もみじ市 in 神代団地,出店者紹介,ジャンル:CRAFT

KUROSAWA

【KUROSAWAプロフィール】
1996年から革製品の製作を始め、技術を磨き、 2008年KUROSAWAとして活動開始。 ベビーシューズやバッグなど、日常に馴染む革小物を製作しています。 2010年には工房を千葉県外房に移転。トレードマークのハチの刺繍は、カバンにとまっている姿をイメージした遊び心から生まれました。経年変化により味が生まれる革小物は、何年も使い続けたい宝物です。
http://hachi-kurosawa.com/
Instagram:@hachi.kurosawa

続きを読む

もみじ市 in 神代団地,出店者紹介,ジャンル:CRAFT

coupé

【coupéプロフィール】
コロンと丸いコッペパンのようなつま先。ほんのりと光る艶やかな革。手紙社でも圧倒的な人気を誇る、coupéの革靴。これらは全て、中丸貴幸さんと美砂さんのお2人の手仕事から生み出されます。芯から底まで、全て革でできた重厚な作りの革靴は、初めはちょっぴり緊張しますが、履くたび、手入れをするたびに愛着が増し、気がつけば毎日のように足元にいる、とっておきの相棒になってくれます。coupéの靴のテーマは、「10年後も履きたい靴」。革靴デビューがcoupéの私(担当:本間)にとって、それはなんだか「10年後、この靴がぴったりな自分になれますように」と少し背伸びした気持ちを後押しして、足元から自分を丸ごと支えてくれるような安心感を感じさせてくれたのです。革靴デビューを控えたみなさんも、もちろん、革靴を愛するみなさんも、ぜひ一度、coupéの靴を履いてみてください。今年は、昨年のもみじ市の企画から生まれた期待の新作も、いよいよリリースです!
http://coupe-shoes.com/
Instagram:@coupe_shoes

続きを読む

もみじ市 in 神代団地,出店者紹介,ジャンル:OYATSU

cotito ハナトオカシト

【cotito ハナトオカシトプロフィール】
西荻窪にある花とお菓子のお店。店主の前山真吾さんが“花”を、奥様の由佳さんが“お菓子”を担当し、ご夫婦で営んでいます。“cotito”という名前は、巡り会いで生まれるものを大切にしたいという願いを込め、古語で“わたしたち”を指す、「此方人(こちと)」という言葉から名付けられました。真吾さんが選ぶ植物は独創的で美しく、一見オブジェのようにも見え、ギャラリーを彷彿させます。由佳さんが作る、食べられるお花“エディブルフラワー”を使ったお菓子は、見た目にも愛らしく、プレゼントやご褒美に選びたい一品。店内には、カフェスペースもあり、ケーキや飲み物も楽しめます。2人の理想を一つひとつ丁寧に育んできたお店は、今や多くの人に愛される名店となっています。
http://cotito.jp/
Instagram:@cotito_yuka

もみじ市 in 神代団地,出店者紹介,ジャンル:ANTIQUE

houti

【houtiプロフィール】
理想の生活を求め、東京都狛江市から千葉県君津市に移住。さまざまな古道具や古雑貨、古家具を求め、夫婦二人三脚で日本各地を周っています。現在は骨董市やイベント出店などで活動中。一際目を引く、花柄のレトロなホーロー鍋を見つけたらそれはhouti(おうち)のブース。日常がパッと明るくなる選りすぐりの道具に、たくさんの人が出会えますように。
http://www.houti-8.com

続きを読む

もみじ市 in 神代団地,出店者紹介,ジャンル:CRAFT

小谷田潤

【小谷田潤プロフィール】
1978年東京生まれ。立命館大学卒業後に信楽と常滑で陶芸を学び2004年八王子にムササビ窯を築窯。もみじ市には初開催時からの皆勤賞ながら、毎回新しいことに挑戦し続けてくれています。常にとことん悩みながら探求していく姿は、名のある作家となった現在でも変わりません。今年は2年ぶりに小谷田さんと初めて出会った地、北海道でのイベントでご一緒でき、新たな引き締まった気持ちにさせていただきました。私(担当:小池)にとってのミスターもみじ市。共に応援している埼玉の某野球チームは、痛快な野球でなんとか踏ん張っています。今年こそもみじ市後の日本シリーズ出場を願って止みません。
http://www11.plala.or.jp/koyata/index.html

続きを読む

もみじ市 in 神代団地,出店者紹介,ジャンル:CRAFT

左藤吹きガラス工房

【左藤吹きガラス工房プロフィール】
光を内包し、手仕事の妙を感じるガラスの作品を作り続けている左藤吹きガラス工房・左藤玲朗。沖縄の奥原硝子製造所などで経験を積んだ後、兵庫で工房を開き、現在は千葉の九十九里浜で日々制作をしています。自分が今使いたいものとは何か、と試行錯誤の末に生み出されるガラス作品の数々は、寸分の厚みまでも想いを投影したものばかり。水のように流れるガラスの一瞬の美しさを感じる作品に引き込まれてしまいます。
http://www2.odn.ne.jp/tebuki/

【左藤吹きガラス工房・YEARS】

【左藤吹きガラス工房さんインタビュー】
左藤さんの作るガラスは、華美な装飾が無く、一見素朴とも捉えられる形をしています。しかし光を浴びると何色もの色を内包したブルーの美しさを放ち、かつ用途によって緻密に計算された形で、いちど手にすると、虜になってしまうガラス作品です。そうした作品を生み出すため、1000℃以上にもなる窯と、溶けて熱を放つガラスに、日々向き合っている左藤吹きガラス工房。左藤さんがなぜこの世界へ進み、今もなおガラスで暮らしの道具を作り続けるのか、過ごしてきた時代背景を考察しながらお話をお聞きしました。

バブル期とものづくり

ーーー左藤さんは美大を出ていたり、なにか芸術関係のことをされていたのですか?
左藤:一度、美大には入ったものの、途中で辞めた後にものづくりとは関係のない大学に通っていたんです。ただ沖縄に行った時、陶芸やガラスの工芸品などを見て、何か手に職をつけたいと思っていました。最初は陶芸にしようと思っていたのですが、その頃の琉球ガラスは勢いがあって、この世界で食べていこうと思ったのがガラスを志したきっかけです。まだその時はバブル期で、周りは大手企業に就職したりもしていました。その頃自分はというと、大きなガラス工房は観光客で入り乱れ、見物するような所というイメージが強かったので、敢えて小さい工房で修行し、貪欲に周りのものを吸収したいと考えていたんです。その工房では、コップや花瓶、水指などが多く、今の琉球ガラスに比べて色や形は随分シンプルだった気がします。

ーーー沖縄のガラスというと気泡と鮮やかな色をした琉球ガラス、というイメージが強いですよね。
左藤:沖縄って戦後から米軍相手に商売していたので、実はアメリカ寄りのデザインのものが多かったんですよ。今よりもっとシンプルで、実用的なガラス製品でした。そこから国内旅行で他の地域から日本人が観光で訪れるようになって、今の形が出来上がってきたのではないでしょうか。

ーーー昔はテイストが全く違っていたんですね。
左藤:そうですね。沖縄のガラスもですが、吹きガラスでちょっと歪んだ形の作家ものの作風は90年代後半が全盛期で、鮮やかな発色の作品など好まれていました。それから2000年あたりに北欧デザインの流れを汲んだものが取り上げられるようになっていき、シンプルなラインが流行っていったんです。

沖縄時代に先輩の手を借りて吹いたコップ

ーーー北欧デザインでガラスと言うと「ittala」が有名ですよね。
左藤:まさにあの感じの薄さと鮮やかな色、何より日常使いがしやすいデザインというのが多くの人に受け入れられたポイントではないでしょうか。その頃、自分は兵庫で工房を作り、卸の仕事をメインに活動していました。器店や雑貨店といったお店に対しての営業が主で、先程言った北欧デザインに共通するシンプルなガラスを提案して回っていたんです。使い易いのもあり、オーダーは定期的にあってよかったですよ。ただ自分の作りたいものと出来上がるものに差があって、なかなか自分の技術が追いつかず、非常に苦労しました。

ーーー自分が思うものが作れた、と感じるようになったのはいつ頃なのでしょうか。
左藤:もうずっと悩んでいましたよ。それこそ2、3年前までは思うようにならなかった。今では何でも作れると言うわけではなく、ある程度ガラスを扱えるようになった、という方が正しいかもしれません。それまでは何が原因でうまくいかないのか、自己分析が出来ていませんでした。今の作っている色ガラスの発色なんかは15年ほどかかって今の形に落ち着きました。ちょっとした素材の掛け合わせで、緑が濃くなったり黒っぽくなってしまったり、透過色・反射色と言った透けて見える色と、そうでない色のバランスとか、ようやく最近良い色になりました。

自分の力で伝えていく

ーーー素材を自分の思うようにコントロールするというのは、一生付いて回るのでしょうね。
左藤:苦戦しながらも日々お店からの依頼のものを作っていたんですが、その頃、民藝がもてはやされることがあったんですよね。何度もブームになっていたので、冷静に見ていたのですが、陶芸などはとても注目されてました。ガラスと違って、陶芸は随分前からひとつのジャンルとして確立されていて、有名な窯元が地方にあったりと勢いもありました。それで民藝ブームの時はこの窯元がとても繁盛したんです。だけど、それが過ぎたあたりからピタリと窯元の動きが無くなっていくんです。こういう器を作ってほしいとか、そういう依頼が来なくなって仕事にならなくなる。依頼がないと何を作っていいかわからない、自分からどう動いたらわからない、そんな雰囲気でした。芸術家ではなく、あくまで職人と呼ばれるの人たちの現状を見て、何か対策をしなければと感じたのを覚えています。

ーーー民藝ブーム、たしかにありますよね……。今では窯元でも更にクリエイティブな所も増え、自ら発信していく様子を目にします。
左藤:自分はその頃、民藝風の作品とは一括りにされたくなくて。アンティークやブロカントの様式が好きだったので洋風のものが作りたくなっていました。その後今の工房がある千葉・九十九里に移ったんです。

ーーー千葉に移った理由などあったのでしょうか?
左藤:単純に東京に近い場所に行きたくて、その周辺で工房にしやすい条件の所を探していました。やはり東京だとたくさんの人に見てもらえます。千葉に移る前あたりから徐々に卸の仕事を減らしていき、直接お客さんに買ってもらいたいと思うようになりました。

ーーーそれまで順調だった卸を少なくしたのですか?
左藤:卸って上代から何割か引いて販売しますよね。そうすると普通だったら100個売れて元が取れるものが、150個とか200個とか作って売らないといけなくなる。どんどん効率だけを求めていくようになって、ひとつ当たりに掛けられる時間も無くなるわけです。そうなると必然的にクオリティも落ちてしまうし、利益も少なくなる、そんなことを感じるようになりました。新しい作品も作りたいけど、そこに使える時間も無く悪循環に陥ってしまうので、自分の力で販売できるよう仕組みを作っていこうと思うようになりました。

ーーー思い切った決断だったのですね。それまでは卸先が左藤さんのガラスを販売してくれていたけれど、自身での販売となると苦労もありますよね。
左藤:インターネットで販売するのも良いのですが、やはり実物を見ないで買うということに、その時はまだ抵抗がある時代でした。それでも年数回工房を開けて販売会のような形を取ると、たとえ見に来れなくても作り手が販売してるという、血が通ったイメージが伝わって購入に繋がりました。やはり人が作って人が販売している様子が知れると安心して下さるんですよね。

ガラスをデザインするということ

ーーー左藤さんはInstagramも活用したりと、常にどんなガラスを作っているのか一目でわかる工夫もされてますよね。
左藤:インターネットが普及して、ネットショップやSNSが増えたお陰で、ネットに対する敷居が良い意味で低くなりました。やはりInstagramで情報発信をしていると見てくださる方がたくさんいますね。工房だけでの活動でもネットで自分の作品を見てくれる機会がこれだけ増えたので、うまく活用していこうと色々考えています。ネットに加えて、もみじ市のように、野外フェスでの対面販売も続けていきたいですね。直接顔を合わせることで得られる反応は何物にも変えがたいです。

ーーーイベントで販売していて気が付いたことはありますか?
左藤:お客さんの反応もこれまで知らなかった反応でしたが、同じものづくりの知り合いが増えたのが印象的です。僕は美大を出ていたわけでも大きい工房に勤めていたわでもなかったので、周りのガラス仲間がほとんどいませんでした。それが、もみじ市に参加することで、若手の作家さんと意見交換できるようになり、ガラスを取り巻く環境により敏感になりました。第一線で活躍するガラス以外の素材を扱う作家さんとも話せるので、いい刺激になります。

ーーー他の作家さんとの出会いで、左藤さんの視野が広がっていったのですね。左藤さんの作品にはガラス以外にも金属を使用した蓋物などもありますよね。異素材を組み合わせた作品はどのように生まれたのですか?
左藤:元々金属加工には興味があって、2011年の震災でガラスの窯が動かせない時期に作り始めたのがきっかけです。真鍮や鉄を溶接やロウ付けし、壁がけ時計のカバーを作ったり照明を作ったり。インテリアが好きで、そういう方向のガラス作品がこれから作っていけたらと思っています。

ーーー今度はインテリアに! ガラスを使ってどんなことができるのか楽しみですね。
左藤:今度は照明にもっと力を入れていきたいですね、例えばスタンドライトなど。ガラス以外の部分が既製品だと、どうしても全体のバランスに合わなかったりしまうので、そういったところにまで手を入れていきたいです。あとは、作っているガラスの青い色をもっと突き詰めていきたいです。元は沖縄にいた時に見た古いガラス瓶の色が、綺麗な青色をしていて、あれを再現したいと思って試行錯誤していたんです。あの時見た鮮やかな色のガラスで作品が作れたら、そう思います。

時計の製作中
自作の真鍮製三本爪を用いたペンダントライト

ーーーどんどん進化していく左藤さんのガラスをこれからも楽しみにしています。

《インタビューを終えて》
左藤さんのうつわは、ガラスの用途による厚みの違いから、見え方までトータルで考えられたものです。時代の流れを感じとり、その時折で求められるものとはなにかを追求していった結果、機能性と美しさ、どちらも兼ねそろえた左藤吹きガラス工房の作品が生まれたのです。左藤さん自身は、「あくまで自分は職人というよりもデザインをする側だ」とインタビュー中仰っていました。使ってくれる人に想いを馳せ、使いやすい形とは何か、美しさとは何か、今できるガラスとしての最高の形をこれからも作り続けていくのでしょう。

(手紙社 上野 樹)

もみじ市 in 神代団地,出店者紹介,ジャンル:CRAFT

柴田菜月

【柴田菜月プロフィール】
やきもの作家。「生活に少しのいろどりを。少しの楽しさを。」をモットーに、マラカスや時計、オブジェなどを制作。彩りは美しく、手触りは心地よく、奏でる音も気持ちよい、思わず笑顔がこぼれるものばかり。なんとも言えない、とぼけた表情に心くすぐられる方が続出! 疲れた心や苛立った気持ちをほぐしてくれるようです。中でも、鳥や猫、うさぎをモチーフにしたシャラシャラと音がなるマラカスがオブジェとしても人気。たまに「巨大なものをつくりたい欲求」が抑えきれなくなり、大きな作品を作り上げたりもするそう。柴田さんは、予想外のトラブルが起きても、ワクワクを味方にして、さらに楽しい作品へと昇華させてしまうパワーの持ち主。同じものはつくれないというだけに、一つひとつの形も違えば、表情も異なるため、お気に召したときは、ぜひ手に取ってみることをおすすめします。ほんわかゆったりとした気分を届けてくれます。

Instagram:@natsuki.shibata

【柴田菜月の年表・YEARS】

【柴田菜月さんインタビュー】
とぼけた表情の動物が魅力的な柴田菜月さんの作品たち。作家としての年表というよりは、その根幹となっているプライベートな部分でのお話を伺いました。柴田菜月さんのユーモアの源があふれています。

猫への愛に溺れ、夢中になる

愛溢れるデッサン。動物への偏愛のかたちともいえる

ーーー柴田さんの作品に動物は欠かせない存在だと思いますが、いつ頃から動物といっしょの生活をされていたんですか?
柴田:実家にいるときは、だいたいずっといましたね。鳥やウサギ、犬がいたときもあったんですけど、特に小学校のころから大学まで、1匹の猫とずっといっしょにいたので、猫への愛情が激しいんだと思います。人とのコミュニケーションより動物とのコミュニケーションのほうが得意みたいになっちゃって……。これなしでは生きていけないという存在だったんです。ずっと抱っこしているとかではないんですけど、ただ、心の支えとしての猫が凄すぎたっていう。でも猫自身は、やはり世話をしてくれる母が一番好きなようでしたけど(笑)。

猫を凝視して書いていた頃のデッサン

ーーー相当な溺愛ぶりだったんですね。具体的にはどんな感じだったんですか?
柴田:例えばですけど、落ちたひげ1本でさえも、愛おしいんです。だから、ヒゲ入れとかをつくって、とっておいたりして。ヒゲをつんつんするだけで、もううれしくて。タッチするとつくタイプのライトがあったんですけど、勉強しているときに、猫が尻尾でつけたり消したりするのを見ながら、ついてるー、消えてるーって、幸せを噛み締めていましたね。相当重い愛ですよ。みんなそうなのかなと思ってましたけど。あとは、ひたすら観察して描いたりしていたのも、溺愛の一種だと思うんです。穴が開くほどみてましたから。まずるのところが可愛くてたまらないとか、その時によおく見すぎたせいだと思います。それが、今の作品に生きているかもしれないですね。もう溺愛というより、偏愛の方が正しいかもしれません。なんでこんなに偏ったちゃったんだろう。“ひとりっこ”っていうのが大きかったかも。兄弟代わりのような気持ちだったのかもしれません。

ーーーー今はなにも飼っていないんですか?
柴田:動物のことを考えすぎて飼えなくなるという、こじらせぶりを発揮しています。留守にもするし、我が家にいるより、もっとかわいがってくれる家があるんじゃないかとか思ってしまって。でも、猫をみると、ついキャーキャーゆっちゃいますね。

爆走! 車への愛

ーーー現在の愛車がパンダだということで、車もお好きなんですよね。そもそも興味を持ったきっかけはなんだったですか?
柴田:小学校の時に「ナイトライダー(注1)」っていう番組が大好きすぎて、再放送なので変な時間帯にやってたんですけど、めちゃくちゃ頑張って、みてましたね。

ーーー車が人間の言葉を喋べるやつですね?
柴田:そうです(笑)。一人っ子で男兄弟もいないのに、本当に夢中で。それがきっかけかもしれないと思って。もうそれくらいしか思いつかないですね(笑)

注1:『ナイトライダー』は、アメリカのカーアクションTVドラマ。私立探偵機関の調査員、マイケル・ナイトと特殊装備を搭載したドリーム・カー『ナイト2000』とともにさまざまな事件を解決する。

ーーーそこから、カーデザイナーのことを知るようになったのは?
柴田:中学の時からの仲良しだった子のお家が、ベスパとミニカーの輸入代理店だったんです。しかも、ベスパを初めて輸入した大元の家の子で。その縁もあって、モーターショーのお手伝いしにいったりしてたら、車にぐぅーんって引っ張られるように、もうどっぷりその世界に浸ってしまいました。一人でモーターショーとか見にいってましたから。だいぶおかしくないですか? 女子高生ですよ(笑) しかも、その頃、よく読んでいたのが、「カー・センサー」とか車の雑誌! 真剣に値段の相場とかを見てました。ずっと値段を追っていて、売っているところが九州だったら、買うはずもないのに「くぅーっっ!!」っていいながら、悔しがっていたくらいです。

ーーー90年代の『olive』でもベスパとか載ってましたよね?
柴田:でも、それとは全く違う流れですよ。なにせ、こっちはモーターショーですから!(笑) 免許が取れる年になったら、もう制服のまま取りに行ってました。

ーーーカーデザイナーを諦めた理由は?
柴田:中学高校は、女子美だったんですけど、自分の学校にはカーデザインを学べるところがなくて……。でも、一時、受験しようと考えたんですけど、そのためだけに時間を割くのが馬鹿らしくなってきちゃって、この学校の中で入れるところにしました。染色とかが色が綺麗だったので、工芸科にしたんです。でも、粘土をペチペチやりはじめたら、カーデザインやるのは、この後でもいいかなと思いはじめて、どんどん陶芸に夢中になってしまい、気づけばカーデザイナーへの道は消滅……。でも、車への愛は、所持欲としては残っていますよ。

ーーー今もずっと古いパンダを乗っていらっしゃいますよね。
柴田:実は、この時に好きになった車を手に入れて、乗ってるんですよ(笑)。

フィンランドに取り憑かれる!

ーーーフィンランドのことは、なにきっかけで夢中に?
柴田:実は、旅を強行プランで組んだことがありまして。それは、タイを旅して帰ってきて、成田に一泊して、次の日からフィンランドというやつです。うっかりそんなスケジュールになっちゃったんですね。その時にフィルムのカメラをずっと持ち歩いてて、タイで撮った写真がカメラの中に入っている状態で、フィンランドでも写真を撮ったんですよ。現像してみて、驚いたのが、その色の違い! タイとフィンランドで、全然色が違ったんですよ。同じ空でも、なんか違う。フィルターがかかったように、それぞれの国の色があるんだなと気づきました。その時に感じたフィンランドの色がたまらなく好きで、そこにあるガラスのものとか陶芸っぽいものとかオブジェが、そこの空気といっしょに見るとすごくいいなと思いました。

それでフィンランドに留学したくて、政府観光局に行ったりしてました。とりつかれたような状態です。その頃は、フィンランドがこんなにも有名じゃなかったから、フィンランド語も習ってはいましたけど、習えるところも2箇所くらいで、ひとつは出版社がやってるような状態でした。そんな中で、フィスカルスというアーティスト村のことを知ったんです。クラフト村みたいな、アーティストの方がたくさん住んでいる場所のことです。今は、もう有名になっているんですけど、英語の資料もあんまりない時にみつけちゃって、行ってきました。そこで泊まったホテルが、涙が出るほど素敵ところで、個人でやってる小さいホテルなんですけど、それぞれにアーティストのものがあるような部屋になっていたんです。環境も、湖があって、羊を飼ってる家があって、散策ができるところがたくさんあって、いろんな工房が点在してて、「もうなんだここ、楽しすぎる!」って感極まりました。ちなみに、その頃、たまたまその街に住んでいる日本人の作家さんにバッタリ会ったんですけど、「こんなところに日本人がいるなんて!」とすごく驚かれました。それほど、マイナーな場所だったんです。

ーーーそれ以降もフィンランドには行かれているんですか?
柴田:行ってますね。フィスカルスにも再訪しましたよ。ホテルはなくなってましたけど、羊はいました。しつこいですね、私(笑)。フィンランドは、地図上で一番上まで行ったこともあります。冬に深夜特急に乗って、扉が凍ってて開かなくなったことや、ニューイヤーを過ごしたりしました。農村にステイしたことがあって、スノーモービルを運転させてもらったこともありますね。今でもまた行きたい国です。

これからの野望
ーーー同じものは作れないとおっしゃっていましたが、昔と今の作品の違いはありますか?
柴田:昔は、もうちょっと動物たち暗い感じだったんですよ、寂しげな感じというか、うつむきがちな感じ。どんどんあっけらかんとしてきちゃって(笑)。フィンランドが好きだったのも、暗い部分がよかったんですよね。大学の時に日光アレルギーがひどくなって、そこから日陰日陰へと。日光に当たっちゃうと肌がただれてひどく荒れるので、本当の日陰の生活でした。余計フィンランドとかの日差しの少ない状態の国に憧れたのかもです。暗い感じに。

初期の作品
この頃の作品はまだ鳴りません(左:初期の作品/右:今の作品)

ーーー今後は、どんなことをやりたいと考えているんですか?
柴田:いろんな国でつくってみたりするのも楽しいなと思っています。本来、旅好きというのも関係してると思うんですけど。デザインだとネット環境があればできると思いますが、陶芸だとそこの場所に行かないとできないので。粘土は、その土地のものを掘るわけだから、めちゃくちゃ土着なんですよ。粘土が取れない土地もあるけど、近くの土を使っているので、大きくいえば、その土地の土ですよね。場所によって、触り心地も全然違うし、水も全然違う。降ってる雨も違うから、粘土になる工程も違う。土が違うと、どういう色の出方をするかがわからないから、おもしろいと思います。ただ、窯って、その場に設置しないとダメなんですよ。でも、陶芸のレジデンスみたいなものが世界に何箇所かあります。土は容易に持って帰っちゃダメそうですしね。出来上がったものにならないと持って帰れなさそうだから、そういうことをやってみたいですね。

ーーーすごくおもしろい試みだと思います! 実現できることを楽しみにしています。楽しいお話をありがとうございました!

《インタビューを終えて》
インタビュー中に、ご自身のことを「なんてしつこい!」と笑いながら話していた柴田さん。私には、好きなものをずっと好きでいられるのは、探究心や好奇心が旺盛だからこそだと映っていました。これまでに何度かお話を聞かせていただいているのですが、その度に新しい発見があり、飽きることがないのは、そのバイタリティーあふれるエネルギーを柴田さんが発しているからだと思っています。いろんなことを笑って受け入れるおおらかさ、そのパワーとセンスが、作品に生かされているのだと思います。これからどんな作品を展開していくのか、本当に楽しみです。

(手紙社 樫尾有羽子)

【もみじ市当日の、柴田菜月さんのブースイメージはこちら!】

もみじ市 in 神代団地,出店者紹介,ジャンル:FOOD

手紙舎

【手紙舎プロフィール】
東京都調布市に4つのお店を営む手紙舎のカフェ。はじまりは、昭和40年に建てられた団地の一角に佇む、大きな窓のある「手紙舎 つつじヶ丘本店」でした。その後、本店から徒歩15分ほどの建物の中に、2つ目、3つ目のお店ができました。2階には、手ごねパンのサンドイッチや、ワインにあうお料理を楽しめる「手紙舎 2nd STORY」。1階には、店内にコーヒー豆の大きな焙煎機がある「本とコーヒー tegamisha」。3つのお店は歩いて行き来できる距離にあります。そしてそこから電車にゆられて西に4駅の場所にできたのが、色とりどりの豆皿に美しく盛りつけた定食をお届けするお店、「菜花」です。また、菜花からさらに西に進んだ立川市にも、この春、新店をオープンいたしました。土鍋ご飯と季節の食材をふんだんに楽しめる「農園の手紙舎」。新しいお店、新しい仲間がすこしずつ増えていき、新しいメニューがつぎつぎと生まれていきました。もみじ市の河川敷には、みなさまのお腹も心も満たすべく、その中からよりすぐりのお料理とドリンクと、スイーツをお持ちいたします!
http://tegamisha.com/

続きを読む

もみじ市 in 神代団地,出店者紹介,ジャンル:FOOD

negombo33

【negombo33プロフィール】
都心から少し離れた西所沢にお店を構える「negombo33(ねごんぼさんじゅうさん )」。弾けるスパイス感と地元の食材をふんだんに使ったカレーは、多くのカレーマニアを日々唸らせています。一番人気のラム肉キーマカレーを始め7種類のカレーを提供、そして店舗の隣では「山田珈琲豆焙煎所」を併設し、店主・山田さんがカレーと同じように愛している自家焙煎コーヒーも味わうことができます。西所沢の店舗営業とイベント出店を並行させながらも、昨年は高円寺に姉妹店をオープンさせました。もみじ市初出店のnegombo33さん。そのカレーを食せたあなたはきっと幸せな気持ちになるに違いありません!
http://negombo33.com
http://negombo33.com/koenji/index.html
twitter:https://twitter.com/yamadanegombo33

続きを読む

もみじ市 in 神代団地,出店者紹介,ジャンル:CRAFT

Chappo

【Chappoプロフィール】
なぜ人は帽子を被るのだろう? 服は着るのが当たり前だし、裸足で出歩くわけにはいかない。でも、帽子がなくたって別に困らないような気もする。20個以上の帽子を持ち、ほぼ毎日何かしら被っている私にとっても、帽子はつかみどころがなく不思議な存在だった。

そんなときに出会ったのが、一般的なものよりも高さのあるChappoの麦わら帽子。珍しい形のその帽子を被りこなすことができるのか、ドキドキしながら試着したのをよく覚えている。ところが、被った瞬間にそんな不安も吹き飛び、いつもとはちょっと違う自分になれたような、胸の高鳴りを感じたのだ。帽子の形に色、使われている素材やちょっとした飾りなど、細部まで考えて作られているChappoの帽子は、シンプルで無駄がない。だからこそ、人が被ることによって初めてその真価を発揮する。被る人の魅力を引き出しつつ、帽子自身も被られることでより一層の輝きを放つように思える。

いまだに帽子を被る理由はよく分からないのだけれど、被るたびにあのとき味わった気持ちが蘇ってきて、鏡を見るのが楽しみになってくる。あなたもChappoの帽子を被って、そんな心ときめく瞬間を積み重ねてみませんか?
https://www.chappo.co/
Instagram:@chappo_suda/@chappo_boushi

続きを読む