もみじ市 in mado cafe,出店者紹介,ジャンル:CRAFT

小菅幸子

【小菅幸子プロフィール】
三重県津市の出身で、現在も津にアトリエを構えて活動している陶芸家。今や一大ジャンルとなっている陶ブローチですが、小菅さんがその起点となっていることは疑いようがありません。毎回もみじ市でも大行列ができてしまうほどの人気ですが、同じく陶芸家のご主人、息子さん、そして愛猫・レモンとともに、田んぼにかこまれた長閑な立地のアトリエで日々制作を続けています。今年はどんなモチーフが飛び出してくるのでしょうか? 男性の私(担当:小池)でもコレクションしたくなるような造形の多彩さも小菅さんの大きな魅力です。
http://kosugesachiko.com/

【商品カタログ予習帳】

【小菅幸子の年表・YEARS】

【小菅幸子さんインタビュー】
イマジネーションの豊かさあふれる小菅幸子さんの陶ブローチ。今では陶ブローチを手がける作家さんは増えていますが、小菅さんの多様さとクオリティに敵う作家はそういません。小菅さんから湧き出すように作られているブローチが、どうやって世に出てくるようになったのか、お話を伺いました。

ぼんやりと過ごした少女時代からレコードショップ時代

ーーー小菅さんとご主人・内山太朗さんの共同アトリエ兼お住まいは、津市郊外の田園の中にあって、とても良い雰囲気ですよね。一瞬「島かな?」と思えたり、日本じゃないような気がしたりしました。ここは小菅さんが生まれ育った場所なんですか?
小菅:とっても良い場所なんです。時々窓から高架を走る電車も見えて。私の実家の隣の敷地に作りました。

ーーーこの場所で過ごした子ども時代は、やっぱりものを作ることに興味はあったんですか?
小菅:ものを作るというよりも、絵を観るのが大好きでした。津には、今でも大好きな三重県立美術館があって、印象派とかエコール・ド・パリの頃の作品とか充実してまして。モネ、シャガール、ルノワールとかを観ては「きれいだなぁ」と思っていました。あとは、母が何かを作るのが好きで、私の原点かもしれない紙粘土のブローチをたくさん作ってくれていたんです。

お母さんの作っていた紙粘土ブローチ

ーーーこのクオリティーは、趣味の域を超えてますね! 年表によると、芸術系の大学に行きたい気持ちはあったんですね。高校では美術部とかに入っていたんですか?
小菅:中学・高校とも美術部でした。でもやる気の無い美術部で、私も真剣に活動はしていませんでした。作家への遠回りは続きます。

ーーー大学卒業後も特に手仕事系の仕事に就いたわけではなく?
小菅:鈴鹿の大手レコードショップで働いていて。喫茶tayu-tauのひーちゃんと出会ったのがこのレコードショップでした。

ーーーもみじ市にも出てくれていた喫茶tayu-tauの奥さん、寿代さんですね。ご主人の慎さんも同じ会社だったと聞きました。
小菅:私はまこっちゃん(慎さん)とはその当時直接会ったことはなかったんですよ。東京から新店舗の準備で来ていたみたいで。それから10年経って2人が同じ津市にカフェを開いてくれて、15年経って今度はさらにうちに近い場所に移転してきてくれて、嬉しい気持ちしかないです。

ーーー近所にtayu-tauさんがあるっていうだけで羨ましいですよ。レコードショップで働くということは、音楽も好きなんですね。
小菅:大好きです。職場では担当ジャンルを選ぶことはできなかったんですが、その分知らない音楽もたくさん吸収できて、世界が広がりました。そんな中でフォークミュージックに惹かれていったんですよ。

フォークから民芸、ものづくりへ

ーーーフォークも国によって様々ですよね。日本のフォークはまた違った味わいかもしれませんが。
小菅:欧米のアコースティックを聴いていました。ボブ・ディランとかも含めて。中でもどっぷり浸かったのがグラスゴーですね。スコットランドの。影響を受けてチェロを習って弾いていた時期もあるんです。そして……スターレッツっていうグラスゴーバンドが来日した時に前座を務めたことも(笑)。

ーーーなんと! それはすごいことですね。かなりの腕前だったのでは?
小菅:それが、本当に下手で。少し習っている程度だったので。今はすっかり置物になっています。おばあちゃんになったらまたやろうかな!

ーーーそして、音楽のフォークから民族民芸のフォークに興味は展開していった。
小菅:そうなんです。どうしてそっちの“フォーク”についてあまり知ることがなかったんだろう、と。それから、民芸に関する展示とか施設とかよく廻るようになりました。一番好きで行ったのは、東京の日本民藝館。あとは、松本とか豊田にもありますし、京都の河井寛次郎記念とか、益子の濱田庄司記念館とかも良いですよね。

ーーー2010年代に入って、ちょっとした民芸ブームといいますか、民芸品の新しい見せ方とか魅力とか、可愛さとかが注目されるようになりましたが、その先端を行っていたんですね!
小菅:しみじみと良いですよね。そこから自分でも日々の器を作りたいと思い始めて、陶芸教室に通うことにしたわけです。

陶芸学校での充実した日々

ーーー最初の陶芸教室はなかなかほのぼのしてそうですね。
小菅:老人ホームの中にあって、私以外は80代の方とかばかりで、要はおしゃべりしに来る場所という感じ。なんと言っても教室なのに先生がいなかったので、複雑なものとかちゃんとした器とか、作りたくても方法がわからなかったんです。それで、ブローチなら形さえ作って焼ければできると考えて、ブローチを作り始めることにしました。

ーーー思っていた以上にあっさりと陶ブローチ作りが始まったんですね。
小菅:そう考えると、やっぱり小さい頃の母親のブローチが体の中に染み付いていたのかもしれないですね。ブローチをとにかくたくさん作って、着けて出かけて、褒められるとその人にそのままプレゼントしてしまう、っていう楽しいことを数年続けていました。そうするうちに評判が広まって、友人が始めたお店とかに置いてもらえるようになっていったんです。

ーーー楽しんで作っているっていうのが伝わるから、余計に愛着が湧くんでしょうね。そして、転機となる出来事が!
小菅:自転車で車に撥ねられました(笑)。本当に、その時は全然怪我もなくて、ケロッとしていたので実感が無かったんですが、周りの反応とか、状況を知るにつれて生死が紙一重だったんだということがわかりました。昔のブログにその時のこと書いてありましたよ→

ーーーすごい出来事ですね……。本当に神がかっています。
小菅:この事故で、「人生一度きり、やりたいことをやろう!」と決心しました。本格的に陶芸を学ぶことにしたんです。津市の家から瀬戸市の窯業学校まで片道3時間、5時の始発で通っていました。そして、学校が終わった後に貸し工房でひたすら作って、24時の終電で帰るという生活。

ーーー片道3時間! 大変ではなかったですか?
小菅:それが、全然。むしろすっごい充実した通学でしたよ。本を読む時間がたくさん取れて。長い通勤時間、おすすめです(笑)。そんな時ですね、mado cafeさんから声をかけていただいて、野菜ブローチを作って販売させてもらったんです。特に人気だったのはレンコンで、初のヒット作になりました!

mado cafeでの催事で販売した野菜ブローチ

ーーーmado cafeさんとの仲はここからなんですね。まだレンコンモチーフの可愛さに気付いている人は少ない時代に、目をつけるとはさすが。madoさんはどこで小菅さんを知ったんでしょう?
小菅:当時ブローチを置いてもらっていた友人の古道具屋にmado cafeの柴田さんも行っていて、気に入ってくれたみたいなんですよ。私もmadoさんは知っていて、いいな、と思っていたカフェだったんで声かけてもらって「やったーっ!」でした!

ーーーやりたいことをとことんやり始めると、良い風が吹いてくるものなんですね。
小菅:窯業学校を卒業して、製陶所で働きながら作りまくりました、ブローチを。友人の店で個展をさせてもらったり、1人でイベントに出店したり。あ、1人で出店したり、個展のときはちゃんとコップとかお皿とかも作って出してるんですよ。しっかり作れるんです。学校に行きましたから!

もみじ市、そしてずっと未来

ーーーもみじ市は2014年が初出店で、産休を挟んで今回が5回目の出店となりますね。
小菅:憧れの場だったので、初めて出られて夢のような2日間でした。驚いたのは人の多さで、私のブースにもたくさんの人が来てくださって、行列もできました。それまではどこで展示をしても、出店をしても、そこまでのことは無かったので、もみじ市に来る方々のアンテナの強さがわかりました。過去一番のブレイクでしたよ。

ーーーそれだけ、他にはないブローチを作っているということなんだと思います。モチーフも「こんな意外なものが!」みたいなものが可愛く表現されていたり、新鮮さを失うことが無い。
小菅:やっぱり作りたいと思ったものを作っているからですかね。心惹かれたモチーフはすぐ形になって、それがブローチになって、誰かに褒めてもらって、嬉しい。その繰り返しに幸せを感じます。

ーーー未来年表、ロマンですねぇ……。私も似たようなことを想像することがあります。ひょんなことで自分の身の回りのものが土中に埋まって、何千年後かに発掘される、みたいな。
小菅:夢ですよね。以前アルルの博物館に行った時に、川底から出てきた昔の陶片が飾ってあったんですよ。それを見て「私も!」と夢想しました。それが400年くらい前のものだった気がするんですよね。でも400年前って中世とか? あれ? まあでも、そんな未来を楽しみにしています(笑)。それから最近、私のブローチを「いずれは娘に受け継がせたい」って言ってくださる方がいて。そういうのも素敵だな、と思いましたよ。最初は「陶器のブローチなんて壊れやすそうだから、どうなんだろう?」って考えたこともありました。それでも長く大切にしてくださる人がたくさん。割れてしまって金継ぎしてくださっている人まで! これからも私のブローチがたくさんの人の手に渡っていって欲しいと願っています。そして、もし捨てるならぜひ川に(笑)。

《インタビューを終えて》
小菅さんと話をしていると、とってもポジティブな気分になります。常に背景に感じるのは家族への愛、仲間たちへの愛、そして自分の仕事ブローチ作りへの愛。最近は陶ブローチも増えてきて、小菅さんの影響力を感じることも多い気がします。それでも作品に込められた“良い気”は、なかなか真似できるものではないなと、改めて思いました。そして、普通ならば生死の分かれ目となるような出来事でも、かすり傷で済んでしまうようなところ、それを大きな転機にしてここまで走ってきたところが、なんとも小菅さんらしいお話でした。今年のもみじ市ではどんなブローチがみなさんの元に届くのか、ブースから旅立ってしまう前にしっかり目に焼き付けておきます。

(手紙社 小池伊欧里)

もみじ市 in mado cafe,出店者紹介,ジャンル:FOOD

mado cafe


【mado cafeプロフィール】
「このカフェに行けば、絶対に美味しい幸せを感じられる」。私(担当:富永)がそんな言葉を添えて知人におすすめしているのが、愛知県岡崎市にある「mado cafe」です。柴田真史さん・友香さんが生み出す洗練された空間と絶品メニューの数々が、これまでたくさんの人を虜にしてきました。素材の味をしっかりと楽しめるフードメニューはもちろん、他とはひと味もふた味も違うあま〜いおやつも見逃せません。一口食べれば心が踊る最高の一品を、もみじ市の冒険で味わってみてくださいね。
http://madocafe.jp
Instagram:@madocafe_

【mado cafeの年表・YEARS】

【mado cafe・柴田真史さん、友香さんインタビュー】
愛知県を代表する喫茶店といえばこのお店。今年で11周年を迎えた「mado cafe」の歩みはどのようなものだったのでしょうか。もみじ市の元気印でもある柴田真史さん、友香さんご夫妻に、担当の富永琴美がお話を伺いました。

ふたりの思いが詰まった「mado cafe」

ーーーおふたりの出会いはどのようなきっかけだったのですか?
真史:ふたりとも、同じカフェに入社して一緒に働いていたんです。お互いカフェ巡りが趣味だったことをきっかけに、お付き合いが始まりました。

ーーー年表では、お付き合いをはじめてから2年後にはお店を出す決心をされたとありますが、すごいスピード感ですね!
真史:たまたま僕の実家のとなりに畑があって、そこの土地を使ってみないかという話が来たんです。お互いに「飲食店がやりたい」と思っていたので、即決でした。 22〜23歳くらいの頃に決めて、2年後のオープンのときは24〜25歳くらい。若いエネルギーでしたね。
友香:考えるよりも先に「やるっ!」っていうエネルギーがありました。本能でビビっときたら実行に移しちゃう。

ーーーオープン準備の2年間はどうでしたか?
真史:設計士さんに相談して良い大工さんを教えてもらったんですが、かなり多忙な方で、実際の作業にとりかかるまでの時間がすごく長かったんです。その間に家具などを選んだりして。
友香:施工が始まってからは、私たちも一緒にペンキ塗りなんかをやらせてもらいました。

この場所からたくさんの思い出が生まれました

ーーーおふたりの思いがたくさん詰まった空間なのですね! オープン当初の反応はどうでしたか?
真史:しばらくは苦しい時期が続きました。ホームページもなく、店をはじめて告知らしい告知をしていなかったので。オープンから数ヶ月は近所の人や、通りがかりで立ち寄る方などで賑わったのですが、しばらくすると全然来なくなって。そこからなんとか1年やって、ランチで提供していた和食のご飯が人気になってきたので、それをメインにするようになりました。

ーーー2011年に「手紙社代表北島氏来店」とありますが、おふたりにとってこれはどのような出来事だったのでしょうか。
真史:事件でしたね。お店に入って来たとき、ショップカードのコーナーを物凄くじっくりと見ていて、怪しい人だなって一瞬思いました(笑)。でもウェブで北島さんのインタビューを読んだことがあったので「もしかして、手紙社の人かも!」と気づいたんです。
友香:お店の準備期間に、北島さんが編集長をされていた「自休自足」を読んで、掲載されているお店に憧れを持っていたので、とても嬉しかったです。「自分たちの世界がやっと認められたんだ!」って頑張る力が湧いて来ました。このときからグッとやる気スイッチが入ったんです。

ーーー手紙社と初めて関わったのはインベントかと思い込んでいたのですが、お店のDM制作だったんですね!
真史:北島さんがお店に来てくれたあと、「なにか手紙社さんと一緒にできたらな」と思って東京のお店まで相談しに行って、オープン3周年のDMを作ってもらいました。そのときにイベント出店のお話もして、「第1回 カフェ&ミュージックフェスティバル」に誘ってもらったんです。
友香:他の出店者も憧れのお店ばかりだったので、とても嬉しかったです。イベント当日は、お客さんや会場の空気感がとてもよくて、出られて本当によかったと思いました。

ーーーはじめてのイベント出店では、どんなメニューを出されていたんですか?
真史:時間によって内容を変えていたんです。朝は小倉トーストを出して、午後は出汁巻やおにぎりを出していました。

ーーー最近のイベントのメニューは、クレープやオムライスの印象が強いですが、和風のごはんも出されていたんですね。
真史:オープン当初から、お惣菜と野菜だけのワンプレート「マドごはん」が定番メニューで、イベントにも出していました。でも、何年か作り続けていくうちに「これしか作っていないな」と思って。なんとなく苦しくなってきたんです。
友香:「喫茶店がやりたい」という気持ちが強くて、途中でメニューをガラッと変えました。喫茶店に昔からあるようなものを、“mado cafe風”に仕上げたものを提供しています。
真史:でも実は、今年からまた「マドごはん」が復活したんです。なるべく作り手がわかる地元の野菜や果物、旬の食材を使って、季節を感じられるものを出せたらと思います。

定番のオムライス!
オープン当初のマドごはん
今年復活したマドごはん

愛知の喫茶店の星が、もみじ市へ

ーーー2013年にもみじ市初出店ということですが、当時のことは覚えていますか?
真史:初めてのもみじ市は、1日目が河川敷開催で、2日目が雨で会場を大移動した時だったんです。あれを経験したら、もうなんだってできるんじゃないかなと思います。
友香:2日目は大変すぎて記憶が飛んでるもんね(笑)。
真史:大変だったんですけど、「ついにここまで来た」っていう感動もありました。選りすぐりの出店者が集まる場所なので、全員の名前が紹介される朝礼のときに僕たちの名前が呼ばれたことがとても嬉しかったです。

ーーーもみじ市はどんなイベントだと思いますか?
友香:もみじ市は、会場の一体感みたいなものがすごくある気がします。同じものを好きな人が来て、楽しんでいる。お客さんはもちろん、出店者も楽しいんですよね。
真史:僕はお客さんが河川敷から帰っていく感じも好きです。幸せな空気に包まれた会場から帰っていくお客さんの背中を見送りながら、「今年も出店できた」という喜びを噛み締めています。

ーーー私も、河川敷からお客さんを見送る時間はとても好きです。「また来年、もみじ市で会いましょうね」って、心の中で背中に語りかけています(笑)。
友香:もみじ市は、ボランティアスタッフさんとの出会いも思い出深いです。今うちで働いている子も、ボランティアスタッフをしていたんですよ。もともと名古屋に住んでいる子で。お店にもよく来てくれていました。

ーーーそれはすごい! もみじ市はそんな出会いを生んでいたのですね。
真史:もみじ市で出会った出店者仲間もたくさん増えました。イベント後に店まで遊びに来てくれたりして、とてもいい縁を結んでもらって有難いなあと思っています。

これからも、自分たちらしく

ーーーおふたりが大切にしていることはありますか?
真史:自分たちは食事を出していますが、それ以上に “時間”を提供しているんだと思っています。料理やドリンクは、自分の時間を楽しんでもらうためのひとつのツールになるだけで。読書したり、ぼーっとしたり、おしゃべりしたり。思い思いに過ごしてもらえたらなって思っています。

ーーーお子さんが誕生してから、何か変化したことはありましたか?
真史:目線がかわりましたね。大変なこともありましが、すっごく楽しいです。
友香:疲れが飛ぶよね。子供が産まれたらイベント出店できないかなとか、仕事が制限されるかなとも思ったけど、家族の協力もあって、店も生活も楽しみながらできていると思います。

ーーー12年活動されてきて、大変だったことはありましたか?
真史:やらかしちゃうことはしょっちゅうだけど、あんまり「大変」って感じたことないかもしれないです。皆さんに支えられて、なんとか楽しくここまで来られた気がします。
友香:mado cafeが10周年のときに、1日1組スペシャルゲストを呼んで「マドとみんなでお祝い喫茶」という企画をしました。ものすごくバタバタで忙しかったのですが、毎日違う人に会うことができて本当に楽しかったです。やっている最中は大変だったかもしれないけれど、終わったら不思議と「また来年もやりたいね」と思うんですよね。

10周年企画でコラボしたみなさん

ーーーおふたりの人柄があるからこそ、たくさんの人が集まり、「みんなで楽しいことをしよう!」という空間が作れたのかもしれませんね。これまでの活動を振り返って、いかがですか?
真史: 10周年のときも思いましたが、本当に感謝しかないです。お客さんに来てもらわないと続かない商売なので、ここまでやってこれたことに心から幸せを感じます。

ーーーこれから、やってみたいことがあればぜひ教えてください!
友香:ちっちゃいことはいっぱいあります! また10周年みたいにゲストを呼ぶ企画はやりたいです。あとは、なかなか会いに行けない人に会いにいけたらいいなあ……。
真史:安定の「mado cafe」でこれからもやっていきたい! 軸がブレないように。やりたいことはとつぜん降りてくるかもしれないので、それまではできることを丁寧にしていきたいですね。

今年は柴田ケイコさんとコラボしたクレープが登場します!

《インタビューを終えて》
インタビューの最中何度も「たくさんの人に出会い、支えられてここまでこられた」と話していた真史さんと友香さん。そんなおふたりもまた、もみじ市を支えてくれるかけがえのない存在です。当日は、おなじみのメニューを持って河川敷へ! 丁寧に丁寧に作られるクレープを一口頬張れば、きっと誰もが「ああ、この味に出会えてよかった」と幸せな気持ちに包まれることでしょう。家族も増え、さらにパワーアップを重ねる「mado cafe」に、どうぞご注目ください!

(手紙社 富永琴美)

もみじ市 in mado cafe,出店者紹介,ジャンル:CRAFT

はしもとみお

【はしもとみおプロフィール】
木という素材から生まれていることを思わず忘れてしまうほど、生き生きとした瞳を持つ動物たち。生きものの愛らしく伸び伸びとした姿がリアルに表現された作品を目の当たりにすれば、きっと誰もが「今にも動き出すのでは」と考えてしまうはず。特定のモデルがいるという彫刻家・はしもとみおさんの作品には、どれもはしもとさんの動物への愛が込められ、魂が宿っているかのようです。今年のもみじ市では、どんな仲間たちに出会えるのでしょうか。他の誰にも真似できない特別な彫刻の数々との出会いを、どうぞお楽しみに!
http://kirinsan.awk.jp
Instagram:@hashimotomio

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もみじ市 in mado cafe,出店者紹介,ジャンル:BREAD

七穀ベーカリー

【七穀ベーカリープロフィール】
大阪府寝屋川市・香里園にパン&カフェを構えつつ、日本全国、北から南までさまざまなイベントを飛び回る、別名「飛び出すパン屋」。店主の山本洋代さんが作り出す、自家製酵母のパンと豆乳ドーナツ、「パンとおいしいもの」と題したパンを楽しむためのグロッサリーは、素材を生かした味わいと愛らしい見た目が人気です。2013年に初めて出店し、今年で通算7回目になる常連出店者の1人。レトロ印刷でお菓子のパッケージを自らデザインし製作するなど、クリエイティブな一面もあり、ピュアな人柄と冷めやまらぬパッションで、多くの人の心を掴んで離しません。
http://759bakery.jp

【七穀ベーカリー・山本洋代の年表・YEARS】

【七穀ベーカリー・山本洋代さんインタビュー】
自他共に認める、もみじ市ファンの山本洋代さん。「ミセス・全力投球」山本さんが、どのようにパン作りと出会い、自らのパンを作り出したのか。もみじ市への思いと共に、担当・丸本がその歴史を伺いました。

“10周年”
ーーー“七穀ベーカリー”の屋号を掲げて今年で10年目を迎えられましたね。おめでとうございます!
山本:ありがとうございます! 年表を作成しながら、この10年を振り返ることができました。色んなことがありましたね。

ーーー七穀ベーカリーといえば、自家製酵母のパンと豆乳ドーナツ。そして、山本さんとお母さんの息のあった運営も、ひとつの名物だと思っています。私、いつもお2人を微笑ましく拝見していました。
山本:そうですね。主人とお母さんと出会って、2人が応援してくれたから、ここまでやってこれました。特にお母さんは大事なシーンで背中を押してくれた人なので、お母さんがいなかったら今の七穀ベーカリーの形にはなっていなかったかもしれないです。

ーーーえ、待ってください。お母さまって、ご主人のお母さん……?
山本:そうですよ、義母です! 義母!

ーーーお2人の働きっぷりを拝見していると、誰しもが実母だと疑いませんよ(笑)! お姑さんと、こんな素敵な関係を築いているなんて驚きです! 皆さんの馴れ初めをお聞きたいです。年表に移りましょう!

パンの発送準備中の母(照れ屋なのでこっそり撮影)

パンの世界へ飛び出す山本洋代、同年には結婚も

ーーー2002年。人生のビッグイベントがふんだんに盛り込まれた、変化の1年でしたね! パン屋に転職したきっかけは何だったのでしょうか?
山本:パン教室で作った“不味い”パンです(笑)。食べることが好きな私は、その不味いパンに衝撃を受けましてね、「美味しいパンを作れるようになりたい!」と、パン作りを追求したくなってしまったんです!

思い立ったように事務の仕事を辞めて、パン屋にアルバイトで勤め始めました。パンの仕込みや生地作りを教わるようになってからは、取り憑かれたようにのめり込みましたね。以前から交際していた旦那さんともこの年に結婚したでしょう? それまでの人生がガラッと変化する年って突然訪れるんですよ、丸本さん!

ーーーまさに“転機”! 当時から、山本さんには好きへの直感と追求する行動力が備わっていたのですね。
山本:新婚だというのに、パン作りの腕を磨きたくてパン屋とカレー屋とイタリアンレストランの掛け持ちをして、家にはほとんどいなかった時期もありました(笑)。夢中になってしまうと周りが見えなくなる性格で、主人には当時から心配をかけてきました。

もみじ市の存在を知った山本洋代、2大目標を掲げる

ーーー2007年。もみじ市を知るきっかけは何でしたか?
山本:インターネットと雑誌です。学生の頃、文化祭が大好きだった私は「こんな楽しい場所があるんや! 私もこの一員になりたい!」って知れば知るほど気持ちが盛り上がっていきました。

同時に、自問自答していましたね「私らしいパンってなんだろう?」って。それまで、京都の手作り市などで、白神こだま酵母という天然酵母を使ったパンを自分で販売していましたが、もみじ市に出店していた個性いっぱいの美味しいパン屋さんのことを知って、ふつふつと「自分らしさ」を探求するようになっていましたね。

雑誌『自休自足』の「小さなパン屋の作り方」という記事は、教科書のように何度も読み返しました。いろんなものから酵母が育つことを知ったのは、この雑誌のおかげです。そして、そこで特集を組まれていた、ヘブンズテーブルのトミヤマトモミ先生は、今、私が心から尊敬する人の1人です。この雑誌を読んで、パン屋を目指した人はたくさんいると思いますし、私もそのひとり。「自分のパン屋を作ること」と「『もみじ市』に出店すること」を目標に掲げました。

飛び出すパン屋・七穀ベーカリー、いよいよ始動

ーーー2010年。夢だった自分の店『七穀ベーカリー』の屋号を掲げます。
山本:現在、自家製酵母の「レーズン酵母」を使ってパンを作っているのですが、この頃からですね、“天然”酵母ではなく“自家製”酵母を謳うようになったのは。夢だった店を構えても、手紙社の門を叩くことはもちろん、手紙社に行く勇気さえありませんでした。

ーーー2012年。手紙社のことを意識していて、それなのに近づけなかった山本さんが、ついに手紙舎つつじヶ丘本店を訪れる時が来たのですね。
山本:この時、「気になるなら行ってきなさい!」って背中を押してくれたのが義母さんでした。nuri candleさんの個展に、わたなべようこさん(手紙社創業者の1人)がいらして、勇気を振り絞って、話しかけました。「もみじ市に出ることが私の夢です!」って。

ーーー告白のワンシーンのようですね。
山本:はい(笑)。わたなべさんとお会いできた時は、相当緊張していました。そして、いつかもみじ市へお誘いいただけないかと希望を抱いて、後日、自家製酵母パンを手紙舎に送りましたが……連絡はありませんでした(笑)。

送ったパンのことを忘れかけた頃、調布パルコのパンフェスへお声かけをもらいましてね、「手紙社さんのイベントに出れる!」ってとても喜んでいたのを覚えています。それを機に、京王閣で開催されたパンフェスや、GOOD FOOD MARKETにも出店させてもらいました。

2014夏、喫茶にて父と

飛び出すパン屋・七穀ベーカリー、もみじ市へ初出店

ーーー2013年。ついに、第7回もみじ市「カラフル」へのお声かけがあったのですね!
山本:夢だったもみじ市ですから、それはもう……嬉しかったですよ! ただ、ひとつ問題が。

ーーーえ……。
山本:私、大阪〜東京間の長距離を運転した経験がなかったんです! とても不安でした。しばらく頭を抱えていたら、また義母さんが「一緒に行ってあげるから!」と、背中を押してくれたわけです。それまでの心配が嘘のように、当日は問題なく完走できて「飛び出すパン屋」として、ひとつ自信になりました。「私、東京まで運転できる!」って。

ーーー豆乳ドーナツが生まれた年でもありますよね。どんな思いで作ったのですか?
山本:与えてもらった2日間の時間と場所で、「七穀ベーカリーのパン」をどうしたらお伝えできるかなと考えて生まれました。まずは、「皮がかりっ」「中がもっちり」とした食感。そして、自家製酵母らしい旨味と酸味を表現すべく、お店と同じように現地で鍋で揚げることにしました。パン屋のドーナツを味わってほしいです。

「安心と美味しさ」「『飛び出すパン屋』が旅で出会った食材をつかった一期一会のパン作り」は、今も変わらず大切にしています。

2013年 もみじ市初出店
揚げたての豆乳ドーナツ

これからの七穀ベーカリー

ーーー今年、何か特別な活動はされていますか?
山本:これまでお世話になった方や、尊敬する方たちに会いに行って、お話を伺いながら勉強する1年にしています。「パンと美味しいもの 七穀ベーカリー」としてやってきた10年間、人に恵まれて、ずっと並走してくれる人がいてくれました。ヘブンズテーブルのトモミ先生をはじめ、美味しいお料理を作る、尊敬する方がもみじ市にはたくさんいらっしゃいます。今年、コラボを組ませてもらうcafeゴリョウ澤井雅樹さん・加菜子さんもそれぞれ尊敬する人のひとり。美味しいものができそうなので、すでにワクワクしています!

ーーー脱サラしてパンの世界に飛び込んだ頃と変わらぬ情熱でひた走る山本さん。これからのご活躍が楽しみでなりません。ありがとうございました!

出店者目印は、お守りとして大事にしています
ご主人と参戦しました

《インタビューを終えて》
「パン」と「もみじ市」の話をする時の山本さんの楽しそうな表情と、高まる声、そして息づかい。「この方、本当に好きなんだな。私もこんなに夢中になれる何かが欲しい」と思わずにはいられません。愛に溢れた店主と、美味しいパンと美味しいものを求めて、七穀ベーカリーへぜひ足をお運びください!

山本さん。印ピクのパイナップルケーキが本当に可愛くって、疲れが癒えるほど美味しかったです。会ったこともない私に、「せっかくだからJAMさんでパッケージ作りましたよ!」って、メールくれましたよね。仲間みたいに一生懸命で、嬉しかったのをよく覚えています。もみじ市も一緒に楽しみましょう!

(手紙社 丸本菜穂)

【もみじ市当日の、七穀ベーカリーさんのブースイメージはこちら!】

もみじ市 in mado cafe,出店者紹介,ジャンル:CRAFT

松本寛司

【松本寛司プロフィール】
1976年愛知県一宮市生まれ。仏像や仏具を制作修理する仕事を経て多治見市のstudio MAVOで木工作家としての歩みを始めました。現在は渥美半島の海岸近くに工房を構えて、趣味のサーフィンと木工を行ったり来たりの毎日。木の板から読みとったかたちを彫り出し削り出し、生活の中で手に馴染み長く使える道具を制作しています。木から、海から、インスピレーションを受け、木の特性を生かした作品は、ひとつひとつ手仕事によるもの。スプーンの角度ひとつ取っても細かい調整がなされています。私(担当:小池)が愛用するのはスプーンとフォークが一体になったアウトドア用のカトラリー。インドアでも重宝しています。
http://kanjimatsumoto.com/

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