【mitome tsukasaプロフィール】
節々が角ばって華奢とは言えない私の手は昔からコンプレックスのひとつ。指先に全く興味のなかった私に、指を飾る楽しさを教えてくれたのがmitome tsukasaさんでした。草花の形や水の流れ、泡などの自然にあらわらる現象を主なモチーフとして、真鍮、シルバーなどで作られるmitomeさんのアクセサリー。原型をロウ(ワックス)で作ることで、作品の表情がほころぶように感じられます。また、原型から型を取り、金属に置き換えられた後も、有機的な手触りが残るようにと、一つひとつ手作業で仕上げられます。どの作品も身に着けると、まるで体温と一体となっているかのように体に馴染みます。
Mellow Glass
【Mellow Glassプロフィール】
瑞々しくも柔らかな光をまとう、月や家のガラスオブジェたち。Mellow Glass タナカユミさんは、長野県の工房で自然に囲まれながら日々制作されています。粘土を原型に“パート・ド・ヴェール”と呼ばれる伝統的な技法でガラスと向き合っています。一つの型からただ一つだけ産み落とされる作品は、幻想的でありながらそのひとつひとつに愛おしさを感じます。いつか夢の中で出会ったようなガラスの街は、朝も夜も美しく光を通し、私たちの日常を見守るようです。
http://mellowglass.tumblr.com
Instagram:@mellowglas
もみじ市 in 神代団地,出店者紹介,ジャンル:TEXTILE
YURTAO
【YURTAOプロフィール】
2008年にスタートしたテキスタイルブランド・YURTAO。デザイナーの木下桃子さんは、世界中を旅するなかで出会った景色や文化、人々からインスピレーションを受け、生地を作ります。ぱっと目を引く鮮やかな色遣い、そして生地の用途に合わせて取捨選択された素材には、ぱっと目を引く鮮やかな色遣いと、生地によって変わる素材からは、身につける者を飽きさせない工夫が凝らされています。この夏から秋にかけて、インドを始め各国を旅している木下さんからは新たにどんなアイテムが届くでしょう。あなたの日常にも異国のエッセンスが織り込まれた一品を取り入れていませんか?
http://momokokinoshita.com/wp/
【YURTAO・木下桃子さんインタビュー】
手紙社のイベントのひとつ、布博でもお馴染みのYURTAO・木下桃子さん。6月の札幌蚤の市&もみじ市に続き、今回、多摩川河川敷でのもみじ市に初出店します。旅からインスピレーションを受け、生地を生むデザイナーの木下さんは8月から9月にかけて、インドを旅していました。インドと聞くと思い浮かぶイメージは、タージ・マハルやガンジス川。ところが、木下さんが足を運んだのは、そのイメージとは遠く離れた地でした。それは、インドの最北部の地、ラダックの奥地、ザンスカール。ヒマラヤ山脈とカラコルム山脈に挟まれた標高3,500mほどの山岳地帯です。旅の間、木下さんが更新するSNSからは、果てしなく険しい山道、臙脂色の袈裟を着た僧侶、山肌にへばりつくように建つ寺院の様子が届きました。一体、どんな旅をし、どんな刺激を受け、そしてこれからの創作活動に活かすのだろう……。帰国した木下さんのもとへ、興味津津の担当・柴田が伺いました。


全ては旅から始まった
ーーーYURTAOさんと「旅」は、とても結びつきが強いイメージです。木下さん自身と旅との関係、YURTAOの活動と旅との関係を聞かせてもらえますか?
木下:中学生の頃から、「将来は旅人になりたい」、「大人になったら遠くに旅をしたい」と漠然と思い浮かべていました。そう思い始めた背景は、学芸員をしていた父親が影響しているのかもしれません。幼い頃から、日本を始め、異国の美術品や工芸品に親しむ場面が多かったんです。高校2年生の頃、美術大学に進学を決めたのですが、1年浪人をしたんです。そのときに、初めて自分自身で旅を計画し、長野に行きました。当時はまだスマートフォンもなく、今のように何でもすぐネットで手配できるわけではありません。手探りで旅をした、その刺激に魅了され、以来、大学進学後も夏はトカラ列島など、国内の隔絶された離島や、冬はアジアを中心とした海外へ足を運ぶようになりました。
ーーー特に記憶に残っている旅はありますか?
木下:大学1年生の時に中国雲南省を南北を旅しました。そのときの出来事は、強烈に覚えています。旅先の雲南省とチベット自治区の境界上で出会ったのは、12年に1度だけ未年に行われる巡礼を行う巡礼者たち。お布団のように分厚い民族衣装に身を包み、岩と石だらけの険しい道を越えて信仰の地に向かっていました。その佇まいと纏っていた民族衣装に、強烈に惹きつけられたんです。「こんなにも鮮やかな民族衣装を日常着にしている民族がいるなんて!」そして「こうした民族が世界にはまだまだ沢山いるのだ」とすごく興奮しました。それ以降、数多くの布を旅の中で目に焼き付けてきました。アンティークでなくとも、文化的に値打ちが高いものではなくとも、1枚の布には、その土地の自然環境、歴史、民族、技法がぎゅっと凝縮された1つの世界が存在していました。翌年の大学2年生のときは、北インドのスイッキムやネパール、3年生のときにはついこの前に旅したのと同じインド北部のラダックへ足を運び、その度に、少数民族の日常に寄り添う布に心震わされました。

ーーー旅と布を通じて、その土地や民族を知ったと言っても過言ではないですね! 木下さんの年表を拝見して、意外に思ったのが、卒業されてから、ブランドを立ち上げるまでに3年程の時間があったことです。この間にはどんなことがあったのでしょうか?
木下:そうなんです。大学4年生の途中から、映画の衣装制作に有志で関わるようになり、そこから映像関係の繋がりや、雑誌のスタイリングアシスタントなどを受けるようになりました。企業に就職して働くイメージが自分には持てなかったので、とにかく面白いと思うことにどんどん飛び込み、この先に何をやっていくか探るために本当に色んなことを経験しました。ただ、映像やドラマ、雑誌のスタイリングの仕事はペースがとても早く、自分の日常を放り出してやっていかねばならないと感じたんです。それよりも、もう少し自分のペースで、そして自分が良いと思うものを作りたい、と思い、地元の鎌倉に戻りました。卒業した年の秋から冬に、遅めの卒業旅行と称して、4ヶ月間、大学1年のとき初めて出会ったチベット民族の地へ再び旅をしました。


鎌倉に戻られてから
ーーーその後、鎌倉に戻られてからYURTAOのスタートの基盤となるような期間が始まったんですね
木下:友人づてで、三浦半島に拠点を持つPlantsというアパレルブランドでアルバイトスタッフとして働くことになりました。アルバイトとは言え、スタッフが少ないので制作から販売まで、服が出来上がるほぼ全ての工程に携わることができました。デザイン以外のこと、生地の裁断、シルクスクリーン、染め、縫製などに触れられた経験は、その後、自身のブランドを立ち上げて服を作るときに非常に役立ちました。
ーーーその期間は旅に出られたりしたのでしょうか?
木下:Plantsで働きながらも、1年の内、数ヶ月は旅することを容認してもらえたので、それはすごく有り難かったです。旅は私の人生に欠かせないもので、旅なしの自分は想像できません。ただ、だからといって、昔の夢のように旅に終始した旅人になりたいわけではないんです。旅をしていて色々な人に出会いますが、やはり出会って会話して面白いのは、日常生活できちんと仕事をし、積み重ねている人。だから自分も、旅だけをし続けるのではなくて、仕事としてスキルや経験を積んでいきたいと思っていたんです。

ーーーその後、自身のブランドを立ち上げるのですね?
木下:木下:Plantsで働き始めた翌年に、仕事と平行してYURTAOを立ち上げました。1年目の活動は年に1、2回展示会を行い、友達が見に来てくれる感じでした。それが2年目になると、知らない人がYURTAOの名前をどこかで聞きつけて足を運んでくれるようになったんです。そして4年目、東日本大震災が起きたことから、自分がやりたいことにもっと力を注ぎたい、と思い、Plantsを卒業し、YURTAO一本でやっていく決心をしました。
ーーーYURTAOというブランド名も旅に由来しているのでしょうか
木下:ウズベキスタンやカザフスタンの中央アジアの遊牧民が使う組み立て式のテント「ユルト」に由来します。2008年、中央アジアを旅した時期が、「自分自身の活動をもっとしなくては……」と思っていたタイミングだったこともあって、遊牧民にまつわるものから屋号を取りたいと思いました。「ユルト」は内装に鮮やかな色に染められた羊毛を使った織物が飾られてデコラティブな印象です。昔は美しい毛布やフェルトの敷物で、その家族の裕福さや家柄を表したそうです。たまに友達からからかい半分に「YURTAOのゆる、は“ゆるい”のゆる”でしょ?」なんて言われますが、「ユルト」ですよ!


YURTAOと布博と。
ーーーその後、手紙社のイベント・布博に出展されるようになったんですね
木下:確か2012年の東京の布博に初めて出展しました。布博は誘ってもらえたタイミングがすごくよかったんですよね。新しい作品を出す、お客さんの手に取ってもらえる、また新しい作品を作れる、というサイクルが年に2度ある布博のリズムともかみあっていました。イベント自体もエネルギーに満ちていて、個展を行うよりも圧倒的に多くの方に見てもらえる場です。布博を通じて大きな転機が起きたのが2015年。京都で開催された布博で兵庫県西脇市の機織り屋さんに声をかけてもらいました。イベント中に話しをして、翌日にはもう工場に足を運んで打ち合わせさせてもらったんです。それまでYURTAOでは、刺繍の生地や、プリントの生地でアイテムを制作をしていました。織り物の生地は、1人ではとても制作できないし、工場に発注したくてもロットが合わなくて断念していたんです。それが、布博で出会った機織り屋さんは小ロットでも生地を織ってくれるところで。織りだからこその立体感を持ったアイテムを手掛けることができたおかげで、YURTAOの作品の幅がぐっと広がりました。


これからのYURTAO
ーーー木下さんは今後のYURTAOの活動をどんな風に展開したいと描いていますか?
木下:まずは、鎌倉にもう一度アトリエを設けたいです(※今はご自宅兼アトリエ)。前のアトリエは湿気がひどすぎて、在庫にカビが発生しないように戦うのが大変だったので、そこは注意ですね(笑)。今後の展開は……。うーん、私、大学時代、課題に取り組むときに、コンセプトがあるものを作るのが苦しかったんです。自分のそのときの心に、欲に従って、こんな色にしたい、こんな素材を使いたいって動機を持てることがいいな、と思って、ようやく卒業制作で最初から最後まで好きなものを作れたんです。それが、YURTAOの原点になっています。だからこの先も、その瞬間に良いと思ったものを取り入れたいですし、旅先で出会ったその土地で心惹かれたものを、自身のアイテムに散りばめたいです。今年は「新規の開拓をがんばろう!」とこれまでは見送っていた百貨店の催事などにも積極的に出ています。ただ、これから何年後にこんな風に……、というのはあまり考えずに、「今」の気持ちを大切に、自分自身の心が楽な状態でいたいと思っていて。そうすることが、きっと良いものを作る土台に私の場合はなっていて、そ自分の作る物を通して楽しい、人と社会と繋がっていきたいというモチベーションにもつながっています。
ーーー「YURTAO(ゆるたお)」という響きを初めて耳にしたとき、連想したのは「ゆるやかに、たおやかに」という言葉。実際のところ、YURTAOの由来はそれとは全く異なる言葉からきていましたが、木下さんの活動を支えるポリシーは、ふわりと異国を吹き抜ける風のような、ゆるやかさと、しなやかさ、そして強さを感じさせてくれるものでした。2日間だけ多摩川の河川敷に出現するもみじ市。そこに並ぶYURTAOのブースは、まさに遊牧民の「ユルト」のようですね。今年のもみじ市、河川敷でお会いできるのを楽しみにしています! ありがとうございました。
《インタビューを終えて》
旅を通じ、布を含めた世界中の民芸品を目にした木下さんは、「人の創造というものは、自然から得たものを表現しようとしたところから全て始まった」。そんなことを感じたそうです。と同時に、人間が持つ“創造”に対しての本能と、計り知れない普遍性に強く心打たれたと話します。そして、自身が布の上にデザインを描くとき、その心打たれた本能と普遍性を、「どうにか表したい……」と祈りのような想いと願いを込めているそうです。木下さんのそんな情熱が、もみじ市であなたにも届きますように。
(手紙社 柴田真帆)
mego
【megoプロフィール】
megoこと牧野潤さんは、函館を拠点に活動する陶芸家。土色と黒の2色のみで作られる器は、クールな印象も柔らかな印象も孕み、どんな料理も受け止める包容力があります。彼女が陶芸に本格的に取り組み始めたのは、31歳の時。母の目線をもって生まれた形はどれも毎日繰り返し使いたい、しっかりとした安心感があります。昨年までは「rocaとmego」としての参加でしたが、今年は単独でのもみじ市出店です。
http://mego-makino.com
petit à petit
【petit à petitプロフィール】
ほのかな酸味としっかりとした歯ごたえが、さながら精緻に形作られた芸術品としての風格すら放っている「petit à petit」(プティ・タ・プティ)中西麻由美さんのパン。その繊細かつ力強い舌触りは、ともに味わう料理やワインと互いを引き立て合い、食べる人と静かにマリアージュする。だが彼女のパンの本質は、マリアージュさせることそのものにはない。その存在を忘れるほど食の悦びに没頭させること、そんなアルチザン(フランス語で職人)のごとく透徹した美学にある。そのさまこそ、眩暈を起こすほどにエレガントで官能的で。
妄想工作所
【妄想工作所プロフィール】
主宰の乙幡啓子さんは、妄想工作家として、またライターとして様々な媒体で脱力系工作記事等を連載中。アトリエが手紙舎のご近所というご縁もあって今年8月に実現した展示「ナナメ ウエノ 動物園」には、乙幡さんの新旧快作が結集し斜め上すぎる妄想ワールドが展開されました。その妄想力、もとい発想力によって生み出されるプロダクトには「そうきたか……」と清々しく負けた気分を味わえること必至。もみじ市初参戦です!
https://mousou-kousaku.com/
もみじ市 in 神代団地,出店者紹介,ジャンル:ILLUST&DESIGN
水縞
【水縞プロフィール】
紙や布を用いた文具&雑貨のデザインを手がけるデザイナー・植木明日子さんと、吉祥寺の文具店「Sublo」の店主・村上幸さんが2006年に立ち上げた文房具ブランド。ブランド名の由来は、植木さんが好きな水玉と、村上さんが愛する縞々模様からきています。素材感を重視して作られた紙モノや、1アイテムで幾通りもの楽しみ方ができるハンコなど、文具好きによる文具好きのためのアイテムが盛りだくさん。水縞のアイテムには、定番模様をベースとした「普遍的な安心感」と、それらを自由自在に組み合わせ生み出される「新しさ」、手にした時に、自分ならどうやって使おうかな? と考えずにはいられない「わくわく」がぎゅぎゅっと詰まっています。遊び心と実用性の絶妙なバランス感に、きっとあなたも心を掴まれることでしょう。
https://mzsm.jp
八重樫茂子
【八重樫茂子プロフィール】
シンプルな織り方と色遣いで構成されながらも、ふと人が身につけていると目を留めてしまう。そんな不思議な引力を持った、八重樫茂子さんの織物。小田原にあるご自宅で、今ではもう、すっかり暮らしの一部になった大きな織り機から、毎日コツコツと作品を生み出しています。心地よいと思ったもの、日々の生活で出会った好きなもの、そんなものをイマジネーションの元にして作られる作品は、素直な気持ちがそのままに現れているのでしょうか。身につけているだけで、なんだかワクワクと心が弾むのです。これまで幅の広いストール派の私(担当:本間)でしたが、八重樫さんのマフラーに一目惚れして使い始めて以来、その使い心地にすっかりと虜になってしまいました。気まぐれに現れる新作も楽しみの一つ。「織りって楽しい!」そんな気持ちがいっぱいに詰まった作品と、とびっきりの笑顔に会いに、ぜひブースへ足を運んでみてください。
http://attaekar.blog101.fc2.com/
もみじ市 in 神代団地,出店者紹介,ジャンル:ENTERTAINMENTetc.
hokuri(出品のみ)
【hokuriプロフィール】
西荻窪にサロンを構えるhokuri。建築を学んだというネイリスト・上間美絵さんがお客さんの話しを聞きながら、その人だけのネイルを施してくれるサロンです。初めてhokuriのネイルを見たとき、自分自身を心地よくする為に、自分自身が嬉しいと思う為に爪を美しくしてもいいんだよ、そう言ってもらえたようで、福々とした気持ちになったことを鮮明に覚えています。部屋に花をいけるように、いい匂いの布団で眠るように、美しい爪を携えて暮らす。自分自身が心地よく生きる為に。なんて素敵なんだろう。自分の体で唯一じっくりと観ることができて、自由に触れることができる爪。指先を美しくすることをもっと身近にしてほしい、という想いのもと生まれたというネイルシールも、バリエーション豊かに制作・販売を続けています。hokuriのネイルで「ホクリ」と幸せな気持ちを体験してみてくださいね。
http://hokuri.jp
結城琴乃
【結城琴乃プロフィール】
高知県在住。木を焦がして描く“焦がし絵”という手法や細い針金を駆使して、家や鳥、植物などさまざまなモチーフを独自の世界観でつくりあげるクラフト作家。木に塗装を施した上から焦がしつけたり、カッターで細く模様が描かれた作品は、存在のムラや曖昧さが味わい深く表現されています。一方、細い針金で生み出される作品は、存在の輪郭のみをふっと浮かび上がらせるように儚く繊細。「存在するもの」と「存在しないもの」の間にいるような結城さんの作品たちは、シンとした静寂をたたえ、その美しさに思わず息を飲んでしまうことでしょう。まるで別世界に迷い込んだように幻想的な結城さんの世界を、そっとのぞいてみませんか。
https://kotono1218.exblog.jp
【結城琴乃の年表・YEARS】
【結城琴乃さんインタビュー】
儚く美しく、“シン”とした独特の世界に連れて行ってもらえるような結城琴乃さんの作品は、儚いけれど、一貫した世界観で見る人を惹き込む強さがあります。そんな作品を作る結城さん、実は昔は「雑貨屋」になりたかったのだとか。クラフト作家の道を歩むこととなった結城さんの足跡を、一緒に辿ってみましょう。
幼いころからもの作りが好きだった
ーーーもともと子どもの頃から絵を描くことや、“もの作り”がお好きだったのですね。
結城:はい、すごく昔のことなんですが、まだ自分では絵が描けないくらい幼かった頃、絵が上手だった母に「この絵描いて!」と絵本を指差してイラストを描いてもらっていました。それに私が塗り絵のように色をつける、みたいな遊びがすごく好きだった記憶があって。今思えば、絵を描くということに興味を持ったのはその頃からかもしれません。それから自分でも絵が描けるようになったら、さらに楽しくて。
ーーー絵もさることながら、つまようじで滑り台を作ったりと、もの作りにおける発想力もすごいですね。
結城:わざわざ材料を買ってきて何かを作るというより、つまようじみたいに普段から身近にあるものを使って何かを作る、ということが好きでした。目についたものがあると、「これで何か作れないかな」と考えたり。今でもその感覚は変わっていなくて、作品は身近にあるようなもので作っています。家のオブジェとかも、棚を作った時の端材を使って「何か作れないかしら」と考えたのが始まりでした。
ーーー子どもの頃からたくさん“もの作り”をされてきたとのことですが、美術系の学校へは行かず、独学だったんですよね。
結城:はい、自分の作品を人に修正されたりするのがどうしても苦手、というか嫌で。全部自分で考えて、全部自分で作るのが好きなので、人に教えられるのは向かないなと思い、学校には行きませんでした。
雑貨屋さんになりたくて
ーーー大人になってすぐ作家活動をされていたのではなく、別のお仕事をされていたのですか?
結城:社会人になりたての頃は、パン屋さんで事務仕事をやったり、雑貨屋さんで働いていました。
ーーー雑貨屋さんをされていたこともあるのですね!
結城:そうなんです。勤めていた雑貨屋さんはオーナーが買い付けてきたものを売っている、セレクトショップのようなお店だったのですが、プレゼント用の包装をしたり、お客さんと言葉を交わしたり、雑貨屋さんとしての仕事全部がとても楽しくて! こういう仕事を続けたいなぁと思ううちに、雑貨屋さんは雑貨屋さんでも、売るものや商品棚に至るまで、“全部自分で作る雑貨屋”をやりたくなって、独立したいと思うようになりました。
ーーーすべてが手作りの雑貨屋さん! 素敵ですね。きっと夢のような空間でしょうね! 雑貨屋さんをやるために、どんな活動をされていたのでしょうか?
結城:やりたいなと思いながら結婚、出産とプライベートが忙しく、子育てが落ち着いたころから、友人と一緒に“もの作り”のイベントに出店していました。その友人も自分のお店を持ちたいと思っていた子だったので、下準備として「一緒にイベントに出て宣伝しない?」と声をかけてくれて始めたのが最初でした。
ーーーその頃はどんな作品を作られていたのですか?
結城:棚や子ども服、編み物もあったし、カラフルな小物類など、まさに“雑貨屋さんにあるもの”という感じのラインナップで作っていました。今とは全然違う感じでしたね。
クラフト作家としての独立
ーーー今の結城さんの作品を知っているだけに、意外です! “雑貨屋”からクラフト作家として独立したのはなぜでしょうか?
結城:だんだん、「作ること」と「お店をすること」の両立が難しいなと感じるようになったんですよね。私のイメージとしては、作品を作りながら「いらっしゃーい!」と接客できるような雑貨屋さんを作ろうと思っていたんですが、作っている途中で電話が鳴ったり、中断しなければならないことが起きるのがどうしても苦手で。そうなると、子供も育てているし、作品を作って、販売して、と考えると時間がないと思って。どっちかに絞ろうと考えた時、やっぱり作る方が好きだなと思って、「作家になろう」と独立を決めました。

ーーー焦がし絵や針金を使用した、結城さんの儚く美しい作風は、作家として独立することになった時から確立していたのでしょうか?
結城:そうですね。もともと雑貨屋として作っていた時のものは今は1個も出していないですし、作るものの意識も変わったんです。
ーーー作るものの意識、と言いますと?
結城:雑貨屋の時は、子供用の服やスタイ、ハンカチなど、カラフルでプレゼントにも選んでもらえるような、“たくさんの人に喜んでもらえるための作品作り”をしていました。作家としてやるなら、“自分が作りたいと思う作品作り”をして、買っていただけるようにしていこう、と考えたんです。私は“儚いもの”や“色がないもの”、“あるかないかわからないようなもの”などが好きなので、突き詰めていくと今のような作風になりました。

ーーーなるほど、どういうところを目指して作品作りをするのか、というコンセプトの部分が変わったのですね。棚作りから裁縫まで幅広くこなせる結城さんですが、木や針金を使った作品へと決めたのはどうしてですか?
結城:針金も木片も、棚などを作った端材として目の前にありました。子どもの頃みたいに「目の前のこれで何か作れないかな、好きなものが作りたいな」と思って、その時に、花や家などが思い浮かんで、というスタートでした。私が今使っている針金は、すごく細くて古いものなんですけど、はじめ家にあったのがピカピカの太い針金で、少しイメージと違うなと思っていて。父が大工をしていたので、昔から馴染みのある古い建材屋さんなどでイメージに合うものを探した末に、ぴったりのものを発見して今のような作品になりました。
ーーー選び抜かれた針金の、あの線の細さや年代ものならではの佇まいもあいまって、結城さんの作品は独特の存在感を持ち合わせているのですね。

もみじ市が繋いだ出会い
ーーーもみじ市は2015年の「紅白」から出店いただいているので、今年で5年目ですね。嬉しかったことや、印象的だった思い出などはありますか?
結城:毎年来てくださるお客さんがいらっしゃることは、やっぱりとても嬉しいですね。いつも、ものすごい時間をかけてじっくり選んでくださる方もいて。お客さん皆さんが商品を選んでいる様子を見させていただくのが楽しみなのと、毎年来てくださる方が少しずつ増えているのも嬉しいです。
ーーーもみじ市に行くと会える方、という方もたくさんいらっしゃるのですね。作家さん同士の交流などはありますか?
結城:もみじ市は他のクラフトフェアよりも交流があるなぁと思います。普段、他のクラフトフェアでは作家同士で話す機会も時間もさほどないんです。お隣同士で「おはようございます」と「お疲れ様です」の言葉を交わすくらいですかね。でも、もみじ市は打ち上げとかで、他の作家さんとお話しする機会もあって。
ーーーもみじ市がきっかけで出会った作家さんはいらっしゃいますか?
結城:同じ高知県から出店しているイラストレーターの柴田ケイコさんはもみじ市と関係がない時にもご飯を食べにいくようになりましたし、私は作っている作品のように、家の中にも色味がないものが多いのですが、柴田さんのポップで鮮やかな絵とかも飾るようになりました。今、トイレがちょっとしたギャラリーみたいになっているんですけど、柴田さんのカレンダーや、他にもmakomoさんの漫画とかがずらっと並んでるんです。もともと、他の方の作品を積極的に見る方ではないのですが、お話ししているうちに「この方も私と同じようなことを考えながら作っているんだな」、「この人がこういうものを作るんだな」と思うと愛しく感じて興味を持ったりするので、そう考えると、もみじ市に出てだいぶ色々と変わりましたね。
ーーーすごく色の濃い空間で、楽しいトイレですね! もみじ市がきっかけでそんなふうに作家さん同士も繋がっていただいているなんて、とても嬉しいです。本日はいろいろなお話をありがとうございました!
《インタビューを終えて》
インタビューを通し、「全部自分でやりたいんです」と真っ直ぐに作品作りに向き合う結城さんの言葉が印象的でした。話す口調も柔らかで、作品が纏う空気も繊細なものではありますが、結城さんの中に広がる世界を表現するために、どこまでもストイックで、一切の妥協を許さない作家魂に終始圧倒されました。その魂があるからこそ、わたしたちは結城さんの作り出す世界に何度だって魅了され、会いに行きたくなってしまうのでしょう。
(手紙社 高橋美穂)