「料理をつくる上で大切なことですか? そうですね…やっぱり“愛”ですかね。真ん中に“心”があるじゃないですか、愛という字には」
まるで芸能人のように格好をつけてインタビューに応えるので、こらえきれずにお互い笑ってしまった。これからご紹介するお店の店主は、手紙社のイベントではいつもうるさいくらいに場を盛り上げてくれる、自称「栃木のピエロ」。どこまでが本気で、どこまでが冗談か、たまにわからなくなるので取材のときに少し困ったことは、ここだけの話だ。
栃木県宇都宮市。 最寄りのバス停に着き、これから取材を行うお店へ向かって、 夏の日射しを受けながらふらふらと歩いていく。同じように日の光を浴びながらも、どこか涼しげな田園の緑を横目にしばらく進むと、 「光が丘団地商店街」という郷愁感の漂う小さな商店街に入った。この商店街に「サカヤカフェマルヨシ」はある。1階には天然酵母パンとスイーツの店「RhythBle」、2階には栃木産の食材をふんだんに使った“栃木イタリアン”を提供する「クッチーナ ベジターレ マルヨシ」。2つのお店をあわせて、「サカヤカフェマルヨシ」と呼ぶ。この場所を訪ねるのはこれで2度目だが、あらためて感じたことがある。店とこの町の境を感じない、といえばよいのだろうか。互いの空気がよく調和して、隔たりをまったく感じないのだ。
そんなことを考えながらカフェの入り口へ向かうと、ひときわ大柄の男性が待ち構えていた。店主の笠原慎也さんだ。開口一番、「今日は泊まり込みの取材でしたよね?」とジョークを言う。今日はまともに取材できるだろうかと多少不安になりつつ、店内に入る。よし、まずこのお店の“始まり”を聞いてみよう。
「祖父の代からこの場所で『マルヨシ酒店』という酒屋をやっていました。僕は高校卒業後、何となく人と違うことがやりたくて、大阪の専門学校を出た後、イタリアンレストランで10年間料理修行をしていたのですが、父親が体調を悪くして、栃木に戻って酒屋を継ぐことになったんです。自分が小さな頃には活気のあった商店街も、当時はほとんどお店がなくなっていて、うちの店に来るのも近所のご年配の方ぐらい。人が集まる場所をつくろう、と決意して、店で販売していたお香典袋やみりんなどをすべてどかして始まったのが、サカヤカフェマルヨシです」
店舗がオープンしてから9年の歳月が経ち、商店街には若い店主が切り盛りする雑貨店やベーグル屋、お好み焼き屋など、まるで昔からあったような気配を漂わせながら、違和感なくマルヨシとともに並んでいる。お店がオープンした後は、順調にやってこれたのだろうか。
「店を始めた当初は、この街を自分が変えるんだ、と意気込んでいました。というのも、修業時代に過ごしていた大阪の南船場という街が『CAFE GARB』というカフェによってどんどんと栄えていく様を目の当たりにして、じゃあ自分もやってやろう、と。大阪から栃木の片田舎に戻ってカフェを開いた自分のことを“栃木の宝”だと思い込んでいましたね。ですが、『CAFE SHOZO』『starnet』『日光珈琲』など、栃木にすでにある素晴らしいカフェのことを知ったとき、ガラガラと音を立てて僕の妄想は崩れ去りました。とはいえ、先人の店を見て、なおさら良い店をつくろうと思ったんです。でも、オープンしてしばらくは、来てくれるのは町内会のバレーボールの後にブルマで来るお母さんたちだったり、ここはラーメンないの、漬け物ないの、ボトルキープできないの、と平気で尋ねてくるおばあちゃんだったり…。自分が思い描いていた店のイメージとはだいぶかけ離れていましたね」
しかし、しばらくすると雑誌やホームページを見て遠方からマルヨシを訪ねる若い方々が増えていく。今思えばとても失礼なことと思いつつ、店に合わないと感じた地元のお客さんの入店をやんわりとお断りすることもあったという。そんなことを重ねるうちに、少しずつ地元の人との関係がぎくしゃくとしていった。そんな中、2011年3月に起こったのが、東日本大震災だ。店舗の2階部分が壊れ、お皿もすべて割れた。今まで大切にしていた遠方のお客さまがパタリと来なくなり、愛想を尽かした地元の人も当然来ない。来客が無い日が、1カ月ほど続いた。このままではいけない、とパンを焼いて、隣のベーグル屋と一緒に自転車で隣町まで行き、出張販売を始めた。そこで気づいたことは、8年間ほど店をやっているのに、店があることが近場の人々にほとんど知られていないことだった。
「それから、パンの販売がきっかけで近隣の方が店に足を運んでくれるようになりました。イタリアンもやってるんだね、と少しずつ店のことを知ってもらえましたし、僕もこの町の人を知るようになったんです。その頃からはもう、ブルマで来る人はいなくなりましたね」
遠方から訪れる人、よく顔を出してくれる地元の人。マルヨシに、活気が戻ってきた。ようやくお客さんが増えてきた頃、複数のお客様から、同じような質問をされるようになった。
「おすすめは何ですか、と聞かれるんです。遠方から楽しみにして来られる方からは、特に。心からおすすめできるもの、食べてほしいものはなんだろう、と考えて出した答えが“栃木イタリアン”です。イタリアンをつくっている身ですが、本場のイタリアには行ったこともありません。でも、自分が美味しいと感じる栃木の素材を使った自分なりのイタリアンを提供してこそ、この場所でお店をやる意味があるのではないかと思います」
そんなマルヨシのメニューの中で、これぞ栃木イタリアン、という料理がある。今はディナーコースのメインにもなっている「パスタシモツカレ」というオリジナルメニューだ。シモツカレとは、鮭を頭と骨ごと煮込み、旨味のきいた出汁に季節の野菜と酒粕を入れて煮あげた栃木県民なら誰しもが知る郷土料理。その鮭の代わりに栃木県産のヤシオマスという魚を使用し、仕上げにチーズを入れてショートパスタに絡めてマルヨシ流にアレンジしたのが、パスタシモツカレだ。
「ヤシオマスという川魚は、サーモンに近い味わいですが、脂っこくなくてさっぱりとしているので、四季を通して様々な野菜と相性が良い素材です。お店を続けることはやはり大変で、一方で良いことはなかなかありませんが、こうした良い素材に出合えたときは、よし、美味しいものをつくってやろう、その良さを伝えてやろう、と励まされますね」
そんな笠原さんの言葉を受け、栃木の素材を使って料理をつくるときに大切にしていることは何だろう、と思い尋ねてみると、この文章の冒頭の言葉が返ってきた。ひとしきり笑った後、笠原さんはこう続けた。
「素材の味や香りはしっかり伝えてやりたいですね。ヤシオマスならヤシオマス! 食べたら良くも悪くも、味わった人の印象に残るものがつくりたいです。僕もそうです。人とコミュニケーションする時は、まず自分をぶつける。もみじ市の決起大会のときに、酔っぱらった演技をして近所の飲み会のようにたくさんはしゃぎましたが、あれも僕という人間を印象づけるための作戦です」
笠原さんが話す、もみじ市の決起大会とは、スタッフと出店者がこのイベントをつくる仲間として集った夜のことだ。演技というのはもちろん冗談に違いないが、「愛」という答えは結構本気かもしれない。冗談ばかり言っている笠原さんだが、その目の奥には、いつも“純粋さ”が溢れていることを、ぼくは知っている。
もみじ市初出店のサカヤカフェマルヨシ。出店のおさそいの連絡をした後、笠原さんは男泣きをしたそうだ。彼にとってもみじ市は、ずっと目指していた理想の場所だという。自分をぶつける最高の舞台。マルヨシが用意してくれるメニューは、「パスタシモツカレ」だ。
【サカヤカフェマルヨシ 笠原慎也さんに聞きました】
Q1 もみじ市に来てくれるお客様に向けて自己紹介をお願いします。
もみじ市に初参加となります!サカヤカフェマルヨシと申します。栃木県の材料のみを使用した「栃木イタリアン」と栃木県産地粉を使用した焼き菓子やパンを作っています。栃木県の「おいしい」を是非皆様に食べていただきたいです。
Q2 今回のテーマは「カラフル」ですが、あなたは何色ですか?
情熱の「赤」です。
Q3 今回はどんな作品をご用意してくれていますか? また「カラフル」というテーマに合わせた作品、演出などがあれば教えてください。
栃木の魚「ヤシオマス」を使用した、真っ赤なトマトソースのパスタを作ろうと思っています。
Q4 ご来場くださる皆さんにメッセージをお願いします!
さて、続いてご紹介するのは、三重からやってくるあのパン屋さん。毎年、このパンを求めて多くの人がもみじ市へと足を運びます。
文●柿本康治