積み重ねてきたものは10年あるけど、大したことないなと感じます。まだまだ未熟者だから、「これから再スタートだ!」という気持ちで、活動を続けていきたいなと思いました。その方は今の私にとって、とても大切な存在で、いつも背中を押してくれる、頑張る源になっています。もみじ市でも何か新しいことができればと考え中です。

ーーーもみじ市でどんな作品が並ぶのか、とても楽しみです。本日はありがとうございました。

《インタビューを終えて》
長野の専門学校時代の恩師に個展のハガキを送ったところ、お返事に「不器用の一心」と書いてあったそうです。この言葉は、何でもコツコツと根気強く続けられる人こそ、最後には花を開くという意味でした。作品を見ても、安藤さんのひたむきな努力と、誰よりも木を愛する気持ちが伝わってきます。インタビュー中、“ご縁に感謝“という言葉を何度もおっしゃっていましたが、作品に向き合う姿勢と、熱い思いに、誰もが応援したくなるのではないでしょうか。気温が下がり始める10月、ivory+安藤由紀の木の器を使って、温かいスープなどいかがでしょうか。

(手紙社 木村朱里)

【もみじ市当日の、ivory+安藤由紀さんのブースイメージはこちら!】

もみじ市 in 神代団地,出店者紹介,ジャンル:CRAFT

安達知江(出品のみ)

【安達知江プロフィール】
ガラス作家。岡山県の山の中、自然に囲まれた小さな工房でガラスのオブジェや器を制作。主にキルンワークという技法を使い、身の回りのささやかな出来事や慣れ親しんだ動物たちを作品にしています。豊かな想像力を武器に、それを作品に投影する技術力は圧巻。安達さんのまっすぐな黒い瞳を通し自然の豊かさや美しさを表現している作品たちに誰もが心惹かれるはず。昨年のもみじ市で披露された絵本のスイミーの世界では、小さくてカラス貝のように黒いスイミーや海の仲間たちを力強く、イキイキと表現してくださり、非売品ながら、そのキラキラと太陽の光を身体中いっぱいに吸い込んだ姿が多くの人の心を響かせてくれました。今年もたくさんの作品がみなさんの心を掴むに違いありません。中でも私は安達さんの制作する少女の表情が大好きです。一見、何か奥に秘めたもの、それは少女が大人になる過程で感じる悲しさだったり、悔しさだったりと、ぶつける先がわからない感情を閉じ込めていますが、瞳の奥は力強くまっすぐ、一歩先を見つめているのです。安達さんの表現力にいつもいつも驚いてばかり、今度はどんな驚きがあるのか楽しみでなりません。

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出店者紹介,ジャンル:CRAFT

赤畠大徳

【赤畠大徳プロフィール】
「刃物は1日1回は必ず使うもの」。自分で料理をする機会が増えるにつれ、鍛冶屋・赤畠大徳さんが師匠から聞いたというこの言葉を、私もよく思い出すようになった。包丁やカトラリーなど、日常の中に当たり前にあるものほどありがたさを忘れがちだけれど、そういうものほど手間暇惜しまず丹精を込めて作られたものを選びたい。母親にプレゼントした赤畠さんの包丁と、今使っている包丁を比べてみて、改めてそう感じた。赤畠さんの包丁を手にすると、あの焼けつくような暑さの工房で、情熱をたぎらせながら鉄を打つ姿を思い出し、身の引き締まる思いがするのだ。どんなに時代がかわっても、一貫して変わらないものづくりへの想いが詰まった赤畠さんの作品は、これからも長きにわたり愛されていくのだろう。

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出店者紹介,ジャンル:CRAFT

今江未央

【今江未央プロフィール】
石川県出身の陶芸家。都内アパレル会社を経て石川県九谷焼技術研修所で学び、現在金沢にて制作。伝統の磁土と和絵具を使い、九谷焼を自由な発想や絵付けで表現し、目に鮮やかな作品を作り続けています。今春、手紙舎で開催した個展「花々いろいろ」では、まるで花たちが咲きほころぶかのような華やかな世界を作ってくれました。今江さんが作り出す野菜や草花たちは、素朴なモチーフながら、鮮やかに美しく変化し、一気に主役になってしまう。いつもの暮らしに馴染みも良く、心を踊らせてくれる器たち。今回のもみじ市では、春の個展や「札幌もみじ市」にも登場した“小さな立体作品”をあしらった豆皿は登場するのでしょうか。今からワクワクが止まりません。
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もみじ市 in 神代団地,出店者紹介,ジャンル:CRAFT

いもの道具 みちくさ

【いもの道具 みちくさプロフィール】
「いもの道具 みちくさ」は、2002年に活動を開始した、三枝一将さんと巽水幸さんご夫婦によるユニットです。茨城県取手市にアトリエを構え、青銅の蝋型による花入れやオブジェなどの鋳物作品を制作。緑青の微妙な色の変化を操って造られる代表的な花入れのシリーズは、絵のように佇む扁平なシルエットが美しく、奥行きの短い窓辺に飾って楽しむこともできます。鋳物の豊かな質感を、暮らしの中でより身近に感じてもらえるように考え抜かれた作品は、おふたりの想いの結晶です。屋外イベントで見られる貴重な機会をお見逃しなく。
https://imonomichikusa.jimdo.com/

【いもの道具 みちくさの年表・YEARS】

【いもの道具 みちくさインタビュー】

「おじゃまします」ふと顔をあげると、そこには数々の鋳物作品が。玄関には鋳物の表札が掲げられ、テーブルには鋳物の花入れがありました。今までの鋳物のイメージを180度変えてくれるような、「いもの道具 みちくさ」の暮らしに溶け込む作品の数々。作品が生まれた背景や、そこに注ぐ三枝一将さんと巽水幸さんご夫婦の想いを、担当・永井が伺ってきました。

現代美術から生活工芸としての鋳物へ

ーーー「いもの道具 みちくさ」として活動する前は、それぞれまったく別の活動をしていたのですか?
水幸:一将とは、大学の鋳金研究室で一緒だったのですが、それぞれまったく別の世界観を持って過ごしました。当然ながらこの頃は、結婚して一緒に活動するなんて思ってもいなかったですし、当時私たちの周りではユニットで活動するということもあまり前例がありませんでした。

ーーーそうだったんですね。鋳金を学んだ大学時代はどんな毎日でしたか?
水幸:今は電気炉もありますが、当時はそれも無かったので、私たちは毎回みんなで地面を平らにならすことから始め、ブロックを積んで、瓦を乗せて、屋根を作って、窯を立てていました。大きな鋳型を作る時や窯立て、吹き(鋳込み)はみんなで手伝いあいながら作る環境で、共同作業も勉強の一環でした。型によっては薪をくべて温度計を見ながら徹夜で焚くこともありましたよ。

ーーー徹夜! 夜通しの作業するなんて、本当に体力勝負の毎日ですね。
水幸:はい。でも土まみれで制作したこの日々は、自然と自分の中にいろいろな感覚を残してくれたと思います。

ーーーみちくさを始める前は、今と同じような作品が多いですか?
一将:お互い、今みちくさで作っているようなものは作っていませんでした。僕は、鋳造のオブジェを配置するインスタレーションのようなことをしていましたし、発表の場は現代美術のギャラリーでした。

水幸:私は原型を作る素材として“蝋”を扱うことが好きで、大きな作品を作っていました。様々な想いを形として表現するのはオブジェのような立体の作品で、“使えるもの”ではなかったですね。作品を暮らしと結びつけて考えることは、このときは難しいことでした。

ーーー今の作風とは2人とも全然ちがったのですね。
一将:そうですね。今でもお互いの個人としての表現活動は大切にしています。みちくさは、もうひとつ別の視点で、2人でこそできる表現でしょうか。

ーーー生活工芸にあまり結びつきにくい鋳物ですが、生活工芸としての鋳物を作り始めようとなったきっかけはありましたか?
水幸:結婚して2人で稲城市の古家に住み始めたときですね。2人の趣味だった骨董市巡りで食器や家具を揃え始めたんですが、そのうちに自分たちの作品がその空間の中で、すごく調和しているように感じたんです。その頃から「暮らしの中に、もっと身近に鋳物が取り入れられるんじゃないか」と思いました。

ーーー稲城市の古家はどんなお家だったんですか?
水幸:実は、雑誌に掲載されていて……(笑)。

『季刊チルチンびと 41号』(風土社)

ーーーわあ!素敵なお家。
一将:アトリエ兼住宅として、自分たちで改装した家なんです。初めは家の土台を持ち上げて改装するほどの古家で本当に大変でしたよ。でも、アトリエとして作る場所も欲しかったので。なんでも実験ができるような家でした。こう置いたらかわいいなとか、本当にいろいろ試せるお家だったんです。そういう実験のなかで、今メインで制作している花入れの扁平な形も見つけました。

ーーー稲城の家での暮らしから、みちくさが誕生したのですね。「いもの道具 みちくさ」の名前の由来は?
水幸:そこらへんに生えている道端の草でも、猫じゃらしでも、1本挿すだけで様になるものが作りたいと思ったんです。

一将:自分の制作とは一線を引いて、気を負わずに、ぐっとラフに制作できる場となるようにっていう思いもあります。なんていうか、もう1本自由なところ、気楽にのびのびと作れる場でありたかった。

ーーー素敵な由来ですね。みちくさの作品として生活工芸を扱うようになったのには、どんな思いが?
水幸:私達が思う鋳物の魅力は、ずっしりと重く、表情や色合いが複雑で、金属なのに温かみがあることです。鋳物の豊かな質感をより多くの人に感じて欲しいと思って、暮らしの中で使えるものを作りたいという考えにいたりました。

“みちくさ”らしさ

ーーー2人で活動にするようになって、仕事の分け方はどうされているんですか?
水幸:「2人でどう作業を分担して作っているの」ってみんなによく聞かれるんですけど、分業ではなく本当に混ぜこぜで作っているんです。

一将:そう、混ぜこぜでいいから、みちくさらしいものが作れればいいなと思っています。

水幸:例えばですけど、私が「取っ手の形がうまくピンとこない」と相談して、そこらへんに置いておくと、いつのまにかそこに一将が取っ手をつけてくれていたり。

ーーーすごい、自分の知らぬ間にいい感じについているなんて魔法みたいですね(笑)。1人じゃうまくいかないことも、もう1人いることで完成するってすごくいい関係。
一将:ユニットとして作品を制作して、イメージやクオリティを共有するということは新しい試みでしたが、うまくやってこれていますね。結婚して、みちくさを始めたことは、お互いにとって転機でした。

ーーーちなみに揉めたりはしないんですか?
一将:全然しますよ(笑)。お互い全然ちがうタイプなので。

水幸:一将は丁寧で繊細なタイプ。私はざーっと勢いよくいきたいタイプなんです。

ーーーそうなんですね。でも、お互いちがうタイプだからこそ補い合えそう。みちくさの作品作りで大事にしていることはなんですか?
水幸:まずシルエットですね。シルエットを重要視しているから、蝋板をドローイングするように切り抜いて形を作っています。

蝋板から切り出して形成された状態のもの

ーーーたしかに、この花入れもシルエットが美しいです。
水幸:数ミリちがうだけで結構イメージが変わるんですよ。

ーーー納得のいく作品ができるまで、とても時間がかかりそうですね。
水幸:デザインをちゃんと決めて、型で蝋を抜いて、量産できるようにすれば時間もここまでかからずに作れるんだろうけど、なんでなんだろう……(笑)。量産しようとは思わないんですよね。
一将:やっぱり作ることがただの作業になるのはつまらないからじゃないかな? 原型がなく、その場その場で1点ずつ造形することで、全てが違うニュアンスになるのが、やっぱり作っていて楽しいんだと思います。

ーーー鋳物の味わい深い表情や、この綺麗な色はどうやってだしているのですか?
一将:この独特の表情は蝋の表面を熱で溶かしたり、荒らしたりして引き出すんです。色は、基本的には「ブロンズを温めながら刷毛で薬品をつける→乾かす→水拭きをする」ということを何度も繰り返してつけていきます。ブロンズは銅が主成分の合金なので、表面を薬品で酸化させて銅の錆である緑青へ反応させるんです。でもその反応の仕方は環境によって様々で、とってもデリケート。

水幸:どこで終わりにするかという判断もすごく難しいんですよ。思いがけず綺麗な色が初めから出る場合もあれば、何日もかけて塗り重ねていくこともあります。時には完成したと思っても、納得いかず全部最初からやり直すこともあるんです。

一将:個展へ持って行って、1日中見ているとちがうな〜って思えてくることもあるもんね。

水幸:そうなんです。そういうときは、持って帰ってきてから色直しをすることもあります。

ーーーこれ以上やめておくか、もうひと塗りするか、すごく迷いそう。
水幸:止めぎわが本当に難しいんです……。でも夢中になりますよ! やり過ぎたら元に戻れないので、迷ったときにはいったん放っておきます。みちくさの緑青は、形、表情、色合いがいい感じに調和するまで、なるべく時間をかけて眺めながら色つけすることを基本にしているんです。

ーーー眺めてみて、「これだ!」って思えたときは、すごく愛着も湧きそうです。
水幸:そうですね。それともうひとつ、着色の大事な要素があるんです。

ーーーどんなことですか?
水幸:季節や天気、日中と夜間の気温差などの色をつけるときの環境です。これらは美しい色を出してくれるきっかけになります。快晴の日に太陽の光をブロンズに当てながら色をつけてみたり、逆に冬で陽の光が弱いところでやってみたり。雨で湿気が多い日と空気が乾燥している日を比べても、緑青の色合いには反応のちがいがあって、少しずつちがう色合いに変化していきます。

ーーー自然が作りだす色味なんですね。
水幸:はい。なので、全く同じものっていうのは作れないんです。でもこれが魅力で、みちくさの一番の特徴でもあると思っています。

ーーーお話を聞いて、この微妙な色のちがいにますます魅力を感じました!

イタリア研修

ーーーイタリアに行ったのは何かきっかけがあったのですか?
一将:文化庁から渡航費と滞在費の支援を受けて研修できる、海外派遣制度に応募したんです。その制度を受けて、1年間、水幸とイタリアで暮らしました。イタリアはブロンズの彫刻の巨匠が何人もいる、鋳造のメッカのひとつでした。カッラーラは大理石の産地で、作品を制作しながら、現地の鋳造工房を訪ねて調査・研究の毎日です。本当に夢のような1年間でした。

ーーーイタリアでの生活はどうでしたか?
一将:時間を超えた多くの美しい物を観ることができました。フレスコ画には圧倒されましたね。

水幸:古い教会に入れば、必ずフレスコ画や装飾彫刻があるんです。有名な人のものではない、名もなき作家のものでも、暗い中で目を凝らして眺める時間が、ただただ楽しくて見るたび感動していました。

ーーーイタリアで経験したことや見たものは、これからの作品づくりにも影響しそうですか?
一将:今はまだないですが、これからみちくさの作品にも影響が出てくると思います。いつまでも眺めていられるような世界観のあるもの、印象深い存在感を作りたいです。

水幸:教会の鐘のレリーフとか、すごく可愛くて素敵だったんだけど、作品に落とし込めるほどまだ消化しきれてないのが現状です。こてこてになっちゃうから、みちくさの作品にはなかなか盛り込めないんですよね。みちくさの作品じゃなく、自分の作品だったら影響されている部分があるかもしれないけど。何かこれからの制作活動でうまく盛り込めていけたらいいなと思います。

ーーー今新たに挑戦していることはありますか?
水幸:表札や鋳物の文字のオーダーを受け付けようかなと思っています。今、「手紙社」って文字も切り出してみたところでした。

ーーー素敵ですね!
水幸:鋳物なので色が変わることもあるんですけど、その自然な色の変化を楽しんでくれているお客さまもいます。お店の看板や家の表札として、鋳物を生活に取り入れてくれたら嬉しいです。もみじ市にも見本をお持ちしますね!

ーーーもみじ市に来る方に向けてメッセージがあれば、お願いします!
水幸:ブロンズの鋳物を実際に手に持って、重みを感じながら色合いや肌合いを感じていただければと思います。写真や画像ではわからない、そのものに触れていただける機会を楽しみにしています!

《インタビューを終えて》
私もそうであったように、普段鋳物に触れる機会がなかった人にこそ触れてほしい「いもの道具 みちくさ」の作品。手にとって初めて感じる、ずっしりっとした鋳物の重みや、その日の天気、庭のアトリエに差し込む太陽の光の具合によって変化する色合いは、まるで生きているかのよう。ひとつとして同じものがない鋳物との出会いに、きっと特別な感情も湧いてくるはず。眺めるだけで美しい“作品”であり、暮らしに彩りを添える“道具”という言葉もしっくりくる、みちくさの鋳物を、ぜひ手にとってご覧いただきたいです。

(手紙社 永井里実)

出店者紹介,ジャンル:CRAFT

IRIIRI

【IRIIRI プロフィール】
まるで絵本の中から飛び出してきたかのような、ロマンチックでいてミステリアス、さらにはユーモアを兼ね備えた人形たちが今年ももみじ市へやってきます! 人形作家・IRIIRIの手にかかれば、一見奇抜に見える布も、あら不思議。この人形の一部になることが必然だったかのように、しっくりと馴染むのです。どこか上の空な子に、こちらを見据え何かを訴えかける子、一人ひとりしっかりと目を合わせてみてください。きっとあなたの気持ちに応えてくれる運命の子がここにいます。
http://iriiri.petit.cc/

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もみじ市 in 神代団地,出店者紹介,ジャンル:CRAFT

緒方伶香

【緒方伶香プロフィール】
Wool,Textile and Drawing Work
美大で染織を学んだのち、テキスタイルデザイナーを経て、現在は羊毛を使ったワークショップを中心に、書籍も出版。イラストやテキスタイルデザインも手がけ、幅広く活動している。もみじ市や布博で人気の、羊毛で動物(絶滅危惧種)を作るニードルフェルトのワークショップでは、もこもこの羊毛をちくちくと刺していくうちに、むくむくと愛情が沸いてきて、完成した頃にはすっかり羊毛の虜になってしまう。今回は、いつもの動物作りに加え、新刊『きほんの糸紡ぎ』(誠文堂新光社)の発売にに合わせ、コマのような小さな紡ぎ車、スピンドルを使った糸紡ぎも体験できるそう。ますます高まるWOOLの可能性から、目が離せません。
http://hopetosa.com/
Instagram:@reko_1969

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もみじ市 in 神代団地,出店者紹介,ジャンル:CRAFT

KIYATA

【KIYATAプロフィール】
KIYATA(キヤタ)はスリランカの言葉、シンハラ語でノコギリの意。
スリランカに所縁のあった若野忍、由佳夫妻が2008年に立ち上げた木工ユニット・KIYATAは、

森の奥深く 人間以外の者達が
来る者をもてなしてくれている場所
そこにあるものは……

そんな物語を背景に、生活にちょっとしたファンタジーをプラスする生き物をモチーフとしたインテリアを制作し、国内外問わず多くのファンに愛されています。

冬の風物詩のごとく毎年年末に開催される「手紙舎 2nd STORY」での個展「KIYATA国物語」は、事前受付入場を行うほどに大盛況。6年目となる今年は2019年11月27日(水)〜12月8日(日)の開催です。そのひと足先に行われる今回のもみじ市では、河川敷という屋外を舞台に、木から生まれた動物たちがのびのびと呼吸する姿も必見です。

http://www.kiyata.net
Instagram:@kiyataforest
Facebook:https://www.facebook.com/arts.crafts.kiyata/

2019/10/13追記)
<10月14日のもみじ市 in 神代団地 販売方法に関しまして>
10時の開場時にKIYATAブースにお並びになったお客様にクジを引いていただき順番を決めさせていただきます。
*木彫作品がなくなり次第、番号順のご案内は終了いたします。

<出品作品について>
もみじ市では木彫作品は少量になります。おもにプロダクト作品が中心の販売になります。
抽選にお越しいただいた方も木彫作品が売り切れの場合がございますのでご容赦ください。
*もみじ市では受注はお受けいたしません。

木彫作品 *12、13日両日に分けて販売いたします。
ムササビランプ(節ありなどB品含む)、ナマケモノランプ、ウサギ置時計、バスケット各種、キャニスター各種、手鏡、その他

プロダクト作品
金属アクセサリー、刻印ブローチ、マスキングテープ、グラス、スタンプなど
動物箸置きガチャガチャ

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もみじ市 in 神代団地,出店者紹介,ジャンル:CRAFT

KUROSAWA

【KUROSAWAプロフィール】
1996年から革製品の製作を始め、技術を磨き、 2008年KUROSAWAとして活動開始。 ベビーシューズやバッグなど、日常に馴染む革小物を製作しています。 2010年には工房を千葉県外房に移転。トレードマークのハチの刺繍は、カバンにとまっている姿をイメージした遊び心から生まれました。経年変化により味が生まれる革小物は、何年も使い続けたい宝物です。
http://hachi-kurosawa.com/
Instagram:@hachi.kurosawa

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もみじ市 in mado cafe,出店者紹介,ジャンル:CRAFT

小菅幸子

【小菅幸子プロフィール】
三重県津市の出身で、現在も津にアトリエを構えて活動している陶芸家。今や一大ジャンルとなっている陶ブローチですが、小菅さんがその起点となっていることは疑いようがありません。毎回もみじ市でも大行列ができてしまうほどの人気ですが、同じく陶芸家のご主人、息子さん、そして愛猫・レモンとともに、田んぼにかこまれた長閑な立地のアトリエで日々制作を続けています。今年はどんなモチーフが飛び出してくるのでしょうか? 男性の私(担当:小池)でもコレクションしたくなるような造形の多彩さも小菅さんの大きな魅力です。
http://kosugesachiko.com/

【商品カタログ予習帳】

【小菅幸子の年表・YEARS】

【小菅幸子さんインタビュー】
イマジネーションの豊かさあふれる小菅幸子さんの陶ブローチ。今では陶ブローチを手がける作家さんは増えていますが、小菅さんの多様さとクオリティに敵う作家はそういません。小菅さんから湧き出すように作られているブローチが、どうやって世に出てくるようになったのか、お話を伺いました。

ぼんやりと過ごした少女時代からレコードショップ時代

ーーー小菅さんとご主人・内山太朗さんの共同アトリエ兼お住まいは、津市郊外の田園の中にあって、とても良い雰囲気ですよね。一瞬「島かな?」と思えたり、日本じゃないような気がしたりしました。ここは小菅さんが生まれ育った場所なんですか?
小菅:とっても良い場所なんです。時々窓から高架を走る電車も見えて。私の実家の隣の敷地に作りました。

ーーーこの場所で過ごした子ども時代は、やっぱりものを作ることに興味はあったんですか?
小菅:ものを作るというよりも、絵を観るのが大好きでした。津には、今でも大好きな三重県立美術館があって、印象派とかエコール・ド・パリの頃の作品とか充実してまして。モネ、シャガール、ルノワールとかを観ては「きれいだなぁ」と思っていました。あとは、母が何かを作るのが好きで、私の原点かもしれない紙粘土のブローチをたくさん作ってくれていたんです。

お母さんの作っていた紙粘土ブローチ

ーーーこのクオリティーは、趣味の域を超えてますね! 年表によると、芸術系の大学に行きたい気持ちはあったんですね。高校では美術部とかに入っていたんですか?
小菅:中学・高校とも美術部でした。でもやる気の無い美術部で、私も真剣に活動はしていませんでした。作家への遠回りは続きます。

ーーー大学卒業後も特に手仕事系の仕事に就いたわけではなく?
小菅:鈴鹿の大手レコードショップで働いていて。喫茶tayu-tauのひーちゃんと出会ったのがこのレコードショップでした。

ーーーもみじ市にも出てくれていた喫茶tayu-tauの奥さん、寿代さんですね。ご主人の慎さんも同じ会社だったと聞きました。
小菅:私はまこっちゃん(慎さん)とはその当時直接会ったことはなかったんですよ。東京から新店舗の準備で来ていたみたいで。それから10年経って2人が同じ津市にカフェを開いてくれて、15年経って今度はさらにうちに近い場所に移転してきてくれて、嬉しい気持ちしかないです。

ーーー近所にtayu-tauさんがあるっていうだけで羨ましいですよ。レコードショップで働くということは、音楽も好きなんですね。
小菅:大好きです。職場では担当ジャンルを選ぶことはできなかったんですが、その分知らない音楽もたくさん吸収できて、世界が広がりました。そんな中でフォークミュージックに惹かれていったんですよ。

フォークから民芸、ものづくりへ

ーーーフォークも国によって様々ですよね。日本のフォークはまた違った味わいかもしれませんが。
小菅:欧米のアコースティックを聴いていました。ボブ・ディランとかも含めて。中でもどっぷり浸かったのがグラスゴーですね。スコットランドの。影響を受けてチェロを習って弾いていた時期もあるんです。そして……スターレッツっていうグラスゴーバンドが来日した時に前座を務めたことも(笑)。

ーーーなんと! それはすごいことですね。かなりの腕前だったのでは?
小菅:それが、本当に下手で。少し習っている程度だったので。今はすっかり置物になっています。おばあちゃんになったらまたやろうかな!

ーーーそして、音楽のフォークから民族民芸のフォークに興味は展開していった。
小菅:そうなんです。どうしてそっちの“フォーク”についてあまり知ることがなかったんだろう、と。それから、民芸に関する展示とか施設とかよく廻るようになりました。一番好きで行ったのは、東京の日本民藝館。あとは、松本とか豊田にもありますし、京都の河井寛次郎記念とか、益子の濱田庄司記念館とかも良いですよね。

ーーー2010年代に入って、ちょっとした民芸ブームといいますか、民芸品の新しい見せ方とか魅力とか、可愛さとかが注目されるようになりましたが、その先端を行っていたんですね!
小菅:しみじみと良いですよね。そこから自分でも日々の器を作りたいと思い始めて、陶芸教室に通うことにしたわけです。

陶芸学校での充実した日々

ーーー最初の陶芸教室はなかなかほのぼのしてそうですね。
小菅:老人ホームの中にあって、私以外は80代の方とかばかりで、要はおしゃべりしに来る場所という感じ。なんと言っても教室なのに先生がいなかったので、複雑なものとかちゃんとした器とか、作りたくても方法がわからなかったんです。それで、ブローチなら形さえ作って焼ければできると考えて、ブローチを作り始めることにしました。

ーーー思っていた以上にあっさりと陶ブローチ作りが始まったんですね。
小菅:そう考えると、やっぱり小さい頃の母親のブローチが体の中に染み付いていたのかもしれないですね。ブローチをとにかくたくさん作って、着けて出かけて、褒められるとその人にそのままプレゼントしてしまう、っていう楽しいことを数年続けていました。そうするうちに評判が広まって、友人が始めたお店とかに置いてもらえるようになっていったんです。

ーーー楽しんで作っているっていうのが伝わるから、余計に愛着が湧くんでしょうね。そして、転機となる出来事が!
小菅:自転車で車に撥ねられました(笑)。本当に、その時は全然怪我もなくて、ケロッとしていたので実感が無かったんですが、周りの反応とか、状況を知るにつれて生死が紙一重だったんだということがわかりました。昔のブログにその時のこと書いてありましたよ→

ーーーすごい出来事ですね……。本当に神がかっています。
小菅:この事故で、「人生一度きり、やりたいことをやろう!」と決心しました。本格的に陶芸を学ぶことにしたんです。津市の家から瀬戸市の窯業学校まで片道3時間、5時の始発で通っていました。そして、学校が終わった後に貸し工房でひたすら作って、24時の終電で帰るという生活。

ーーー片道3時間! 大変ではなかったですか?
小菅:それが、全然。むしろすっごい充実した通学でしたよ。本を読む時間がたくさん取れて。長い通勤時間、おすすめです(笑)。そんな時ですね、mado cafeさんから声をかけていただいて、野菜ブローチを作って販売させてもらったんです。特に人気だったのはレンコンで、初のヒット作になりました!

mado cafeでの催事で販売した野菜ブローチ

ーーーmado cafeさんとの仲はここからなんですね。まだレンコンモチーフの可愛さに気付いている人は少ない時代に、目をつけるとはさすが。madoさんはどこで小菅さんを知ったんでしょう?
小菅:当時ブローチを置いてもらっていた友人の古道具屋にmado cafeの柴田さんも行っていて、気に入ってくれたみたいなんですよ。私もmadoさんは知っていて、いいな、と思っていたカフェだったんで声かけてもらって「やったーっ!」でした!

ーーーやりたいことをとことんやり始めると、良い風が吹いてくるものなんですね。
小菅:窯業学校を卒業して、製陶所で働きながら作りまくりました、ブローチを。友人の店で個展をさせてもらったり、1人でイベントに出店したり。あ、1人で出店したり、個展のときはちゃんとコップとかお皿とかも作って出してるんですよ。しっかり作れるんです。学校に行きましたから!

もみじ市、そしてずっと未来

ーーーもみじ市は2014年が初出店で、産休を挟んで今回が5回目の出店となりますね。
小菅:憧れの場だったので、初めて出られて夢のような2日間でした。驚いたのは人の多さで、私のブースにもたくさんの人が来てくださって、行列もできました。それまではどこで展示をしても、出店をしても、そこまでのことは無かったので、もみじ市に来る方々のアンテナの強さがわかりました。過去一番のブレイクでしたよ。

ーーーそれだけ、他にはないブローチを作っているということなんだと思います。モチーフも「こんな意外なものが!」みたいなものが可愛く表現されていたり、新鮮さを失うことが無い。
小菅:やっぱり作りたいと思ったものを作っているからですかね。心惹かれたモチーフはすぐ形になって、それがブローチになって、誰かに褒めてもらって、嬉しい。その繰り返しに幸せを感じます。

ーーー未来年表、ロマンですねぇ……。私も似たようなことを想像することがあります。ひょんなことで自分の身の回りのものが土中に埋まって、何千年後かに発掘される、みたいな。
小菅:夢ですよね。以前アルルの博物館に行った時に、川底から出てきた昔の陶片が飾ってあったんですよ。それを見て「私も!」と夢想しました。それが400年くらい前のものだった気がするんですよね。でも400年前って中世とか? あれ? まあでも、そんな未来を楽しみにしています(笑)。それから最近、私のブローチを「いずれは娘に受け継がせたい」って言ってくださる方がいて。そういうのも素敵だな、と思いましたよ。最初は「陶器のブローチなんて壊れやすそうだから、どうなんだろう?」って考えたこともありました。それでも長く大切にしてくださる人がたくさん。割れてしまって金継ぎしてくださっている人まで! これからも私のブローチがたくさんの人の手に渡っていって欲しいと願っています。そして、もし捨てるならぜひ川に(笑)。

《インタビューを終えて》
小菅さんと話をしていると、とってもポジティブな気分になります。常に背景に感じるのは家族への愛、仲間たちへの愛、そして自分の仕事ブローチ作りへの愛。最近は陶ブローチも増えてきて、小菅さんの影響力を感じることも多い気がします。それでも作品に込められた“良い気”は、なかなか真似できるものではないなと、改めて思いました。そして、普通ならば生死の分かれ目となるような出来事でも、かすり傷で済んでしまうようなところ、それを大きな転機にしてここまで走ってきたところが、なんとも小菅さんらしいお話でした。今年のもみじ市ではどんなブローチがみなさんの元に届くのか、ブースから旅立ってしまう前にしっかり目に焼き付けておきます。

(手紙社 小池伊欧里)