「魔女になりたいんです」
彼女はそう言った。笑いながら、でも真面目そうに。もう立派な大人なのに、小さなお子さんが生まれたばかりのお母さんなのに。彼女は本気で魔女になろうとしているような口ぶりだった。
「魔女になって、パンを通してみんなに元気を与えられたらいいなと思って。『魔女の宅急便』の主人公・キキのお母さんが、魔法の薬草で人を元気にするみたいに」
ふと店の天井を見上げると、魔女のオブジェが悠々と空を飛んでいる。部屋につり下げられたくさんのドライフラワーも、棚に飾ってある古い瓶も、そして、この場所が木々に囲まれた山の麓にあることも、すべてが怪しく思えて来た。彼女は、ほんとうは魔女なのかもしれない。
『ごっつくて、力強くて、生命力がみなぎっている』
これが、私のきりん屋さんのパンに対する印象だった。「パン」に対する褒め言葉とは思えないかもしれない。「おいしい」「もちもちしている」「香ばしい」という感想はもちろんすべて当てはまるけれど、そんなありきたりな表現では伝わらない気がして、どれも違うと思ってしまうのだ。
初めてきりん屋のパンを口にしてから5年以上が経った。もみじ市にはこれまでに2回参加してくれている。その間じゅうずっと抱いていた疑問を解決すべく、私は三重県へと向かった。どうして、こんな「強い」パンが焼けるのか? 「生命力」の源はどこにあるのか? それを聞き出そうという意気込みと、あのパンの焼きたてが食べられるという期待に胸を踊らせながら。
その店は、山の麓の道すじにあった。茶畑のほかはあまりにも何もない道が続くため、ほんとうにこの辺りに店があるのかと心配になるころ、通り沿いにぽつりと赴きのある小屋が現れた。正直、「みんなこんなところまで、パンを買いにくるんだ」と思った。“わざわざ”行かないと、きっとそこへはたどり着かない。
赤畠由梨枝さんに会うのは2年ぶり、前回のもみじ市以来だ。小柄でかわいらしく、ストローハットが似合い、ケラケラとよく笑う。どう見ても、あんなストイックなパンを焼くようには見えない。赤畠さんと、こんな時間を持つのは初めてだった。3時間以上もの間一緒にいて、たくさんの話を聞き、パンを焼く姿を見せてもらった。けして饒舌とはいえない彼女は「なんでやろう?」「なんでやったかな?」と何度も繰り返しながら、言葉を選ぶように私の疑問に答えようとしてくれた。
実はいまここで、きりん屋さんを紹介するにあたり、あの場所で感じた何を伝えたらいいか、私は戸惑っている。赤畠さんがどんなに魅力的な人か。その店がどんなに美しく、彼女が焼くパンがどれほどたくましかったか。そして、私たちのために焼いてくれたピザが、生地のはじっこまでどれだけおいしかったか。伝えたいことが次々と溢れ出て来る。溢れすぎて、頭の中がザワザワするのに、ありきたりな飾り言葉は軽すぎて全部違っているような気がして、なかなか次の言葉が出て来ない。パソコンを打つ手が止まってしまう。そんな日が何日も続いている。
彼女が何度も繰り返していた言葉が、頭の中で渦巻く。
「力強いパンを焼きたい」
「感動するパンがつくりたい」
それは、ずっと私が感じていたことでもある。「力強くて生命力にあふれる」という、彼女のパンに対する印象は、彼女の魂から来ているのか。彼女の強い思いが、工房の空気を伝わり、彼女の手のひらを伝わり、パンのなかに閉じ込められているのか。
ただの「おいしいパン」なら、本を読んだり人から教えてもらえばどうにかたどり着きそうだけど、力強いパン、感動するパンはどうしたらできるものなのか。具体的に目指すパンがどこかにあったのか。
ある1冊の本を見せてくれた。タイトルは「THE BREAD BUILDERS」。ロサンゼルスにあるパン屋さんの本だ。その写真にあるパンは、確かに焼けこげていて、ごっつくて、大きくて、力強くて、こちらに訴えかけて来るものがある。その中の1ページには、お母さんが子どもをおんぶしてパンを作っている写真もあり、それもいいという。「この写真をイメージしながら、何度も練習しました。英語だから、中身はぜんぜん読んでいないけど(笑)。技術的なことはわからないから、何度もつまづいた。やってやっての繰り返しでした」
パンづくりを人に習ったことはない。本と見比べて作っては人に食べてもらい、改善しての繰り返しだったという。そして、いまの自分のパンも「まだまだ弱い」と言い切る。ならばどうやって、さらに強いパンを目指しているのか。
「負けるもんか、っていつも思っています」
いったい何に?
「何かわからないけど、とにかく負けるもんか! って」
強いパンを作りたい、負けるもんか。心のなかで繰り返しながら、無言でパンを捏ねている赤畠さんの姿が目に浮かぶ。赤畠さんが勝負している相手は誰なのだろう? それは、全国のおいしいパン屋さんでも、おいしいパンを求めてくるお客さまでもない。負けたくない相手。それは、「このくらいいいだろう」「こんな感じかな」と妥協する自分ではないだろうか。自分が『これだ』と思うパンまでにいきつくまで、負けないということか。
力強いパン、感動するパンという言葉には、おいしいこと、香りが高いこと、体によいことが、すべて満たされているように思う。それがすべて合わさっているから、感動するのだ。感動して食べるから、私たちの血となり、肉となるんだ。彼女は「まだまだ弱い」というけれど、もうそれはお客さまには伝わっている。だから、みんなきりん屋のパンを食べたいんだ。きりん屋のパンが好きなんだ。これを求めて遠くからでもやってくるんだ。彼女が作るパンは、人を喜ばせ、人を元気にしている。
10ヵ月前、彼女に子どもが生まれた。母となった彼女は、パンに打ち込む時間がだいぶ減ってしまったけれど、たくさんのお客さまを待たせてしまっているけれど、「パンを楽しんで焼けるようになった」と話す。これまでは作ることに追われる毎日だった。期待に応えたいと、無理をしていたかもしれない。いま、子どもの時間に合わせるなかで、限られた時間を楽しめるようになった。「視界が広くなった」「いろんなことが受け入れられるようになった」と話す。彼女のとんがった部分が、母になって少しまるくなったのかもしれない。優しく、おおらかになったのかもしれない。
ある人がこんなことを言っていた。
「優しいことは強いこと」
母になった彼女は、ますます強くなる。そして、もっともっと力強く、私たちに感動を与えるパンを焼いてくれるだろう。
取材前に意気込んでいた「なぜ強いパンが焼けるのか」という疑問については、結局のところ真の理由は理解できなかった。そして、到底それをわかることはできないだろうと、もうあきらめることにした。
だって彼女は、魔女なんだから。
【きりん屋 赤畠由梨枝さんに聞きました】
Q1 もみじ市に来てくれるお客様に向けて自己紹介をお願いします。
三重の田舎町にある小さいぱん屋。きりん屋です。自然をいっぱいすいこんだ、にこにこぱん焼いています。
Q2 今回のテーマは「カラフル」ですが、あなたは何色ですか?
今日は飴色です。憧れは、ピンク色です。
Q3 今回はどんな作品をご用意してくれていますか? また「カラフル」というテーマに合わせた作品、演出などがあれば教えてください。
お客様のこころが色とりどりになれるような、楽しいぱん達をつれていきます。どうぞよろしくお願いします。
Q4 ご来場くださる皆さんにメッセージをお願いします!
さて、続いてご紹介するのは、“フェルトのこども”という意味の名前で活動をするあの人です。
文●わたなべようこ