涙がこぼれそうになった。なぜだろう、なぜだかわからない。彼が「少壮の狼」と名付けたオブジェを見た瞬間、ものさびしい気持ちが心から溢れ出し、「哲学者」や「遠望の羊」と名付けられたオブジェの表情をみると、不思議と心が落ち着いた。それ以来、いつかこの作り手に会いたい、話をしてみたい、と心のどこかで強く願っていた。念願叶って、小高い山の麓にある彼のアトリエを訪ね、木の香りに包まれながら、言葉を交わした。
クロヌマタカトシさん。木彫りで動物や林檎のオブジェ、ブローチなどの装身具を作り、ギャラリーや雑貨店での展示・販売を中心に活動している。しかし、“木彫り”に辿り着くまでは随分と長い道のりがあったのだという。
「学校で建築を学んだ後、1年間住宅メーカーで設計と現場監督を担当しました。しかし、家は自分にとってサイズが大きすぎて、中にある暮らしをイメージすることがなかなか出来なかった。自分がそれをつくっている感覚があまり感じられず、悶々としていました」
もっと暮らしに寄り添うものづくりをやろう、家具職人になろう、とクロヌマさんは木工の職業訓練校に1年通う。それでもまだ、自分がつくりたい“何か”と、実際に作っているものの焦点が合わない。そんなある日、ふと彫刻刀を買ってきて、手を動かしてみた。
面白い。手のひらにおさまるものをつくった時に「これだ」と感じた。彫りはまったくの独学だった。当時は、彫刻刀の研ぎ方も知らなかったので、鎌倉にある刃物屋に行ってみせてもらったこともある。やがて、本格的に木彫りの活動をスタートした。最初の頃は木のカトラリーを中心に制作していたが、徐々にオブジェへと移っていった。
「オブジェは人によっては用途のないものですが、それが部屋にあるだけで安心したり、自分にとっては必要なものだと感じます。作品がもつ“空気”のようなものをつくりたいのかもしれません。空間の雰囲気をがらっと変えるものを意図的につくる、ということではなく、人や空間と作品が無作為に交わって生まれる“風”と言えばいいのか…」
そんな話を聞いていて、クロヌマさんが自身の展示の時に残した言葉を思い出した。それは、僕が彼にどうしても会ってみたくなった、きっかけの言葉でもある。
古い大きな倉庫に手を加えた抜けと奥行きのある魅力的な空間。
自分の作ったものをそこに置いた時に生まれる
空気の揺らぎのような、あるいは静まり溶け合うような
共鳴なのか、対峙なのかは分からないけど
ものと空間の交わる一点を探して。
その一点が見つかった瞬間、そこからふわっと気持ちのいい風が吹き始める。
そんな感覚に襲われるときがこの場所の展示にはある。
追記
2日間の在廊を終えて改めてこの場所の心地よさを発見した自分がいた。
差し込む光、通り抜ける風、ゆれる緑。
時間とともに刻々と移りゆく空間にあわせて
表情を変えてゆく作品たちを眺める。
空間と作品と、時間と、光や風や緑といった自然。
それらの調和や共鳴によって生まれる何かに
自分の存在を委ねてみたくなる。
この場所に解けてしまいたくなる。
変わりゆく自然や空間とのつながりが生み出す偶発的な美しさ。見る人が重ねてきた時間・経験と響き合うことで生まれる印象の奥行き。つまりは、見る人の外にあるものと、中にあるもの。その二つの要素が交わって浮かび上がる作品の世界は、人によって、場所によって、まったく異なる。僕にとっては、遠吠えする狼がさびしそうに見えて、自分の孤独だった時間ときっと共鳴したのだろう。哲学者の表情が、そんな自分も理解してくれた誰かの微笑みのように見えたのだろう。
遠方から、クロヌマさんの個展に訪れたある女性が、彼が彫った女性の像をマリア様のように部屋に飾っていると話したそうだ。
「自分との“接点”を見つけた人、作品を必要としてくれる人の話を聞いたとき、その人のために作ったと思えます。これが、生きている自分の役割なのかもしれないとさえ感じます」
クロヌマさんの彫る作品には、“生命”が宿っている。そんな風に思えてしまうほど、彼のオブジェは見る人の琴線に触れる。色つけも独学で、塗っては剥がしての繰り返しも多いという。まるで森の中を彷徨うように彫りと色つけを行う中で、狼がまさに狼になる瞬間がある、と彼は話す。それこそがきっと、クロヌマさんが彫ったものに“生命”が吹き込まれる、かけがえのない瞬間に違いない。
作品とそれをつくる作家。作品とそれを見る人。作品とそれを包容する空間。それぞれの運命的な交差によって生まれる世界そのものが、クロヌマさんの作品だ。大空の下のもみじ市の会場でもきっと吹くだろう。気持ちの良い、風が。
【クロヌマタカトシさんに聞きました】
Q1 もみじ市に来てくれるお客様に向けて自己紹介をお願いします。
クロヌマタカトシと申します。木を彫ってオブジェなどを作っています。
Q2 今回のテーマは「カラフル」ですが、あなたは何色ですか?
濃藍。
Q3 今回はどんな作品をご用意してくれていますか? また「カラフル」というテーマに合わせた作品、演出などがあれば教えてください。
動物や林檎などのオブジェや装身具をご覧頂ければと思います。全体的にモノトーンのものが多いのですが、新しい色にも挑戦してみようと思います。
Q4 ご来場くださる皆さんにメッセージをお願いします!
さて、続いてご紹介するのはカラフルなフェルトの作り手。3年ぶりにもみじ市に帰ってきます。
文●柿本康治